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探偵不在

三人称ですが、閑話ではありません

読み飛ばす場合は、後書きにあらすじが。

 

 王城。まるで、布を張り、いくつかの点を無造作に吊り上げたようなその形は、大きさも相俟って初めて訪れる者を嘆息させるには充分な美しさであった。

 四方の大きさはそれぞれ五里ほどにも及ぶ巨大なものであり、王族が暮らし(まつりごと)を行う機能を持つ。王族や、業務を行う貴族や役人、そしてそれらに仕える使用人。合わせれば、内部には常に三千人以上が生活するという、まさに一つの都といえるだろう。



 日が中天に達するころ、幾人かの使用人を引き連れ、コックス・ラシール・ザブロックが王宮に姿を現わした。

 彼は近頃、亡くなった兄の名代としてしばしば王城に出仕していた。

 もうしばらくすれば、彼には伯爵位が授けられる。そうした噂が、王宮の者たちの間で囁かれている。

 無論、それは間違いではない。継承順位からしても、兄の次は自分だと、コックス自身もそう思っていた。


 今日も彼は、兄の遺した書類と格闘するために机にドカリと座り込む。

 彼の決裁する書類の山は、彼が出仕しない日にも容赦なく積み重ねられ、乱雑に積まれたそれは中程の紙を引き抜けば全体が崩れるような有様だった。

「……ハァ……」

 コックスはそれを見て、毎度同じように溜め息を吐く。

 爵位を得て、出仕しようが楽ではないな。山を眺めてそう思うのも、いつものことだ。


 書類の端に、次から次へとコックスはサインを記していく。そしてその横に、花押を捺していくのは付き従う家令の役目だ。本来はそれすらもコックスが行わなければならないのだが、手続きを軽視するコックスは家令に押しつけていた。


 花押とサイン。本来であればどちらか一つだけで済むものを両方使っているのは、ただ単にコックスがまだ正式な伯爵位ではないからだった。

 同様の理由で、法の適用や布告などの重要な書類をコックスの名前で決裁することはまだ出来ず、重要度の低い報告書のみに留まってはいたが、それすらもコックスにとっては億劫な仕事だ。


 やる気が薄く、能力も低い。そのため、誤字脱字、文章の矛盾、その書類を通して良いのか。そういったチェックや判断を省略し素通りさせていく手の早さは、隅々まで目を通していたはずの故ベンジャミン卿と変わらなかった。



 近頃感じる、体調の悪さもそれに拍車をかける。

「ん、ん! ……それにしても、ドリー」

「何でしょうか」

 咳払いをしてからでなければ、言葉が出せない。その度に、自分でも機嫌が悪くなるのがわかるほどだった。

 完全に手を止め、コックスは真っ直ぐに家令を見る。一応耳目を憚る話でもあるため、若干小声でコックスは続けた。

「例の薬は、飲ませているのか?」

「はい。茶や菓子に混ぜて、飲ませ続けているはずなのですが……」

「ならば、何故、……ゴホッ……」

 口に手を当てて、飛沫が書類に飛ばないように押さえる。流石に、その程度の気遣いは出来る男だった。

「何故、未だに弱音の一つも吐かないのだ?」

「効果が薄いのでしょうか、申し訳ありません」

 家令は静かに頭を下げた。効果が出ていないのは家令のせいではない。確かに彼はその手配をしているのだ。そして実際に、ルルへと届けて口に入るのを見届けてもいる。

 だが、確かに効果は出ていない。不可解なその現象に、二人は首を傾げるばかりだった。



「まあいい。焦ることはない。じきにあの娘は死ぬ。あの女も表舞台からは消えてもらう」

「しかし、旦那様」

「わかっているさ。流行病ということでいいだろう。レグリスは好きにするがいい。……まったく、あんな年増の何処が良いやら」

 二人はほくそ笑む。家令は報酬として与えられる、かねてより憧れていた女の抱き心地を夢見て。コックスは伯爵となった自分の姿を想像して。そんな野望が叶わぬ事など考えることもなく、その日も杜撰に仕事を終えるのだった。




 王城を後にしようと、階段を降りていく。

 コツンコツンと軽快に音が響き、その音にコックスはこれからの人生を予感した。


 軽やかな足取り。こうでなくては。屋敷を得て、他の名家から嫁をとり、盤石な権力を得て城に勤める。伯爵位など踏み台にすぎない。戦争でも起きない限りは爵位の変動などそうそうあるものではないが、それでもなお、辺境伯となり、公爵となり、いずれは王族に連なる者となる。そんな夢を見ていた。


 五年前の〈山徹し〉を、コックスは見ていた。遙か上空を飛ぶ一条の光を。あの光は、何者かが動かした竜を討ったという。そして少し前には、またもネルグから竜が出てきたという。

 後者が人為的なものかはわからない。だが、そうした事件が二度も起きているのだ。

 戦争が起きる。そういう可能性もある。

 そうすれば、コックスもまた登れるかもしれない。この階級社会の頂点へと。


 その野望のために、自らの邪魔となり得る障害は排除しなければならない。

 階段を降りる足音は、コックスにその考えを反芻させた。




 タン、と踊り場にコックスは降り立つ。燕尾服の裾がふわりと浮き上がる。

 家令はその後ろ姿に、自らの栄華を一瞬だけ見た気がした。


 そして、手摺りを伝い身を反転させ、コックスは降りていく。

 自然と出た笑みがチラリと見えた。



 家令が、生きたコックスの姿を見たのは、それが最後だった。



 僅か数歩後ろを歩く家令は、一瞬感じた違和感に眉を顰めた。

 だが、気のせいだろう。そう考えて、自らも次の階段を降りようとする。

 そこで驚愕した。


 主人の姿が見えない。



 まさにたった今、階段を降りた主人は何処だ。

 そういえば、そうだ。家令は自らの感じた違和感の正体に気がついた。

 足音が、消えたのだ。

 リズムよく刻んでいた、革靴の踵が鳴らす、足音が。


 まさか、転がり落ちた。いや、違う。ならばその音が響くはずだ。それに階段下にも姿が見えない。横ではない。下でもない。この階段で、他に行くところがあるとするならば……。


 家令は何かが滴る音を聞いた。

 ピチョン、ピチョンと滴が垂れ、水溜まりに落ちる音が静かに響く。


 赤い絨毯に目立たない血溜まり。足下に続く。

 ならば、()()()()()()()()()()()……!


 上を向いた家令の、その視線の先には、照明に吊り下げられた人体。

 明らかに可動域を超えて曲げられた四肢に縄を巻き付けられ。


 先程まで話していた、主人。

 コックス・ザブロックの、何も映さぬ瞳が、家令を見つめていた。






「ヒィ!?」

 家令は叫び声を上げようとして、上げられなかった。止めるような出来事があったわけではない。ただ、恐怖のためだ。

 尻餅をつき、それから泡を食って駆け出す。

 誰か、誰かにこれを伝えなければ。騎士に伝えて、いや、治療師を呼んで……!


 王城である。駆ける者がいれば必ず目立つ。

 すぐに人の集団は見つかった。


 通りがかりの役人達は、それまで話していた昼ご飯の献立についての話題を取りやめ、家令を取り囲んだ。

 走り込むようにその集団に囲まれた家令は、事の次第を伝えようとする。

「ヒ、今、旦那様が……ハァ、あの、あそこに……!」

 咳き込むように、必死に家令は言葉を紡ぎ出す。指をさし、必死に主人の下に人を集めようと、涙ながらに訴えた。


 言葉の意味は、役人には伝わらなかった。

 だが、その必死さはわかる。この白髪頭の使用人は、何事かが起きた主人の助けを呼ぼうと、必死なのだ。

「大丈夫、任せろ」

 肩を叩き、家令を慰める。そして、仲間達と視線を交わし、頷きあった。


「……案内してくれるか」

「は、はい」

 息が僅かに整えられ、落ち着きをなんとか取り戻した家令に連れられて、役人達は階段へと駆けていく。

 そこにはもう、人集りが出来ていた。



「……なんだよ、これ」

「ひでえな」

 吊り下げられたコックスの死体。手遅れだと、皆は思った。

 それは真実だっただろう。手遅れでないとすれば、その場にいるただ一人だけ。その少年が、姿を現わし治療を施せば、まだ助かる見込みもあったかもしれない。

 だが、無情にも、助けは訪れない。


 頭上遙か上に磔刑にされたコックスの死体をどうやって降ろすか。

 そうした話を皆がし始める。


 次の異変はその時だった。


「ゴボッ!?」

 湿った音がした。輪の中にいた家令が、突然胸の辺りを押さえて苦しみだしたのだ。

 当然、周囲の人間は慌てた。だが、すぐにどうしようもないことを悟る。



 膝をつき、家令は水を吐き出す。それは血などではなく、水。少なくとも周囲の者にはそう見えていた。

「~~~~~~~~!」

 やがて這うように両手もつき、家令は水を噴水のように吐き出し続ける。

 噴出される量は、樽一つではまだ足りない。

 止まらない噴水。それは、家令の四肢から力が抜け、うつ伏せに倒れるまで続いた。




 駆けつけた治療師の診断によると、家令の死因は”溺死”。

 コックス・ザブロックと、その使用人ドリーの死は、誰の目にもわかる、不可解なものだった。





あらすじ。

コックスと使用人が、何らかのトリックを使われた風に死にました

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― 新着の感想 ―
[一言] あらすじが簡潔すぎて笑うw
[一言] これ、金田一さんでも解けないと思います
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