誰にだって嫌いなものはある
レシッドとの探索の次の日の夜。オトフシからの連絡は未だ無い。
今日見かけた限りでは、また何か依頼が入ったらしく、ギルドでは挨拶もそこそこに走り去っていった。であれば、今日の夜も何もないのだろう。
僕は適当な薬草採取と納品を済ませ、そこで遭遇した魔物の肉を夕食にすべく調理していた。
土猪の背中部分、その可食部分を一塊。残りは土の中に埋めておいた。勿体ないが、全て調理するのも面倒くさい。ギルドに売ればそこそこの値段にはなると思うが、もう食肉のように解体してしまっている以上、それ以外の用途にはあまり使えないだろう。
その猪がいるおかげで、こんな簡単な薬草採取でも金が稼げる。僕にとってもそれはありがたいことだった。その稼いだ金で何をするか、というものが無いのが今の悩みではあるが。
今日食べる分を切り出し、残りを大きな袋に入れ、塩をすりこむ。
塩漬けにし、明日もう一度今度は塩と香辛料をすりこみ、明後日辺り屋根の上で干す。要は干し肉を作るのだ。漬ける時間も干す時間も短いとは思うが、それらしく出来ればそれでいいのだ。
スライスして広げた肉の面積と、屋根の面積から考えても、今日持ってきた大きさの塊が限界だった。それは偶然だが、きっと僕も無意識に考えていたのだろう。ぴったり収まりそうだとわかったときには、少し嬉しかった。
大きな布の袋にパンパンに詰めた塩は、ミーティアのさらにその南、海洋国家ピスキス産のものだ。そこではエラや鱗、そして指の間のヒレなど、魚の特徴を持つ人たちが多く生活しているらしい。
そしてその海洋というのも、聖領だ。
実際は海なのか湖なのかもわかっていない巨大な聖領アウラ。浅瀬や砂浜は少なく、海岸を少し離れれば、底が知れないほどの深海へと垂直な壁が伸びている。山脈ほどもある島がその海を回遊し、時たま衝突して砕けて割れる。無くなった島は隣接する聖領イークスからまた供給されるらしい。その詳細はフラウが教えられていた知識の中にはなかったが、それもまた見てみたい。
そこは水棲の魔物の住処になっており、そしてとても綺麗な水らしい。水は海水であり、しょっぱい。
その聖領アウラから得られる海産物と塩を交易に出し、ミーティア産の畜産物と交換するのがピスキスの主な産業だ。ミーティアもかつてはネルグ産の果実や魔物を交易に出していたが、ネルグの周囲をエッセンとムジカルが占めてしまったため、それが出来なくなっているという。
聖領ネルグ、つまりエッセン産の猪肉を、ピスキス産の塩とムジカル産の香辛料で調理する。
僕の小さな食卓に、三つもの国が関わっているのだ。それを思うと、なんだかこの塩をすりこむ作業も、異国の文化に触れている気がしてワクワクした。
だがまあ、この味を楽しめるのは先明後日以降だ。それまでは、また違う食事で腹を満たすとしよう。
さしあたって、今日の夜は猪肉のステーキだ。血が滴るような新鮮な肉を焼く。ザブロック邸で見ていた料理にあったが、熟成などすればもっと美味しくなるのだろう。だが、あの緑の黴が表面を覆ったような熟成肉を僕が扱える気がしない。
結局の所、あの邸内で見た料理の再現は出来なかった。
ただ、肉の線維を叩いて柔らかくしたのは一応の成長だろうか。
ナイフとフォークを使い、丁寧に食べてみる。
僕の脳は、それで騙せたのだろう。
野趣溢れるステーキの何処かに、上品な香りが混ざった気がした。
お腹を満たし、横になる。
もう外は暗く、寝るには早い時間だが、何かを始めるには遅い時間だ。手持ち無沙汰になった僕は、背嚢の中から一つの球体を取り出した。
仰向けのまま、その野球ボール大の球体を目の前にかざす。その球体は、一昨日レシッドとの探索で得た戦利品。試料になると思い拾ってきた、ゴーレムの眼球だった。
魔剣によって裂かれたその傷跡はそのままに、焦点の合わない視界が中空を見つめている。傷から覗く中身は空で、周囲と同じ素材が見えているということは、風船のように一枚の壁で形作られているのだろう。簡素な造り。これが肉体を帯び、僕らに襲いかかってきたとは到底思えなかった。
そうして観察していると、ひとつ気がついた。
黒目の裏にあるようで、ちょうど見えづらい位置にある。覗こうとしてもほんの少ししか見えないが、中に黒く小さな物体が見えた。大きさは小さめの毛虫ほど。記憶を呼び戻せば、それを、僕は見たことがある。
「懐炉と同じ……?」
呟く声に応える者はいない。だが、自らの呟いたその声に僕は確信を持つことが出来た。
懐炉の中にあった、毛虫のような物体と一緒なのだ。これは偶然だろうか? いや、違うだろう。
同じ魔道具で、球体。他に二つ同じ要素が揃っていれば、同じ構造は偶然とは思えない。ならば、この部品は何か意味があるのだろう。
魔道具とは、闘気を篭めると動くという。ならば、この球体も何かしらの挙動を起こすのだろう。……何かしら、というか、あの気持ち悪いゴーレムが生成されるのだろう。
なんだろう、あまり試したくない。
だが、好奇心もある。試してはみたい。しかし目を閉じると、あの気色悪い顔が鮮明に思い出される。思った以上に、僕はその姿が嫌いだったらしい。
……少しだけ試してみよう。逡巡は何分にも及ぶものだったが、ようやく決心が付いた。
身体を起こし、手を伸ばす。身体から出来るだけ離すという配慮である。
僕は、指先で保持したその球体に、闘気を流し込む。少しずつではあるが、恐る恐る目を時折背けながら篭めていく。
そうして反応がない僅かな時間を過ぎ、ようやくである。ようやく、反応を起こした。
グジュルグジュルと粘土のようなものが生成され、その目玉を覆い始める。
「おわっ!?」
粘土が僕の手をも巻き込み始めたので、慌てて手を離す。すると粘土を潰しながら着地したその出来かけの身体はすぐに溶け始め、蒸発するように消え、後にはまた目玉だけが残った。
……手に持っていなければいけないのに、これでは闘気が篭められない。
そうだ、危険だ。やはりやめよう。
そうやめる理由を見つけた僕の頭は、僕の意思とは関係なく更に仮説を生み出した。気付かなきゃいいのに、余計なことを……。
しかし、腹を立てようが、相手も自分である。結局、もう一度僕は試してみることにした。
仮説というのは、やはり毛虫に関してだ。以前の懐炉と同じく、今回も、反応していたのは毛虫なのだ。今回は光っていたわけではない。ただ、その周囲の毛がわさわさと動いたのが、少し見えた気がしたのである。
闘気を篭めるのは、この毛虫に対してではないか。そう思ったのだ。
そして、闘気を篭めているときにわかった材質に関してもある。
以前、シウムの授業で聞いたことがあるのだ。
『闘気は、生あるものを伝い、死したものを嫌う。金属と水は伝わりやすいが、それは例外というものだろう』
と、たしかキーチに向けた授業で言っていた。
つまり、闘気の伝う素材は限られている。生あるもの、つまり生物やまだ枯れていない樹木、そして金属と水、それを通るのだ。生あるもの、というのが水気のあるものだということで、実際は水と金属のみを通すのかもしれないが、その辺はわからない。
反対に魔力は生物……というか闘気を帯びたものには通らず、そして魔力には押しのけられる。それ以外の物質は問題無く透過出来る、という性質があるとは思っているが、それは経験則からだ。もしかしたら通らない物質もあるかもしれないが、そこまでは知らない。
魔力はともかくとして、闘気が通らない物質があるのだ。
少量の闘気で試してみる。先程の感覚からしても間違いないと思ってはいたが、やはり周囲の強膜部分は闘気を通さない素材だ。そして、角膜部分に指を当て試してみると……。
「……」
無言で僕は手を離す。思った通り、粘土が生成され始めた。簡単に言えば、この黒目部分から闘気が供給出来るのだ。
ならば、粘土に手を巻き込まないように闘気を篭めることは出来る。
やりたくはないが、仕方ない。気付いてしまったのだ。やらなくても、きっと後悔する。
床に、目玉を置く。黒目を上にして、その瞳に僕が映るようにして。
その瞳に人差し指を当て、闘気を篭めていく。
思った通り、先程よりも効率よく生成されるようで、その身体はすぐに出来上がっていった。
出来上がった身体が何をするのかも、わかっていたことではあるが。
「ろー!」
「あぶっ……!」
完成したゴーレムはすぐさま跳ね起き、僕に拳を繰り出す。不安定な体勢から無理矢理避けたので、体勢が崩れる。まずい、この家を壊されては堪らない。魔力を展開し、追撃に備える。次の瞬間には首も飛ばせるよう、魔法の準備も整えた。
だが、その心配も杞憂に終わった。
僕に拳を放ち、空中に浮いたゴーレムは着地をしたかと思うと、その足先からまた粘土に戻り潰れていく。下半身が潰れ、上半身、その目玉が着地するまで、溶けるように形が崩れていく。
そしてまた、その人工生物は泥人形のように崩れ去った。
その現象に関しての検討もいらないだろう。
このゴーレムは、目玉を裂かれて崩れていたのだ。そしてその目玉の大部分は、闘気を通さない素材。黒目の部分がどんな材質なのかはわからないが、白目部分が無事な限り中に闘気を溜めておけるのだろう。その動力が続く限り、ゴーレムは動き続ける。
今現在は、その動力を溜めておくことが出来ない。そのため、すぐに崩れ去ったのだ。
……生成された粘土の材質、ゴーレムの習性、中の毛虫の構造についてなど、気になることはまだまだあるが、今日はもういいだろう。
嫌なものを見た。気持ち悪い。夢に出てきそうだ。今日は、もう疲れた。
目玉を背嚢に放り込み、倒れるように横になる。
短い時間だったが、遺跡の探索より疲れた気がする。夢にゴーレムが出て来ないことを祈りつつ、僕は夢の世界へと誘われていった。
朝。いつものように僕は目を覚ます。遠くから聞こえる威勢のいい声に、鳥の鳴き声。
木戸を閉めないまま寝てしまったようだ。朝の柔らかな日差しが顔に当たる。その空気を吸い込んで、起き上がる。
伸びをすれば、嫌な気分も何処かに消えていくようだ。そう、夢見が悪かったのは忘れよう。
とりあえず、水を浴びて嫌な汗を洗い落とし、それから朝食の準備だ。
水瓶に残っていた水を飲めば、昨日の夜からようやく一息つけた気がした。
朝夕の混んでいる時間を避ければ、ギルドの中は空いていることも多い。今日もそうらしく、僕がギルドに顔を出した時は、もう行列など無く、そして壁の依頼も三分の一ほど無くなっていた。
「今あんまり長期間のやつは受けたくないんだよなぁ……」
そう呟きながら、貼られている紙を確認していく。やはり大部分は討伐と採取依頼で占められ、そして割もよくない仕事ばかりだ。討伐は時間が掛かるし、ものによっては採取も時間が掛かる。
……とりあえず、短期間で終わりそうなものを受けておこうかな。別に金に困っているわけではないが、それでも働くという習慣をなくしてしまえば、明日からサボり続ける未来が容易に想像出来る。まあ、それも生活出来るからそれはいいのだが。何となく嫌な感じがして、目に付いた簡単な依頼箋をカウンターに持って行った。
「……こんな依頼を受けるんですか?」
オルガさんは、僕の出した紙を見ると明らかに眉を顰めた。
「いけませんか?」
何か不備があったのだろうか。それとも、何かまずい注釈でもあったのだろうか。そう思い、オルガさんに尋ねると、オルガさんは目を背けてから一言「いえ」と返した。
報告書にメモをして、そして僕にその依頼箋を差し出す。だがそこに至っても、オルガさんの表情は優れないままだった。
「カラス様でしたら、もっと報酬も高いものを受けられるはずですが。何故、このような安い仕事を今更受けるのでしょうか?」
「あんまり安さに頓着はしていませんので……」
僕は頬を掻きながら応える。
「それに、報酬の高いものって時間が掛かるものが多いですよね? ちょっと今は、あんまり長いものを受けたくないなぁ……って」
「……そこは人それぞれなので口は出しませんが……、いえ、ギルドとしては、力量に見合った仕事をして頂きたいのです」
トントンと、オルガさんは書類を揃える。書類を置けば、肩に落ちている髪の毛の先をクルクルと指に巻き付け始めた。その仕草に、少しの苛立ちが見える。
「正直に申し上げますと……」
「はい」
「山積している仕事、オトフシ様だけでは手が回らないのです。それでも順調に片付きつつあったと思えば、長期間失踪してまた仕事が貯まっていく始末」
なんだか愚痴が入り始めた気がする。髪の毛の先をいじる指の動きが忙しなくなってきた。
「依頼未消化率の高さが、どこの責任になると思いますか? 報酬管理部門と受付部門の責任なんですよ? 執行部や事務部門の仕事は監査が入らないで……!」
もはや僕の方を見ていない。日頃の鬱憤がいきなり噴出した感じで、僕は受付の前で少したじろいだ。周囲の反応を窺えば、そこは人が少ないことが幸いしているのだろう。誰もこちらを気にせず、それ故にオルガさんは完璧に僕に向けて愚痴を続けていた。
「挙げ句の果てに、何ですか、昨日は。『フフン、王都では中々楽しい日々を……』とかなんとか! 私はずっとこの街で働き続けているのに!」
「ああ、なんというか、お疲れ様です」
最後の言葉から察するに、昨日オトフシに王都での余暇の自慢をされたのだろう。本人にどういう意図があったのかはわからないが、それがオルガさんを煽る結果となっている。
……それをいきなり僕にぶつけられても、本当に困るのだが。
「いえ、すいません。取り乱しました。……とにかく、カラス様も依頼をご紹介させて頂くことは出来ませんでしょうか?」
「構いませんが、手早く終わるものでお願いします」
そう言うと、オルガさんはホッとしたように溜め息を吐いた。
「助かります。先程の薬草採取と同時に終わるような依頼をご紹介しますね」
パラパラと書類を捲りながら、オルガさんは依頼を探していく。
……薄い辞書ほどもあるその書類が、全てその『山積している仕事』であれば、僕も逃げ出したくなるがそうも言っていられない。
やがて、オルガさんはその薬草採取地の近くに放置された馬車の回収依頼を見つけ出した。
打ち捨てられた山道。魔物の巣であるそこを強引に通りすぎようとした馬車の中に大事なものが入っているらしい。なので、馬車ごと持ってくるように、という依頼だ。
依頼人は売れていない商人で、当然出せる報酬も少ない。にも関わらず、周囲には羽長蟻が大量に確認されているのだ。当然、色付きしか達成出来ない。
「典型的な、受けたくない依頼ですね」
「ですが、ギルドが受けてしまった以上、誰かがやらなければいけないのです。その誰かが、実力者でなければいけない……というのがこの依頼の不運ですが」
きっとその書類の束は、他にもこんな依頼ばかりなのだろう。付き合う気は無いが、その消化に必要な労力を想像して、僕も内心溜め息を吐いた。
依頼が一つ増えたが、仕方が無い。
僕は受付に背を向け、歩き出す。そしてそこに佇み、待っている人を発見する。気配が無かった。本当に、最近神出鬼没さが増している気がする。
その女性に初めて気がついた僕は、歩み寄り声をかけた。
「オトフシさん、こんな時間に会うなんて珍しいですね」
「フフン。当然だ。お前の来る時間を見計らっていたからな」
イタズラが成功したかのようにオトフシは笑う。いつものような鎧姿で、相変わらず外套は埃一つ無く綺麗なものだ。
「僕の来る時間を見ていたということは、僕に用事が?」
オトフシから僕への用事。とりあえず思いついたのは、一つだけだがそれだろうか。
思った通り、その言葉がオトフシの口から静かに紡がれる。
「ああ。今夜空いているか? 約束通り、夕食を奢ってもらおう」
後ろの方から、乾いた笑い声が聞こえた気がした。