謎肉
細身のウエイターがオルガさんの右にまわり、静かに皿を置く。それから僕の前にも置いてから、料理の名前を告げた。
「赤茄子の海漬けでございます」
そして何事もないことを確認すると、会釈して銀色のカートを押して去って行く。その後ろ姿を見ることもなく、オルガさんは並べられた両端のナイフとフォークを手に取る。
やや窪んだ平皿にのったサラダのようなものをオルガさんは眺め、少し笑った。
「やはり肉料理に合うように、前菜を選んでおりますね。これは今日も期待出来ますよ」
「……いただきます」
オルガさんに倣い、僕も出来るだけ音を立てないようにトマトを口に運ぶ。海漬け、というから何かと思ったが、これはマリネか。ワインの風味のする酢と、柔らかいチーズで和えられたトマトに、コンソメらしきゼリーが乗せられている。
もちろん味は美味しい。だがそれ以上に、ザブロック邸で見ていたような、上品な料理を食べているという静かな興奮が、僕の中にあった。
「美味しいですね」
美味しい以上に、他の感情が入った言葉が、僕の口から自然と零れる。
その言葉を聞いたオルガさんは、またニコリと笑うと何も言わずに食事を続けた。
続けて置かれたスープは、やたらと大きな皿の中央の窪みに少しだけ入っていた。
「これが、血無しの……といっても、肉が入ってはいないんですね。出汁だけですか」
金色に透き通ったスープに、千切ったような香草と刻まれた葱らしきもの入っており、脂は一滴も浮いていない。見た目は薄いコンソメスープだが、どこかスパイシーな匂いも混じっていた。
正体がわからずやや残念だったが、そのスープにスプーンを入れたときに呟くようにオルガさんは言った。
「……カラス様なら、これだけで何の肉かおわかりになってしまうかもしれません」
「そんなに特徴的でしょうか?」
「いいえ。ですが、印象的だとは思いますので」
オルガさんの言葉に首を傾げながらも僕は一口スープを含む。
その口の中に広がった味に、確かに僕は覚えがあった。
「鶏肉……みたいな、でもなんか魚っぽいし……」
脳内で、鶏の頭に魚の胴体を付けた謎生物が出来上がる。しかし、そんなもの食べたことないし見たこともない。狐に魚のヒレがあるくらいだから、いてもおかしくはない気もするが。
「……亀、ですか?」
当てずっぽうに近い感じで、そう言ってみる。だがオルガさんは首を振った。
「フフ、わかりませんか? 恐らく、肉を食べればすぐわかりますよ」
「ま、わかんなくても美味しいから良いんですけどね」
不味いわけではない。むしろ、素晴らしく美味しい。もはや、その血無しとやらがなんであろうが構わない気がしてきた。
美味しいスープに止まらない手。その手に持たれたスプーンが、皿の底にぶつかりかちんと音を立てる。その音に手が止まる。
いけない。作法は出来るだけ守らなければ。
脳裏にルルの勉強風景が浮かぶ。今のルルならば完璧にこなしているだろう。ザブロック邸での猛特訓で、もはやルルは淑女と呼べる程に成長していたのだから。
あの向上心に溢れた少女に負けるわけにはいかない。
目の前に座っているオルガさんを見れば、音を立てずに悠々と食事を楽しんでいる。そうだ、ここが個室である事で気を緩めてはいけない。ウエイターやスタッフの目もあるのだ。帯同者の失敗で、オルガさんに恥をかかせるわけにはいかない。
背筋をもう一度伸ばし、椅子に座り直す。ルルの姿を思い出しながら、真似をするように料理を口に運んでいく。
何かを食べるときに、他のことを考えなければいけない。
煩わしいものだ。
それから、飛魚の出汁焼とやらを食べ、いよいよ肉料理の番となる。
カートに乗せられて運ばれてきた皿にはクロシュが被せられ、それがそのまま僕らの前に置かれる。視線を感じオルガさんを見れば、顔を上げた僕を見てニッと笑った。
「本日の主菜、血無しの冷煮込みでございます」
その声とともに、僕ら二人にそれぞれついたウエイターの手で蓋が開けられ、中が見えるようになった。
中には、立方体に近い塊肉がどんと鎮座し、そこに茶色いソースが波線で上品にかけられていた。その色は白っぽく、白身の魚と言われれば信じてしまうような見た目だ。
ただ、一辺が五センチメートルほどあるその大きさは、魚から切り出したとは思えなかった。
「……いかがでしょう?」
得意げな顔でオルガさんは言うが、まだ食べてもいないのだ。匂いからするとやはり鶏肉のような感じではあるが、……いや、たしかに、僕はこれを何処かで食べたことがある。そんな匂いだった。
「とりあえず、食べてからでしょうか」
その肉に純銀のナイフを滑らせれば、抵抗なくほぐれるように切れていく。筋繊維がみっちりしている感じではあるのに、不思議な感覚だ。
一口大に整え、皿の上のソースをこすりつけるようにしてから口に運ぶ。
「……!」
口に含んだ段階で、香草や肉自体の良い匂いが鼻まで抜ける。これだけでも何だかわかった気がする。そしてゆっくりと咀嚼すれば、なるほど、これは僕には印象的な味だった。
「……竜の肉、ですか。これ」
「フフ、正解です。カラス様の討伐された竜の肉ですよ」
言ってから、オルガさんも料理を一口だけ口に運び、そして美味しそうに噛み締める。
口に広がるゼラチン質の甘みに、柔らかな繊維の食感。歯で簡単に噛み千切れ、あんなに全身の筋肉を連動させる必要は無い。
「え、これ、竜の肉ですか? こんなに柔らかいのに?」
興奮しながら料理を頬張る僕のほうは向かず、竜の肉を切りながらオルガさんは言った。
「ここの料理長の工夫の賜物ですね。竜の肉が出る度に、密かに調理法を研究していたそうです。今回安く大量に仕入れられたおかげで工夫がついたようで、ようやく発表出来たとか」
「家が壊れそうになるほどの火力で焼いて、長時間煮て、それでも食べられなかったのに……」
料理人は魔法使いとでもいうのだろうか。いや、魔法使いの僕がどうも出来なかったのだ。である以上、魔法使い以上といっても過言ではない。
「まあ、作る際に無駄な部位も大量に出てしまうので、値段が下げられないのも悩みだ、と笑っていましたよ」
味わう暇も作れないほどの美味しさ。オルガさんもそうだったらしい。そんな話をしている間に、瞬く間に皿は空になり、オルガさんはもう口を拭っていた。
しかし、値段が下げられない。ああ、だから。
「というと……」
「はい?」
首を傾げ、言葉の続きを待つオルガさんの顔を見て僕の言葉が止まる。
「……いえ」
それから先を言うのはマナー違反だろう。
竜の肉を使うと、値段が上がる。だからこそ、店員は最初に確認したのだ。『血無しを使うが、大丈夫か』と。
……この『おまかせ』の値段。金貨数枚で足りるだろうか……?
「では、血無し、というのは今回の竜の肉の様子からでしょうか」
誤魔化すように、僕は言葉を重ねる。その言葉に、自分の手柄のように嬉しそうにオルガさんは同意した。
「そうですね。カラス様が大量に出回らせた竜の肉、あの肉からは血が無くなっておりましたので……」
今現在、俗称として血無し、と言われている。僕の行動が一つの名詞を作った、というのは何だか恥ずかしい気もするが、それよりも少しだけ、誇らしい気持ちが上回った。
デザートの、甘みのついたアーモンドとコンソメを混ぜてゼリーで固めたようなものも静かに平らげ、僕とオルガさんは食後のお茶を楽しむ。
砂糖を入れない紅茶のおかげで口の中がさっぱりとなる。デザートが冷たいものだったため、冷えた胃に温かい紅茶が染みていった。
満たされたお腹に、少し張り詰めた頭が緩んだようで、僕とオルガさんの会話も弾む。
その中、最近あったトピックの出し合いで、意外な反応があった。
「へえ、人工生物の目玉が魔道具でしたか」
「はい。ギルドの方でも調査とかしてますよね?」
「調査はされているんですが、未だこちらには調査の結果がまわってこないんですよ。まったく、受付部門はいつもそうです」
頬を軽く膨らませながら、オルガさんは不満をあらわにする。愚痴が始まりそうではあるが、今日は美味しい料理を紹介してもらったのだ。聞くぐらいいいだろう。
そう少し僕は覚悟したが、オルガさんの愚痴は続かなかった。代わりに、視線を上下させ、何かを決意したように僕に切り出す。
「魔道具といえば、私もいつも一つ使ってるんですよ」
「へえ、いつも、ですか?」
突然な言葉に、僕は興味を示す。オルガさんが使っている魔道具とはどんなものだろうか。……戦ったりはしない彼女の使っているもの。想像もつかない。護身用だろうか、それとも何かの便利グッズだろうか。
「それに関しての、話をする前に、ですね。カラス様」
「……? はい」
オルガさんは一度座り直し、そして膝の上で拳をギュッと作ったように見えた。
それから、少し震える唇で出された言葉に、僕は今までの人生で一番戸惑うことになる。
「カラス様。……ユスティティアと名乗る気はありませんか?」
「……!?」
固まった笑顔でそう言ったオルガさんに、言われた僕。
二人の空気は、少しの間凍り付いたように動かなかった。