見えない火種
「……随分と長い『二,三日』ですね」
「フフン。近頃働きづめだったのだ。少しぐらい休んでもバチは当たるまい」
その日の夜も、オトフシの紙燕は現れた。もう一週間以上ここに滞在しているにもかかわらず、警備を続けているのはやはり『堅物』故にだろうか。
……いや、違う。昨日まで、確かにオトフシはあの日以来紙燕を飛ばしてはいなかった。しかし今日は飛ばした。
まず間違いなく、コックス殺害について何かあるのだろう。
それでも一応、素知らぬ顔で尋ねる。僕は下手人ではない。そういう体で。
「それで、何かあったんですか? こちらはコックスさんが死んでそろそろ帰ろうかな、と思っていたんですが」
「……昼のコックス殺害、お前の仕業だな?」
これまたド直球で質問が来た。腹芸の苦手な僕でもすべき反応はわかる。これはとぼけるべきだろう。
「何のことですか? いきなり死んで僕もびっくりしてるんですが」
「フン。では、それでいい。だが、一つ残念な知らせがある」
「何でしょう?」
紙燕の口の端が吊り上がった気がする。人間だったら、悪い笑顔をしているだろう。これはオトフシがそういう顔をしていると思っていいのだろうか。
「お前、犯人候補の一人に上がっているぞ」
「……何故です?」
オトフシのその言葉に、一瞬で心拍数が上がった気がした。
やれやれ、という風に鳥が首を振る。本当に滑らかな動きで気持ち悪くなってくるくらいだ。
「やはりお前は魔法使いの力を過小評価しているな。全身の骨を折られて天井に吊り下げられた死体が発見され、さらに衆人環視のもと一人が溺死する。白昼堂々とそんな犯行が行われれば、当然魔法使いに捜査の目が向くだろう」
「王都に僕が滞在していることすら知られていないはずですが」
護衛任務で僕は王都を訪れた。だがその先の足取りは誰にもわからないはずだ。まさか、一度王都を訪れた魔法使い全員を疑うわけでもあるまい。
「護衛終了の後、何日か経ってからギルドを訪ねただろう」
「……あ」
そういえば、まさにオトフシと話すために連絡を頼んでいた。勿論、その時には透明化していなかったが……。
「……忘れていたようだな。何日か空けて二回、王都でお前の姿が確認されている。ならばその間は滞在していたと考えても不思議ではないだろう。そして、その後まだこの街に留まっているとも」
……年単位でこの邸内に潜めると思ったのは思い上がりだったようだ。自省せねばなるまい。開拓村を追われたあの時よりもまだ酷い。あのときは不可抗力だったが、今回は僕が気をつけていれば起きなかった問題だ。
「疑われていると知ったのは、妾のもとに衛兵が来たからだ。お前の居場所を尋ねに、な。気をつけろよ。無用な騒動を避けたければ、しばらくは王都を歩かんことだ」
僕の居場所を、喋りましたか。そう聞こうとして、僕は口を噤んだ。忠告してくれているのだ。真相はどうあれ、そう聞くのは無礼だろう。
代わりに、叶えられなかった食欲が僕の口を動かした。
「……しばらく食べ歩きは出来ませんね」
少し楽しみにしていたのだが。
「フフン。そういうことだな。まあ、何かは聞かんが目的はもう達成したのだろう? 早々に王都を立ち去ることだ。なに、二,三ヶ月他の街で活動していれば、ほとぼりも冷める」
証拠も無いことだしな、とオトフシは呟くように言った。
そうだろう。そのために、いつも僕が使わない方法で殺したのだから。
……そのせいで若干猟奇的になってしまった気もするが、それは置いておこう。
それよりも、僕の心の迷いが僕に素直な返事をさせなかった。
「そう、ですね」
「何だ? 煮え切らない返事だな」
僕の返事に呆れたように、鳥が無い眉を顰めた。
「まだ、僕の行動の結果を見届けていません。この先、ザブロック家のお家騒動がまた起きるかもしれない」
僕は掌を見つめてそう言った。無力な掌だ。そして、小さい。
「まだ火種は残っている。ここを去る前に……」
「ここを去る前に、何をすると?」
僕が言葉を言い切る前に、真剣な声音でオトフシが言葉を重ねた。
「……」
僕が次の言葉を紡げずに黙ると、また鳥は溜め息を吐く。
「お前が何を考えているかは大体想像が付く。これから起こるその『お家騒動』は、自分の責任だと考えているんだろう?」
「……放置するのは後味が悪いので」
僕の言葉で会話が途切れると、鳥の動きもピタリと止まる。生き物から、急に無機物に戻った気がした。
「ならば、探索者としてでなく、年長者としてでもなく、良識人として助言を出そう。ここから先の干渉は、姿を見せて行うべきものだ」
「しかし」
「まずもって、この先に起こるのはお前の責任では無い。お前があの親子の命を……と、違うな」
鳥が両翼の先で嘴を押さえる。本当に、この仕草は何処まで意図的に操っているんだろうか。
「コックスの死によって生まれたのは、新しい火種だ。『お家騒動』の火事ではない。それは燃え盛るのであれば何をしても燃え盛るし」
言葉に合わせて、鳥はバタバタと羽をばたつかせる。
そして言葉を切り、今度は羽をペショッとたたんで細身になった。
「燃えないのであれば、いつまでも消えずに残っている。一族間の問題とはそういうものだ。顕在化するか否かの違いだけで、火種は無数にある。お前が気付いていないのも相当数な」
「……いっぱいあるから気にするな、と?」
「そう言ってもいいかもしれん。とにかく、お前は周囲をも燃やしかねない火事は消し止めた。それだけはハッキリと言える。後に残った燻る火種は、その火事の生き残りに任せるがいい」
「もしもその生き残りに加わりたければ、姿を現わして対応しろと。除去消火して火事を食い止めた者として……じゃなかった。家を打ち壊した容疑者として、ですね」
「そうだな。姿を現わして……いっそルル嬢と婚姻でもしたらどうだ? 一族の者となれば、火種の消火など容易くなるからな」
突然、鳥の表情が変わった気がした。緩い方向に。
「わりと真面目な話の最中だったはずですが」
「フフン、今回は真面目な話でもあるぞ。どうだ? 歳も近いし、身分の問題だって、お前がオラヴ並の功績を立てれば不可能ではないだろう」
「……考えておきます」
何だろうか。先程までよりも、オトフシの声が生き生きしている気がする。
「まあ、お前はまだ若い。そんな迷いも抱くだろう」
フッと鳥が微笑んだように見えた。
「以前、妾が言ったことを覚えているか?」
「ええと、……どれでしょうか?」
僕は聞き返した。というよりも、それだけのヒントじゃわかるわけがない。
「お前は考えすぎだ、ということだ。それに、子供らしくない」
「それはそういう性格だと」
「お前のその、全て自分で解決しようというその心意気は好ましいものだ。だが、度を越しすぎると見ていて危なっかしい」
「……僕を見る人など、いませんので問題はありません」
「フフン、本当にそうかな? 誰もお前のことなど気にしていないと、胸を張ってそう言えるのか?」
……何が言いたいのだろうか。黙った僕を見て、鳥が左右に身体を小刻みに揺らしていた。
「気付いていないのであれば、それはまあいいだろう」
仕切り直すように、鳥がピョンと跳ねる。
「それで、だ。たまには大人に頼るがいい。お前がその『火種』が心配とやらで帰れぬのなら、妾がなんとかしてやろう」
「何をする気ですか?」
オトフシの言葉に同意は出来ない。きっと僕より多くを知っているこの女傑も、きっと僕は信用出来ていないのだ。
「火種の段階を、一つ進める。火事になるかどうかがわかれば、お前も大人しく帰れるのだろう?」
具体的なことは言わない。比喩的な表現を続けるのなら、火に油を注いで試してみる、ということだろうか。
その、オトフシがしようとしていることはわからないが、それでは僕の心配事は無くならない。
「それで、火事になると知れれば……」
また死者が増えることになるかもしれない。権力も無い僕は、殺すことでしか事件を解決出来ないのだ。
言葉を切ってそれを暗に示した僕に、オトフシは言う。
「ならんさ」
言い切った鳥は満面の笑みだった。いや、顔は無いのだが。
「それはどういう根拠があって、でしょうか」
「年長者であることと、生まれ育った環境からと、そして女性としての、勘だ」
胸を張ってそう言う。声に、得意げな感じが混じった。
「フ、なんですか、それ」
僕が小さく噴き出すと、安心したように鳥は羽を伸ばす。
「明日もお前はこの邸内にいるのだろう?」
「……そのつもりでしたが」
「ならば、明日妾は夕方にここを訪ねる。妾が、奥方の話を聞こう」
「任せてもいいんですね?」
何故だろうか。オトフシのその言葉に、頼りたくなった。
カラカラと笑いながら、オトフシはおどけるように続ける。
「ああ。ここにお前が詰めてから、お前に護衛は任せきりだった。それくらい、妾にも仕事を寄越せ」
「……わかりました」
僕の言葉を満足げに聞いて、紙燕はクルリと反転する。
そして最後には、やはり本物の鳥のように飛び立っていった。
次の日の昼。コックスの葬儀は、速やかに行われた。
「彼は私達の善き友であり、善き隣人であり、善き教師でありました。……」
聖教会から派遣されてきた聖職者が、祈りの言葉を唱えている。
棺に入れられたコックスの死体は僕が折り曲げた状態から一応復元されており、手足を伸ばし安らかに眠っているようにも見えた。
コックスを見送る列には、奥方とルルがベールを被り加わって、後は名前も知らない偉そうなコートを着た者たちが並んでいた。きっと、関わりのあった貴族だろう。
郊外の墓地に掘られた穴に棺桶は安置され、土が被せられた。場所は、ベンジャミン卿の隣だった。
何年かの後、白骨化した彼らの遺体は掘り返され、王城に近い白骨塔へ安置される。その日が来るまでは、ここで眠ってもらうわけだ。
一応、葬儀を見届けただけだ。もうこれ以上、死体をどうこうする気は無い。
義務を果たした感触を心に得て、僕の足はまたザブロック邸へ向いていた。
ザブロック邸では、葬儀を終えて間もないというのに客が来ている様子だった。
「今回の事件、警備を怠っていた私達に責任がございます。申し訳ありませんでした……!」
兜を脱ぎ、衛兵が奥方に頭を下げていた。
奥方は疲れて充血した目でそれを眺めると、フイと目を逸らしてそれを止める。
「貴方がたに責任はありません。全ての責は、王城へ侵入した凶漢にあります」
「しかし……!」
どうやら、衛兵達は昨日の警備責任者のようだ。きっと彼らも真面目にやっているのだろう。それなのに、僕の犯罪で頭を下げている。
奥方の言うとおり。悪いのは僕なのだ。それなのに、善人が頭を下げて許しを乞うている。いたたまれない光景だった。
「頭を上げなさい。それよりも、凶漢の目星は付いたのですか?」
「申し訳ありません……。幾人か候補は挙げられているのですが、確定するまでには至らず」
「……そうですか」
奥方は目を瞑り、溜め息を吐く。
「派閥や政争、殿方はそういうものが本当に好きなのですね……」
その言葉に、衛兵達は何も応えない。ただゴクリと唾を飲み、続きを待った。
「お帰りください。貴方たちの仕事ぶりに文句を付ける気はありません。全ては、コックスが自分で蒔いた種。……恐らくそういうことでしょう」
そう言って、奥方は黙り込む。もはや話すことなど無いと、そう言い切ったのだ。
「……!」
顔を背けた奥方にもう一度深く頭を下げ、衛兵達は退室していった。
奥方はそちらを一瞥もせずに頭を抱える。それから何かを覚悟した目で、女中を、というよりもそこを透かして何処かを睨むように見据えた。
何を考えているかはわからない。そして、この奥方にオトフシはどんな風に話をするというのだろうか。いくつかパターンの候補は浮かぶが、どれが効果的かはわからない。
何事かを考える奥方の視線は遠く何処かを見ている。
思考が読めない。これから何をしようとしているのか、オトフシの言葉を借りるのであれば、歳も性別も違う、奥方の考えていることは想像も付かない。
僕はその視線に、どこか心細い気がして、部屋を逃げ出すように後にした。
中庭を、玄関近くまで進む。
西を見れば、もうすぐ日が沈む。
オトフシは、任せろと言ったのだ。ならば任せてみてもいいだろう。
年の功を見せてもらおう。
夕刻に現れた細い影は、僕を透かして屋敷へと伸びていた。