イタズラ心の限界
その日の夜も、オトフシは紙燕を飛ばしていた。
ちょうど良い。報告でもしておこうか。そう思い、僕は昨日と違い丁寧に鳥を引き寄せた。
「ふむ。そんな薬が」
僕の話を聞いて、鳥は瞑目する。目なんて無いのに。
「ええ。誰に使われたのかは正直定かではありませんが」
今回の分はたしかに奥方が飲んでいた。だが、過去の分は一応未確定なのだ。そういう言い方しか出来ないだろう。
しかし、オトフシはそれを否定した。
「……十中八九、飲んだのは奥方だろうな」
「何故です?」
断言したオトフシの言葉に、僕は反駁する。
「お前も、あの薬が貴族の飲むべきものでないことは知っているだろう?」
「ええ、はい」
「縁起担ぎというかな。そもそも、その類いの薬は使用人にすら使わせないのだ。本来は誰が飲むこともない。そして今、同じように飲むべきではない奥方が飲んでいる。自分の意思か他人の意思かは確かにわからないが、同じ人物が飲んでいたと考える方が自然だろう」
「……そうですか」
ならば、なおさら。奥方に子供を作りたくない事情があったのでなければ、これは意図的に子供を作らせなかった策謀だ。
特に何が変わったわけではない。
だが、僕の中でコックスは、殺しても心が痛まない人間に成り下がっていた。
オトフシとはそれで別れる。
そういえば、何故また屋敷を見回っていたのだろうか。そう思い話を聞いてみれば、まだ心配していたらしい。僕がいて、刺客は来ない。なのにまだ心配をしているとは、よく言えば用心深いというべきか……。
寝静まった邸内に、鳥の羽ばたきは聞こえなかった。
数日後。
コックスの行動は、意外に早く行われた。
「やあ、よくやっているね」
「これは、コックス様。どうされましたか?」
家令一人を帯同し厨房に現れたコックスは、厨房を見渡してから作り笑顔を料理長に向けた。
「なに、いつも美味しい料理を作ってくれているからね。激励、というやつだよ。たまには顔を出そうかな、と思ってさ」
「それは勿体のうございます。何と申されましても、私どもは誠心誠意お仕えする次第でございますれば」
手をエプロンの前で折り重ね、何度も料理長は頭を下げる。横を刈り上げたオールバックの黒い頭が何度も上下した。
きっと、主……ではないが、家人への応対中に作業を続けるのは無礼なのだ。食材の下拵えを中断し、他の料理人達も手を止めている。切りかけの芋がまな板の上で転がり、大根の千切りは水に沈んでいた。
コックスが厨房に一歩足を踏み入れる。
手を出されては困るのだろう。料理人達はコックスの一挙手一投足に夢中になる。
その隙を突いた行動だった。
家令が、ルルの飲む茶葉に、一枚の葉をさりげなく差し込む。
今日から、ルルの飲む食後のお茶は奥方と同じハーブティーになっていた。
その機会を見計らったのだろう。見事な手際だった。
そして、その葉も覚えている。
骨蓉ではない。もっと別の、確実に命を蝕む毒草だった。
ただ、遅効性の毒物だ。こんな少量ではすぐに症状は出ないし、特に身体に異常も出ないだろう。だが、二週間も飲み続ければ症状が現れる。
風邪に似た症状が出始め、高熱と咳が繰り返され、そして血を吐き、死ぬ。
今日から、頻繁にこの葉をルルに盛るつもりなのだろう。きっとそれは僅かな期間で構わない。体調を少しでも崩すところまでいけば、薬と称して飲ませることも可能だろう。後は簡単だ。
明確な毒草。骨蓉のような、不明確なものではない。
明らかな毒物。これで決まった。もう、コックスと、この家令は僕の始末対象に入った。
とりあえず、その毒草は没収だ。
そっと抜き去る。これ一枚だけだが、明確な殺意が見てとれる薬品。
ルルに飲ませるわけにはいかない。
それを手の中で乾燥させ、砕き、そしてコックスの分の茶葉に混ぜ入れる。
毒を盛れたと思い込み、満足げにコックスは食堂に歩いてゆく。
その笑みが、堪らなく不愉快だった。
とにかく、これでコックスの死は確定された。
奥方への毒物混入など、どうでもよくなってしまった。
あとは、いつ始末するかだ。
なるべく波風は立てずに、ルルや奥方に影響の少ないように。
その機会を待つか、それとも作り出すか。
また僕の知恵が試されるときだ。
ひとつこれは朗報でもある。
毒殺という、ルルへの攻撃手段が知れたのだ。
緩慢だが、確実に迫る死。それ以外に手を取る必要が無いほど、確実な方法だ。
並行して他の手を使い、不自然な行動を増やすことも無いだろう。ルルの護衛は、必要性が薄くなった。警戒は必要だろうが、口に入る物以外への警戒は少し薄くしても大丈夫だ。
今まで以上に周囲を見ることが出来るようになった。
屋敷の構造や、調度品。その他、利用出来るものを見つける。僕の徘徊の目的が、そちらにシフト出来るようになったのだ。
飾られた甲冑の持つ槍がいいだろうか。それとも、壺が頭に落ちてきた方がいいだろうか。
まるでイタズラを考えるように、邸内のものの使用方法を考えていく。
考えているのは殺人の方法で、けして良いことではない。
少しばかり楽しかったが、それで人を殺す、ということを考えた途端少し気分が悪くなった。
きっとそれが、僕の悪意の限界なのだろう。
また数日が経ち、やがて探し出された家庭教師に、ルルは学ぶようになる。
その頃になっても、微塵も体調を崩さずに元気でいるルルを、実行犯の二人が訝しがり始めた頃。
僕の殺人は決行された。