それはきっと嵐の前の
出発の時間。
貴族様お二人は馬車の中に入り、そして護衛四人はハクに跨がる。
馬にも乗れない僕ではあるが、ハクが賢いのは大助かりだ。四日目にして、改めて感謝する。
もう出発するのに、再度馬車の扉が細く開き、中からストナの声が響いた。
よく聞く気も無いが、おそらくまた今日の旅路の要望を伝えているのだろう。宿で休みたいやら、美味しい食事が食べたいやら。
そういうことは、こんな旅路の途中ではなくどこかで落ち着いてから楽しんで欲しいが。
サーフィスがハクを降り、頭を下げてその文句を聞き入れている。頭を下げれば顔は見えない。彼が、どんな表情をしていても。
オトフシはその様子を見て苦笑していた。
僕は苦笑いする気も起きないが。
「また、ですか」
今自分が危険な状態で、自分がわがままを言えばそれだけ危険が更に増すということを考えないのだろうか。
たしかに、護衛は僕らの仕事だ。どんな時であっても、守らなければならないだろう。
だがもう、仕事で無ければ、ストナを守るなどという気はさらさらなくなっていた。
「守る方の意欲とかそういうのは考えないのかな」
思わず呟いた僕を見て、オトフシは鼻を鳴らす。
「フフン、まあそう言うな。あの女とて必死なのだ」
優しげな笑みを浮かべるオトフシのその言葉は、むしろストナを応援しているようにすら感じた。
「よし、今日の目標は王都グレーツ手前の都イプレス! 食事の他、途中の街はほぼ素通りとする。少々無理な行程となるが、よろしく頼む!」
「はい」
「了解!」
今日の行動目標を簡単にまとめ、ハクを翻す。進路を西にとり、皆はまた走り始めた。
当初の目標では、明日最終日の昼にイプレス、日が沈む頃にグレーツに着くはずだったが、かなり前倒しになっている。
やはり、昨日の予想外の襲撃が尾を引いているのだ。
きっと気持ちは皆同じだ。早く終わらせたい。その理由はどうあれ、そういうことだろう。
いつも通り周囲の襲撃を警戒しながら、僕は先導する。
都に近いためか、昨日までと比べても道に人が多い。多いといっても、三十分に一組とかそういう話ではあるのだが、警戒網に引っかかる度に僕は背筋を正した。
僕にも心境の変化はある。
少しだけ、守りたいと思ったのだ。ストナでは無い。今朝ぎこちない笑顔を見せたルルを、彼女を安全に送り届けるのだ。
クラリセンで、オラヴは僕に街の様子を尋ねた。
記録だけでは無く、実際に見てきた人の話を聞きたいと、そう言って。
朝、僕も少しその気持ちがわかった。
オルガさんは事情に立ち入るなと言った。そうするのが確かに正しいのかもしれない。中身を知らない馬車を守れる人間こそが、護衛に相応しいのだろう。
だが僕は、『馬車に入った人間二人』を守るのよりは、『一緒に果物を食べた少女』を守る方が、ずっと意欲も湧いてくる。
中身を知らなければ、僕は守る気があまり起こらない。きっとオラヴもそういう人間なんだろう。だからこそ、知らない街で人が死んだという事実よりも、街で起きている悲劇を知りたがった。
その事実が示していることは明白だ。
中身を知らないとモチベーションが上がらない。
そんな僕とオラヴは、きっとこの仕事には。
「護衛とか、向いてないんだなぁ……」
またすれ違う商人らしき馬車の様子を確認し、敵では無いと確かめて一瞬気が抜けたらしい。僕の口から、そんな呟きが漏れた。
「フン。今更何を言うかと思えば」
オトフシは呆れたように口を開いた。
「お前が向いていないことは、始まる前からわかるだろう。護衛とは本来、威圧し脅威をどけるものだ。身体が小さく、威嚇にもならないお前が向いているはずが無い」
「は、はっきり言いますね」
それでも斥候としてはそこそこ役に立っているつもりなのに。
僕が口を尖らせると、オトフシは優しく微笑んだ。
「だが、お前はまだ間違えていない。不得手な護衛任務を問題無くこなしているのだ。胸を張るがいい」
「それはどうも」
そう言いながらも、僕の内心の不満が顔に出ていたのだろう。オトフシは諭すように続ける。
「そうだな……お前は昨日、薪に火を点けた。苦手なサーフィスに代わってな。サーフィスは苦手だろうが出来ないわけでも無いだろう」
「騎士だったら訓練とかもしてるはずですしね」
まったく出来ないなんてそんなわけはない。ただ、時間がかかると、そういうことだろう。
オトフシは頷いた。
「そうだ。では、お前は? お前は薪に火を点けるのが得意なのか?」
「いえ、別に得意というわけでも……」
そんなライターみたいな特技は無い。ただ魔法で点けられるだけだ。
魔法使いで無くても、魔術師でも皆出来ることだ。
「ならばお前は昨日、得意では無い仕事を行ったことになる。向いているわけでは無い仕事をな」
言って、オトフシのハクが跳ねる。
木の根を踏みそうになったハクが、それを躱したらしい。
気を取り直すように、オトフシは咳払いをした。
「護衛任務も同じ事だ。理想的な仕事の仕方はあるだろう。昨日で言えば、お前は一人目の刺客を発見した時点で責任者のサーフィスに報告すべきだった。異常をいち早く発見し、後方の警戒を促し、問題があれば対処することもある。それが斥候の役割だからだ」
僕は頷く。
そうだ。報連相の不足、言ってしまえばそれだけのことだ。だがその原因が、僕の護衛への資質の不足にあること、それが問題なのだ。
「だが、本来そんなことはどうでもいい」
形の良い唇をウニッと曲げて、オトフシはそう言い放つ。
あまりにキッパリとそう言い切ったので、一瞬空気が止まった。
「それは、どういう」
「護衛任務で一番重要なのは、護衛対象の安全だ。他がどんなことになっていようが、どんなに粗末な護衛であろうが、護衛対象が安全であれば何も問題は無い」
……ああ、なるほど。
オトフシは空を見上げた。晴れ渡った午前の空には、雲一つ無い。上空からの襲撃に影は大きな情報だが、それを一切邪魔しない天気の良さだった。
もっとも、空を飛ぶ鳥も捕捉している僕にとってはどうでもいいことだが。
「敵を倒す必要も無く、素通りが出来るのであれば発見することすら出来なくとも良い。勿論、後にそれで問題が起こるようであれば護衛失格だが」
オトフシの護衛任務の心構えは、そういうことなのだ。
「お前は今のところ、護衛対象を敵に晒してすらいない。ならば、それでいいのだ」
「守れているのであれば、体裁などどうでもいいってことですね」
「フフン、極端に言えばな」
火を点けるのであれば、それが出来る誰かがやれば良い。
火打ち石を使って点けてもいい、魔法を使って点けてもいい。それで火が点くのであれば、得手不得手などどうでもいいのだ。
見張りの行動、それ自体が重要だと言ったサーフィスとは正反対で、オトフシは守れていればそれでいいという。
やはりそこは、探索者と騎士の違いだ。
どちらがいいのかはわからないが、きっとどちらも利点があるのだ。
オトフシからのちょっとした指導の間に、もう次の街が見えてきた。
時間的には昼食だろう。最短ルートでいけばたしか、次にはイプレスだ。ここで補給をして行かなければならない。
僕がチラリと後ろを見ると、サーフィスは小さく頷いた。
「門の前で一時停止! 大休止に入る!」
言葉通りに、街の検問の前で止まり、いつもの大休止だ。
昼食をキーチが取りに行き、それを馬車の中の二人が食べる。
だが、何故だろう。
毒味のために食べたミートボールの入ったスープよりも、今日の朝食べた果物の方が美味しかった気がした。
イプレスを見た僕は、その豪華な建物に度肝を抜かれていた。
「え? あれ、消さないんですか? 篝火はずっとつけっぱなし?」
「王都まではいかずとも、栄えている街だからな。眠らない街、とでも言えばいいのか」
僕はやや興奮してオトフシに話しかけるが、オトフシは冷めた目でそれに応えた。
副都であるイラインでも、夜中には街の灯りが消えていく。
街角に灯されている火も建物の中の灯も消され、新月には真っ暗になることもしばしばだ。クラリセンほどではないにしろ、イラインでも夜は暗いものだ。
だが、この街は違う。
イラインと比べても、全部の建物が倍以上高くなっているのではないかと錯覚するほどの大きな建物が建ち並び、日が沈んでも商店の灯りは消えない。
ここまで寝泊まりしてきた街でもそんな所は無かった。
祭りでもやっているのかと思うほどの人混み、まるで昼のクラリセンのような活気が、夜になっても続いているのだ。
「宿は取ってあるのか?」
「その根回しはしてある。この街でも、四つ部屋を押さえた」
「ならばいい。この街の宿は取りづらいからな」
オトフシの確認に汗を一筋垂らしてサーフィスが答える。オトフシはその答えに満足したのか、髪の毛をさらりと払ってサーフィスの側を離れた。
案内された宿は、とてもうるさいところだった。
騒音が、というわけではない。だが、似たようなものだ。
一応、不審なものが無いか部屋を僕とキーチが手分けしてチェックするのだが、窓の外がやけに明るい。僕が見た部屋は二つとも、煌々と照る松明の明りの真ん前らしく、木戸を閉めても部屋が完全に暗くはならない。
案の定、奥方様のチェックがそこにも入った。
「こんな明るい部屋じゃあ、落ち着いて寝られないわ! もっと静かな部屋になさい!」
「申し訳ありません。既に陽は落ちた故、もうこの街では部屋が取れない状況です。既に取ってある他の部屋に変更しても構いませんが、他もあまり変わらないかと」
いつものように、サーフィスが文句を受け流す。
ストナはそれを聞いて、また溜め息を吐いた。
「……わかりました、もう私達は休みます! 夕餉を早くもってきなさい」
「準備させます」
もう一度、鼻から強く息を吐いて、更にバタンと激しい音を立てて、ストナは扉を閉める。
ただし外に、ルルを残して。
オトフシを除く四人で顔を見合わせ、苦笑いをする。
張り詰めた空気に、誰も言葉を発せ無かった。
「お嬢様も、どうぞ中に」
キーチがそう勧めると、助かったとばかりにサーフィスが肩の力を抜いたのがわかった。
「はい。……あの」
ルルは静かに返事をすると、意を決したように唇を引き締め目を開いた。
「お母さ……お母様がいつもすいません。明日まで、よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げる。上品なその仕草は、もうどこかお嬢様らしく見えた。
その言葉に、大人も真摯に応えるしかないらしい。
「いいえ。お気持ちはわかりますので、お気になさらず。こちらこそ、明日もよろしくお願いします」
サーフィスはそう言って敬礼をする。キーチもそれに倣った。
頭を上げたルルはもう一度、今度は元気よくペコッと頭を下げ、扉を開ける。
去り際に僕に向けられた微笑み。僕が応えて手を振ったのは、扉が閉まった後だった。
そうして、襲撃も無く四日目が終わる。
明日は受け渡しの日。それがつつがなく終わることを心底願いながら、僕は扉の前で立って眠りについた。