真面目な話
「……それは、養子、ということでしょうか?」
口に出しながらも思う。恐らく、違う。私と同じ家名を名乗れ。そう言われた僕の頭が、もう一つの可能性を否定した。そうして、やはりと言っていいのか。オルガさんは首を横に振った。
「いいえ。私の伴侶としてです」
「え? ……え?」
言葉は理解しているのに、聞き返してしまう。伴侶? つまり、やはり結婚の方か。
……何故?
時間稼ぎの代わりに瞬きを繰り返し、僕は必死に考える。いや、結婚? いきなり?
もっと、こう、結婚というのは段階を踏んで、一歩一歩昇っていく階段の先にあるようなそんなもんじゃないのか。上手く言えないけど、何か違う気がする。
「もちろん、カラス様はまだ成人ではありませんし、何年か後に……という事にはなりますが。今は……私と婚約して頂けませんか?」
「え、ええっと、すいません。突然のことなので何が何やら」
頭の中で考えがまとまらない。
明らかなプロポーズ。初めてされたのか、それとも経験があるのかはわからないが、人生の一大事に、僕の頭は思考が出来なくなっているらしい。
というか、そんな大事な話を平然としているオルガさんが不思議なのだが、これは一体どういうことなのだろう。
「フフ。では……その話は一旦置いておいて、話を戻しますか。考える時間も、きっと必要でしょう?」
「お願いします」
慌てる僕の顔が面白いのか、オルガさんは噴き出すように笑い、椅子に座り直した。
「私の使っている魔道具、はこちらです」
それから掌を下に向けて、左手を差し出す。人差し指には金色の指輪が填まっていた。
他にアクセサリーは無い。ならば、その指輪がそれだろう。
「それは、どういう効果が?」
「外見の年齢を変化させる指輪です」
そういうと、見ている間にオルガさんの見た目が若返っていく。元々皺や染みなどは無い若々しい外見だったが、見る間に僕より少し上、十代中盤だろうか。それくらいになった。
二十代後半ほどの妙齢の女性だったオルガさんが、少女になった。
「もうちょっと驚いて頂けると思っていましたが」
それは僕の目にも驚きの光景だったが、先程の言葉の方が衝撃的だったのだろう。僕は、唾液を飲み込む程度の反応しか返せなかった。
「……充分驚いてます。……ええと、もっと大人の女性かと思ってましたし……」
「フフ。実はこのくらいなんです。この指輪の効果、素晴らしいでしょう? 体型や性別などに変化は起こせませんが、年齢を好きなだけ変化させられるんですよ」
キャッキャと面白がるように、笑いながらオルガさんは年齢を戻す。いつも見慣れた大人の姿に、僕は少し落ち着いた気がする。
オルガさんも少し息を吐き、そして今度は静かに話し始める。
「ユスティティアの家の子供が、しなければいけない儀式みたいなものなんです」
「……」
一言そう口に出して、紅茶を含む。そして、カップを置くと目を瞑った。
「ユスティティアの家は、代々商家なのですが……、跡継ぎは長子が継ぐものではありません」
「何か、条件があるとでも?」
「ええ。一番力を持った者を伴侶として得た者、それを当主が指名するのです」
力。随分と曖昧な表現だ。
「それは、強いとか、偉いとか……ですか?」
「はい。権力や武力、財力から魅力に至るまで、全ての力が当てはまります。小金持ちと結ばれた姉達を差し置いて、絶世の美女を娶った末弟が当主となった事例すらあるそうですよ」
公平なんだか不公平なんだかよくわからない基準だ。その代の当主の好みによるんじゃないだろうか。
「勿論、候補には全員に見定める力を養わせ、そして見いだす機会を与えています。私がこの指輪を使い、あのギルドで働いているのもそのためでした。『武力を持つ者』それを見るための期間」
そして静かに目を開くと、長いまつげを上下させ、僕を見つめる。
「三年間の限られた期間の中、私は、貴方こそ私の夫に相応しいと確信しました。前の三年には、めぼしい人はいなかった」
「前の三年は、どこで?」
「とある領地貴族の館で行儀見習いです。領主本人やその縁者。権力を持つ者、それを見て学ぶための期間でしたが……」
オルガさんは、残念そうに首を横に振る。その言葉の続きは、聞かなくてもわかった。
「魔物を打ち払い、竜を滅ぼすその武力。そしてそれに伴った経済力。……まだ未成熟ではありますが、魅力も、貴方ならば充分です。……これだけ聞けば、私が貴方を選んだ理由を納得して頂けるでしょうか」
艶っぽい瞳で、真正面から僕を見つめて、オルガさんはそう言い切った。
そして、僕の言葉を待つ。今度はオルガさんから切り出したりはしない。
静かに時間が過ぎる。遠くで、談笑している声が微かに聞こえる。僕らのテーブルの上は静寂。本当に、僕の反応待ちだった。
「ええと、お気持ちは凄く嬉しいんですが……」
「あといくつか、私の方から、婚約した場合の利点がありました」
待っていたはずなのに、僕の言葉を遮るようにオルガさんは言葉を被せた。
やや早口になり、瞬きが増えた、気がする。
「カラス様であれば、私が当主になるとは思いますが……仮にそうでなくとも一定の援助は出来ます。仕事や物品の斡旋に、その気になれば、働くことなど何も考えず生活することも出来ます」
「それは……」
「勿論、家業の管理は当主の私が行いますし、カラス様は好きなように……いえ、家にいて頂くだけで、生活に不自由は……」
「……すいません」
頭を下げ、続くセールストークのような言葉を僕が止めると、オルガさんの唇がはたと閉じる。
「別に、オルガさんが嫌なわけじゃないんです。こういう話をされて、本当に嬉しく思っています。僕をそんな風に見てくれる人は、きっと今までいなかったから」
紅茶のカップをゆする。細かい茶葉が、赤い渦の中を泳ぐ。
「だけど、まだ結婚とかよくわからないんで、……すいません」
僕の答えは決まっている。この世界の基準が、僕とは違うことはわかっている。けれど、僕はそれに迎合出来ないということもわかっている。
「そ、それは、成人してから……ということでしょうか? ええ、勿論、まだ婚約の段階で……」
「いえ。何でしょうか。多分……」
言いかけて、僕にも訳がわからない現象が起きる。
紅茶のカップを持つ手に、滴が落ちる。生暖かい、水の滴。元を探せば、それは僕の頬を伝っていた。
「多分、そういうお見合いみたいな結婚が、僕はきっと……何というか……」
右目から涙が零れる。涙声にもならず、鼻水も出ない。けれど、右目から一筋だけ、涙が滑り落ちた。
それを、グイと拭って笑顔を作る。真面目な話に対する、精一杯の敬意だ。
「何でしょうね? 多分、悲しいんです」
言ってから、少し懐かしい風景が脳裏に浮かんだ気がした。
本が積まれたナイトテーブルに、真っ白なシーツ。
多分、前世の。
僕の答えに力が抜けたのか、オルガさんは天を仰いだ。それからまた僕を見ると、微笑んだ。
「そう、ですか……」
それから黙ると、また目を閉じそして眉を寄せた。
一口残した紅茶は冷めてしまった。
雰囲気を読んでいるのか、店員はおかわりを注ぎには来ない。静かで、先程よりも寒々しい沈黙が流れる。空気が重たい。こういうときに助けてくれそうな仲人は、先程僕が自ら干渉を断ってしまった。
僕が言葉をかけることは出来ない。女性への真面目な話が苦手なのは、クラリセンの時から一向に変わってはいないようだ。
そして、オルガさんは強い……のだろうか。
目を開けて、また笑う。その意図は僕には読めない。
「私の言葉が嬉しかった、と仰いましたね?」
「……ええ。本当に」
それは否定出来ない。告白をされて嬉しくない人などいない、と初めてされた僕は思う。
僕の言葉を聞いて、オルガさんは紅茶を呷る。一気飲み、はしたない行為ではあるだろう。
飲み干して、それから音を立ててカップが置かれた。
「でしたら、まだ可能性は残っています。……よね?」
「可能性……と言われましても……」
「いえ、今はいいんです」
またしても、僕の言葉を遮るオルガさん。今度は掌を出し、どことなく威勢よく見える。
「カラス様。私は来年、十六歳になればまた別の職場に行くでしょう」
「……そういう話でしたね」
権力、そして武力を見た。ならば次はどんな力だろうか。
ふと、達観したような顔でオルガさんは何処か遠くを見た。
「……恐らく、そこでも相手は見つからない。私は、そんな予感がいたします」
「そう決めつけるのは……」
「ええ、まだわかりません、けれど、そんな気がするんです」
そうして笑った顔は、今日一番魅力的だった気がする。
……僕は何様だろうか。そんなふうに思うなんて、本当に失礼だ。
自省している僕に、オルガさんは尋ねた。
「ですから、最後まで相手が見つからなかったら、またこのお話をしに参ります。その時は、受けて頂けますか?」
「……考えると思います」
こんな答え方しか出来ない自分が恥ずかしい。ちゃんと言葉にしているオルガさんと比べて、本当に僕はまだ子供なのだ。
「ありがとうございます。次は、良い答えが聞けるように願っています」
「……はい」
僕は、答えを返せなかった。