皆が果たす義務
「暇なのはいいことなんでしょうが……」
思わず呟きが漏れた。今は出発して次の日の昼。襲撃も困ったことも無く、ただ森の中を早足で進んでいた。
早足と言っても、僕の足では無い。ハクの足だ。
四頭のハクのうち二頭で馬車を引き、もう二頭を前後の護衛の足に使う。僕はその前の護衛だ。
街に立ち寄る度にハクは交代され、馬車を引いていたハクが今度は前後の足になる。馬車を引くよりも人を乗せた方が負担が少ないらしい。そういった疲労対策に加えて、ハクの強靱な足がこの早足を可能にしていた。
立ち寄った街では睡眠の他、簡単な食事と休憩を取り僅かな時間をおいてすぐに出立する。
もう三つの街を経由しているが、その度に出る文句が困りものだった。
文句を言うのは、一人だけだったが。
「こんな質素な食事! 馬鹿にしてるつもりなの!?」
「道中ではこれが精一杯なんです、ご容赦ください」
ストナさんが怒る。その度にキーチが平謝りだ。街中の店に入ることをサーフィスが許さないため、夜以外の食事は店から持ち帰ったものを街の外に停めた馬車の中で食べている。そのため品数も用意出来ず、その上毒味に僕が食べてから出すことになっている。
遅効性の毒が無いように間を置いて出される食事。冷めてしまって品数も少ないその料理達は、料理としては豪華なはずなのにどこかみすぼらしかった。
僕が食べる前に魔力で探査しているし魔術でも解毒はあるらしいが、それに頼るわけにはいかないとサーフィスが口数少なく漏らした。
そんなものかと思いながら、料理を頬張るのは役得な気もして僕は何も言えなかった。
「気を抜くな、と言いたいところだが……フフン、心配は無いな」
道中を思い返している僕に、併走するオトフシが窘めるように話しかけてきた。
「警戒はしております」
言い返した僕を微笑ましいように見つめ、そしてまたオトフシは前を向いた。
実際、魔力での探査はずっと続けているのだ。
進む道を中心に、前方に向かって半円状に魔力を展開し続けている。脳内を木々の情報が駆け巡っているため気は休まらないが、それでも暇なのは確かだった。
「……!」
探査の端に野生動物が引っかかる。ネルグから離れるごとに魔物の数は少なくなるようで、引っかかるのはもっぱら普通の動物だった。
この辺の生き物の勢力図では、人間が頂点にいる。そんな生態系が如実にわかる道中だ。
夜の宿で行う夜警が、それなりに面倒くさかった。
「では、昨日と同じに」
「はい」
気休めのようなカモフラージュのために、いくつかの宿に部屋を取る。その内の一つに二人を収容し、もう一つ違う宿で護衛の一人が本当の休憩。
そして残った護衛二人のうち、一人はストナとルルの部屋の前で待機。もう一人がその宿の周囲を警戒する。
途中三回の交代があるが、そのおかげで細切れになる睡眠時間が地味なストレスだ。
一部屋の警戒ならば、寝ていても僕は出来る。その自信があるのに、騎士との共同だということでそれが出来ない。
立って起きて周囲を見張っている。対応出来る出来ないでは無く、その行動自体が重要だということだ。
面倒くさいことだが、やらなければいけないこと。部屋の前で待機している僕はきっと、渋い顔をしていただろう。
いっそ馬車の中で寝泊まりしてくれれば楽なのに。
そう思いながら、僕の夜は更けていった。
宿の食事にも、当然文句は出る。
宿の人に聞かせるのは忍びないので、魔法で消音したのは僕のファインプレーだろう。
宿の食事は部屋まで持ってこさせていた。
同じ建物内のため、品数や品質は道中とは違い店のものそのものだ。冷める以外は文句のつけようが無いと思うが、それでもやはり気に入らないらしい。
「まあ! 粘りけの強い粥ですこと! よっぽど強くかき混ぜたのねぇ!」
「お母さ……様、それぐらいで……」
「いいのよ、ルル。これからはこういうことに遠慮しないで!」
お粥の米の砕け具合など、人の好みだろうに。僕はどんなに砕けていようが気にしない。
味も良かったのだ。魚と玉子が具に入り、塩味でまとめられていた。一般的な粥だろう。
そこまで考えてハタと気がついた。一般的な粥だから文句を言っているのだろう。
ここは安宿では無いが、高級な宿でも無い。少し高いランクの大衆宿だ。
『これからはこういうことに』というのは、今までの生活からランクを上げていくためだ。もう貴族になったつもりなのか。
宿を出て、次の街に向かう。道中はまた森の中だ。
ネルグに離れたここはもう根の張る地面では無く、普通の土だ。だが根や石を踏み、ガタンと馬車が跳ねる度、文句の声が出た。
「ギャア!」
その度に浮かぶオトフシの苦笑いに、少し気分が良くなる気がした。
「馬車に乗ったことはありませんが、あれって普通のことですよね?」
「フフン、まあそうだな。最近、何処かの貴族が馬車を改良し売り出したらしいが……それでも馬車は揺れるものだ。貴族の使う高級なものでもさして変わらん」
そんなものが出たのか。僕は馬車に乗ることが無いだろうから関係が無いが。
貴族の馬車でも揺れるのに。それだけで叫ぶあのご婦人は、いったい何処の貴族のつもりなんだろうか。
「で、だ。街を出てから、ここまで何人だ?」
オトフシの脈絡の無い質問。何を聞いているのか大体わかっているが、一応確認しておこうか。
「何の数でしょうか?」
「フン、とぼけなくてもいい。妾も一応紙燕を周辺に放っているからな。大凡の数と様子はわかる」
「わかってますけどね。……ええと、六人です」
僕は指折り数えて人数を出す。
その数は、前の街を出てから片付けてきた刺客の人数だった。
「ほう。妾も捕捉出来ていない者がいたか。流石だな」
「いえ」
通行人はたまにいる。
森の中で狩りをしている者も、いないわけではない。
だが、武器を携え息を殺し、街道を窺い、そして馬車の音と姿を確認して忍び寄る。それはそのどちらでもないだろう。
危険そうなそれらは皆、姿を見せる直前に頭部に穴を開けている。こちらに寄ってこないのであれば見逃そうとも思ったが、やはり皆、後ろの馬車に向かって意思を持って動いていた。
もしも関係の無い賊であっても、武器を構えている以上行き着く先は僕らの安全を脅かす行為だろう。容赦しなくてもいい。
「今日、街を出てから急に増えましたね。何かあるんでしょうか?」
「まだお前は間違えていない。故に、妾が助言することはまだ無い。その辺は自分で考えろ」
言葉で冷たく突き放されるが、その表情は言葉とは少し違っていた。
だがきっと、オトフシが今それを尋ねたことが何かの助言なんだろう。『まだ』と言うのも気にかかる。
そしてもう一人の乱入未遂者を片付けたところで、視界の端に馬車が見えて気がついた。
そうだ。これは護衛任務だ。
僕が危険ではない。そんなことはどうでもいいのだ。
事前に決めていた合図。
両手を上に掲げ、大きく交差させる。程なくして速度が緩まり、馬車も僕らも完全に停止した。
それからゆっくりと馬車が近付いてくる。御者台に座るサーフィスさんは、不服そうに僕らを見ていた。
「何事だ」
「緊急事態です。先程から、この馬車を狙う者が多数、森に伏せています」
「……何を根拠に」
そうだ。僕が前を走っている理由を忘れていた。
斥候じゃないか。何か変わったことがあれば、すぐに情報を共有すべきだったのだ。
言いながらちらりとオトフシの方を見ると、褒めるように微笑っていた。
周囲を見回しながら僕の言葉を待つサーフィスに、柄に手を掛け背後の警戒を強めるキーチ。
訓練された騎士達のその姿を見て、僕は少し反省する。
きっと僕は油断していた。
もう、襲撃が始まっているのだ。