絹を裂く
「ご苦労であった。何事もないようで、何より」
責任者であろう甲冑の騎士の第一声はそれだった。
馬車と僕らを取り囲むようにして、五人の騎士が並び立つ。ぎらぎらとした甲冑に身を包み、威圧感のあるその姿はまさしく『護衛』という感じだった。
剣を杖のように地面に突き立て、それを両手で包むように支える。威厳のある髭は、ゆっくりと口を開く。
「ではこれより、この屋敷では我らが守護に当たる。お嬢様と一名を、こちらへ」
「了解した」
サーフィスは頷くと、キーチの方を見る。
キーチはゆっくりと歩み寄ると、馬車の扉に手を掛けた。
何処か恭しく上品なその仕草は村にいた頃のキーチとは違い、泥臭さなど微塵も無くなっていた。職業が人を作る、立場が人を作るのだ。そう思った。
それを後ろの方からボウッと見ていると、肩を小突かれる。
見てみれば、オトフシは面白そうに微笑んでいた。
声を僅かに発し、周囲に聞こえないようにオトフシは僕に語りかける。
「貴人の馬車の乗降には、付き添いが必須だろう。お前も進み出ればいいじゃないか」
「……それこそ、キーチ達騎士の仕事でしょう。僕のような者は、ここから踏み出すべきではありません」
その唇を読んで応えた僕は、更に半歩下がる。
騎士達と、お嬢様たち。そして僕ら探索者の間に、見えない境界がある気がした。
キーチの手により降ろされたストナはこちらを一瞥すると、騎士達の前に出る。
ルルがその陰に隠れるように付いていく。ちょこちょことした歩き方で、とてもお嬢様には見えずに僕の口から忍び笑いが漏れる。
失礼に当たるだろう。それを口の中で噛み殺すと、受け渡しの儀礼の続きを見つめた。
「久しぶりね、この邸内も。何か変わったことはあるのかしら?」
「貴方がいた頃よりも人は減りましたが、そう変わってはいませんよ」
庭を見回し呟いたストナに答えながら、奥から女性が一人歩み寄ってくる。付き従う侍従は一人、白い手袋に地味なドレス。紹介されずとも予想は出来る。
「奥方様」
窘めるように、髭が言ったその言葉も、予想は出来ている。
「ようこそ、ルル・ザブロック。それにストナ、お久しゅう」
白く塗られた口元に罅を入れながら、ザブロック伯爵夫人は笑っていた。
「後ろの方々は、護衛の探索者たちですか? 楽になさいませ、お役目を果たされてお疲れでしょう」
夫人は僕とオトフシを見ると、頬に肉を寄せてニッと笑う。斜め後ろから、女中が日傘を差している。
僕らと騎士達を見回した夫人は満足したのかもう一度笑うと、「では、よしなに」と髭に告げて立ち去っていく。僕は挨拶をする間もなく、それを見送った。
夫人が去り、空気が止まる。それを破るように髭が咳払いをする。
「さて、ではお二方にはこちらに来て頂く。ここまでの護衛ご苦労だった。あとは申し訳ないが、引き継ぎの書類に関してはそちらの詰め所で調印するので、ご足労願いたい」
「承知した。その前に、探索者の方へ署名をしたいので少し待って貰えるか」
「心得た」
頷き、髭は僕とオトフシを見る。
これで終わりなのだろう。歩み寄るサーフィスに向かい、僕は懐から取り出した依頼箋を差し出す。それを受け取ったサーフィスは、手荷物から墨壺と羽ペンを取り出し、名前を書き込んでいく。
何故だろう。もう依頼は終わりだ。なのに。
その姿を見ていても、微塵の達成感も感じられなかった。
ピラリと差し出された依頼箋、それを丁寧に畳んで懐に戻す。
「以上、貴殿の護衛依頼は終了だ。ありがとう。〈大物潰し〉に〈鉄食み〉の襲撃を受け、無事にここまで辿り着けたのは、間違いなくカラス殿の功績だろう」
目元に皺を作り、サーフィスが笑顔を見せる。握手を求めて手を差し出して来たので、僕もそれに応えた。
「いえ。僕がいなくとも、お二人だけで充分だったでしょう」
「謙遜を」
快活に言葉を続けたサーフィスの様子には、初対面の時の態度は無くなっていた。あの無愛想さは何だったんだろうか。
「あの……」
場の雰囲気に置き去りにされていたルルが、いつの間にか僕の後ろまで来ていた。
護衛の騎士達はというと、苦笑しながらこちらを眺めている。苦々しく、ストナはこちらを睨むように見ていた。
そういえば、ここに来てストナが大分静かになっている。いつもなら、『無視するな』や『さっさと案内しなさい』とでも言いそうな雰囲気なのに。まだ黙って、こちらを見ている。
変だな。と、そんなことを考えながらルルの言葉の続きを待っていたが、ルルから次の言葉がなかなか出てこない。
正直、こういう空気は苦手なのでさっさと何か喋って欲しいのだが、ルルは良い生地の服の裾を丸めながら俯いてしまった。
「……いえ。あの、ここまでありがとうございました」
何かを言いかけ、それをやめた。そんな雰囲気で、ルルは頭を下げる。
お礼を言われてばかりだ。そんな気がする。
僕は内心苦笑し、ルルが頭を上げるのを待った。今度は、ちゃんと手を振り返すのだ。
顔を上げたルルは、僕と目が合って一瞬固まった。
その顔が面白くて笑いそうになったが、何とか堪える。
「これから何をしなければいけないのか、何をしてはいけないのか。庶民の僕にはわかりませんが、きっと大変でしょう。頑張ってくださいね、ザブロック様」
握手を求めるのは不敬だろう。左足を半歩下げ、右手を胸に当てて軽く頭を下げる。軽い挨拶であればこれで間違いでは無いだろう。今まで僕が出会った貴族にしていた作法が間違いで無ければ。
ルルは一瞬目を細めた後、何も言わずに騎士達の方へ歩いて行った。
その表情がどういう意味なのかは、まだ僕にはわからない。
溜め息を吐くように、サーフィスは呟く。
「……これから、大変だろう。きっと今までの旅路よりも」
「そういうものなんですかね」
やはり僕には、想像も付かなかった。
そうして、護衛終了の挨拶もさっさと終わった。
サーフィスとキーチは詰め所まで行き、僕とオトフシは屋敷を出て行く。
任務は完了だ。あとはこの依頼箋を近くの探索ギルドに持って行けば、報酬が支払われる。五日間の旅路で金貨一枚にも足りない仕事だった。拘束時間や命の危険を考えれば割に合わない。
それに、まだ心配事は続いていた。
受け渡し後の襲撃、その予言はいつ実行されるのだろうか。もはや門の外に出てしまった以上、ここから知る術は無い。騒ぎなど起きていない以上、まだ襲撃されてはいないのだろうが、あの騎士達だけで足りるのだろうか。
キーチやオトフシで歯が立たなかった〈鉄食み〉。あれと同程度の敵が来るとすれば、ルル達の命は危なく険しい。
そんな危惧が行動に表れていたのだろう。
適当なところまで連れ立っていくと申し出たオトフシが、僕の表情を見てクスリとわらった。
「フフン、あの娘たちが心配か?」
「そりゃあ、そうですよ。これから襲撃されるとわかっているのに、引き継ぎだからともう手を出せないんですから」
僕の契約終了後を狙って襲撃してくるのだから、僕は手が出せない。あとはこれからの護衛に任せるしか無いのだ。
歯がゆい。無意識に唇を噛んでいたようで、口内に血の味がした。
「フン。気にしないことだ。探索者であれば、事情には踏み込むな。そういう仕事ばかりだからな」
「オトフシさんは気になりませんか」
「ならないと言ったら嘘になる。だが、妾からの忠告だ」
オトフシは長い髪の毛を一度背中でまとめ、そしてはらりとばらけさせた。
「もしもこれからお前が手を出そうというのであれば、それは他の探索者へ迷惑を掛けることだと知れ。仕事で無く、無料で手を出すのであれば、皆それに飛びついてしまう」
「僕が仕事の価値を不当に下げることになる。はい、わかってます」
僕が無料で請け負えば、次は何故無料で無いのかと詰られるかもしれない。
他の探索者が、『あのカラスは無料で依頼を受けたのに』と不当に値切られるかもしれない。
わかっている。
だが、それでも、気になるものは気になるのだ。
「まあ、それについては自由なのだから、妾はとやかく言わん。実はどうでもいい」
オトフシは、腕を組みキッパリと言い切る。だから、オルガさんといいオトフシといい、何故皆重要で無いことを重要そうに語るのだろうか。
僕の顔が引きつったのだろう。オトフシは、苦笑しながら続けた。
「今回お前に手を出すことを勧められないのは、ひとえに厄介だからだ」
「厄介、というのは……?」
危険、ではなく?
「今回の騒動、これでは終わらん。この襲撃が落ち着こうとも続くだろう。首謀者が死ぬまで、ルル嬢はいつまでも命の危険に晒され続ける。それにつきあえば、自らの立場まで危うくなっていくだろうな」
「事情、知っていそうですね」
オトフシは、意味ありげな目つきで髪を掻き上げた。
「年の功か、それとも生まれから、な。そういうことには聡いのだ」
一瞬、寂しげな顔が見えた。
「さて、そろそろだが」
「何がでしょう?」
オトフシが、壁を透かしてザブロック邸を見る。
青い空に、絹を裂くような悲鳴が上がった。
「!?」
「今の話を聞いて、行くというのなら止めはせん。だが、妾は行くのは勧められん。以上だ。あとは、お前が決めろ」
もう任務は終わり、自由の身なのだから、とオトフシは続けた。
その後ろ姿は動かない。
悲鳴はそれきり、聞こえなくなった。