這い寄る脅威
朝方、目を閉じた暗闇の中にうっすらと光を感じている。
眠りながら周囲を警戒していた僕の耳に、ドタドタと焦った様子の足音が魔力を通して感じられた。
すぐさま、対象を判別。服装は軽装だが鎧を着ており、室内だが帯剣をしている。闘気がやや強く、魔力を若干中和しながら駆けてくるその男は、今現在の僕らの指揮官、サーフィスだ。
サーフィスの姿を確認した僕は、急いで覚醒し念のためもう一度周囲の確認をする。
警戒は続けていたが、明らかに緊急事態の足音だ。何か変化が起きてもおかしくは無い。
とりあえずおかしな所は無いようで、部屋の中で寝ている二人の安全を確認した後、サーフィスが来る方の廊下へ目を移した。
「中のお二方は無事か!?」
「はい。特に問題はありません」
そう落ち着いて答えると、サーフィスが息を吐いた。
「ハァ、ならば、すぐに出立の準備だ」
「わかりました。ちなみに、何が起きているのかお聞きしても?」
すぐに用意はするが、何の問題が起きているかによって途中注意すべき事が変わってくる。するべきこと、してはいけないこと。色々とあるだろう。
サーフィスは廊下の端に目を走らせながら答えた。
「今、王都にいる協力者から火急の連絡が来た。夜半に王都から探索者が一人発ったらしい」
「一人刺客が来るって事ですよね? それの何が問題……」
言いかけて言葉を切る。問題なら大ありだろう。
どんな者であれ、一人命を狙いに出発しているのだ。中の二人が危険になる可能性が少しでも増した以上、それは重要な事だ。
意識を切り替える。
「わかりました。キーチさんには、僕が連絡を?」
「ああ、頼んだ。オトフシ殿にはもう連絡してある。お二方には私が説明する故、速やかに宿の前に集合だ」
それに、サーフィスがここまで慌てているのだ。
たった一人発つだけで連絡が行われた。その事実も含めて、きっと油断が出来ない相手なのだろう。
屋根の上を駆け、キーチの休む宿まで急行する。
東を見れば、もううっすらと陽が昇りかけている。夜半という曖昧な時間ではいつ発ったのかわからないが、刺客はいつ来るのだろうか。
朝方なのに、生ぬるい風が頬を撫でた。
僕が宿の窓を叩くと、すぐにキーチは反応した。合図として、四度、そして二度窓を叩くと、木戸が開かれる。本来は扉へのノックだが、窓にも有効だ。
「何かありましたか?」
「サーフィスさんからの指示が出ました。王都から刺客が一人出発したそうです。こちらも今から襲撃に備えて、街道を迂回しつつ王都まで急行します。急ぎ、宿までお願いします」
「了解しました」
言いながらも、もう装備は整っている。鎧の帯は結ばれ、武装も完了、今まで眠っていただろうに目元からは眠気の欠片も感じられない。
流石、おそらくこういう訓練もしているのだろう。こういう所はきっと、見習うべきだ。
僕とキーチは顔を見合わせ頷くと、窓から近くの屋根に飛び移る。
キーチの力強い足どりに、昔見た訓練の様子が重なった。だが、あの頃と比べても格段に良くなっている動き、闘気の滑らかな扱いは、もはやあの頃のキーチでは無い。
成長しているのだ。キーチも、そしてきっと僕も。
僕からの一方通行でしか無い師兄関係ではあるが、キーチの成長がどこか誇らしい。
僕も、キーチのように正しく成長出来ていれば良いな。
背後から照ってきた朝の日差しで、僕の外套がじんわりと熱を発した。
宿の前では、もうオトフシも待機している。
馬車の用意を終え、中の二人が揃えば出発出来る状態だった。
「サーフィスさん達はまだですか?」
「奥方達の準備に時間がかかっている」
そう端的に言い放つと、オトフシは珍しく苛立つように地面を蹴った。
本当に、どうしたんだろうか。
「自分が見てきます!」
そう言い、キーチが宿へと飛び込んでいく。僕はそれを見送り、それからオトフシに目を向けた。
「……何か問題でも……」
「サーフィスから報告を聞いただろう。かなり不味い事態だ」
歯ぎしりをするように、オトフシは歯を食いしばる。緊張感のあるその声に、僕の背筋も伸びた。
「ええと、誰か探索者が襲撃しようと王都を発ったと聞きましたが」
「その探索者が問題なのだ……!」
オトフシは、束ねた紙を握り締めた。いつもの紙燕に使うものだろう、だがくしゃりと歪んだそれでも使えるものなのだろうか。
「<鉄食み>だと? 金貨百枚でも足りない男を、雇うほどの仕事なのか……?」
「危ないんですか?」
オトフシは大分慌てている様子ではあるが、僕はその<鉄食み>を知らない。
あいにくだが、そこまで内心動揺出来ない。
「お前は知らないか。ならば聞け。簡単な例えをしてやる」
「は、はい」
叱るように怒るように、オトフシは言う。声音には、諦めもいくらか混じっているか。
「レイトンが敵についた、脅威としてはそれと同じようなものだ」
「……まずいですね」
その言葉は、僕でもわかる脅威だ。
太刀打ち出来る気がしない。今まで石ころ屋の縁や口車で何とかしてきたのだ。力尽くで対抗出来る相手ではない。《山徹し》を使えば或いは……。
「お前で対抗出来ぬならば、妾達にはどうすることも出来ん。今すぐ出立して、遭遇せぬ事を祈るばかりだ」
「それで珍しく焦っているんですね」
内心の動揺を外に出さぬように喋ってはいるが、僕もかなり動揺している。
レイトンと同レベル。あの男に対抗出来る存在をデンアぐらいしか知らない僕にとっては、かなりの絶望的状況だ。
「フン、道理で襲撃が少ないわけだ。恐らく、一昨日の刺客と〈鉄食み〉で片がつく目算だったのだろう。それで充分だと、だから……」
オトフシは人差し指の爪を噛み、噛みちぎる。綺麗に切られている爪の先がボロボロになった。
意を決したように、オトフシは高らかに宣言する。
「カラス、周囲への警戒を怠るなよ。緊急事態だ、ここからは妾も全力で協力する」
言いながら、先程握り締めた紙を上空に放る。その紙片の一枚一枚が、ヒラヒラと落ちて来る間に自動的に折られていく。
最終的には、一枚も地面に触れること無く燕となって飛んでいった。
「生き残るぞ。護衛任務は重要ではあるが、ここからは自分の命も勘定に入れろ。場合によっては、護衛対象の放棄と逃走も視野に入れておけ」
「それだと信用が……」
いっそ清々しい逃亡の勧告。それに僕は反駁する。護衛に選ぶ基準として第一に大事なのは、信用だと思う。危なくなったら逃げる護衛など、誰も雇わないだろう。
「信用とは、次に繋がるものだ。だが、命が無ければ次など無い。信用など後から取り返せ。苦労はするかも知れないが、命を取り戻すよりはまだ簡単だ」
言い終わりオトフシは小さく、「勿論最後の手段だが」と付け足した。
……言っている意味は大体わかる。
護衛対象は守る、だが、最後には自分を優先しろ。きっとそれが探索者には正しい判断なのだ。
だが、それでも。
それは、騎士達とは違うものだろう。
拳を握り締める。
僕はオトフシの言葉に、返事が出来なかった。
瞑目し、周囲を探っているオトフシが弾くように顔を上げた。
「くっ! 遅かったか!?」
その言葉に僕は魔力波を飛ばす。
広範囲に飛んでいく魔力は、敵に自分の位置を知らせることにもなるが、今は良いだろう。
オトフシが反応している以上、もう敵はこちらに気付き近付いているのだ。
魔力波に反応があり、そして脅威となり得る対象を探す。
オトフシの視線の先を重点的に探れば、宿の玄関では無い方だろうか。
すぐにそいつは見つかった。長身の男。密度の高い魔力からすれば、魔術師か……魔法使いでもおかしくは無い。
「オトフシさん、その〈鉄食み〉って、魔法使いですか? それとも闘気使いですか?」
「……魔法使いだ! 武器を全身で食べ、そして自らの武器へと変える……」
……!
僕の足が自然に動いた。宿へ駆け込み、階段へと駆け上がる。
オトフシが言っていたように、きっと今は逃げるのが正解だ。だが、それはできない。
守りたい少女がいるからか、それとも兄弟子に無様な姿を見せたくは無いのか。
理由は自分でもわからないが、僕の体は逃走を選択しないらしい。
オトフシは玄関から動かないので、これからの様子によって決めるのだろう。きっと、それが賢明だ。
敵はレイトンと同等。いいじゃないか。
僕の口から笑みがこぼれた。無意識に吊り上がる口の端に、僕の内心が現れた気がした。
「サーフィスさん、キーチさん!」
僕が駆け込むと、二人とも扉の前で話をしていた。深刻そうなその表情から見ると、きっとこれからの防衛計画についてだろう。
だが、もう遅い。これからの防衛では無い。今、防衛しなければならないのだ。
「敵襲です! 宿の裏手から、不審な人物が……!?」
言いながらその敵を捕捉しようとして、違和感に気がついた。
歩みをやめない。扉を目指そうともせず、裏口や玄関に回ろうともせずにまっすぐにこちらに歩み寄っているのだ。
もうすぐ、宿の真ん前に来る。扉は、そのかなり右手の方だ。
今は悩むところでは無い。考えを打ち切り、報告を聞こうと固まっている二人に僕は続けた。
「不審な人物、恐らく魔法使いがやってきます! オトフシさんの話も加えると、恐らく〈鉄食み〉本人です!」
「……っ! もうか……!」
サーフィスは驚いたように目を見開く。サーフィスからしても、予想外の早さだったらしい。
キーチに振り返り、サーフィスは言った。
「奥方様の安全の確保! 準備などは力尽くでもいい、中止させろ! カラス殿、オトフシ殿と共に急ぎ出発せよ! 足止めは私が……!」
躊躇無く、自ら捨て石になり対象を守る。そういう指示だ。やはり、探索者とは違うのだろう。どちらが良いというのではない。ただ、違うのだ。
そして、護衛任務とはこういうものだろう。そう確信した。
次の依頼があるのは護衛についた者のみだ。護衛が逃げてしまえば、護衛対象に次は無い。
今回は、オトフシの助言には乗れない。
今なら返事が出来る。否、と自信を込めて。
キーチは残る言葉を察したように動き出す。扉の取っ手に手を掛け、強引に開こうと力を込めた。
その時、予想外の方向から声が響く。
「我が輩が、それを待つと思うか?」
扉とは正反対の頭上、天井と壁の交わるところ。
斜め上から鋭角に響いたその声は、楽しむようで、とても冷たい声だった。