スラムの外の気持ち
てくてくと歩いているが、目的があるわけではない。
だが、目的地はあるのだ。
ずっと見えているあの高い塔。石ころ屋を出て、ちらりと見えたあの塔をとりあえずの目的地にした。
「お母さぁぁぁん! お母ざぁぁぁん」
突然、子供の叫び声がした。
驚いて声の出所を見ると、すぐ横に、泣いている子供がいる。
子供と言っても、やはり僕と同じくらいで前世だったら小学生に入る少し前くらいだろうか。
「えっと、どうしましたか」
思わず声をかける。
しかし、泣いている子供がそんな者に耳を貸すわけが無い。声は続く。
周囲の大人達は一回は足を止めるも、僕が側にいることで何を思うのか、また何も無かったかのように歩き出す。
きっと、とりあえず迷惑だ。魔法で音を遮断する。周囲に泣き声が漏れなくなった。
その状態で何分か泣き喚いて、疲れたのか叫び声が小さくなる。
もうそろそろ良いだろう。僕は再び声をかける。といっても、何故泣いてるのかは薄々わかってはいるが。
「どうしました?」
「お母さんが、どっかいった」
嗚咽混じりの声で聞き取りづらいが、要は迷子だ。
しかしどうしようか。
もう話しかけてしまった。放っておくのは何かもやもやする。しかし、――おそらく――彼女を連れて歩き回って、親と行き違っても困る。
「君のお名前は?」
出来るだけ脅かさないように、笑顔で話しかける。
「……ルル……」
俯いたまま、ルルは答えた。服の裾を握り、伸ばしながら。
「ルル……ちゃん? じゃあ、お母さんの名前は言えるかな?」
「ストナ」
「お母さんは、ストナさん、で良いんだね」
コクン、とルルは頷く。目の端には、まだ涙が溜まっていた。
「お母さんとは、どこまで一緒だったの?」
「おかいもの、してた」
「何を買ってたか、覚えている?」
その質問には、首をフルフルと振って答えた。
涙が増えていく、やばい!
「じゃあ、探しに行こっか」
気を紛らわすために何かすれば良いのだろうが、あいにく何も思いつかない!
結局、歩いて探すことにした。何処か預けられるところを見つけたら、そこに預けてしまおう。といっても、衛兵達の詰め所くらいしか思い浮かばないが。警察みたいなものとかあるんだろうか。
「どっちから来たの?」
そう尋ねると。ルルは指を差して商店街の中の方を示す。戻る道だがいいだろう。
肩車でもして、目立つようにしながら行くのが常道だとは思うが、同じくらいの体格だ。肩車自体は出来るが、したところであまり高くはならない。
結果、やはり大声で名前を叫びながら探すことになった。
ルルにも援護を頼む。僕は闘気を使い、少し大きな声で叫び続ける。
「ストナさん! ルルちゃんのお母さん! ストナさーん!」
「お母さん! お母さーん!!」
それでも、誰かを呼ぶ子供の声というものは目立つ。要は、探しているストナさんにこの声が届けば良いのだ。本人でなくても良い。誰か知っている人であれば。
そこで、一つ疑問が心をよぎる。
本当に、ストナさんはルルとはぐれたのだろうか。
嫌な考えが浮かぶ。
ストナさんは、ルルを探しているのだろうか。
彼女は、ルルは僕と同じ境遇ではないのだろうか。
何の根拠もなく、嫌な考えが浮かんだ。ただ単に、迷子になった子供を見つけただけなのに。
そんな僕の無駄な心配も、すぐに杞憂となる。
「ルルッ!」
長い黒髪の女性が、ルルに駆けよってきたのだ。
不審者かと一瞬身構えるが、それも要らぬ世話だった。
「お母さん!」
ルルが笑顔でその女性に抱きついた。この人が、ストナさんか。
「どこ行ってたの!? 付いてきてって何度も言ったじゃない!」
我が子が見つかった喜びに浸る間もなく、すぐにストナさんはルルを叱る。両肩に手を置き、跪いて目線を合わせて、自分がどれだけ心配したか、一人になることがどれだけ危険か説き続けた。
数分は経っただろうか。呆気にとられ、隣でただ見ていた僕にストナさんの視線が刺さる。
「この子は……?」
今まで一切目に入っていなかったようで、今気付いたらしい。ルルに、僕の素性を尋ねる。そういえば、ルルに僕のことを何一つ話していなかった。
「僕は……」
「お兄ちゃん! お母さんを一緒に探してくれた!」
僕の発言を遮る形で、ルルが僕を紹介する。
「へぇ……、あなたが……」
ストナさんは僕の頭から足先まで何回か見ると、すぐに眉を顰めた。
「あなた、もしかして貧民街の子?」
「ええ、そうですが……」
何か、と言おうとしたところで、すぐにストナさんはルルの手を引いて立ち上がった。
「行くわよ、ルル」
こちらから視線を外すように、ルルを促す。ルルは戸惑うような仕草をして、ストナさんにつられて歩き始める。
「どうしたの?」
「貧民街の人と、関わっちゃいけません」
「え? でも」
なおも食い下がるルルを制するように、手を引き続ける。
ルルは母親とこちらを交互に見て、腑に落ちないような表情をした後で、こちらに手を振った。
「お兄ちゃん、じゃあね!」
ストナさんはその声を聞いて、さらに早足になった。
すぐにその親子の姿は、遠く豆粒のように消えていった。
何だったんだ、今のは。
一人残された僕は、その二人を呆然として見送っていた。
ストナさんは、僕がスラムに住んでいるということがわかった途端に冷たくなった。そういう感じだ。
スラムでずっと暮らしていたから知らなかったが、もしかしてそんなに嫌われているのか、あの貧民街は。
ひったくりや盗みを働く住人がいるのは知っている。そのせいで、スラムが嫌われているのは知っている。
しかし、犯罪を働いていない、僕みたいな子供まで、あそこまで嫌われているのか。
直接的な悪意を向けられた、嫌な出来事だ。
気にしないようにしよう。そう思いながらクルリと振り向く。
商店街を早足で抜ける。
気にしない。気にしていないつもりだ。気にしていないはずなのに、何故か周りの視線が怖かった。
足取りは少し重い。
もう帰ろうか。そう思ったが、それでも今日の目的地までは行きたい。
ほら、もう塔が近い。あの塔まで行けば、今日は帰っていい。
商店街も終わり、住居のスペースに入っていく。
石積みの、ある程度整理された町並み。路上は細かいゴミで汚いが、瓦礫で荒れていることも無い。
家の中はどうなっているのか。少し好奇心が湧いた。透明化魔法があれば、入っていける。
しかし、何故かやってはいけない気がして躊躇した。
村では自由にやってきたのに、入ってはいけない気がして、踏みとどまった。
おかしい。
何が違うのだろうか。
塩や、不要品だが服を盗んで生活していた。それこそ、盗みなど生活の一部だった。先程だって、衛兵の訓練場に普通に入っていけたのに。
何を今更、罪悪感など覚えているのだろうか。
首を捻るが、答えは浮かばない。
何故か、ルルとストナの後ろ姿が浮かんだ。
やはり住居への侵入はせずに、先を急ぐ。
塔へももうすぐだ。
工房が建ち並ぶ区域を過ぎる。道行く人に、背の低い筋骨隆々の男達が増えた。カツンカツンと槌の振り下ろされる音や、ギイギイと木を切る音が響く。職人達の仕事の音だろう。
興味はあるが、もう今日は疲れた。早く塔へ行って、帰るのだ。
黙々と歩き、通り過ぎる。
この熱気が、羨ましい気がした。
ここまで何時間かけただろうか。歩き続けて、ようやく塔の根本付近まで来た。
ここから先は、一番街。貴族や王族の住む町だ。
当然セキュリティもあるらしい。周囲が10mほどの高さの壁で囲まれていた。
商店街から続く門にも、衛兵がいた。もっとも、こちらは税などを取らないようだし、ただ不審人物の出入りを監視しているだけのようだが。
そっと入ろうとするが、衛兵がこちらを見ている。
立ち止まるのは怪しいと、素知らぬ顔で歩いていく。もう少し、もう少しで入れる。
しかし、衛兵に阻まれた。
「君、この先に何か用事かな?」
顔を覗き込み、尋ねてくる。笑顔の中にも警戒があるのだろう、槍を握る手に力が入っていた。
「いえ、特に用事は無いんですが……」
「じゃあ、誰か一緒にいないと入れられないなぁ。ごめんね」
笑顔を崩さずに、背中の方で詰め所になにか合図を送る。確実に、怪しまれている。
荒事を起こすわけにはいかない。「あの塔を見たい」などと、そんな理由で通してくれるとも思えない。
「大丈夫です」
今日はもう帰ろう。でも、最後にひとつ。
「あの塔は、何の建物なんでしょうか」
指を差して衛兵に尋ねる。衛兵は指の先を追うと、不思議そうな顔で僕と塔を交互に見た。
「あの塔は、……白骨塔だね」
「白骨塔? どういうものですか?」
一瞬考えた後、衛兵は答える。
「この街で死んだ偉い人が入るところだよ。儀式っていってわかるかな? 色々な儀式に使われるんだ」
「墓地ですか」
「うんと、墓地とはちょっと違うかな。でも大体同じ、偉い人のお墓だね」
知りたいことは知れた。
「でも何で?」
「それが知りたくて、ここまで来たんです」
衛兵は、戸惑う顔で言葉に詰まった。
「ありがとうございました。お仕事、頑張って下さい」
振り返って、足早に立ち去る。もう一度塔の方を見れば、衛兵が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
目的は済んだ。さあ、帰ろう。
脇目も振らずに住処へ帰る。槌の音も、美味しそうな匂いも、周囲の視線も意識的に無視しながら、歩き続ける。
スラムの入り口まで戻ってきた。
さて、帰ろう。足を踏み入れようとする。
何故か、躊躇した。雰囲気が変わるこの先に、足が一瞬止まった。
ああ、なるほど。
荷物を引ったくられた男性がここで引き返した気持ちが、今何となくわかった。
世界が変わる境界。見えない境界線が引かれているのだ。
もう一度、足を踏み込む。
大丈夫、僕はこの先まで歩いて行ける。
スラムの中に、踏み込める。
住処へ戻ったときには、もう日が暮れていた。