客人なんていなかった
激昂した奥方は、深く息を吐く。
「金貨は、帰りしなお受け取りください。早々に立ち去らなければ、首を落とす結果となりましょう」
そう言って顔を背ける。だが、カプラが口を開くと、扇子を閉じてそちらを見た。
「しかし、奥様。まだこの女に、必要なことを聞けておりません」
カプラが、そう言いながらオトフシに歩み寄る。
奥方は何も言わず、それを見ていた。
座るオトフシのすぐ横まで来たカプラは、暗い目をしてオトフシを見下ろした。
そして、もはや客人としてではなく、敵として質問をする。もはやこの雰囲気は、尋問と言ってもいいか。
「貴様、コックス様とどういう関係だ。その薬を知っているのは、偶然などではあるまい」
「見たこともありませんな」
オトフシは、パチクリと瞬きをして即答した。
「この毒草たちは、故あって知った物。今回お見せしに参ったのは、ただ好機、と思っただけ」
「好機、などと……」
カプラの額に血管が浮かび上がる。怒張したその脈に、顔が朱に染まって見えた。
その顔を見ようともせず、ただ奥方を見つめてオトフシは答えた。
「当主の座を狙った政争。古今東西、どこの貴族でも起きるものでしょう。そしてそれは、現当主の死に伴い起きるものが多い。それで一族が絶えるのを、何度も見てきた」
後半は、ポツリと呟くように吐き捨てられた。何処か、実感が籠もっているようにも思える。
「さて、もういいでしょうか。商談は不成立。私は帰ると致しましょう」
すっと立ち上がる。カプラの殺気など意にも介していないように、スカートの裾を払う。
その首筋に、カプラは掌の小刀をあてようとした、ように見えた。
だが、させない。
僕の目の高さ。そこに現れた白い刃を掴んで止める。念動力は使わない。チクリとした鋭い痛みが指の根元に走ったが、そんなものはどうでもよかった。
刃を握り締めた拳から、木の床に血が滴り跳ねる。
……僕の手を傷つけるとは、大した力量だ。やはり、貴族の護衛とは皆強いものなのだろう。
刃を掴まれたカプラが驚愕の表情を浮かべて僕を見る。
透明化は解いてある。姿を見せて、会話をしなければいけないのだ。それが、オトフシがここまでしてくれたことに対する礼儀だろう。
「突然の訪問、そして無礼、失礼します」
僕がそう微笑みかけると、カプラは小刀を抜き去り、構えて僕を睨んだ。
オトフシが苦い顔で溜め息を吐く。
「……お前が姿を現わす必要は無かったのに」
「何もしないわけには、いかないと思います」
もうきっと、僕が全て何とかしようとは思わない。だが、これは何とかしなければいけない。
僕のために、オトフシの名誉が失墜したまま放置するのは、きっとやってはいけないことだ。
「……貴方は、ルルとストナを護衛してきた、オトフシ殿の……」
奥方が口を開く。警戒はしているようだが、敵意まではなさそうなのが救いだった。
僕は跪き、胸に手を当てた。
「改めまして、探索者のカラスと申します。申し訳ありません。オトフシ殿のために、どうしても申し上げたいことがありまして」
一息に、目的まで言い切る。招かれたわけでも、正式な手順を踏んでもいない僕は、今まさしく侵入者なのだ。くせ者、と奥方やカプラが一声叫べばそれだけで何も出来なくなってしまう。
僕の姿を見て僅かながらでも動揺しているうちに、話を聞いてもらわなければならない。そんな僕の浅知恵を察したのだろうか。オトフシは、唇と引き締めて小さく首を振った。
勿論、そんな浅知恵も通用しなかったようだが。
「侵入者だ! 至急! 集合!!」
カプラがそう叫びながら、僕と奥方の間に割り込む。当然の反応だろう。推参の目的はどうあれ、いるはずのない人間が不法に侵入してきているのだから。
室内から出る音は消してある。ここに応援が来ることはないだろうが、それよりもまず目の前のカプラを何とかしなければ。
両手を挙げ、徒手であることを示す。
「く、抵抗を……!」
「違います」
が、やはり勘違いされたようで、カプラからの敵意はより一層強くなった。
僕の行動を警戒し、カプラは僕を見つめる。僕が不審な動きをすれば、すぐさま攻撃に移るだろう。まあ、僕もここから微動だにせず攻撃に移れるので、やはり当然の反応ではある。
「私に攻撃の意図はありません。お願いですから、どうか話をお聞きください」
「……貴方は……」
再度の懇願に、カプラの向こう側の奥方は話に乗ってきてくれた。
だが、掴んだ糸口への喜びも束の間、さりげなくカプラが僕と奥方の交わる視線を邪魔すると、奥方は黙ってしまった。
ぐいと、腕が引かれる。そちらを見れば、オトフシが僕の腕を掴んでいた。
「無駄だ。さっさと離脱するぞ」
オトフシが溜め息を吐きながら、カプラ達を見回す。
「まったく、余計なことをしてくれたものだ。妾一人ならば、どうとでもなったのに」
「どうとでもなったとして、無傷で終わりはしなかったでしょう?」
「……まあ、幾らかはな」
傷は、身体につくものだけじゃない。
「どうか、お願いです、奥方様……!」
「まだ言うか!!」
口を開いた僕へ、カプラの刃が振るわれる。
オトフシと話す僕に、好機とみたのだろう。
鋭い刃。触れれば赤い傷が身体に走る、その凶器が、眼前に迫る。
僕は避けない。
その刃は、僕の首筋に当てられて止まった。
「……!」
避けなかったことが予想外だったらしく、カプラは息を飲む。
僕がそのままジッと見ると、刃を持ったままのカプラはたじろいだ様子だった。
「そこまでです、カプラ」
睨み合い、止まった時間に、奥方の凜とした声が響く。部屋の全ての視線が、奥方に集まった。
奥方はビシッと音を立てて扇子を広げ、口元を隠す。細められた目は、何を意味しているのだろうか。
「なにやら、……カラス殿は弁明があるご様子。それを聞いてからでも遅くはありません」
「ですが、奥様……」
「控えなさい。その少年は、自らの身を傷つけることを厭わなかった。それを一番わかっているのはお前でしょう」
奥方の言葉に、カプラは頭を下げる。そして無言で、戦闘態勢を解いて数歩下がった。
僕はもう一度、奥方を見て感謝の言葉を述べようとする。
「ありがとうございます」
「お前のためではありません。弁解があるなら、早くなさい。前置きも聞きたくありませんし、これ以上血は見たくありません」
「……では」
一応、話を聞いてくれる態勢になったようだ。僕の首筋についた傷もその痺れも、無駄ではあるまい。
「先程までの、オトフシ殿の態度と商談、全て謝罪致します。あれは全て、故あってしたこと。全ては私のせいなのです」
「それは、どういった理由ですか」
奥方が眉を顰める。
「初めから、オトフシ殿は商談など成功するはずなどないと思っていました。全ては、私に商談の失敗を見せるための芝居なんです」
「訳がわかりませんね。何のために、そんな馬鹿げたことを」
「そうしなければ、僕がこの屋敷から離れなかったから、です」
僕の言葉に、カプラの身が固くなるのを感じた。筋肉の収縮、見た目は変わりないが、またもや攻撃の準備が整った。
「離れなかった。ならば、初めからここにいた、と聞こえますが」
「その通りです。私は、姿を消す魔法が得意なものでして」
それから僕は、奥方とカプラに、僕の見たコックスの策謀の全てを語った。
ルル達を襲わせた件から、毒を盛った件、そして奥方に毒薬が盛られた件に至るまで、子細に語った僕に、奥方は嫌悪の視線を向けた。
「貴方は、全て見ていたと」
「はい。勿論、全て阻止してもいますが」
その言葉に、若干ではあるが視線が和らいだ気がした。
「そうした僕のわがままのために、オトフシ殿は……」
「待ちなさい」
オトフシの行動の訳をまとめようとした僕に、奥方の止めが入る。鋭い視線だった。
「であるならば、もしや、コックスは貴方が……」
殺したのかと尋ねられても、答えは決まっている。殺したと、答えられる訳が無い。
「ご想像にお任せします」
「そう、ですか」
奥方は、落ち込んだように見えた。
「貴方の言い分はわかりました。姿を消して、何をしていたのかも。それについてはもう何も申しません。見えなければ、いないのと同じなのですから」
「感謝致します」
きっとまだ何か納得が出来ていないのだろう。奥方の声は震えている。
それから、頭を下げた僕の頭上から、扇子で机を叩く乾いた音が響いた。
「それで、貴方たち……いえ、貴方は私たちに何をしろと。何をさせたくて、姿を見せたのでしょうか」
本題だ。ようやく、嘆願が出来る。僕は内心の喜びを悟られないように、口を開いた。
「先程までのオトフシ殿の無礼をお許しください。オトフシは、私のために奥方を挑発しておりました。罰するのなら、どうか私を」
そう深く頭を下げる。
僕の話は全部言った。一部を除いて全て正直に話し、そして赦免を願い出ているのだ。
もうこれ以上手はない。
「……奥様」
「わかっています。家を瓦解させようとした毒婦に、コックス殺害についてこれ以上無いほどの疑わしい人物、見逃せるわけはありません」
その言葉に、カプラがもう一度僕らの方へ一歩踏み込む。
……駄目だったか。
罰されるのはお断りだ。正面から突破するしかない。
オトフシに手を触れ、透明化の準備を整える。後は、魔法で牽制しつつ離脱を……。
奥方は、気怠げに長い溜め息を吐いた。
「ですが、カプラ。私は疲れておりますの。昨日など、ろくに寝られていない有様」
「……は、はぁ……」
離脱をしようとした僕の耳に届いた奥方の突然の告白。カプラはそれに、戸惑った返事を返した。
「ああ、そうですわね。今うたた寝をしていたようです。客人が来ていた夢を見ておりました。頼もしいご婦人に、勇敢な少年が。……本当は客人など来ていないのに、可笑しなものですね」
「それは……」
カプラは一瞬考え込み、そして答えを出したらしい。両手を下げて、一礼した。
「そうですとも。奥様はお疲れなのでございましょう」
そして、二人とも僕たちから視線を外す。
突如始まった小芝居に僕が呆気にとられていると、オトフシが忍び笑いを漏らして僕の手を引いた。
「……行くぞ。夢の住人は、霞のように何も残さず消え失せねばな」
「あ、ああ、はい」
扉の前まで歩き、オトフシは扉を見つめて呟いた。
「感謝する」
「はて、何か聞こえたような?」
奥方のその言葉に、オトフシはもう一度笑って扉を開けた。
僕もオトフシも、振り返らなかった。