待ち合わせ
「とはいえ、今の様子を見るに、お前も何か依頼を受けたようだが」
「ええ、はい。薬草採取と馬車の回収です」
馬車の回収、という言葉を聞くなり、オトフシは申し訳なさそうに眉を下げた。
「……なるほど、すまないな、お前の手まで煩わせたか」
「いえ。これくらいなら」
面倒な依頼ではあるが、僕にとっては簡単な依頼でもある。割がいいわけではないが、簡単な仕事でお金が貰えるのならまあいいだろう。
それに、これはオトフシへの指名依頼というわけでもないはずだ。
オトフシが謝る謂われは無い。
「ならば、そうだな……、その仕事は、どれくらいで終わる?」
その問いに、僕は少し考え込んだ。地図の地点まで行って馬車を回収して、後は近くで薬草を摘んで……、場合によっては羽長蟻との戦闘もあり得る。
「そうですね、夕の四の鐘が鳴る頃には」
それを考えると、行って帰ってきて、それくらいにはなるだろうか。
オトフシはその答えに軽く頷いた。
「それならいいだろう。六の鐘に、一番街の西側の門でいいな」
「構いません」
「では、お洒落をして行けよ?」
「と言われましても、僕はこれしか持っていないので……。あ、貸衣装屋で」
お洒落など出来ない、とそう言おうとした僕は思い出す。そうだ、競売の時に学生服を借りた店がある。オトフシは、僕の言葉を聞いて微笑む。
「フフン、どこで服装を整えるかは任せるが、恥をかかんように揃えることだ。いや、その場合は……」
「相手に恥をかかせないように、ですね」
以前、競売の時にオルガさんに教わった気がする。礼儀作法の指導の時だったか。
チラリとオルガさんを見れば……。やめよう、微動だにせず笑ってこちらを見ていた。
「その通りだ。では、早く仕事に行け。不測の事態は、いつでも起こるのだ」
「はい。では、またそこでお会いしましょう」
「フフン」
僕の言葉に含み笑いで応え、オトフシは受付に歩いて行く。オルガさんとにこやかに会話をし始めたので、遺恨はないらしい。いや、あってもオルガさんは顔には出さないだろう。
ともかく、普通に会話を始めたので、僕は依頼を片付けるべく、ギルドを後にした。
勿論、依頼の達成に手間取ることはなかった。
薬草の採取は勿論、馬車の回収まで、特に印象に残るようなことは無い。ただ、途中に羽長蟻の群れに囲まれたが、以前と同じような嫌悪感が湧かなかったのは意外だった。
まあ恐らく、ゴーレムの群れの印象が強いのだろう。あの駆け寄る気持ちの悪い造形物に比べればこの程度、なんてことない。
……なんて思っている僕を心の中で叱咤する。これはいけない。蟻の群れの気色悪さを思い出さなければ。感覚を麻痺させるわけにはいかない。そうは思ったが、馬車を引きずりイラインへ担ぎ込むその時になっても、やはり僕の心の中ではゴーレムの気色悪さが勝っていたようだった。
ギルドへ一旦戻ったのは、もう夕方に近かった。
また、探索者の列が作られ始める少し前に、僕は滑り込む。ここで手間取れば、約束の時間に間に合わなくなる可能性もあるのだ。混む前に滑り込むことができて、とりあえずホッとした。
馬車の納入は、ギルドの裏手の荷物置き場へ。そして、薬草は達成報告カウンターへ。順調に申請をこなしていき、ふと依頼受け付けカウンターを見た。
そこにいつもいる女性。オルガさんは今日はおらず、また違った女性が受付業務をしていた。
珍しいことではあるが、そういうこともあるのだろう。……特に、今日の朝のような愚痴を漏らすほどストレスが溜まっていたのだ。早退して、たまには休んでも良いと思う。
それに、今は関係ない。
僕はそのことについて特に気に留めることなく、報酬を受け取り一番街に急いだ。
一番街に入る。昔は入るだけであんなに感慨深かったのに、最近の指名依頼のせいで、今では慣れたものだ。
そういえば、その指名依頼で受けていた鬼草の採取依頼を、クラリセンの掃討以来受けていない。依頼していた貴族の者たちは、もう飽きたのだろうか。それとも、新しい楽しみでも見つけたのだろうか。何にせよ、依存性のある薬物に手を出さなくなるのであればそれはいいことであるが。
いつもであれば、この服装のまま発注先へ向かうのだが、今日は違う。服を替えなければならないのだ。この漆黒のローブから、……また学生服でいいのかな? とにかく、良いものを食べに行ける服装に替えなければならない。
またあの店でいいだろう。僕は、その足で以前オルガさんに案内された貸し服屋に向かった。
「そうですね、お客様の身長ですと、やはり詰襟がお似合いになるのではないでしょうか」
「……そうですか。では、それで」
対応してくれたのは、あの日と同じ紳士だった。他の服はないかと相談するが、やんわりと断られる。
……考えてみれば当然だ。ジャケットやコートなど、僕に着こなすことは今のところ無理だ。身長が高くなければ似合わないと僕もそう思う。店員も同じ考えなのだろう。他の候補を出すこともなく、やはり学ランを勧めてきた。
オーダーメイドのそれらを普段から着こなしている貴族の子女であればまた違うのだろうが、庶民の悲しさである。やはり、専門家の勧めるものが無難だろう。
白髪の店員が、染み一つ無い手袋で僕の行き先を指し示す。そこは、前と同じ更衣室。
「では、こちらへどうぞ」
「はい」
以前のように、手間取ることなく着替えは終わる。着替えても、色彩が変わらず主に黒というのが若干気になるが、派手な服に替わるよりは良い。それに、目が詰まった滑らかな生地を撫でれば、先程までの外套と全く違う手触りだ。それ以上求めるのは贅沢だろう。
貸し服屋を出て、早足で歩き始める。約束の時間に遅れるわけにはいかない。
道中、薄闇の中を一番街の住人達がしずしずと歩いているのが目に付く。それを見ながら、ふと考える。今の僕は、彼らと同じように見えているだろうか。彼らの中に、溶け込めているのだろうか?
帽子を目深に被り直し、僕は門へと向かう。衣服を使った透明化魔法が効いていることを期待しながら。
結局、門に辿り着いたのは時間ギリギリだった。
細かな時間はわからないが、日の傾き方と前回の鐘が鳴ったあとの感覚からすると、もう六の鐘までそう時間はあるまい。
もしかしたら、オトフシはもう来ているかもしれない。そう思い門の内側を探すが、それらしい女性はいない。ならば一応間に合ったのか。
もう一度見回し、それから安堵の息を吐く。ただご飯を奢る約束とはいえ、やはり女性を待たせるのは避けたい。特に、オトフシは怒らせると怖そうだ。……チラリと僕の脳裏にレシッドの顔が横切ったのは、偶然ではないだろう。
一応、門の外側も見ておいた方がいいか。
そう思い、門を会釈しながら通りすぎる。門番の衛兵はこちらを軽く確認すると、何も反応せずにまた僕以外の通行人の確認に戻った。服装を変えた僕は不審な人物ではない。それは、そういった自信を得るには充分な反応だった。
もう一度軽く深呼吸し、そして顔を上げる。
帽子のつばを軽くあげ、視界を広げればもう僕に注意を向けている人はそんなにいないことがわかった。
そんなに、というのは一人いたからだ。
門の外側で、木を背に周囲を注視していた女性。その女性は僕を見て、少し微笑み顔を上げた。
とりあえず僕はその女性に歩み寄るが、オトフシではない。
「五分前ですね。合格です」
そこには、乳白色のイブニングドレスに身を包んだオルガさんが、懐中時計を片手に佇んでいた。