僕に危険はないけれど
「サーフィスさん、指示を!」
僕が後方に向かい叫ぶ。サーフィスは御者席に座り、状況の把握に努めているようだった。
敵は三百メートルほど前方に複数、確認出来ているだけで八人いる。そして後方でキーチと交戦中なのが一人。計九人で馬車を取り囲んでいることになる。
どちらか一方を片付け、強行突破が定石だろうか。人数的に言えば一人だけ片付ければ良い後方が楽そうではあるが、そうすると進行方向とは逆方向になってしまう。それに、キーチが片付けられていないというのも気になる。
敵も無駄に戦力を分ける愚は犯さないだろう。人数は考えず、前と後ろは同じ戦力と考えても差し支えない。
重々しく、サーフィスが口を開く。
「カラス、前方を突破出来るか?」
「あの人数ですか、可能だとは思いますが……」
恐らく行ける。魔法を使っても、肉弾戦でも片付けることは出来る。だが、どちらの手段も今は射程外なのだ。あと何歩か出てくるだけで、前の奴等が僕の魔力圏に入るのだが。
僕の顔色を読んだのか、サーフィスは力強く頷いた。
「……では、頼む。多少離れても構わん。その間の馬車の守護は引き受けた」
「わかりました」
許可は得た。念のため周囲をもう一度探査。近くに敵影はない。道の上だけだ。
僕はハクから飛び降りるように、前方に跳ぶ。
五歩分も前進すれば、すぐに前方の全員が射程に入った。本当にもう少しだったのに。
「顔も名前も知らない方々ですが、すいません」
口の中で小さく謝る。闘気もなく魔力も持っていないような者たちだ。きっと僕には脅威たり得なかっただろう。
しかし馬車を狙っている。それだけで、今回の仕事中は僕は容赦出来ない。
魔力を集中。何かを察した数人が、慌てた顔で後ろに跳んだ。
だがもう遅い。そこは、僕の魔力の中だ。
ヒュウという、軽い音が聞こえた。
一条の風の刃。それを、横一文字に集団にぶつける。ただ、そうしただけだ。
ハクの元へ舞い戻り、そしてサーフィスに報告。
「済みました」
言いながら、キーチの様子を確認。短い時間ではあるが、力が拮抗しているのかまだ打ち合っていた。
サーフィスは眉を顰めて、僕を見返す。
「済んだ、とは」
「前方の敵は全滅しました。次はどうすればよろしいですか」
後は一目散に街へと駆け込むだけだろう。そうは思ったが、一応確認しておく。
視界の端のオトフシは、堪えきれないように小さく噴き出していた。そんな場合ではないだろうに。
「それは……」
言いかけて、サーフィスは前方を見て目を丸くする。
遠く、肉眼では小さく見える距離ではあるが、闘気を使えばハッキリと見える。まだ、集団は立っていた。その、下半身だけを残して。
「……了解した。これより、全速力であの街を抜けて行く! 先導せよ!」
立ち寄らないのか。キーチが後方を抑えている間に、街を抜けてとにかく進む。そういうことか。
「わかりました」
僕が小さく頷き、身を反転させる。だがその横に、何かが吹っ飛んできたのがわかった。
ズシャアと音を立てて着地するのは、鎧を着て剣を持った戦士。
もちろん、キーチだ。後方を睨み、剣を構え直した。
「そうだよねぇ、ハクになんか乗ってちゃ、全力で戦えないよ、うん」
その視線の先には、先程までキーチが抑えていた少年。薄ら笑いを浮かべて、ゆっくりと僕らの一団に歩み寄ってきていた。
「申し訳ありません! かなりの使い手です。俺が命を賭しても食い止めますんで、どうかサーフィスさん達は……」
そう言うキーチの目の前に、まさしく目にも留まらぬ速さで少年が現れる。
それから振るわれる拳や蹴りを、キーチは辛うじて防いでいった。
踏み込んだ地面を割りながら撃ち込まれる攻撃は、勢いを殺そうと払ってもその手を傷つけ、剣にダメージを蓄積させていく。そういう解説が頭に浮かんだ。
その少年を見ていて、既視感があった。
その動き、どこかで見たことがある。それももっと練度が高いものを。
足の動きや手の動きを分解し、分析。記憶の端を探り、何処で見たかの検索をかける。
数瞬のことであったが、それでようやくわかった。
「大火の型……?」
それは水天流大火の型。シウムの授業で見ていたし、カソクが主に使っていた技術だ。
僕の呟きを聞き、少年の動きが止まる。首だけグリンと動かし僕を見た。
それを好機とみたキーチの剣をすり抜けるように避けながら、少年は言葉を紡ぐ。
「よく知っているねぇ。一応、門人以外には名称も明かされていないはずなんだけどぉ」
ケラケラと、キーチの剣を見もせずにすり抜けながら少年は笑う。
嘲るような不愉快な笑いだった。
横薙ぎに振るわれたキーチの剣を避けて、少年が後ろに跳んだ。
キーチは歯を食いしばるようにして、その様子を見る。未だ油断は出来ない。その後ろ姿がそう言っていた。
「サーフィスさん達は早く! 行ってください!」
真に迫ったキーチの言葉に、サーフィスは我に返ったかのように叫んだ。
「……心得た! カラス! 予定通り出発……」
「あっれぇ、足止め係全滅してるじゃん」
キーチを透かすように目の上に手を当て、門の方を見る。戦闘態勢は解かれているようだが……いや、水天流なら油断出来ないか。
「つまんないの。役立たずども」
「くっ!!」
キーチが奇襲し剣を振る。その剣は鼻先を掠めそうだったが、少年は微動だにせずそれを見ていた。傷一つないところを見ると、最初から見切っていたのだろう。
「わぁ。やめてよぉ。こんなか弱い男の子に、暴力とか」
だが、薄笑いを浮かべながら、その少年はこびを売るように上目遣いで言い放つ。何だろう。見ててだんだんイライラしてきた。
「ま、いいや。今日は挨拶代わりって事で。じゃあね、キーチ先輩。次に会うときは、もっと頑張ってね? じゃないと馬車の中身、簡単に殺せちゃうから」
一歩下がった少年に剣を向け、キーチは牽制する。少年は剣などないような態度だった。
そして、少年は僕のほうを向くと、これまた満面の笑みで言った。
「そっちの人も、今度は遊んでよ。向こうの役立たずどもを片付けた手並み、ちゃんと見れてないからさ」
そう言いながら、近くの枝に跳び乗る。逃げる気か。
「待て!」
キーチが慌てたように叫ぶ。キーチに勝てるかどうかはわからないが、ここで逃げられても困るのだろう。
いや確かに、ここで逃げられてしまえば厄介そうだ。
クスリとまた笑う顔が不愉快だ。
「待ーたなーいよー!」
少年はさらに後ろに小さく飛ぶ。木の幹に手を掛け、その反動でさらに後ろに跳ぼうというのだろう。
僕はサーフィスさんに向かって、一応報告をする。
「すいません。出発前に、五秒だけ外します」
「……?」
サーフィスさんが反応する前に僕は動き出す。逃げられてしまっては、本当に面倒そうな輩なのだ。
飛び退く少年の足首を、空中で捕まえる。
「え?」
何が起きたのかわからない様な顔を僕に向けて、少年から初めて笑顔が消えた。
僕の方は、意識的に笑顔を作り、そして手に力を込める。
「次に会うことなんて、ありません」
肩に力を込め、振りかぶり、地面の方へ身体を向ける。
「貴方みたいな手合いは、きっと厄介なことをしでかしますので」
呟いている言葉は勘からの言葉だ。だがきっと、あまり間違ってはいないだろう。
「ここで、終わりです!」
「ひ!?」
飛び降りながら、振りかぶった足首を振り下ろす。
遠心力で、膝と股の関節が外れる感触がした。握りしめたアキレス腱が、ブチブチと音を立てる。骨が軋み、そして砕けた。
重力と、少年の体重、そして遠心力を頭部に集め、そのまま地面に叩きつける。
次の瞬間。
ド、と意外にも籠もったような低い音がした。
頭部はもはや原形を留めていない。
手を放せば、少年はうつ伏せにぴくりとも動かなくなっていた。
「周辺の敵影は全滅しました。行きましょう、サーフィスさん」
「……あ、ああ」
呆気にとられたような様子のサーフィスさんに呼びかけ、次いでキーチを見る。
視線を受けたキーチは、溜め息を吐きながら笑い、そしてハクに跨がりなおす。
雰囲気は少しおかしいが、脅威は去った。馬車の中も無事だ。今回の敵襲は無事に何とか出来ただろう。上々の結果だ。
そして僕らは、敵影のなくなった街道を、また走り始めたのだった。