挟み撃ち
男は上半身だけ突き出すように、真横に壁から身体を生やしている。
焦点の合っていない大きな目は僕らを見下ろし、ギザギザした歯を覗かせる大きな口は僕らを笑っていた。
「報告にあった護衛とは貴様らだな。アレスを殺したというからには、腕が立つ者らなのだろうが……」
そして僕らを見回したあと、ニョキリと身体を壁から抜き出し、壁を床にするように真横に立った。
「なんだ、つまらん。雑魚ばかりではないか」
言葉通り、つまらなさそうに〈鉄食み〉は溜め息を吐く。真横に立っているのに、少し長めの髪の毛も服も、重力の影響を受けずに足下の方に垂れ下がっている。違和感が酷い。
サーフィスが一歩たじろぎ、剣の柄に手を掛ける。
「〈鉄食み〉……!」
「その呼び方は我が輩好きでは無い。我が輩にもスヴェンという名前がある」
敵意を全く感じていないように、〈鉄食み〉スヴェンは無関心に無表情だ。
天井に張り付いているのか、それとも壁に張り付いているのか、それすらもわからないが、とにかく不気味な姿だった。
だが、こうしてはいられない。
敵が、目の前にいるのだ。オトフシ曰く、護衛対象を敵に晒すのは、護衛失格だろう。
「サーフィスさん、ここは私が足止めします! お二方を連れて、離脱を!」
分厚い障壁、分断するようにスヴェンと僕らの間に壁を作る。足止め出来れば良い。ルルとストナが離脱出来る時間を僕が作る。
いや多分、その時間は僕にしか作れないだろう。
一瞬迷ってから走り出したキーチを追って、獣のようにスヴェンが飛びかかる。
それでぶち当たった壁に、亀裂が走った気がした。
ぶつけた鼻を掻きながら、スヴェンは意外そうに眼を細める。
「ほう……、これはお前が」
「追わせるわけにはいきませんので」
睨む僕をジロリと見ると、スヴェンはひたりと壁に手を当てる。
透明な壁に当たり、ガラス窓に手を当てたように掌の肉が潰れた。
「ほう、ほう。魔術か、魔法か。面白い」
唇の端が吊り上がる。猛禽類のようなその笑みは、人間よりもむしろ魔物に近い。
窓から脱出したのだろう。ストナの喚く声が遠くから聞こえる。ハクの嘶きに、サーフィス達の何事かの叫び声。ここで僕が持ちこたえれば、きっと逃げられる。
そう簡単にいかないのは、当然のことなのだが。
当てられた掌に力がこめられた。筋が隆起し、爪がいくらか伸びた気がする。
……爪が伸びる? それを確認した僕の脳内に困惑が湧いた。
「だが、我が輩これでも片手の魔法使いでな」
ぴしりぴしりと隆起した筋が、金属のような光沢を放ってきている。いや、『ような』ではない、金属が浮き出ているのだ。
「これしきの障壁で、歩みを止められるほど、やわではないのだ」
ビシッと障壁に罅が入る。気のせいでは無い。
「貴様の障壁がどれだけの強度に位置するものだかは知らんが……」
慌てて修復し、強化を……。
「我が輩にとっては、紙の盾だ」
罅をかき寄せくしゃりと丸めるように、障壁が握り締められる。もはやその障壁は、用を為さなくなっていた。
「……!?」
飛び退いて、体勢を立て直す。驚愕した。闘気によって中和しつつ破られたのでは無い。強引に、魔法が上書きされて消されたのだ。
まるで吊された方眼紙をどけるように、破かれた障壁が捨てられた。
「退くが良い。我が輩の標的は、貴族の少女とその母親、二人だけだ。貴様らに用は無い」
「……これでも一応護衛でして、逃がすために戦わなければいけないんですよ」
「そうか。ならば」
多分運が良かった。
右頬の方から何かが迫ってくる気がした。慌てて障壁を張り直し、そして右手に闘気を篭める。咄嗟に出したその右腕に、スヴェンの左手が絡みついた。
「貴様もここで、殺していくしかないな」
「ぅ……!」
掴みかかるように出された左手のその指は、著しく変形していた。
指一本一本が刃物になっている、とでも言えばいいのか。明らかに巨大化したその指先の剣が、僕の瞳の僅か手前でどうにか止められていた。
「良い反応だ。必死に守るがいい。すぐに消える命の灯火をな」
力を込めた僕の右腕が、ガクガクと震える。
ああもう、オトフシと言いこいつといい、最近こんなのばっかりだ!!
上半身を反らしながら、左腕をいなす。一歩離れれば、僕にも余裕が生まれる。
「フッ……!」
左の手刀をスヴェンの首に向けて振るう。魔法使いの脆弱な身体、当たれば致命傷だろう。そう、当たれば多分、致命傷だった。
「元気もいい。なるほど、貴様を殺すのは骨が折れそうだ」
軽く躱される。そして次弾を繰り出そうとした次の瞬間だった。
ずるりとスヴェンの身体が沈んでいく。
しゃがみ込んでいるわけでも無い。まるで地面の亀裂に飲み込まれていくように、直立したまま床へと入っていく。
障害物の透過? 先程、扉も無い場所からこの二階の廊下まで辿り着いたのはこの力か。
「ならば、我が輩もこれ以上付き合う気は無い」
「待、て……」
追い縋り、頭部へと撃ち込んだ僕の足が宙を蹴る。ヌルリと消え去り、そしてもう一度、腕だけニョキリと床から出して、そして手を振って消えた。
後には、何も無かったかのような静けさが残った。
「……!」
呆けている場合では無い。スヴェンは行ったのだ、ルルとストナのもとに。
ルル達の使っていた部屋の扉を開け、窓を見る。やはり、開放されていた。キーチ達もここから出て行ったのだろう。
魔力波を飛ばせば、馬車は見つからなかったが端の方に猛スピードで動く影がある。スヴェンだ。
僕も窓から飛び降り、追って行く。
せめてもの足止めになるだろうか。
魔力波を頼りに、スヴェンの位置に衝撃波をやたらめったら撃ち込む。が、やはり弱い。掻き消されるように手応えが感じられない。
……やはり、直接叩き込むしか無い。
闘気を活性化、魔力で補助しつつ走りだす。全速力で追えばすぐに追いつくだろう。
背中が汗で湿っていく。間に合え。きっと今馬車の側にいる者で、あいつの相手が出来るのはオトフシぐらいだ。
足跡を地面にクッキリと残し走る。緊急事態だ。石畳が砕けようとも許して欲しい。
夜の無い街の朝方は、まだ人もいないようだった。
街を出て、森に入ったところでようやく追いついた。
スヴェンは四つ足の獣が駆けるように跳ねている。
レシッドと同等の速さはあるだろう。きっと、この足で王都からこの街までを踏破したのだ。
そして、馬車の速さは僕より遅い。僕が全力で走らずとも追いつける鈍さだ。
僕が会った中でも最速に近い俊足と、僕より遅い馬車の速度。その差が引き起こす事態は明白だ。
「邪魔だ小五月蠅い小鳥ども」
馬車に追いつける位置に、スヴェンは辿り着いていた。厳密に追いついていないのはオトフシの手柄だろう。
馬車に併走するオトフシとキーチ。背後を振り返り、オトフシは牽制に魔術を放っていた。
紫電が馬車から幾度となく放たれる。だがそれはスヴェンの足下を焦がすだけで、一向に効果を見せなかった。足止めは、紙燕による走行の妨害のみ。すぐに追いつかれてしまうことは想像に難くない。
この距離ならば、攻撃は通るかもしれない。直線上に馬車がいるため、不用意なことは出来ないが。
一瞬考えて、周囲の木々を根元から切断する。
僕が抱えられない太さの幹、束ねればそれは大きな鈍器だ。
腕の振りに合わせて、スヴェンにそれを叩きつける。
「よい、しょ!」
スヴェンはそれを片手で受け止める。何トンもある衝撃を、片手で。
「ほう。もう追いついてきたか」
チラリと横目で僕を見たその目は、楽しいものを見た子供の目だった。
持ち手も無く、掴むことも難しいだろう木の束が、僕に向けて放られた。
軽い動作のはずなのに、その鈍器は僕に向けて正確に鳥よりも早く迫ってくる。
僕はすんでの所でそれを躱し、追跡を再開する。僕の足止めも功を奏さず、もはや馬車は手の届く距離だ。
だが、まだ手はある。僕はもう一度鈍器を作る。今度は二束、スヴェンを潰すように、挟み込むように叩きつけた。
勿論、それは広げた両手で防がれてしまうが。
今度は二つの束が手に入り、喜色満面の笑みでスヴェンは振り返る。
後ろ向きに跳びつつ、僕の方を見た。
「無駄なことを。この程度で我が輩を殺せるとでも?」
「……まあ、無理でしょうね」
間違いなく無理だろう。
楽しいイタズラを仕掛けられたように、スヴェンは笑う。
イタズラ。僕の脳内で行われた比喩だが、言い得て妙だと思う。トラックの正面衝突に巻き込むようなこの攻撃も、スヴェンにとってはその程度なのだ。
だが、そのイタズラも効果はある。
「でも、頼れる兄弟子のために、隙を作るのには充分なんです」
黒い影が、スヴェンの背後に迫る。
両手が埋まったスヴェンの首筋目掛けて、矢のような速さでそれは飛んできた。
「だああああああ!!」
ハクを乗り捨て、剣を逆手に、キーチが飛びかかっていたのだ。
首だけ後ろに向けるように、スヴェンが振り返る。ガキィンと硬質の音がして、剣が顔に突き刺さる。そこまでされれば、スヴェンの足も止まるらしい。
剣を持っていたその手を放し、着地したキーチの顔は、手応えを感じたように喜びが見えた。