大休止にて
街を走り抜けて次の街を目指した僕らは、結局夜になっても次の街へ着かなかった。
ちょうど日が沈んだ頃、適当な開けた場所で、僕らの一団は停止した。
サーフィスが馬車の扉を叩くと、扉が細く開かれる。そしてそこから中にいるストナに向かって、懇願するように報告した。
「申し訳ありませんが、今日は街へ入ることは出来ません。恐れながら、奥方様には馬車の中でお休み頂きますよう」
「ちょっと、どういうことよ!? こんな狭っ苦しい馬車の中で寝ろっての!?」
「街道沿いに宿はありません。木の幹を枕に寝て頂くのも安全上の問題がありますので、致し方ないかと」
頭を下げ、叱責を頭上に通り抜けさせるようにサーフィスは答える。
次の街までは三十里という塚が先程立っていた。たしかに、時間を考えれば仕方がないだろう。
だが、馬車の中で寝ろというのが、酷なのもわかる。
馬車は二人向かい合って一杯になる程度の小さな物だ。
その豪華なドレスでは寝転がることも難しく、そして座席では足も伸ばせない。身体の小さなルルの方は多少マシとしても、成人女性のストナには厳しい。
「ああ、もう! 近くに宿がないのなら、さっさと宿がある街までハクを走らせなさい!」
もっともそうな意見をストナが叫ぶ。
たしかに、後三十分も全力で走らせれば街には着くだろう。僕も内心頷く。だが、サーフィスは間髪入れずに言い返した。
「申し訳ありません。次の街は何分小さく、この時間宿は埋まっているでしょう。よしんば空いていたとしても、選ぶ余地などなかった宿では、やはり奥方様達の安全に関わります」
その言葉で、僕の腑には落ちた。
この二日間、カモフラージュとしていくつかの部屋を押さえることまでしている念の入れようだ。それも出来なくなるというのは、きっと護衛のマニュアル上問題なんだろう。
「敵に襲われて街には入れなくなるし、入れる街では守れないとか、あんたたちはルルの護衛でしょう!? 護衛ならそれなりに、仕事をこなしなさい!」
「申し訳ありません」
サーフィスは無表情で頭を下げ続ける。本当に、ストナは僕やこの人達がいなければ死んでいるということを忘れているのだろうか。
予定が狂ってしまって困っているのはきっと、騎士達も同じだろうに。
それからもしばらく文句を言い続け、無抵抗なサーフィスに少しは気が済んだのか、ストナは深い溜め息をついて目を閉じた。
「……わかったわ。明日、日が昇ったらすぐに出発なさい。明日は必ず宿で休みますからね」
「心得ました。必ず」
サーフィスの返答も聞かずに、ストナは扉を勢いよく閉める。
一瞬見えたルルは、申し訳なさそうに眉を顰めペコペコと頭を下げていた。
何事もなかったかのようにサーフィスは頭を上げ、振り返り、後ろで見ていた僕らを見回す。
「聞いていたとおり、明日日の出までここで待機だ。夜襲への警戒として、二人以上で火の番をする。……すまないが、オトフシ殿」
「……なんだ?」
木の幹に寄りかかり、腕を組んで僕らを見守っていたオトフシは整えられた眉を上げて応えた。
「ここにいる理由が、カラス殿のお目付役だということはわかっている。だが、緊急事態故、力を貸して欲しい」
「明日の朝まで妾も警護をしろと?」
楽しむように、オトフシは笑う。了承なのか拒否なのかよくわからない反応だ。
サーフィスはオトフシに向かい、落ち着いた口調で説明を加えた。
「それに近い、が火の番をして欲しいなどと言う気はない。明日の朝まで、奥方様方が不用意な行動をしないようについていて欲しいのだ。女性の身辺だ。宿と野外では勝手が違うこともあるだろう」
「……了解した。妾は馬車の前で休むとしよう」
「感謝する」
その言葉を聞き、すぐにオトフシは行動に移す。
自分のここまで乗ってきて座らせていたハク、そのハクの手綱を引き、立たせる。馬車の前にある木の根元まで連れて行くと、今度はそこに横倒しに寝かせた。
オトフシの動作を横目で見て、納得したように小さく頷くとサーフィスは僕とキーチに向き直る。
「では、これから交代で火の番に入る。順番は夜の宿警護の予定通りで行う」
「つまり、最初はキーチさんが休憩ということですね」
僕が口を挟むと、サーフィスは片目を瞑り言った。
「そういうことだ。時間は薪の燃え具合で計る。キーチはすぐに休憩に入れ。カラス殿は私と一緒に火の準備を行う。以上、かかれ!」
それから、キーチは言われたとおりに馬車の脇の木で横になる。
そして僕とサーフィスは、焚き火の準備を始めた。
落ちている枝を拾い集め、重ねた上に持ってきていた太い薪をデンと置く。火付けには火打ち石をサーフィスが叩く……と思いきや、動作を止めて僕を見た。
「火は付けられるか? 出来れば頼みたい」
「わかりました」
僕は薪に接するよう火球を出現させ、火をつける。
「すまんな。俺はどういうわけかこれが苦手でな」
「得手不得手は誰にでもありますし、構いません」
頭を掻きながら謝罪するサーフィスに、軽い口調で応えた。サーフィスは火が安定するまで枯れ枝を足したり息を吹き掛けたりしながら火の世話をする。
そしてようやく安定したところで、まだ葉っぱが大量についた青い枝を焚き火に被せるように配置した。
以前シウムに聞いた、いや、シウムが話しているのを聞いたことがある。
襲撃を警戒するときの焚き火には覆いをつけ、そしてそこから離れたところで待機すると。
暖をとるというより明かりのための焚き火であり、それに目が慣れて周囲が見えなくならないようにする配慮だとか。
成る程、周囲がぼんやりと明るく見えて、陰との境界が分かりづらいような照らし方だ。
あの時は正直よくわからなかったが、実際に見て意味がわかった。
まあ、明かりなどなくとも僕は周囲を見ていられるのだが。
それで僕に任せて、気を抜いてはダメだろう。
僕はそっと気付かれないように魔力を展開した。
木の幹にもたれ掛かり、僕とサーフィスは向かい合う。
パチパチと木が弾ける音が響いていた。
交代まで、ずっとこの重い雰囲気か。そう内心呟いた僕に向かい、サーフィスは静かに口を開いた。
「先程の手並み、さすが魔法使いだ。今更ながら、初対面のときの態度を謝罪しよう。すまなかった」
ペコリと頭を下げる。その姿に、最初の気難しさは感じられなかった。
「いえ、慣れてますので」
本心だ。その言葉に、サーフィスは軽く息を吐きながら同意した。
「……難儀だな。まあ、それ故にカラス殿に依頼したのだが」
「それ故に、って……」
地位が低い子供だから、ということだろうか。たしか僕へ依頼された理由は、年の近い子供がいるからだと……。
あ。
「そういえば、僕への依頼はルルお嬢様? の相手だと聞いていたんですが」
そういえば、僕はこの仕事中ルルと話したことがまだない。どういうことだろうか。
僕の言葉に、サーフィスは居心地悪そうに目を反らした。
「それならば、すまない。嘘だ」
「嘘、ですか」
「キーチの発案なんだが、怪しまれずにカラス殿にこの依頼が受理されるように、という方便だった。探索者一人増やすだけでも敵方の批判の的になるからな。批判を反らすためと、どうせなら強い探索者を雇いたかったんだ」
言い訳をするように、若干早口でアセアセとサーフィスが言葉を並べる。
護衛対象二人だけで一杯の馬車だ。その上、有無を言わせず恐らく通常の護衛任務に就かされている。薄々感づいていたことだが、はっきりと嘘だと言われるとは思わなかった。
僕はそれに驚いた。
「だが、キーチはやはり正しかったようだ。私達の受けていた報告では、先程の街で襲撃はないはずだった。カラス殿がいなければ、不測の事態に対応出来ていたかどうかわからない。重ねて礼を言う」
「襲撃がある街を、予測出来ていたんですか」
重要な情報に、思わず聞き返してしまう。それが僕まで伝わっていれば……と思ったが、伝わっていなくても警戒は必要なのだ。関係はなかったか。
聞き返した僕に、サーフィスは重々しく頷いた。
「私達の派閥……いや、詳しくは言えないが、協力者も大勢いる。それらからの報告だった。同様に、次の街でも襲撃はないはずだが……すまんが、よろしく頼む」
「先程の街でも無かったはずだから、ですか」
「そうだ。協力者たちが手を抜いたりすることは無いだろうが、情報に誤りが出てきている。無条件で信用はするわけにはいかなくなった。負担が増えるだろうが……」
「まあそれは構いませんが」
そういう仕事なのだ。警戒なら、いくらでもしよう。
僕の言葉にホッとしたように、サーフィスは僕を見た。
「では、明日から二日間もよろしく頼んだ。これからは大いに頼りにさせて貰う」
サーフィスは立ち上がり、持っていた枯れ枝を焚き火にぽいっと投げ入れる。すぐに火がついたようで、弾けて火の粉が舞った。
それからしばらくして、焚き火の中央に置かれた薪がほとんど燃えるまで、空気は変わらなかった。薪を突き崩しながら、サーフィスは僕に言った。
「……時間だ。明日から、更に急いでハクを走らせることになる故、今のうちにカラス殿も休んでくれ」
「……わかりました、失礼します」
明日からの襲撃それを想像したところ。キーチを起こしに行く僕の足取りは、若干重たくなっていた。