悪意の痕跡
「二番の鶏の炒め仕上がりましたぁ!」
「待って、飾り切りがまだ……!」
食事前の厨房は、いつも通り戦場だった。
大人気の食堂などならいざ知らず、三人分の昼食を作るだけの厨房ですらこの有様とは、貴族の料理人は大変だ。
料理長が一人、それを補佐しているのだろう料理人が二人。計三人が、厨房を所狭しと駆け回っていた。
前からチラリと見てはいたが、今日の朝から僕も厨房で調理を監視することにしている。怪しい小瓶や粉など、いくらなんでも見ていてわかるようなものは無いだろうが、それでも念のためだ。スープを探査して毒物を取り除くよりは、ここで混入を防いだほうが良いだろう。
一応、怪しい動きは無かった。
料理人の作る鶏肉は香ばしい匂いを放ち、濃厚な甘辛いソースが絡んでいる。脂はとろけるように焼かれ、そして肉の部分には火が通りすぎないように火加減が調整されている。
とても美味しそうで、その上に乗った葱の飾り切りも良い付け合わせになっていた。
驚くべきかどうかはわからないが、メニューの豊富さも素晴らしい。ここ何日か見ていたが、一つとして同じメニューがないのだ。
レシピについての会議風景も目撃したことがあった。きっと誰かが好みでリクエストすればその限りではないのだろうが、飽きさせないように季節のものを使いなおかつ被らせないように美味しいものを作り続ける。その努力には頭が下がる思いである。
料理長が、茶葉を選定していく。それを助手が、ゴミなどをもう一度確認しながらポットに入れていった。
「ええと、こちら、奥様の食後のお茶ですね」
「ああ。奥様の香茶はこっちだ。コックス様のものも、もう調合してある」
「ルル様のは……」
「昨日のよりも少し水色の薄い原茶だ。……早いところ、好みがわかればいいんだが……」
全員、違うお茶を飲ませているらしい。細かい配慮だ。多めに砂糖を入れて、冷ましてから飲むコックスには濃いめの紅茶。奥様にはハーブティー、それもフレッシュで淹れているのはこだわりだろうか。ルルにはおそらく、標準的で単純な紅茶を淹れていた。
料理が続々仕上がっていく。
今日からは、ルルは奥方とコックスの二人とは同じ部屋で食べないようだ。
朝からストナと一緒に食べていたのが意外だった。
運ばれていった先では、またストナによるマナー教室が行われていた。
「そうではなく! 使い易かろうが、食器は外側からお使いなさい。違います、それは三叉で切れますから……」
「は、はい」
ストナの言葉遣いは大分大人しい。というよりも、丁寧な言葉遣いになっていた。
僕からしたら少し違和感を覚えるが、きっとこれが貴族社会では当然なのだろう。ルルは今や伯爵家令嬢、一方のストナは故ベンジャミン伯爵の側室ではあるが、貴族とは見なされていない。
親子関係は残っているので、少々の無礼は咎められないのだろうが、それでも野放図には振る舞えない。
ストナは今朝まで、邸内の離れを与えられてそこで生活をしていた。
出歩くことを控えさせられ、街はおろか邸内すら歩き回ることの出来ない半分軟禁のような生活だったようだが、家庭教師を付けるまでの臨時講師としてルルと再会出来たのだ。
使用人達の噂話を総合するに、昔はこの家で働く女中だったらしい。だが、ルルを身籠もった十年ほど前に、僅かなお金を与えられ解雇された、という話だ。
そのため一応マナーは覚えているらしく、今朝の朝食でもテーブルマナーを、それから昼食まで、相手の身分とその時の場所によって変わる挨拶を、止まらずルルに教え込んでいた。
午前の講義は、正直、聞いていて退屈だった。
前に僕がオルガさんに聞いた挨拶とほぼ変わらないマナー。教えられる順番は違うし、男女の違いはあるだろうが、ほぼ変わらない。
だが、ストナの場合はその講義が長いのだ。
僕が一時間ちょっとで終わった話が、まだおそらく午前一杯で半分も終わっていない。
……きっと、オルガさんの講義が優秀だったのだろう。そう思うことにして、僕は午前の半分以上、庭の見回りをして時間を潰していた。
「お茶は私が注ぎます! 貴方はその間、そちらの布で今洗った手を拭いて!」
ストナは、ルルの横に控えたもう一人の使用人が持っているタオルを指して、そう叫ぶ。
ルルの手は今、水差しの水でびしょ濡れだ。さっきは、その手を服で拭こうとして止められていた。きっとエプロン感覚だったのだろう。
ルルの濡れた手が、ティーポットを探して空中を泳ぐ。
「……ぁぅ……、でも、それくらい自分で……」
「それは使用人の仕事です。貴方は使う側! それを早く覚えなさい」
叱られ、すごすごと手を拭うルル。そして、ストナは慣れた手つきでポットウォーマーを外してカップに紅茶を注いでいった。
ルルの前に、音も無く置かれるカップ。熱いその紅茶を啜ろうとして、睨まれそれを止める。
静かにそれを飲み始めたルルと、その横でピシッと姿勢を正し佇むストナ。
日当たりの良い部屋に、木々を透けてくる陽光が二人を照らす。
何故だろうか。僕はその姿を見て、道中でのストナの態度の意味がわかった気がした。
片付けでも、また一悶着あったが。
「貴方は立たない! 皿を持ち上げるのではなく、終わったのなら使用人を見なさい。それで皆察します!」
「片付けしないと……」
「いいから!」
庶民の家庭であれば逆だろう。食べ終わった皿を片付けろと、子供は親に怒られる。むしろ、水を溜めた桶に食器を運ぶのは子供の仕事になることが多い。
だが、ここでは逆だ。親が子供に、手を出すなと叱りつけている。そのギャップが、何だか可笑しかった。
食器が片付けられ、運ばれていく。
しばらくルルは大丈夫だろう。だが一応、ルルに監視の手を伸ばしながら、僕は何の気なしにその食器を追った。
銀食器の返却は厨房にされ、洗った後にそれを家令が数えていた。こんな大きな家だが、そんなことが必要なのだろうか。くすねる者がいるとは考えづらいし、それともやはり慣例のようなものなのだろうか。
食材の使い残しが無いかと、厨房の周囲を見回るが、やはり作っているときに出ていた端材は使用人達の賄いに使われてしまったらしい。
もう残っていないのが残念ではある。
そこから拾って食べる気は流石に起きないが、廃棄所のような場所では、明らかに食べられない茎や葉っぱが積み重なっていた。
「……あれ?」
僕はそこに落ちている葉っぱの一枚を拾い上げる。
別に食べようという気は無い。恐らく何ヶ月か前に使われた葉っぱだろう。枯れて乾き、形も崩れてきている。流石にここまで来れば、あまり食べたくはない。
それにこれは薬草だ。それも、僕が使う類いのものではない。
骨蓉という日当たりの良い場所に咲く花の葉で、蘭に似た葉っぱだ。煎じて飲めば、生理痛を抑えることが出来る。
指名依頼で一度採取したことがあった。あのときは繁茂期の商家からの依頼だったか。
拾い上げた原因は、違和感だ。
一つ、おかしな事に気がついたのだ。
……確認が必要だ。先程、生ゴミが捨てられたのは何処だったろうか。
奥方のハーブティーに使われていたポット。そこから捨てられた茶殻はどこに行っただろうか。
他の生ゴミと混ざってはいたが、それはすぐに見つかった。
まだ濡れている茶葉の山。その中に、濡れた骨蓉の葉は……あった。
やはり、使われていた。新鮮な骨蓉が、奥方のハーブティーに。
生理痛の薬。女性であれば、使っていてもおかしくはないだろう。
だが違う。この薬草は、たしかに生理痛に効くが、副作用として違う効能もあるのだ
それは、今使うのであれば特に問題は無い。
それが何ヶ月も前に使われていた。それが問題だ。
恐らく、まだベンジャミン伯爵の生きているときに使われていた。それが違和感の元なのだ。
今、奥方に子供はいない。もしも奥方に男子がいれば、その子供が跡継ぎになっただろう。
嫌な想像が頭をよぎる。
貴族の青い血は、家を守るために流れている。そうオトフシは言った。
ならば、変なのだ。であるならば、どんなに痛もうがこの薬を使うはずがない。
この薬草の副作用は、不妊。
副作用が続くのは一月ほどだ。だが、稀に永久に解消されないこともある。
子供が必要な貴族ならば、飲むはずがない薬なのだ。
もちろん、先程の枯れた葉は女中が飲んでいた可能性もある。
しかし、高価な薬草だ。
今使うのであれば、奥方が飲んでも問題は無い。だが、奥方に子供が出来ない場合、得する者がいる。自分から飲んでいるという確証がなければ、疑いは残る。
そして、そう考えれば、ベンジャミン卿の死因も怪しくなってくる。
詳しく聞いてはいない。だが、病死だろうか。事故死だろうか。
その死因に、人為的なものは無かったのだろうか?
……なるほど。お家騒動とはこういうことだと再確認する。
勘違いかもしれない。だが、既に二人以上毒殺されているかもしれないのだ。腹は決まった。
奥方の真意を確認する。
そして、その結果の如何を問わず、コックスは不慮の事故に遭ってもらおう。
次に悪意を見せたときが、コックスの最期だ。