きっかけは何でも
日が昇りきってから目が覚めた。
二日続けての冒険は、今日はお休みだ。
行ってもいいのだが、昼には石ころ屋で約束がある。
それまで何をしていよう。何もしない日は、いつも何をしていたっけ?
適当に狩りに出て、日課のトレーニングをして、それであとは寝ていたような気がする。
思えば、それしかしていない。
朝ご飯を狩りに行って、それから適当に散歩でもしよう。
そう思い立ったら。すぐに森に向かう。
「よっ……と」
掛け声をかけながら跳ね起きる。軽く服を払うと、埃が少し煙のように舞った。ついでに、前の服に着替えてこの服を洗ってこようかな。
ギイと音を立てて、住処から出る。振り返れば、いつも見ているあばらやが建っている。
適当に住み着いた空き屋だったが、意外と居心地が良い物件だ。
前の住人がどう使っていたのかわからないが、中は埃が積もってるくらいで荷物などはほぼ無かった。
勝手に住み着いて良いのかとも思うが、ここ貧民街では皆そんなようなものらしい。
いつの間にか誰かが住み着いて、いつの間にか出ていく。住んでいる誰かが、必要になれば家を修復し、増築する。
そうやって皆生活しているのだ。誰も、咎める者などいなかった。
少し歩いていると、意外な人物と行き会った。
「よ、今日も元気そうだな」
リコは、その擦り切れた袖を振り上げてこちらに姿を示した。
「おはようございます。一人なんて珍しいですね」
「そうでもないよ。いつも一緒にいるわけじゃないし」
暗い金髪を掻きながら、リコははにかんだ。
「それで、ちょうどよかった。頼みがあるんだけど」
そう言ってから目をそらす。何か、迷っているようだった。
「頼み、ですか」
それにしても、珍しい。というか、初めてのことだった。リコとちゃんと話すことすらおそらく初めてだろう。
いつもはハイロと一緒に行動しているから近寄ることも殆ど無いし、たまに一人でいるときには会釈して通り過ぎるくらいだ。
それが、何を頼みに来たんだろうか。
「いや、たいしたことじゃないんだけど……」
そう言い淀むリコの視線は、こちらを見ないで空中を漂っていた。しばらくして、意を決したようにこちらをまっすぐに見ると、頭を下げてこちらを拝んだ。
「……昨日の氷、どこで手に入れたか教えて下さい!」
「えっ」
昨日の氷とは、保冷のために使っていた氷のことだろうか。あれを使いたい? どうして、と、思ったところで思い出した。昨日リコは、ハイロと違って感心して店主の話を聞いていた。
なるほど、獲物の質に気を使い始めたのか。
「昨日の氷っていうのは、魚を冷やしていたもののことでしょうか?」
「そう、それ! どうにかして欲しいと思って、夜中色々考えたんだけど、わかんなくてさ。だったら、持ってる人に聞いたらいいんじゃないかと思って」
顔を上げて、リコは苦笑いをしながら言う。
どこで、といわれても、あれは作ったものだしなぁ……。
そう僕が悩んでいると、その姿を見て、何を思ったかリコは続ける。
「あ、何かと交換しようか? といっても、俺より君の方が良い物いっぱい持ってそうだけど」
「えーと、それはいいんですが……」
一瞬考えた後、本当のことを伝えると決めた。
「あれは、魔法で作ったんです」
「魔法!? 使えるの?」
目を見開いて、驚いている。ハイロとは違う反応だ。
「え、ええ。それなりに」
「じゃあ、その魔法で、鳥とか魚とか捕まえてるんだね」
「そうですね」
「なるほどね-。道理で、簡単に色々獲ってくるわけだ。そりゃあ、ひったくりも必要ないよね」
リコは大興奮で話し続ける。これで、このあとどうすれば良いんだろう。
「あー、でも、そうか……」
いきなりトーンダウンした。クルクルと機嫌が変わる人だ。
「それじゃあ、俺らには氷は手に入らないか……」
「そうですけど、だったら」
僕が氷を売れば良いのだ。石ころ屋で売っても、あまり良いお金になるとは思わない。しかし、必要な人に高く売れば良い。
そう言葉に出そうとするが、リコは何か考えているようで俯いていた。そして、パッと顔を上げると、
「ま、鮮度なら、釣ったら早く持ってくれば良いし、火を通してもいいもんね。ありがとう。足止めちゃってごめんね。じゃあまた!」
と口早に言って早足で去って行った。
僕はその後ろ姿に声をかけられず、ぼんやりと見送るのだった。
朝ご飯は、魚にした。
適当に内臓を取り出し、木の枝を刺して焼いていく。焼けた香ばしい身にかぶりつくが、あまり脂が無いからか、多少パサパサしている。
やはり僕は、魚より肉の方が好きだ。
「おう、来たか」
昼頃に石ころ屋に入っていくと、店主が待ち構えていた。
「こんにちは。言われたとおりに来ましたが、大蛇について何の補足があるんでしょう」
その場で言えないこと、出来ないことと言えばいくつか思い浮かぶが、あえて聞く。
「おおかた見当は付いてるんだろうが、これを見ろ」
差し出されたのは、扇状に裂かれた串に刺してある、ウナギの蒲焼きのようなものだった。
「これは……蛇ですか?」
「そうだ。大蛇みたいなでっかい奴でもねえし、魔物でもねえ。だが、そこそこ大きな蛇の肉だ」
「頂いても?」
差し出されたのだから食べてもいいんだろうが、食べた後に文句言われても困る。
店主は静かに頷いた。
「とりあえず食ってみろ」
「はあ」
端から、口を大きく開けて噛みついた。しっとりとした感触で、簡単に肉が口の中でほぐれる。タレはただしょっぱいだけのようだ。
もごもごと、口の中の味を確かめるように噛み砕く僕に、店主は尋ねる。
「それは食えるな」
僕は、口を開かずに頷く。
「食べてみてわかるだろう。蛇の肉は食えるんだ」
ごくん、と飲み込む。小骨は多少あるようだが、本当にウナギの蒲焼きのような感触だ。
「これは小さいからじゃないんですか?」
残りを食べながら、店主の話の続きを聞くとしよう。
「いいや、調理法の問題だ」
「何か下ごしらえが必要だったり?」
「下ごしらえよりも、火の通し方が重要だ。お前はこの前の大蛇、焼いて食べたって言ったな」
「ええ。そういえば、焼いても食べられないって」
「ああ。これは串焼きだが、焼くだけじゃない。その前に、蒸してある」
本当に、関東風の蒲焼きじゃないか。
「この前のも同じように、蒸す必要があった、と」
「そうだ。小さい蛇なら、焼いても食べれる。まだ肉が軟らかいからな」
だが、と店主は続けた。
「一定以上大きな蛇になると、今度はそれだけじゃ足りない。煮るか、蒸すか、とにかく熱湯を使って処理する必要が出てくる」
「やっぱり固くなっちゃうんですかね」
「そう、だからあの大蛇は食えなかったんだ。こちらにも不備はあったが、原因はただのお前の知識不足だ」
じっと、何を考えているのかわからない顔で店主は僕を見つめた。
「これをどこで買ったと思う?」
「ええと……スラムの外の飲食店ですか?」
「近いが、違う」
店主は溜め息を吐く。
「商店街の、総菜屋だ」
総菜屋というと、天ぷらやフライ、おひたしなどのおかずが並ぶ店が頭に浮かんだ。日本の頃の知識であるが、そう間違っては無いだろう。天ぷらやおひたしは無いと思うが。
悩む僕に、店主は諭すように言う。
「もしかしてお前、この街はスラムしか知らないんじゃないのか」
「いえ、そんなことは……」
と、そこで僕は言い淀む。
まて、確かにここに来て何ヶ月か、スラムと森の往復しかしていない気がする。外は、街に初めてきたときに、歩いただけだったような……。
「商店街を歩けば、そこにある商品は嫌でも目に入る。正確な場所を覚えていなくても、どこで何を売ってるのかだいたいわかるはずだ」
「はい……」
確かに、その通りだった。
何か違ったことがしたいと言いながらも、僕は少し歩くことすらしなかった。生活に手一杯、だなんてそんな理由すら無い。
きっとただ、怠惰なだけだったのだ。
しかし、この店主がこんな説教じみたことを言うのは意外だった。少し前までは、必要最低限のことしか言わなかったくらいなのに。
「まあ、外で勉強してこいとかそういうことは言わん。だが、お前はまだ幼く小さい。生活に余裕も出てきたんだ。年相応のことをして遊んでもいいんじゃないか」
「そうでしょうか……」
「もちろん働いて、俺の金蔓になってくれても構わんがな」
店主は、黄色い歯を見せてニカっと笑った。
店を出て、一番街の方向を見る。そこには、スラムのような低い建物を見下ろすように、大きな塔が並んでいた。
僕はあれが何なのかすら知らない。たしかに、街の勉強も必要だ。