待ち人来たらず
呆れたようにレシッドは呟く。
「……何で閉めてんだよ。あれくらいなんとかなんだろ」
「改めて見ると、気色悪い生物ですね」
人間と同じパーツなのに、パーツ毎の縮尺がおかしい。それだけでこんなに気色悪いとは。
「ろー! ぉー!!」
閉めた扉の向こうから、叫び声とともに、ガンガンと叩く音が響く。ノックのようだがそうではない。僕らへの攻撃だろう。侵入者を見つけ、喜び勇んで攻撃してきているのだ。
「このままとりあえず、この先の部屋のは一掃しておきます」
罠が無いことはもうわかっている。魔力を広げ、風の刃で細切れにしていく。簡単な作業だった。
何もいなくなったことを確認して扉を開けた僕に、レシッドが肩越しに話しかけてきた。
「お前のすんげえ顰めっ面、初めて見た気がするぜ」
「……そんな顔してましたか?」
眉を引っ張り眉間を伸ばす。自覚は無いが、そこまで嫌悪感があったのだろうか。
まあきっと、生理的に無理というのはそういうことなのだ。
「次が来る前に、遺跡を出ましょう」
「おう」
散歩のような帰り道。レシッドの腰の灯りがちょうど消えた頃、僕らは遺跡から出た。
午前に入ったのに、日が傾きはじめている。
埃だらけの服に、柔らかい日差しが当たって温かくなった。
イラインの街へと戻るのに、そう時間はかからない。勿論、僕とレシッドの足ならば、という注釈が付くが。日が沈む前に、僕らはイラインの西、九番街へと来ていた。
何故真っ直ぐに三番街へと戻らないのかというと、レシッドの希望だったからだ。
「この街の酒場で、俺はよく飲んでんだけどよぉ……」
歩いていると、聞いてもいないのにレシッドは酒場の案内をしてくれる。あの酒場では魚が旨い、この酒場では酒に混ぜ物が入っている、ここは食堂だが夜には女性が付く店になる等々。中にはいくつか役に立ちそうな情報もあったので聞き漏らさぬようにはしていたが、いらない情報も半分以上あって少し辟易した。
そして歩いている内に、一つの建物の前で立ち止まる。
平屋だが、大きな建物だった。王都で見た貴族の邸宅のように塀に囲まれ、一辺が百歩以上ある一つの区画が、丸ごとその敷地になっているような、そんな建物だ。
塀はレシッドの頭よりも大分高く、中が覗ける造りではない。
「ここは?」
「ん」
尋ねる僕に、レシッドは少し先の看板を指差し示す。
それを見て、僕はさらに首を傾げる。そこには、『月野流指南道場』と書いてあった。
開かれた門は馬車が入れるほどに大きく、威圧感がある。
その中には建物に伸びるように砂利が敷かれていた。その脇の土の上を一人、門人らしき人が掃き掃除をしている。
レシッドはその門人に歩み寄ると、唐突に話しかけた。
「ちょっといいか?」
「はいはい」
笑顔でその門人は顔を上げる。稽古で喉や肺まで鍛えられているのか、よく通る声だった。
「ここに、ブラワーのガキ……いや、倅がいるはずだが、今いるか? いたら取り次ぎを頼みたい」
「ブラワー……?」
レシッドの挙げた名前に心当たりがないのか、門人は考え込む。それから、少し眉を顰めながら尋ね返した。
「申し訳ありやせんが、家名はなんと?」
「ああ、すまん。ブラワー・テシオだ」
その姓に、誰だかようやく思い至ったのか門人は手を叩く。パンと、小気味いい音がした。
なんだか威勢のいい人だ。
「はいはい、バーン・テシオですね。確かに在籍はしてますが、今は使いに出ておりやす。どういったご用件で?」
「父親の件なんだが、……本人に直接話すことだし、ここでは言えねえ」
「左様ですか。では、お待ちになりやすか?」
言いながら、門人が中にレシッドと僕を案内しようとする。だがレシッドは、それを止めた。
「いや、これからこっちも用があるんでな。戻ってきたら、『三番街の探索ギルドで待つ』と伝えてくれ。一刻くらいかな。七の鐘が鳴るくらいまで待ってるが、それに来れないなら来ないで良い。また明日、これくらいの時間に来る」
「それをそのまま伝えれば良いんですね。わかりやした!」
深く頷き、アヒル口のその唇を吊り上げ、笑顔を作る。
「じゃ、頼んだ」
そしてレシッドがそう言い残し振り返るのを、今気がついたかのように止める。またもう一度、パンという音が鳴った。
「そうそう、客人、お名前を頂けますかい?」
「……向こうは覚えてねえかもしれねえからなぁ……。レシッドとだけ伝えてくれりゃあいいや」
「承知しやしたレシッドさん、確かに伝えますとも」
そして、深々と頭を下げる。それは、僕らが門の外を去り、見えなくなるまで続いていた。威勢の良いくせにやたらと腰が低い。不思議な人だった。
道場から立ち去り、僕らは三番街のギルドを目指す。
時々通行人に手を上げて挨拶をするレシッドの横顔に、僕は声をかけた。
「ブラワー・テシオ……というのが、先程の遺体の方ですか?」
「……ああ。よくこの街の酒場で飲んでるときに行き会っててな。酒が弱えのに、はしごが多いんだ、また」
寂しそうにレシッドはそう呟く。歩みも少しゆっくりになった。
「酔ってくると、必ず息子の話をしてなぁ。『息子は才能がある。今は月野流の道場で内弟子をさせているが、今に俺を越える探索者になる。いや、騎士にだって何だって、あいつならなれる』とかなんとかしつこくてさ。まあ、最後は吐いて潰れるんだけど」
しんみりと続けるその話を、僕は口を挟まず聞いていた。
「そろそろ中目録をとるから、盛大に祝ってやりたい、とかそんなこと言ってたよ」
足下の小石をレシッドが蹴飛ばす。その小石は、道端に置かれた荷物の陰に消えていった。
「今思えば、大儲けの種があったからなんだな。……ったく。俺も連れてけってんだ」
もう一つ小石を蹴飛ばす。今度は、曲がり角から転がり出て止まった。そこから伸びる影は、夕日に照らされて長く伸びている。
首を振り、長めの長髪を、レシッドは振り乱してから手櫛で整える。それから僕に見せた顔は、笑顔だった。
「悪かったな、付き合わせて。早くギルドに戻ろうぜ。俺らも、これで大儲けだ」
「……ですね」
僕も笑って、それに応えた。
「では、そちらの階段の下に、人工生物の製造機が設置されていたと」
「機能も生きているから、入った奴は襲われるんで注意な」
レシッドが、立て板に水で説明を続ける。オルガさんは神妙な面持ちでそれを何度も確認しながら書き取っていった。
「なるほど。後ほど、確認の職員を向かわせます。そちらで確認が取れれば、発見者のカラス様とレシッド様に、中の魔道具に見合った報酬をお支払い致します」
「おお」
説明も終わり、報酬の話になる。けれど、レシッドの反応は淡泊なものだった。
「……新発見ですよ? もしも認められれば、莫大な報酬が貴方たちのものとなるのに、どうされましたか?」
オルガさんも違和感を覚えたのか、カウンターから身を乗り出して、レシッドに尋ねる。レシッドはその問いに微笑みながら答えた。
「新発見、じゃねえ」
「どういう意味でしょう?」
オルガさんは、訳もわからないというように溜め息を吐きながら話の続きを促す。
「あそこを発見したのは、俺たちが最初じゃねえ。もっと前に、発見されてたんだよ」
「どなたかの痕跡があった、ということでしょうか?」
「ああ。もっともそいつは、中でくたばってたがな」
レシッドは、背嚢に入れていた魔剣を目の前に差し出し、示す。その布が解かれると、オルガさんは目を丸くした。
「テシオ様の……」
無言で頷いたレシッドは、それをまた背嚢に入れて、オルガさんに手を合せた。
「そこで、相談なんだが、いいか?」
「……内容を仰る前には、お受け出来かねます」
オルガさんは冷静に返す。そして僕を見るが、僕にもレシッドの相談の内容はわからない。僕は、首を横に振ってオルガさんにそれを伝えた。
「その階段の入り口に、遺体が一つあるんだ。それを、ギルドで撤去しないでほしい」
「それは、テシオ様のを……ということでしょうか」
「ああ」
オルガさんは紙を一枚、何かの報告書のようなものを取り出し、そこに羽根ペンで文章を書き始める。それからレシッドの方を見ずに、続けた。
「その程度であれば、上にも了承されるでしょう。……何故です?」
「ちょっとした試練だよ」
聞いてはみるものの、理由はどうでもよかったのだろう。レシッドのその言葉に、オルガさんは「そうですか」と一言返し、それで会話は終わった。
それから報酬の案内も終わり、もう解散の時間だ。
カウンターから少し離れて、依頼終了の報告をする列を僕らは眺める。ちょうど僕らの後から混み始めたギルドの中は、また埃と血に塗れた喧噪に包まれていた。
「今日はありがとな」
「いえ。僕も稼げましたし」
本心だ。それに、興味深い試料も手に入った。今日は充実した一日だったと思う。
それから僕が立ち去ろうとするが、レシッドは掲示板の前から離れない。何故だろう、と思いレシッドの顔を見れば、察したのか理由を説明してくれた。
「さっきの約束の時間まで、俺はここに待機だ。お前はもう帰っていいぞ」
「……そうですか」
そういえば、そんな約束をしていた。もうすぐ七の鐘が鳴るが、その子供は現れるのだろうか?
そう思うと、レシッドのしようとする話にも少し興味が湧いた。
純粋な野次馬根性だが、ここに留まって僕も聞いていようか。厚かましいとは思うが、僕も無関係ではあるまい。
そう、待ち人を待つ僕を追い払う気もないのか、レシッドは壁にもたれ掛かり、そして入り口をポケッと見つめていた。
手持ち無沙汰になった僕は、掲示板を眺める。相変わらず、いつも依頼は大量に貼られている。また片っ端から受けていけば減るだろうか。この掲示板をまっさらにしてみるのも面白いかもしれない。
……達成にかかる時間的に無理か。
そんな妄想をしている僕の後ろから、声がかかる。
待ち人が来たのだろうか? そう思い振り返れば、そこには山のような大男が立っていた。
「おい」
もう一度、凄むように僕を見下ろすその大男の後ろには、以前僕が腕を折った、……腕を折った……、ええと、腕を折った男が、付き添うように立っていた。