あの時と同じく
ヘレナの小屋まで来ると、事態は明白なものとなっていた。
ドスンドスンと大きな音を立てて、ネルグの奥の木々が震えている。
走り来る兎や飛んでくる小鳥、あとは灰色狼などの魔物、それらが脇目も振らずに逃げてくる。僕やレイトンを見ても襲ってくる様子もなく、ただ街に駆け込むように通り過ぎていくだけだった。
「一応入れないようにね」
「わかってます」
魔法を使い、大きな動物と魔物の頭部に穴を開けていく。大量の魔物を、近付かずに処理できるのは便利なものだ。
レイトンが剣を振る度に、ゴトリゴトリと首が落ちる。
小動物は通ったり通らなかったりまちまちだが、それはそれでいいだろう。僕はなるべく殺さなかった。
「魔物使い、じゃないですね」
僕は確認の言葉を口にする。森の奥の方から、まさしく湧くように生物が飛び出し続けていた。
「勿論そうだろうね。魔物使い自体希有な存在だ。こんな小さな開拓村に、そんなに揃う事なんて考えづらい。……となると……」
レイトンが剣を振る。
「ミ!?」
それにより弾かれた赤い虎は地面を滑り、起き上がりレイトンを睨む。森の奥で音がする。それを聞いた虎は、レイトンに構っている暇はない、というような様子で僕の横を駆け抜けようとしていった。
僕はその後ろ姿に魔法を撃ち込みながら考える。
「やっぱり何かから逃げてますよね?」
「そうだね。何か強い存在から逃げて……」
言葉を切り、森の奥を見据えるレイトン。その視線を追って、僕も気がついた。
誰か、走ってきている。
二人組だ。まるで何かから逃げているかのように後ろを振り返りつつ、木々の間をすり抜けてきていた。
茶色いフード付きの外套を羽織り、顔がよく見えない。だがその動きは、森に慣れている者の動きだった。
一人が落ち葉を巻き上げながら急停止する。それを見て、もう一人も倣ったように立ち止まる。先に止まった方が、僕達を見て静かに声を上げた。
「げ! あいつって!」
「どしたの? 姉さん」
もう一人は状況が飲み込めていないようで、立ち止まった方の顔を覗き込んでそれから僕らを見た。
「……くっ、あの女! 殺すことはおろか足止めも出来ないのか!」
そう言いながら、背中に帯びた剣に手を掛ける。そしてその刀身が少しだけ見えたところで、また森の奥からドスンと音がした。
「ちぃ!」
「あ! あいつ! カラスよね!? ご主人様の敵!」
音に気を取られ、後ろを確認する一人にもう一人がそう尋ねる。
何というか、反応がワンテンポ遅い。そう思った。
……待て、あの少し小さい方は何と言った?
今、僕を名指しした。その上、主人の敵、と。
何だ? 誰だ、あれ。
レイトンは柄に手を掛け、二人に向けて牙を剥いて笑った。
「知り合いかな?」
僕の方を見ずにそう尋ねてきたが、僕は何も知らない。
「すいません。心当たりがありません」
実際、何一つ身に覚えがない。あまり恨まれるような行為をしたことがないし、僕を恨んでいるとすればレヴィンとサーベラス親子くらいか。だがあの二人はそのどれでもない。
ご主人様と言っていたから、その辺りの縁者かもしれないが。
「……! 余計なことを言うな! とにかく、あの二人は回避していく! ここにいると危険が大きい」
「でも!」
声からして妹だろうか。姉さんと呼ばれていない方が食い下がる。姉の方は僕らの方を見ながら、それでいて眼中に無いような話しぶりだった。
話しぶりからすると、事情を知っているようだ。それに、逃げようとしている。
怪しい。
それに、無視されているような態度に少し腹が立った。
「とりあえず拘束しておきます」
「頼んだ」
レイトンは走ってくる動物を切り飛ばしながら、軽く答えた。
「では」
彼女たちは、僕らを避けるように横に回りつつ街の中に駆け込もうとしているらしい。
そんなことはさせない。
念動力で走り出す二人の手足を縛り、空中で固定する。
「!? 何だこれ!?」
「なー! なー!?」
じたばたと、暴れようとしている彼女らは僕の手によるものだと気付かないらしい。察しの悪いことだ。
だが、そんなことは関係ない。そのままふよふよと、僕らの方へ引き寄せる。
流石に僕のすぐ近くまで来れば、それが僕の仕業だと察したのだろう。今度は身を硬直させ、僕のことを睨んでいた。
「僕のことをご存じらしいですが、どちらさまでしょうか」
「離せー! 離せよー!!」
妹が喚いている。大きく開けた口から、妙に大きな牙が見えたのが印象的だった。
僕は念動力を強くする。ぎしぎしと、骨が軋むような感触があるまで握り締めるように締め付けた。
「もう一度お聞きしますが、どちらさまですか?」
「…………」
「う、ぎぎぎ!」
姉の方は無反応で、妹の方は抵抗に夢中で僕の方を見もしない。無反応の姉よりは妹の方が与しやすいだろうか。そう思い、妹の頭部に干渉してグイとこちらを向かせる。
銅色の瞳が、僕を真正面から捉えた。
「お話出来ますよね?」
「う……! お、お前に話すこと何て何もない!」
「今の立場がわかっていますか」
拘束を更に強くする。とりあえず、両手の関節を全て逆に折り曲げ、可動域を越えて解剖学的制限まで伸張させる。少しでも力を込めれば、折れるか外れるかするだろう。
「痛、痛い痛い!!」
「ちなみにこれ、お姉さんの方もやってますので」
痛みに呻きながらも、妹が僕を睨む。姉の方は相変わらず目を閉じて無反応だった。
痛みが足りないのだろうか。そう考えた僕は、足の関節でも同じ事をする。だが反応は変らない。
そもそも拷問のノウハウなど無いのだ。次に何をしようかと悩む僕に声が掛かった。
「尋問代わろうか?」
逃げてくる動物が一段落したのか、レイトンが僕に寄ってくる。抜き身の剣を鞘に収めず、ブラブラと軽く持っていた。
「正直、お願いしたいです」
「ヒヒ、了解。といっても、ぼくも得意じゃないんだけどね」
森の奥で、ドスンと音が響く。
その音を聞いてまた二人はびくつき、後ろへ振り向こうとするが、僕がそれをさせなかった。
さっきから、この音は何なのだろうか。
「……ふうん」
レイトンはその様子を眺めて何か気付いたかのように目を細める。
「拘束解いて良いよ。この子達の尋問は少し離れたところでするから」
「任せてもいいんですね?」
僕の問いに、レイトンは無言で応える。そして僕が彼女らを地面に下ろそうとしたそのとき、こちらに走ってくる足音がした。
何事かとそちらを見る。するとそこには、オラヴが複雑な表情で立っていた。
「……その娘らが、今回の下手人かの?」
「ヒヒ、まだわかっていないよ。お前の言葉を借りるなら、黒に近い通りがかりの人、ってとこかな」
「そうか。拘束も、やむを得んな」
ぼやくようにオラヴは呟く。その手は力なく下がっている。
先程とは反応が違っているのがよくわかった。
「……まあ、残念ながらお前と問答している時間はなさそうなんだ。オラヴ、魔剣無しで竜は倒せるかな?」
その言葉に僕は戸惑う。脈絡無しに、何の話だ。
オラヴもわからないのか、一瞬迷うような表情をしたあと、静かに答えた。
「大きさにもよるし、戦えと言われれば戦うが、正直厳しいのう。この小さな鎚では、怯ませるだけが精々じゃ。……何故じゃ?」
「もうすぐわかるよ。他の探索者達、特に色つきはどうしてる?」
「街に入ってくる魔物達の対応に当たっとるよ」
「じゃあ、お前はその指揮にあたるべきだね。ぼくはこの子達の尋問をしてくる。原因への対応は、カラス君、任せた」
突然の名指しにまたも僕は慌てる。
「原因って。何が」
「キミもおそらくわかるはずだけど」
レイトンは二人の不審者を顎で差し、続けた。
「巻き込まれてもいけないし、彼女らと少し離れているよ」
そして、チラリと森を見る。
「もうあまり時間は無いし、すぐにわかるから解説は不要だよね」
「だから、何が」
そう言い募る僕を無視して、両手で彼女らの首の後ろを掴み、レイトンは走っていく。
すぐに、焼け焦げた壁まで辿り着いていた。
残されたオラヴと僕。
一瞬視線を合わせて、どちらともなくすぐに反らした。
気まずい。
「ええと、よくわかりませんが、探索者の指揮に行った方が良いのでは?」
「……おう、任せい」
そしてのそのそとオラヴは動きだす。覇気が足りない気がする。
何かを考える素振りを見せた後、オラヴは走り出した。
昨日の演説とは全く違う元気がない姿。そんな姿を、正直僕は見たくなかった。
「さて、何が来ますかねぇ」
誰も聞いていないのに、僕は独り呟く。そして視線の先に意識を集中し、他のことを考えないようにする。
オトフシに励まされ、レイトンに促され、オラヴに触発されこれからのことを考えなければいけない今。だが、今は何も考えたくなかった。
ドスンという音が響く。
先程から響くこの音。この森の奥からの音を聞く度に、あの二人は怯えていた、ように見えた。
ならばきっと、この音、もしくはこの音の発生源が脅威なのだろう。
微かに土煙が見える気がする。それが、もうすぐここまで届く。
さて、何が来るや
ドンという音が響いた。先程までの、響く音のようではない。もっと直接的な、地面が割れる音だ。
その大きな音に、思考が止まる。メリメリと音を立て、地面が盛り上がる。ネルグの根がその鱗に引っかかり、持ち上がりながらプチプチと千切れていった。
土埃で視界が覆われる。
その煙の奥、黒く大きな影が踊る。その影が動く度に風が巻き起こり、影の正体がチラチラと見えた。
大きな目。
綺麗に並ぶ茶色い鱗。
薄い膜のような翼。
そして、並んだ鋭い牙。
「竜が来るんなら、先に言って下さい……」
空気を振るわせて、僕の目の前数百メートルで、竜が咆哮を上げた。