月夜の密談
時刻はもう真夜中だ。
もう家人は寝静まったザブロック邸内。使用人が何人か起きてはいるが、動く人がいれば必ずわかる。刺客も同様だ。今現在、入り込んでいる賊はいない。それはハッキリと確認している。
そう、入りこんでいる賊はいない。
先程夜空を横切った、紙燕を除いては。
撃ち落とすように、紙燕を引き寄せる。
まるで本物の鳥のように、ジタバタともがくその姿は演技とも思えないほどリアルで……。
「……なんか、すいません……」
「まったくだ!! まったく、驚かすなこの狼藉者が!!」
今日は唇に変化することもなく、折り紙で作られた燕の口が器用に動いている。ピーチクパーチクと囀るようなその仕草に、その声。その迫力に、無いはずの目が吊り上がっている気さえした。
「……まあ、よい。それにしても、何だこの魔法は? 攻撃されるまで妾が見つけられないとは、相当なものだが」
「隠れるのにはちょうどいいでしょう?」
自慢の透明化魔法だ。むしろ見つかったら落ち込む程には自信がある。
「フン。多芸なものだ。やはり魔法使いは卑怯なほどだな」
「オトフシさんは、何か身を隠す魔術は使えないんですか? 隠密に便利なやつ」
英雄譚には、煙幕や擬態の魔法を使う者も出てきたはずだが。そういえば、英雄譚に出てくる魔法のリストアップや検証も、しようしようと思いつつ後回しにしてきた。もうちょっと暇になったらやってみようかな。
「妾は使えんな。そもそも、こうやって遠隔で行う仕事が多いのだ。不必要、ともいえる」
「まあその魔術便利そうですもんね」
そうは言うが、僕への暗殺未遂やレイトンの襲撃は直接手を下していた。それを考えると、白兵戦も行えるはずだ。対象に近付かなくてはいけない以上、目眩まし程度は覚えていると考える方が自然だ。
きっと、隠しているか、使えるが得意ではない程度。そんなところだろう。
レイトンと僕への攪乱に紙燕を使っていたことからして、本当に必要が無いのかもしれないが。
「で? 妾を捕まえたのは、こんな意味の無い話をするためではあるまい。何の用だ?」
「あれ? ギルドの方から何もありませんでしたか?」
そう聞き返すと、燕は首を捻った。本当に、器用なものだ。
「ほう、妾を呼び出しでもしていたか? ならば、何もなかったな。明日辺り来ると思うぞ。……依頼か?」
「いえ。相談したいことがあったので、王都の近くにいたら居場所を教えてくれ、と連絡を頼んでいました」
色付きのためなら、道理を曲げてもギルドは動く。そうサーフィスが言っていたので、夕方ちょっと行ってみたが、普通にやってくれるそうなので頼んでおいた。
道理を曲げて……というのとはちょっと違った気もするが。
「それよりも、僕の連絡を見ていないのであれば、どうしてここに? 紙燕を飛ばしていたということは、何かやることがあったんでしょう?」
僕の言葉に、オトフシは一瞬黙る。そして、答えではなく提案がその鳥の口から紡がれた。
「……ちょうどいい。妾もお前に聞きたいことがあるが……とりあえず、一つずつ片付けようか」
「そうですね。とりあえず、どちらから?」
「ならば、お前の相談事から聞こう。一番面倒そうだしな」
パタパタと、鳥……オトフシは一度飛び上がり、そして僕の前に改めて降り立つ。
そして静止し、僕の言葉を待っているように見えた。
僕は、言葉を選びながら現状を話していった。
「なるほど。今は政治上ルル嬢を狙う意味が無くなっており、コックス・ザブロックをどうにかすれば事態は収束するが、その場合の周囲の変化が予想出来なくて困っている、と」
「概ねその通りです」
僕の説明を聞いて、オトフシは簡単に現状をまとめる。そして、何を馬鹿なことを、というように笑い飛ばした。
「簡単じゃないか。現状、跡継ぎはそのコックスが有力なのだろう。それならば、コックスが死ねば次の跡継ぎが決まるだけだ」
一応、この国では男子が家を継いでいる、らしい。ならば、次は……と言っても。
「現在、コックスに息子などいませんが」
「そうか。であるならば、レグリス様が再婚するか、それともルル嬢の婚約者か。どちらかの配偶者がザブロック家を継ぐことになるのだろうな。その配偶者は、ベンジャミン・ザブロックのいた太師派の誰かになるだろう」
「大問題じゃないですか」
配偶者が継ぐことになる。それはいい。いや、よくない。
今ルルが結婚するとなれば、そんな貴族教育などとは言っていられなくなるだろう。せっかく本人がやる気になったのに、そんなことで潰されるのは見たくない。
「何がだ? 何も問題はあるまい。少々の混乱はあろうが、家は続くのだ」
「い、いえ。コックスを殺せば、どちらかが結婚するんですよね? 人生の一大事じゃないですか。問題大ありですよ」
「……ああ、そういえばお前は孤児出身だったな。それならば、わからずとも無理はないか」
……なんか最近、そういう話をよく聞く気がする。『僕だから』わからない。何となく悔しい話だ。
オトフシは、呆れて溜め息を吐いたような雰囲気で続けた。
「仕方あるまい。貴族に流れる青い血は、家を守るために流れているのだ。婚姻は政治上大きな役割を持つ。相手の顔すら知らずに結婚するなど、日常茶飯事だ」
「でも」
「まあ、似顔絵程度は渡されるかもしれんがな。個人の自由な結婚が許されているのは、市街に住む庶民くらいだ」
貴族としてこれから生活する以上、それは仕方のないことなのかもしれない。ルルも、きっとこれから避けては通れないのだ。早い内に経験するのも良いのだろう。
だが、その人生の一大事が、僕の行動が引き金になって起こるのは少し責任が重く感じられる。
「……ほほう。お前は彼女らの結婚に抵抗があるようだな。どちらだ? レグリス様とルル嬢、どちらの結婚が嫌なのだ? どちらが好みなのだ? ん?」
鳥が肩をいからせ、絡むように尋ねてくる。これはあれだ、近所のおばさんの『最近好きな子出来たの? おばちゃんに話してごらん?』の絡み方だ。
「今真面目な話してますんで、ちょっと遠慮してもらっていいですか?」
「なんだ、つまらん」
鳥はそう呟いて、足下にある見えない石を蹴った。
「まあ、嫌がろうと選択肢はあるまい。コックスを何とかしなければ、ルル嬢はいつまで経っても命を狙われ続けるのだ。今日の夕食での発言からしても、近いうちに行動を起こすだろう。命か、それとも他の何かか。選ぶものは決まっているだろう?」
「……そうですね」
その通りだ。コックスの排除はもう決定している。
その後、ルルがこれから日々安らかに暮らすには、まず必要な絶対条件だ。
「そんなに気に病むことはあるまい。要は、跡取りがいればいいのだ。案外、結婚も何もしないかもしれないぞ?」
「別にそれも構わないと思うんですが……なんか、嫌なんですよねぇ……」
主に、人の人生を変える責任だろうが。
「嫌なら嫌で構わん。お前はお前のしたいことをすれば良い。それで? 相談とは以上か?」
「……そうですね。あとは自分で頑張ります……」
「フフン、若い内は悩むがいい。悩めるのは、生きている人間の特権なのだからな」
「……それで、オトフシさんも何か聞きたいことがあったんですか?」
「いや、今の話でほぼ無くなったよ。ルル嬢への刺客は、もう来ないのだな」
……ああ、だから、オトフシは一人でこの周囲を索敵していたのか。ギルドの伝言を見ずにここに現れた理由が僕もわかった。
「あれ、オトフシさんも一応気にされていたんですね」
「妾も、最悪の事態を望んでいるわけではないのだ」
鳥はそう言って、恥ずかしそうに顔を背けた。本人がこういう風に操作しているのだろうか? だとすると、なんだかあざとい。もしかして、無意識にやっているのだろうか。
鳥は咳払いをするように、一度跳ねた。
「お前の次の質問は?」
「いえ、もう大丈夫です。僕の質問もなくなりました」
お互い、同じ目的に向けて動いていたのだ。質問など、無くなって当然だろう。
オトフシもそれを理解したらしい。ピョンピョンと、小さく跳ねて屋根の端まで鳥が移動していった。
振り返り、鳥は僕をジッと見た、気がした。
「では、妾はもう行くぞ。ギルドの伝言は、無視して構わんな?」
「ええ。大丈夫です」
聞きたいことは聞いたのだ。これ以上、話すことはない。
「……妾はもう二,三日王都に滞在する。何かあれば、また連絡してこい」
今度は屋根の下を見て、鳥はそう言った。折り紙で作られた鳥なのに、後ろ姿がどこかどっしりとして頼れる感じがする。
「はい。その時はお願いします」
僕の言葉に返事はせずに、オトフシの紙燕は飛び立っていった。
羽音もせずに、話し声が消えまた静寂に戻る。
雲間に月が覗いていた。
僕が自分の行動を考えている間も、僕以外は変わり続けている。
次の日の昼食。事態が動いた。
僕の考えがまとまることを、事件は待ってくれなかったらしい。