日々の気遣い
三十分ほどの移動で、魚がいるという川に着いた。
見れば、その清流の中に鯉のような魚がそこかしこに泳いでいる。
あれを獲ればいいんだな。
そう考えると同時に、周囲の索敵を行う。魔力感知は頼りになる。
今のところ、周囲に魔物はいないらしい。そう長居する気もないが、しばらくは狩りに集中できる。
念動力で、五匹ほど釣り上げる。空中でビビビビと暴れる箴魚を次々と絶命させて、血を抜いてゆく。本来なら殺さずに、神経を切ってから血を抜くとどこかで聞いたことがある。しかし、以前の締め方で良いと店主が言っていたから大丈夫だろう。
血を抜けば、当然辺りが血に塗れる。川が、赤く染まる。
血が垂れなくなった魚たちを、持ってきた袋に詰め込む。折れないように気をつけ、丁寧に。ついでに、その中に川の水を凍らせて作った氷を入れておいた。僕の魔力に包まれてる間は、これで冷やしておける。
急いで立ち去ろうとも思ったが、やはり血につられて、来たらしい。
魔力感知に、引っかかる反応があった。
押しのけられる感覚。魔力を扱う魔物だ。
この辺りに出る魔物の特徴は、店主に聞いている。
ラットガッルス。意味的には、ネズミ鳥といった感じか。
茂みから、ガアガアと鳴きながら四羽飛び出してくる。そこから来ることはわかっていたので、躱しながら風の刃を叩き込んだ。
一羽の首が飛ぶ。首が無くなった体は、そのままの勢いで川へ飛び込み、流れていった。きっと魚が食べてくれるだろう。
残りの三羽のうち、後ろの一羽の周辺の魔力が押しのけられる。魔法を使うらしい。
他の二羽を念動力で拘束し、逆さ吊りにする。羽根をバタつかせて抵抗するも、そんなもので拘束は外さない。同じように首を飛ばす。血が溢れ、残りの一羽に降り注いだ。
仲間の血など意に介さず、魔法が放たれた。
事前に聞いている。ネズミ鳥は熱風の魔法を放つと。
「オ゛オ゛オ゛ォォォ」
叫び声とともに、温かい風が吹いてきた。急いで、僕の目の前数mの空気を固定して盾を作る。次の瞬間、ネズミ鳥から放たれた熱風が、地面ごと辺りの木を焼き払う。
凄まじい火力だ。
ネズミ鳥を中心とした放射状に、地面が焦土と化していた。
障壁で守られた僕は無事だが、無防備な状態で受けたら酷い火傷を負うような攻撃に、改めて肝が冷えた。
軽い気持ちで「自分以外の使う魔法が見てみたい」と泳がせたが、これほどの威力とは思わなかった。軽く溜め息が漏れる。
連発は出来ないらしい。残ったネズミ鳥は、形勢不利とみて逃げようとする。
落ち着いた僕は、いつものようにネズミ鳥の首を飛ばした。
殺した獲物の解体も、いつものように行う。鳥の解体ならば慣れている。
ネズミ鳥はその名の通り、鶏の見た目で鼠の皮を持っている。今回は羽毛を毟らなくて良いのだが、その分皮が分厚いのか中々剥がせない。
いつもより時間がかかって終わった。
魚の捕獲よりも、鳥を捌く時間の方が長い。それでいいのか僕……。
昼ご飯として、一羽食べた。
味はネズミと全く関係の無い鶏のもので、とても美味しかった。
今回の探索は簡単にいった。
やはり、魔力を扱うタイプの魔物であれば、問題無く討伐できるようだ。
問題は、大蛇のような闘気を扱う魔物だ。魔法使い達は、そういう魔物の相手をどうやってしているんだろうか。
シウムの授業は、闘気を扱う戦士向きのもので、魔法に関するものは無かった。シウムが使えないのだから当たり前だ。
どこかで、勉強できれば良いのだが。
日が沈む前に、僕は石ころ屋に着いた。
なるほど、行き帰りの時間が節約できるし、近場で終わる狩りとはそれだけで都合が良い。これで報酬が翡翠と同じくらいであれば、だいぶ割の良い仕事だ。
ドアへ向かう僕の後ろから、声がかけられた。
「おう、烏野郎、てめえは換金か」
ハイロだった。その横にはリコもいる。
ハイロは得意そうな笑みを浮かべながら、布袋を担いでいる。
「あん? なんか良い服着てやがんな。 独り占めした金を使って、良い身分だな」
嫌味を言いつつも、その口は笑っている。機嫌が良いのか。
「一昨日ここで買ったんですよ。森の中でも動きやすい良い服です」
嫌味にはとりあわない。ここで下手に返せば、また面倒なことになるのは目に見えている。
「ハッ! 今に見てろよ。お前が汚え方法で独占してる金も、全部俺らが頂くからよ」
ハイロは、こちらを睨みながらそう言うと、僕を押しのけて石ころ屋に入っていった。
その後ろを、リコが付いていく。
小さく、「ごめん」と謝られた。手を合わせて拝む動作は、この世界でも謝罪に使えるらしい。
乱暴にドアが開けられ、そこにハイロが滑り込む。
僕はどうしようか。
捕まえてきた箴魚を売りに来たのだが、あいつらと一緒だと気まずいことこの上ない。
リコだけなら普通には入れる。しかし、ハイロがいるとなるとちょっと嫌だ。
躊躇っているうちに少し時間が過ぎた。
ハイロが出てから店に入るとしよう。
そう思い待っていると、突然店の中から大声が聞こえた。
「何でだよ! あいつばっかいい目に合わせて! 俺らのだからだめなのかよ!?」
ハイロの声が響く。安普請の建物が、揺れるような大きな声だった。
嫌な予感がした。あいつ、とは十中八九僕だろう。
「いいよ、ほら、行こう?」
リコがハイロを宥める声が聞こえる。
そして、リコの手によって扉が開かれた。
「あ」
ハイロと、目が合ってしまった。
一瞬驚いたハイロは、次の瞬間怒りの表情に変わるとこちらに詰め寄ってくる。
「またか、またてめえが邪魔してんのか!?」
しかし、言っている意味が一向にわからない。邪魔とは何のことだろうか。
「おう、戻ってきたか」
店主は怒るハイロを一顧だにせず、僕に声をかけてきた。
「え、ええ。少し前に」
いやいや、まずはこちらの激怒している子供を何とかするのが先決だろうに、なぜこちらに水を向けるのか。
そう思った僕の考えを読んだのか、それとも予定通りだったのか、店主は溜め息を吐いて僕に声をかけた。
「ちょうど良いところに来た。獲ってきた魚を見せてみろ」
「魚? 魚だと!?」
ハイロが魚に反応する。何かあったのだろうか。
とりあえず、言われたとおりに箴魚の入った袋を店主に差し出す。横を通るときにも、ハイロはずっとこちらを睨んでいた。
「はい。これお願いします」
店主は袋の中の氷ごと、大きな箱に箴魚を移す。魔法の効果は切れているので、もう普通の溶ける氷だ。
「魚の種類は違うが、見てみろ」
その箱の横に、違う魚を置いた。大きいヤマメのような形で、横っ腹に斑点が並んでいる。その腹に指を滑らせながら、店主は続ける。
「まず、腹が柔らかい。もう鮮度が悪くなってきている。釣ってから、かなり時間が経ってるな」
「そりゃあ、午前に釣ったもんだし」
「午前に釣ったものだろうが、午後に釣ったものだろうが、鮮度が悪いことには変わらない」
食い気味に言葉を遮られ、ハイロが口を噤む。苦い顔をしている。
店主は滑らせた指の先に、銀色が着いているのを見せた。
「暴れて、岩や地面にこすったんだろう。鱗が剥がれてる上に傷が付いていて見た目が悪い」
「釣り上げるときに、かなり暴れて」
「だから、価値が下がっている、と言っている。理由なんざどうだっていい」
言葉を最後まで紡げず、さらに反論のしようが無いために、ハイロの元気がみるみる無くなっていった。
その横で、リコは感心しながら聞き入っていた。
「その子の獲ってきた魚には、そんな様子が無いってことでしょうか」
「そうだな」
リコの方を向いて、店主はハッキリと答えた。
「先程言った、鮮度の悪さも見た目の悪さも、こいつの魚には見られない。そういうことのために……」
店主は横の氷を掬い。ガラガラとまた箱にこぼす。
「こういった気まで遣ってくる。種類の違いを除いても、値段はそりゃ変わるわな」
「なるほど。状態が違うのですね。手当の差かな」
「そうだ。それを無視して質を下げて、値段が低いのに文句を言われても困る」
後半は、ハイロに向いて言っていた。その言葉に、ハイロは口を尖らせて目を背けた。
「だって、ハイロ」
リコはハイロに笑いかける。
「今回は駄目だったけど、次は気をつけて持ってこよう。そうすれば」
こちらに親指を向けて言った。
「そいつみたいに、少しは良い暮らしが出来るかもしれないしね」
「……チッ。そうだな」
ハイロはなんとか言葉を返すと、無言で店から出て行った。リコもそれに続いた。
「で、これも金に換えて良いんだな」
二人が出て行くのを無言で見送った店主は、何事も無かったかのように話を続けた。
「あ、お願いします」
店主は金庫から銀貨を5枚取り出した。
「一匹につき銀貨一枚だ」
「ありがとうございます」
それを腰の革袋に入れる。銀貨も中々嵩張ってきた。
「それで、何があったんでしょう」
笑顔で聞いてみると、店主はこちらを見ずに、世間話でもするようにしゃべり出した。
「大体わかってるだろう。あいつらの持ってきた魚の質に合わせた品物を用意したら、少ないとごねられた。それだけだ」
「でも」
それだけならば、あんな解説をしてまで納得させることは無いはずだ。少なくとも、以前までの店主ならばそんなことはしない。
「あれは、お前に聞かせるためのものだったからな」
「僕にですか?」
僕がいなければ、あの勉強会は無かったと。
「ちょうど良いところに来たからな。これからも、良い獲物を獲ってこいよ」
「はあ、まあ、わかりました」
宙づりにして首を落とすだけで良いのなら、毎回やっても問題は無い。
「そういえば、今回獲ってきた箴魚、病気の予防に使えるって言ってたじゃないですか」
「ああ」
椅子に腰掛け、倉庫を眺めながら店主は答えた。
「この時期から、三日熱が流行り出すからな。獲れば獲っただけ売れるだろう」
「その、三日熱ってどういう病気なんですか? 僕見たこと無いんですけど」
村でも見たことがなく、もちろん僕もかかったことが無い……と思う。知らないだけかもしれないが。
「その名の通り、三日に一回発熱して、またすぐ下がる。体の弱い奴は、三,四回熱が出た辺りで弱って死んじまう。そういう病気だ」
そこまで酷い熱が出た患者は、生まれてから見たことが無い。
「やっぱり、聞いたこと無いです」
「お前は半年くらい前にスラムに来たな。その前はどこにいたんだ?」
「ええと、何処かわかりませんが開拓村の一つだと思います」
これくらいは明かしても良いだろう。
「なら、ネルグの近くだな。だったら、そうだろう。開拓村の方には患者は出てねえらしいからな」
「そうですか……」
今まで知らずに済んでいたのは、運が良かっただけか。
あ、思い出した。大蛇の肉。
「話変わりますけど、文句言って良いですか」
「お、おお」
瞬きを繰り返して店主は驚いていた。僕が文句を言うのは珍しいからか。
「あの蛇の肉、食べられなかったんですけど」
じとっと店主を睨むと、店主は眉を顰めた。
「そんなはずはねえぞ。前に、違う場所だが同じ魔物を撃破したパーティからの報告だからな」
「しかし」
食べ物に関して、引き下がるわけにはいかない。
「焼いてみましたが、固くて食べられたもんじゃありませんでした。飲み込むのすら一苦労ですよ」
ぱちくりと目を開いて、店主は一瞬固まった。そしてそのあと、小さく笑った。
「ああ、なるほど、なるほど。焼いたか。焼いて食べたのか」
一人で頷き納得している。何を一人で納得しているんだ。
「確かに、小さい蛇は焼いても食べれるんだが、あれだけ大きい蛇は焼いても食えねえんだよ」
「へ?」
食べ方の問題だったのか!?
店主は悩んで、頭をポリポリと掻く。そして、意を決したように口を開いた。
「俺が渡した情報に、不備があったってことか。ああ、じゃあ、また来たときに詳しく教えてやるよ。明日の……そうだな、昼頃に来い」
「今じゃ駄目なんですか」
「今からじゃ、用意するのが難しいからな。とにかく、明日来い」
「……わかりました」
要領を得ないが、とにかくそういうことなんだろう。
店主の方から「来い」と言われるのは初めてのことだ。きっと悪いようにはならないだろう。そう思い、僕は明日を待つことにした。