最強の一撃
眼前に迫る脅威。
竜。以前死体を見たことはあったが、生きている姿を見たのは初めてだった。
以前見た竜とは見た目が大分異なってはいるが。
鱗の下で力強くうねる筋肉、岩盤を掘り進むために強くなっているのだろう爪、邪魔にならないように身体にへばりついている翼、どれを見てもあの日の火竜とは違う風に見えた。
色からして違うので、おそらく火竜ではないのだろう。
その爪や、地面を潜ってきたことから考えると、話しに聞く地竜だろうか。それくらいしか判断材料がない自分が悲しい。
姿を現わし、ゆっくりと歩み寄ってくる竜。
歩くという行為。足を持つ生物であれば当たり前に行うそのごく普通の行為だけで、地面が揺れる。
身体に引っかかった樹木が倒れ、生木が裂ける音がした。
巨大な脅威。それを見て、恐らく普通は怖がらなければいけないのだろう。
振り返ることも忘れ、一心不乱に逃げるべきだろうか。それとも地に伏して、息を殺して震えているべきだろうか。
不思議なことに、そんな気はさらさら起こらなかった
怒りを持っているように、周囲を踏みつぶしながら歩く竜。度々、その牙をカチカチと鳴らす。勇者をも竦ませるというその咆哮も、僕を竦ませるには至らない。
……怖くないのだ。
おかしい、何故だろうか。この巨大な災害が目の前にいても、僕の内心は変化が無いように思えた。
握り締める拳に力が入る。一歩踏み出す足は力強く、確かに地面を踏んでいる。
こんな大きいだけの蜥蜴であれば、何とでも出来る気がするのだ。
なるほど。ちらりとレイトンを振り返る。
先程確かに言っていた。『人に押しつけられる仕事は全て押しつける』と。
レイトンも、街の壊滅は望んでいない。あの男の判断では、この仕事は僕に押しつけられる仕事なのだ。
その証拠に、僕は眼前の魔物に何ら脅威を感じていない。
強制的に恐怖を喚起された、フルシールの方が怖かったくらいだ。
レイトンが僕の力を正確に判断していたというのは少し癪だが、いいだろう。
乗ってやろうと思う。
ぶわりと空気が動き、生臭い臭いがする。
迫り来る地竜の顔面。その大きな顔が、僕へと近付くのに大分かかった。
身体の大きな分だけ、動作に時間が掛かるらしい。いや、これは大きすぎてそういう風に錯覚しているだけだ。目測を誤っている。
魔力を再展開。距離を確認し、僕の感覚を修正する。
そして次の瞬間、僕の身体を吸い込むように、竜の口が近付いてくる。大きな、とても大きな顔だ。
僕の身長と比べても、三倍以上の高さはあるだろう。
食べられるわけにはいかない。障壁を展開し、押し止める。
流石に大きな衝撃があった。反作用など無いはずだが、僕がそう想像したからだろう。踏ん張る足が地面にめり込む。
「ギョアアアアアア!!」
苛立つ竜の咆哮。間近で受けるが、ただ五月蠅いだけだ。
ヘレナの小屋が軋む音がしたが、誰もいないから大丈夫だろう。
首を跳ね上げるように竜は一度引くと、僕を憎々しげに睨んだ。そんな感情があるかどうかもわからないが、少なくとも僕にはそう見える。
さて、どうやって殺そうか。
竜の身体は素材の宝庫だ。竜鱗と呼ばれるその鱗は、竜の種類にもよるが頑丈で熱を通さず衝撃に強い。その血は滋養強壮の効果があり、飲めば鳥が傅くようになるとか。
その他眼球や内臓、爪や牙に至るまで、使いどころの宝庫だ。
肉も少し食べてみたい。
そんな便利な魔物だ。
出来るだけ価値を落とさずに殺すには、どうしたらいいだろうか。
首を落としてもいいが、そうすると血が噴き出て無駄になってしまう。
鱗を少しずつはぎ取りながら、心臓を傷つける? いや、そうすると時間が掛かるし被害も増える。
強い魔物なので狩られた事例が少なく、多くの場合は柔らかい腹部が傷だらけになった上に首を落とされ死ぬというのが一般的だったとは思うが……。
唇に指を当て、悩む僕に竜が爪を振るう。
僕を障害だと思ったのだろうか。その爪は、木を薙ぎ倒しながら僕を排除しようと伸びてきた。
勿論、難なく障壁で封じられる。
とりあえず、その指先ごと爪を切り飛ばすと、丸太のような指が宙を舞い地響きを鳴らしながらゴトンゴトンと地面に落ちる。
これだけで一財産だろう。
僕はそれを横目で見ながらそう思った。
「ギョオオオオオ!」
竜が後ろに飛び退く。やはりそれだけで地面が揺れ、そして森が割れるように木々が砕けた。大きいというのはそれだけで厄介なものだ。
ふと自らを省みて笑いが込み上げる。
竜だ。目の前にいるのは、神々の時代、星々を地面に落とし山脈を作り上げた者たちの子孫であると言われている種族。一頭で都を壊滅させ、かつて魔王を倒し世界を平和に導いた勇者ですら死を覚悟したと言われる竜なのだ。
それを目の前にしているのに、何故僕は金勘定などしているのだろうか。
何故、そんなことを考えていられるのだろうか。
オトフシが言っていた。僕は考えすぎだと。
少し、意味がわかった気がした。
目の前に、僕を殺しうる脅威が迫っている。まずは、必死に抵抗すべきなのだ。
こんな考えごとなどする前に、退治か逃げるかするべきなのだ。
オトフシの言葉の続きを思い出す。子供らしく、素直にやれ。
その通りかもしれない。
たまには、そうしてみてもいいかもしれない。
子供がすることといったら何だろうか。
決まっている。無心でひたすらに、目の前の問題に立ち向かうのだ。
視界が開ける。今からの僕の行動は決まった。
油断はしない。だが、格下相手だ。
この街で散々やってきた、大犬の退治と変わらない。
だが、大犬よりも頑丈だ。思いっきり力を込められる。今の全力で。
たまには全力で、素材とか得になるとか、今後のこととか考えずに行動してみよう。
正直、今は何も考えたくない。それも本音だ。
ヘレナに対しても思うようには行かず、テトラへの対応に行き詰まり、この街の今後を問われて答えは出せていない。
思い通りにならずに、ストレスも溜まっている。
そうだ、僕は子供だった。
まだこの世界に生まれ落ち、十年ほどしか経っていない子供。
前世はもとよりこの世界においてすら成人で無く、まだ丁稚奉公が精々な歳だ。
この街の今後や、後始末や金勘定など、大人達に任せてしまえばいいのだ。
竜が全身を使い飛びかかってくる。
全身と簡単に言うが、山のような巨体だ。身動き一つで、それは強力な攻撃となる。
切り落としていない方の爪や足、飛んでくる礫や木々を反らしながら、僕は狙いを付ける。
竜を殺す。
竜を殺すと言ったら、僕にはあの光景しか浮かばない。
あの竜の死体。そして青空を裂いたあの光。
奥の手を、解禁するときだ。
囮になるように、出来るだけ街の方に行かせないように立ち回る。
動き回る僕の方に狙いを定めてくれているおかげで、街の方には殆ど被害が出ていない。
良い感じだ。もう少し、街から離れたところが良いだろう。
街の被害を考えてしまうのはもう諦めよう。性分だ。
「ギョオオアアアア!」
竜の咆哮に熱が籠もる。
口をもごもごさせたかと思うと、何かを僕に吐きかけてくる。
土を唾液で固めた散弾。大砲の弾かと思うほどの勢いで、僕の障壁へとぶち当たる。
少し障壁に罅が入った気がする。
それを見て、すこし笑みがこぼれた。
そうでなければいけない。
竜とは、強いものでなければ。
実際には脅威とも思っていないのに、強い者であって欲しいという矛盾した感情が僕の胸中にはあった。
空中へと浮遊していく。
数百メートル上空へ上がると、地竜は首を折り曲げ僕を見る。
悠長にしていてはいけない。今でも凄まじい勢いで散弾が飛んできているのだ。
油断が出来ない。それが少し楽しかった。
手を上に掲げ、掌を空に向ける。その掌の先、空中に魔力を集中させる。
形作るのは、矢だ。
弓は要らない。弓など僕には使えないし、僕がその弓の代わりとなる。
魔力を限界近くまで注ぎ込む。
レイトンとの戦闘で、今の僕は本調子ではない。絶好調の時と比べて、魔力量は半減しているだろう。だが、充分だ。
気を失わない最低限を残し、後をその矢に注ぎ込む。
青い光が手の先で輝く。
マグネシウムが燃えるような、強い光だ。
地竜が土を口の中に溜める。
僕はそれを見て、可笑しくなって口の端が吊り上がった。
そんな豆鉄砲で防げるものか。焦っているように、口をもごもごさせて大きな砲弾を作っている竜が、少しかわいく見えた。
僕の装填が終わる。
竜の、絶命の時間だ。
「貴方に恨みはないですけれど、僕も少しストレスが溜まっているので」
言い訳をするように、口から言葉が漏れ出る。内心の吐露を、今は我慢出来なかった。
右手に力を込める。
「模倣ではありますが、僕が見た最強の男が撃った、最強の一撃です」
青い光を投擲するため、思い切り振りかぶり、そして解き放つ。
「《山徹し》!!!」
次の瞬間、青い光で視界が染まる。
真っ白になった視界の中、何かの空気が抜けるような、プシュンというような音がした。
光はすぐに収まる。
「……やば……」
落ちていく僕の体。まずい、浮かんでいられるだけの魔力まで計算していなかった。
すぐに闘気を活性化し、体勢を立て直す。
落ちていく最中、僕が見た地上には、陥没というよりも、地の底まで続くような大きな穴。
そして、胴体が殆ど無くなった竜の姿があった。