宴会には似合わない
ピタリとテトラが足を止める。
もう、すぐそこが開拓村だ。向こうに門が見え、中のガヤガヤとした音が聞こえてくる。
討伐が終わり、陰惨な雰囲気が消えたのか中の音に笑い声も混じっている気がした。
「……どうしました?」
「ここまででいいわよ」
こちらを見ずに、テトラは言う。怒っているのか呆れているのかわからないような、冷たい声だった。僕もテトラの顔を見られずに口を噤んだ。
木々が風で揺れる音がやけに大きく聞こえる。
もう、血生臭い光景ではない。でも、僕はまだクラリセンにいる気がした。
「……ヘレナが死ぬとは思わなかった」
テトラはゆっくりと口を開く。僕は何と言っていいかわからず、言葉の続きを待った。
「私はまだ、何とかなると思ってたのよ。少し痛い目は見るだろうけど、また同じような暮らしが戻ってくるって。毎日ヘレナとお茶会をして、それで笑っていられるって」
こちらを向いたテトラは、笑顔だった。
「でもそう思ってたのは、私だけだった。あの子もあいつも、あんたも、誰も元に戻せるなんて思ってなかったのよ」
心の内を言い当てられたようで、心臓が跳ねた気がした。
僕は町長が死んだ夜、確かにそう感じていたのだ。
「馬鹿よね、私って。あんた達は色々と考えていたのに、ずっと楽天的だった」
「そんな人も、必要ですよ」
本心だ。皆が皆同じように考えている場など、やりづらくて仕方が無い。
「あんたは、私にも仕事が残ってるって言ったわ。でもきっと、あんたと私の出来ることは違う。それはあんたもわかってるでしょ?」
「…………」
肯定も否定も出来ない。
「ようやくわかった。あんたは悪い人じゃないけど良い人でもない……勝手な人だわ」
「……薄々、自覚してます」
テトラに何も言わずに、自らの行動を決めていたのは僕だ。
どうも僕は人の行動を予測して決めつける癖があるらしい。そして決めつけた予測を基に、誰にも言わずに自らの行動を決める。
これは魔法使い病だろうか、それとも石ころ屋病とでも呼ぶべきものだろうか。さもなければ孤児病か。
他人の行動など、予測不能なのが当たり前なのに。
考えに耽る僕に、声色を変えてテトラは言葉を発する。
「ね、私から一つお願いしたいんだけど」
何だろうか、いきなり話の展開が変わる。ついて行けずに僕が黙ると、テトラは地面を見つめて拳を握り締めた。
「あんたが悪くないことはわかってる。クラリセンの惨状も、ヘレナが死んだのも、町長が殺されたことも、あんたは何も悪くない。わかってる」
歯を見せて笑いながら、テトラは僕を見る。
「でも、八つ当たりさせて欲しいの」
「……何をする気でしょう」
「一発、殴らせて」
有無を言わさず、僕の頬に衝撃が走る。
歯と頬の肉がぶつかり、口内が派手に切れた。
血の味を噛み締めながら、僕はテトラを見返した。
「……すみません」
何を謝っているのか、自分でもわからなかった。しかし口をついて出た謝罪の言葉に、テトラは首を振った。
「あたしは謝らないわよ」
「ええ。ありがとうございます」
根性注入という奴か。目の前の見えない靄が少し晴れた気がした。
テトラは僕から目を背ける。ビンタではない豪快なパンチは慣れないようで、右手を少しさすっていた。
「前に連れて行った、ハシランさんの食堂、ね?」
「はい」
「あそこ、私が知ってるなかで一番美味しい店じゃなかったのよ」
「……? そうなんですか?」
店主の性格を除けば、とても良い店だとは思ったが。それよりも上を知っていたのか。
「私も、ちょっと小賢しかったわ。いや、そんなことはどうでもいいの。……村……いえ、街は、復興出来るの?」
ゆっくりと口を開いたテトラはそう僕に尋ねる。話題の移り変わりが激しい。
「ここに集まってくる人次第、という感じでしょうか。少なくとも僕は、無理だとは思っていません」
本人は意気消沈してしまってはいるが、昨日のオラヴの演説はきっと効果があっただろう。他ならぬ僕ですら、出来るかもしれないと思ってしまったのだから。
「そう、なら大丈夫ね」
テトラは頭をガシガシと掻き、そしてその手を力なく下ろした。
「次は一番美味しい店、教えてあげるから、また一緒に来てくれる?」
「……期待してます」
僕の答えを聞き、一瞬フッと笑いそしてテトラは歩き出す。
「またね」
「ええ、また」
テトラは振り向かない。ゆっくりと歩いて行く。
人の心の内は見えないが、その後ろ姿を見て思う。僕にもう出来ることはない。僕はもう、彼女に対して何もする必要が無い。そう思った。
僕も元の拠点に向かい歩き出す。
ふと、口の中が気になった。舌に触る異物。コロコロした塊を二粒手の中に吐き出す。そこには、血に塗れた乳白色の塊が転がり出てきた。
闘気など篭められていないだろうに、あのパンチで左上の臼歯が二つ折れていたのだ。乳歯だから別に構わないが、不便だし後で治しておこう。
……テトラの激励も出来るだけのことはした。
これで、この街で出来ることはもう終わりだ。
夜の全体報告の後、イラインへ帰ろう。
開拓村での夜。そこでは、武装解除した探索者達が壁に掛けられたクラリセンの地図の前に集まっていた。
ギルド職員とオラヴがその前に立つ。多分居るはずだと探せば、会場の端にはレイトンとオトフシが目立たぬように佇んでいた。
僕は手ぶらだが、皆の手には酒の入った木杯が持たれており、今から行われる行事の種類を表している。
端の方には食事が煮えた大きな鍋が置かれ、蒸気をモクモクと出していた。
とても美味しそうな匂いだ。しかし皆それには目をくれず、手近な人間との手柄話や自慢話に花を咲かせていた。
ギルド職員が目で合図を送ると、オラヴは一歩前に踏み出す。
それだけで、会場はシンと静まった。大したカリスマ性だ。
「皆の衆! ご苦労だった! 皆の尽力のおかげで、街を占拠した狼藉者どもは殲滅出来た! 礼を言う!!」
大きな声でオラヴは叫ぶ。小さい会場で、不要なほど大きな声。その音に、全員が全身を包まれたかのように震えた。
「一部騒動はあったものの、これにて一件落着! 重ねて言う! ご苦労だった!」
探索者達はやり遂げた達成感か顔を見合わせ笑い合う。垢じみて汗臭い会場ではあるが、爽やかな雰囲気が漂う。
そして今度はギルド職員が声を上げる。ガヤガヤと騒がしい中によく響いた。
「皆様お疲れ様でした! 報酬に関しては、イラインのギルドで支払われます! 詳しい評定はこれから為されますので、明日の正午以降! 受け取りをお願いします!」
職員の声に、歓声が上がる。どんな理由を持ってクラリセンへと来たにしろ、報酬は嬉しいものなのだろう。
「また、今回討伐した魔物を素材として欲しいという方は、それも考慮させて頂きますので、明日の昼までに私ども職員にお申し出ください」
一応、そういう形式で受け取ることも可能なのか。
といっても、大犬は素材として使える部位はほぼ無かった気がするし、牛なども同様だ。少し考えても、浮かぶのはステニアーバードの毒袋くらいだろうか。たしかあれも、三日ほどで失活してしまうので使いどきが限られてしまうと思ったが。
「まあ、報酬の話などは今はどうでもよかろう! 今宵は宴席を用意した! 皆のもの、食え! 楽しめ! それが生きているものの特権じゃからな!」
連絡が終わった職員を押しのけるようにして、オラヴが言う。
酒を掲げ、また息を吸った。
「この酒が、明日からの活力になるように。乾杯!」
歓声が上がる。オオと声を上げて、多くの探索者達が一気飲みをした。
半数以上はその酒の強さに顔を顰めたが、それでも嫌そうな顔は誰一人していない。
宴会が始まる。きっと、街の向こう側でも同じようなことをしているのだろう。
イライン側と同じように、宴会か祝勝会か、それに準ずる何かをして、区切りを付けているのだろう。
義理は果たした。
僕がここにいる理由はもう無い。帰ろう。早々にイラインへ。
僕が会場の端に目を向けると、レイトンもオトフシも姿を消していた。
同じような考えなのか、それとも違う考えがあるのかは知らない。
だが、同じ行動を取る仲間がいた気がして、少し僕の顔が綻んだ。
「カラス様」
宴会場から離れようと振り向いた僕に、後ろから声が掛かる。
ギルド職員だった。
「はい、何でしょう」
適当に返事を返すが、用事は何だろうか。首を傾げた僕に、職員は少し声を落として言った。
「申し訳ありません。物が物ですので、早急に確認しておかなければならないことがありまして」
「前置きは要りませんので、用件をお願いします」
「わかりました。カラス様が討ち果たした竜の素材はどうなさいますか? 通常通り、全て売却した後金貨としてお支払いさせていただいても大丈夫でしょうか」
竜のことか。今必要な素材はないので、別に全て換金しても良いだろう。
「ああ、それなら別に」
いい、と言おうとした僕の頭の隅に何かが引っかかる。何か忘れているような気がする。
何だろうか。僕は何か欲しいものでもあっただろうか。
鱗? 別に欲しいとは思わなかった。竜鱗の鎧はあれば便利だとは思うが、サイズがどんどんと変わっていくので今鎧を買う気は無いのだ。
ならば、血? 滋養強壮に良いと言っても、飲み続けなければならないのが困る。大量に貰っても腐らせてしまうのがオチだ。それならば、適当な薬草でも自分で採ってきた方が安定供給出来る。
角は死にかけの禿げ頭を、みどりなす黒髪を束ねることが出来るようにまで回復させるという。そんな育毛効果があるというが、まだ別に要らないし……。
何も食指が動かないが……。
脳内に閃光が走る。思い出した。
食指! そうだ、食だ!
「いえ、でしたら肉を頂きたいです」
「肉……ですか? 筋肉の一部と言っても、使い道はありませんよ?」
「大丈夫です。使うわけではありませんので。尾の部分と肩の部分、あとは内臓にかからない背中の部分を、一斤ずつください」
テールと肩ロースと、サーロインかな。美味しいと良いが。
「は、はあ。わかりました。一応凍結処理は致しますが、腐ってしまった場合は廃棄されますので、お早めに受け取りをお願い致します」
「わかりました。明日か明後日中には」
僕が答えると、不思議なものを見る目をして、職員は離れていった。
もう一つ気がついて、僕はその職員を呼び止めた。
「そうだ、あともう一つお願いしたいんですけれど」
「あ、はい。なんでしょうか」
疲れたような顔で、職員は目を何度も瞬く。
「背中に割れた鱗があったと思います。その鱗と、その下の肉を一尺ほどの大きさで良いです。深さは傷より少し厚いくらいで。出来るだけ傷つけずに塊で頂けますか」
「割れた鱗……ですか。わかりました」
何を言っているんだろう、と言うような顔をまた見せた後、また呼び止められるんじゃないかという懸念からか振り返り振り返り職員は歩いていった。
その職員が人の輪に入っていくのを見届けた後、改めて僕は振り返る。
イラインの方を向けば、闇夜がぽっかりと広がっていた。
よく考えてみたら、きっと解体中だろう。肉は今貰ってくればいいのだ。
そうは思ったが仕事の邪魔をしてはいけない。
凍らしてくれるそうだし、そちらは急ぐ必要は無いだろう。
魔力は徐々に回復しつつある。今は半分ほどといったところか。
深夜まで寝て八割方回復したところで、イラインへと発とう。
眠れる手頃な木を見つけ、幹の上、枝の根元に寄りかかり休む。
宴会の賑やかな音を聞きながら、僕は静かに眠りについた。
次の日の朝。強行軍でイラインへと舞い戻った僕は、建物の前で佇む。
もう、中の店主はカウンターに座っているだろう。
懐かしい雰囲気と感傷に浸っていたようで、僕は溜め息を吐く。
意を決したように、ドアの取っ手に手を掛ける。
上を見れば、そこには割れた看板。そして見慣れた店名。『石ころ屋』と書いてあった。