勝手な子犬
だが、バーンはすぐに自らの言葉を否定した。
「い、いえ、これは……違います……! 父上のものじゃ……、よく似てはいますけど……」
「違うか。なら、お前には関係ない物だったな」
そのバーンの言葉に、ふいとレシッドは横を向く。その目には、憐憫の表情が少しだけ見えた。
「悪かったな、わざわざ呼び出して。帰っていい……ってのは失礼か。送ってくよ」
もぎ取られるように、バーンの手から魔剣が奪い取られた。
そして立ち上がる。そのレシッドの仕草に慌てた様子で、バーンは手を空中に泳がせた。
「ま、待ってください……それを、どこで……」
「何だ? やっぱり心当たりがあったってか?」
「い、いえ、ですが……」
まごついて、止めることも出来ない様子のバーン。それも無理はない気がする。聞いていた限りでは、親子仲は悪くもなかったのだ。父親が死んだなどといきなり聞かされて、認めたくない気持ちだってわかる。
「……それ、どうなさるんですか?」
「これは、俺が探索中に拾ったもんだ。どうすっかなぁ……。お前の親父のもんだと思ったから見せたんだが、そうじゃねえんなら俺が使うか、それとも売りに出すか……」
「……! それなら……!」
バーンが俯いていた顔を上げる。その目には力が籠もり、必死なのだろう、半ば睨むようにレシッドを見ていた。
「私に、売ってくださいませんか?」
「お前に、これを?」
馬鹿なことを、というようにレシッドは鼻で笑う。意地の悪いその顔は、とてもよく似合う。
魔剣の柄頭を人差し指に乗せ、バランスを取って弄びながらレシッドは続けた。
「魔剣だぜ? 金貨何十枚すると思ってんだよ。お前に出せるなら構わねえけどな」
その言葉を聞いて、バーンはまた顔を伏せる。道場の内弟子だ。小遣いは幾らか貰っているだろうが、そんな大金を持っているわけが無い。
足の間の床を見つめ、バーンが黙り込む。その仕草を、レシッドはただじっと見ていた。
ギルドの中の喧噪が向こう側に追いやられ、そのソファの一角だけ、静まりかえっていた。
「では、……貴方は、何をしにここまで」
「言ったろ? お前の親父のもんだと思った、ってな。まあ、正直違うと言われんのは予想外だったが」
レシッドは魔剣を机に転がし、椅子に座り直す。そして足を組み顔を背けた。もう興味が無い。そう言っている態度だった。
だがその身体とは裏腹に、何故だろう、とても、残念そうな顔をしていた。
二人の会話が止まる。何だか心苦しくなった僕はこの場を立ち去りたくなったが、ここまで聞いたのだ。この顛末を、見届けるべきだろう。その義務感から僕の足は動かず、壁に寄りかかりただ待った。
やがて、バーンの口が静かに開いた。
「……父は、優秀な探索者でした」
「知ってる。よく飲んでたしな」
お世辞などではない。本心からの言葉だと、そう思った。レシッドにとっても、それなりに気の合う仲間だったのだろう。でなければ、きっと僕に思い出話などしない。
「内弟子の身分では、親子であろうとも頻繁に会うことは出来ません。何かの祝い事や、節目にしか会えないんです。そして、私の中目録免許を祝ってくれることはなかった」
ポツリポツリとバーンは呟く。その唇は血の気が薄くなり、両拳は膝に乗せられ力なく震えていた。
見ている間に、右の目から一粒涙が零れ落ちた。バーンはそれを拭うこともせず、涙声を絞りだす。
「本当に、父は、死んだんですか」
「ああ。探索中に、身体をがぶりとやられてな。多分、即死だろうよ」
まるでその襲われる現場を見てきたかのように、淡々とレシッドは語る。
それを聞いて、バーンの両目から涙が溢れる。
「すみません」
そして頭を深く下げて、「確かに、父の物です」と、そう言った。
その言葉を認めると、レシッドは長い息を吐き、そして改めてバーンを真正面から見た。
「わかった」
そして口角を上げると、ニンマリと笑いながら魔剣に手を掛ける。
「それで、お前今いくら持ってる? ああ、手持ちじゃねえぞ、出せる全財産だ」
「……?」
顔を上げ、涙に濡れた目を丸くして、それからバーンは瞬きを繰り返す。それは僕にも予想外の言葉だった。
「いやいや、元がお前の親父のもんだとしても、探索中の遺品は次に発見した奴のもんだ。つまり、今この剣は俺の物。欲しけりゃ買い取るのが筋ってもんだろう」
「えー……」
思わず僕も声が出た。それを聞いて、またニヒヒとレシッドは笑う。
「わ、私が出せるのは、精々銀貨二十枚くらいしか……」
バーンは慌てたように指を折り数える。僕を勘定に入れなければ、成人直前の子供がそれだけ出せれば立派なものだろう。金銭の要求は確かに筋は通っているけれど、それくらいで勘弁してあげてもいいんじゃないか。
そう僕は思ったが、レシッドは違うらしい。
「お前の親父の剣は、お前にとって銀貨二十枚程度の価値しかねえのか? 違えだろ?」
「ですが……そんな魔剣に見合う大金なんて……」
「無いか」
落ち込むようにシュンとしたバーンは、静かに頷く。悔しそうに拳を白くなるほど握り締めていた。
「そっか。じゃあ、代わりに何かやってもらわなくちゃな!」
突然、レシッドから芝居がかった大声が発せられる。本人も慣れていないのか、声音に表情が伴っていなかった。
だがその不自然な演技よりも、バーンはレシッドのその『代わりに』という所に注目したらしい。交換条件とは、大抵の場合ろくなものではない。それをわかっているのだろう、唾をゴクリと飲み込み、覚悟した面持ちでレシッドに返した。
「い、一体何をさせる気ですか?」
「なあに、大したことじゃねえよ。ただ、少し取ってきて欲しいもんがあってな」
「取ってきてほしいもの?」
レシッドは、何でもないことのように言い放つ。
「ああ。遺跡に潜って、取ってきてほしい。俺の肩掛けを」
それが何を意味しているのか、わかった僕はどう反応していいかわからなかった。
「肩掛け……? そんなものを?」
「嫌か? 遺跡に入って、それだけ取ってくるだけでこの魔剣が手に入るってのに」
持ち上げられた剣はぎらりと光り、妖しく不思議な魅力を放っていた。
「ま、ただそれを……」
「馬鹿にしてるんですか?」
軽口を叩こうとするようなレシッドを遮り、バーンが抗議の言葉を口にする。その肩掛けの場所に何があるか、知らなければ当然の反応だろう。
「そんな、悪ふざけをするために……、からかうために、私を呼び出したんですか?」
「……いいや」
否定をするレシッドの、その眼差しは真剣だ。それを見て、ドキリとバーンは一瞬たじろいだ。
「……な、お前は、親父さんが優秀な探索者だって言ったな?」
無言で頷き、バーンはそれを肯定する。
「じゃあさ、お前は、仕事中の親父さんを見たことがあるか?」
「……いいえ。無いです。小さかった頃に、何度か近くの森に連れて行ってもらっていたくらいで……」
「俺は、見てる。何度も一緒に仕事をしたし、遺跡に入ったこともある。よく酒を一緒に飲んでもいたしな」
懐かしむように、レシッドは目を細める。それから一つ溜め息を吐いて、机に目を落とした。
「いつか一緒に仕事を出来たらいいな、とかよく言ってたよ。酒飲むと、お前の話ばかりだった」
「そう……ですか。でも、それと何の関係が……」
「ブラワーに、遺跡を探索するお前の姿を見せてやりたい。お前に親父さんの最期の仕事場で、同じ道を辿って、辿り着いた場所を見せてやりたい。ただ、そう思ったんだ」
レシッドは、魔剣にクルクルと布を巻き、背嚢にしまう。バーンはもうそれを止めなかった。
眉を顰めて、バーンは呟く。震える視線は、ただ下を向いていた。
「……もしかして、その肩掛けの場所って……」
「そこに、親父さんがいる。迎えに行ってやれよ。場所は……、俺が教えたって、ギルドには内緒にしとけよ?」
唇の前で人差し指を立てるレシッド。それを見たバーンの顔は、何かを決意したような、そんな目だった。
バーンとレシッドの会話も終わりかけ、少し経てばギルド内も落ち着いてくる。
職員が土埃を箒で掃く余裕も生まれ、空いた場所の掃除にかかっていた。
「じゃ、そういうことでよ。品が入ったら引き替えに渡してやっから、気を付けてな」
「……はい」
会話だけを聞けば、散歩にでも行くようなそんな言葉だ。
だが、その先は死んでもおかしくない死地だ。罠が張り巡らされ、危険な生物が歩き回り、そして実際に人が亡くなっている場所。
だが、鍛えられているその雰囲気故にだろうか。それともその表情だろうか。
バーンがそこで死ぬなどと、僕には到底思えなかった。
レシッドはバーンの肩に手を掛け、そして笑いかける。
「ま、色々言ったが、無理はすんなよ。無理だと思ったら引き返してこい。遺体の回収だって、そういう探索者に頼めばすぐ終わっから」
「いえ。私が、必ず連れて帰ってきます」
その言葉に、今度はレシッドが面食らったように目を丸くする。そしてまた、微笑んだ。
「……そっか」
それからもうレシッドは何も言わず、そしてバーンも何も言わず、道場へと帰っていった。
ギルドの外で、僕らはバーンを見送る。
きっと早いうちに、その魔剣はバーンの手に渡るだろう。一瞬その後ろ姿に、剣を背負った姿が重なって見えた。
二人のやりとりを黙って見ていた僕に、レシッドが振り向いた。
「さて、帰るか。どっかで飲んで……つっても、お前は酒飲まねえんだっけ?」
「はい。申し訳ありませんが、まだお酒は遠慮してます」
別に禁止されているわけではない。きっと、こんな日は飲んでもいいのだろう。だが、やはりそんな気にはなれない。僕は、お酒が苦手なのだろうか。
「そういえば」
何の気なしに聞いてみる。それは、本当に何の気なしだった。
「遺体回収専門の探索者、なんているんですか?」
バーンがそれに依頼するというのは無いだろうが、レシッドの口から出たのだ。全くのデタラメではあるまい。だが、仕事の機会が大分限定されてしまうだろうが、そんなので儲かるのだろうか。
「いるぜぇ。回収するのは遺体やらその形見だが。例えばネルグの中で探索者が事故に遭って死んだとして、その縁者が一般人ならどうすることも出来ねえだろ。それに、街道で賊に襲われて……とかでもそこに近寄りづらいだろうしな」
「……儲かるんでしょうか?」
「儲かるんじゃねえの? ギルドの方から依頼されることも多いらしいしよ。『あそこでパーティが全滅したって報告があるから見てこい』とか結構あるらしいぜ」
伸びをしながら、レシッドは言う。動く度に背嚢から飛び出た魔剣の柄が後頭部に当り、邪魔そうに首で払いのけていた。
そしてレシッドが欠伸混じりに出した次の言葉に僕は驚き、そして恐怖することになる。
「<形集め>のオトフシっていうババアなんだけどな? 色付きだし、お前もどっかで会ったことあるんじゃねえの?」
「バ……」
「ほう」
気付かなかったのは、本当に油断していたのだろう。通行人の多いこのイラインで、いちいち人を確認するのも難しいというのは言い訳だろうか。とにかく、寒気が僕を襲った。
おそらく、背後に立たれたレシッドもそれは感じ取ったのだろう。髪の毛が逆立つように震えていた。
「しばらく会わないうちに、立派になったものだな? レシッド」
「……お、オトフシさん、イラインまで戻ってきたんですね」
静かに僕らに微笑みかけるオトフシに僕がそう語りかける。何故か僕の手が震えていた。
「ああ。今からギルドへ帰還の報告だ。いやあ、老骨には堪える旅だったよ」
最後の言葉は、レシッドを見ながらだった。その視線にレシッドは姿勢を正し、固まった。
……見た目は若く綺麗な女性なのだが、先程の言葉からすると、見た目と年齢が一致していないのだろうか。それとも、レシッドの軽口なのだろうか。
それは少し気になったが、聞ける雰囲気ではない。
握り拳を口に当て、オトフシは笑う。端正な顔立ちに一切の邪気のないその笑顔は、きっと見惚れてもおかしくはないくらいなのだろう。だが何故かそんな気は起こらない。
「さて、カラス。約束については悪いが今日は無しだ」
「え、ええ。はい」
「急になってしまうし……少し用事が出来たのでな。お前は早く帰るといい。レシッドは借りていくぞ」
がしっとレシッドの襟首を掴んだその力は強いようで、レシッドは棒のように固まったまま引きずられていく。
「では、またな」
そう言って、レシッドを連れてギルドの中に入っていく。
レシッドの、子犬が助けを求めるような視線に、僕は何も返せなかった。