煌びやかな生活
「……行くのか」
「お答え出来かねます」
後ろから掛けられた問いに、僕は振り返らずに答えた。
今から次期当主を殺しにいきます、などと口には出せない。これでもサーフィスは治安維持組織の一員なのだ。
ああ、そうすると、今の答え方は不味かったか。
僕は振り返り、サーフィスに向かい笑顔を作った。
「いえ。何のことでしょうか。僕は今から帰るんですが」
「白々しい言葉はいらん。どのみちお前を止めることは出来ないのだ」
そう、頭を掻きながら、サーフィスはぼやくように言った。
そうして今度は、手を払うように振りながら言った。
「だから、早くいけ。お前と接触していたことを理由に、どんな言いがかりを付けられるかわかったもんじゃない。私とキーチの立場を考えてくれるのであれば、早くここから立ち去ってくれ」
追い払うようなその仕草。そしてそこに至っても自分の他にキーチの立場を入れたその言葉に、少し興味が湧いた。
「そういえば」
「何だ」
「キーチさんに話すなと言われましたが、キーチさんは事情を何処まで把握しているのでしょう?」
僕が尋ねると、サーフィスはまた唇を噛み締めて言った。
「お嬢様達の護衛の目的、その、送り届けるまでのことだ。私達の反撃については……」
「自分たちが手を汚すところは、話さなかったと」
なるほど、だから先程の驚きようか。
「キーチは所属としては確かに太師派だ。だが、そこに関わる謀略や思惑に絡んではいない。いや、そういうところに関わってはいけないのだ。ああいう奴は」
それはどういう意味でだろうか。
僕が黙って聞いていると、サーフィスは続けた。
「あんな不器用な奴が、こんな、意味の無い政争に関わってはいけない。キーチのような者は、昇っていくべきなのだ」
不器用な奴、とは言うが、サーフィスの声音にも表情にもキーチへの侮蔑や嘲りは見えなかった。
そうか。大体わかった。
「そんなに大事ならば、この任務に使わなければよかったのに」
サーフィスは、キーチのことを評価していたのだ。だからこんな政争などに関わらせたくなかった。それだけだったのだ。
「ク、クク、そうだろう。お前は、そう思うだろう」
僕の言葉に、サーフィスは諦めたような表情で笑った。
「言っただろう。お前にはわからない、と。探索者のお前には……」
声が小さく消えていく。サーフィスはそれきり俯いて黙ってしまった。
「そうですか。まあ、本当に僕には関わりの無い話です。それでは」
まあ、たしかに僕にはわからない話だ。しがらみや立場など、僕には関わりが無い世界の話なのだから。話が終わりならば、それはそれでいいだろう。僕は踵を返して、ザブロック邸に向かって歩き始めた。
ザブロック邸の目の前。高い塀の隙間にある門の前まで辿り着く。
そして、透明化。
ここまで来れば、することは決まっている。
ルル達への刺客はあと二日間を凌げば収まる。だがその先は、コックス・ザブロックという者によって、命に危険があるという。
ならば、その二つへの対処だ。
だが、僕はコックスという男を知らず、そして討ち取った後の予測まで出来てはいない。
さしあたって、必要なのは情報収集だろう。
塀を乗り越える。
そうして、僕の貴族の邸宅内での生活が始まった。
他人の家で見つからずに暮らすのは久しぶりだが、僕にとっては造作も無いことだ。
だがやはり、貴族の邸内では初めてである。見るもの聞くもので心が躍るのは仕方の無いことだろう。
「はぁ……」
何度目かもわからない溜め息が漏れる。
ルルの宛がわれた部屋を見つけて、その部屋の周囲を見て回っていたところ、発見した風景に関してのことである。
庭に、噴水があった。
一抱え以上もある大きなお皿を何段も重ねたようなオブジェがあって、その一番上から噴き出す水柱は、雨もないのに虹を作り出している。
上の皿から溢れた水はその下の皿に滴り落ち、また更にその下に……と続いている。
この世界で、こんなものを見たのは初めてかもしれない。最近仕事で貴族の屋敷に出入りすることはたまにあったが、イラインでもこんなものを見た記憶が無い。
動力は何だろうか。
そう思い、地中を調べてみればそこにはパイプが繋がっており、それは邸内の使用人の館、その上の階へと繋がっていた。
きっと、そこに水を溜めるのが仕事の一つなのだろう。その先を見てみれば、大きな水槽のようなものに水が溜められており、そこからいくつかの水車のようなものを通して水がこの噴水まで流れてきていた。
なるほど。これは、サイフォンの原理、と言っただろうか。その原理を利用した噴水か。そう思った僕の頭の中に、疑問が湧いた。
……あれは、上向きに噴き出すことが可能だっただろうか……?
もう、物理の勉強をしたのは間違いなく十年以上前のことである。前世での勉強した経験は元より覚えていないし、その知識を確かめる術はない。
その事実に一抹の寂しさを覚えたが、まあ、前世の知識など覚えていないのが普通なのだ。僕はその寂しさを飲み込んで、ただただ噴水を見つめていた。
夕食も違う。奥方達と一緒にとるルルの食事は、道中と打って変わって豪華なものになっていた。
料理の運ばれてくるカートは銀色に光り、成人前のルルには食前酒は無いようで、まずは前菜から。
毒殺の危険もあるだろう。僕はバレないように、その料理を魔法で探査していく。
美味しそうな匂い。毒味が出来ないのが残念でならない。
コトリとルルの前に、皿が置かれる。食卓に置かれると、そのテーブルクロスや食器との関係だろう。より一層美味しそうな見た目になり、僕の口内に唾が湧く。
「蝸牛の塩蒸し……」
その皿には、蝸牛の殻が五個ほど重ねて盛られ、色の薄いスープに浸かっていた。
「おや、どうした?」
「い、いえ、その、豪華であ、圧倒されて」
中々手を付けないルルに、奥方が尋ねる。しどろもどろになって答えるルルの服装は、艶のある滑らかな生地のものになっていた。
「フハ、庶民は食ったことないのか」
それを嘲るように笑い、殻から出した身を頬張る男。こいつが、コックス様とやらのようだ。先程自分で名乗っていた。
「……なるほど、すまなかった」
奥方は目を伏せて一言謝罪すると、壁際に控えた使用人に目を向ける。
「これ、不慣れなルルには難しかろう。殻から外してやれ」
「かしこまりました」
使用人はルルに歩み寄り、一声掛けると自分の前に皿を引き寄せる。そして尖った銀色の棒を使い、慣れた手つきで瞬く間に殻から外してしまった。
それも、料理にはほぼ手を触れずに、器具だけで。器用なものだ。
「ぁ……ありがとうございます」
その言葉には応えず、使用人の女性はただ会釈をしてまた壁まで下がった。
出された身を、フォークで刺して、口に運ぶ。
もそもそと噛み砕くルルの表情からは、美味しさは感じられなかった。
その後も魚料理、肉料理ときてデザートにケーキ。そして、最後には甘みを入れたお茶と、まさしくフルコースだ。
そしてお茶を除いては、そのどれもルルは器用に食べることが出来ずに、使用人の手を借りていた。
最後の方では、取り繕うことも出来なくなっていたルルの作り笑顔。その笑顔に、貴族の食卓と庶民の食卓、その差が色濃く見えた気がした。
食器が片付けられ、テーブルの上が綺麗になる。食卓の上に置かれた水の鉢で指を洗いながら、コックスは笑顔で言葉を吐く。
「ハン、やはり庶民の行儀の悪さは見るに堪えないな。我が一族の名簿の末端にでも入るのであれば、この程度完璧にこなしてもらいたいものだがね」
「コックス」
奥方が窘めるが、そんなものは意に介さぬ様子で、コックスは立ち上がる。
「では、ルル。当家の恥とならぬように、努めてくれたまえよ。レグリス様、私はこれで失礼します」
奥方に挨拶をして、コックスは出ていった。
奥方が二三、慰める。
だがルルは返事も出来ずに、膝の上の拳を握り締めていた。