僕にも何か出来ること
僕は目を反らしながら、体を翻す。
「相談なんてありませんよ。ただ落ち込んでるだけです」
「フフ、強気だな。それならそれでいいが、ならば気を抜くな」
ようやく最初の毅然とした態度に戻ると、息が抜けたようにオトフシは微笑む。
先程までの、よくわからない自分の発言で腹を抱えていた姿とは大違いだ。
それを見ていて落ち着いたのか、僕は拒絶の言葉をはっきりと言うことが出来た。
「人が気を抜くのは、張り詰めていた何かが終わったときだ。終わるというのも色々とある。大別すると、成功した失敗した、達成した諦めた、というところか」
僕の言葉を聞かず、口元に笑みを湛え、しかし宙を睨むように見つめながらオトフシはそう述べる。
そして言葉を切り、僕を一瞬真正面から見つめた。
「お前は、どれだ?」
僕はその問いに戸惑う。僕が気を抜いていたというのは間違いないと自分でも思う。だが張り詰めていた何かというのは、僕にとって何なのだろう。
黙ってしまった僕に追い討ちをかけるようにオトフシは続ける。
「答えが出ない場合も様々だな。そのものを自覚していない、自覚したくない、終わったことを認めたくない、そして……」
オトフシは不敵に笑う。
「まだ終わってない」
その言葉に、僕はどこか腑に落ちたような気がした。
「紙術であの場は大体見ていた。お前もそれなりに街のために戦っていたらしい」
「見ていたんですか」
あの場とは、ヘレナに関わる一連の戦いのことだろう。レイトンとテトラの小競り合いから見ていたのだ、よく考えればその先を見ていてもおかしくはなかった。
「お前が落ち込んでいる理由は知らん。だがそれが、あの場に関わることであれば、それは早かろう悪かろうというものだ」
「まだ終わっていない、と」
「そうだ」
オトフシは深く頷いた。
「お前は街のために何をしに来たのか。オラヴが言っていたな。ここには様々な理由で来た者がおる、と。お前の理由も知らん。だがそれは達成されたのか? それとも失敗したのか?」
「僕は……」
そうだ、僕は何のためにここに来たんだろうか。決まっている。この街の救援だ。
それは達成されたとさっき思った。だが、本当にしたのだろうか?
「見ろ、この街の惨状を。魔物はもうほぼいない。だが、死体が溢れ、血に染まり、この世のものとも思えぬ汚い街だ。お前に出来ることは、もう無いのか?」
「いえ、まだきっと何かあると思います」
どんな状況であっても、何も出来ないなんてことは無い。確かに、きっと何かやることはあるはずだ。
「ならば、やれ。余計なことは考えるな。行動しているうちは人は悩めん。落ち込むことは出来ん」
そう言い切ったオトフシの澄んだ目は、何一つ恥じることの無かったオラヴの目に似ている気がした。
「……そう、ですね。ありがとうございます。何となく、気が楽になった気がします」
そう僕が礼を言うと、オトフシは得意そうに鼻を鳴らした。
「まあ、僕の悩みは解決しそうにありませんけど」
「だが、気にせずにいられるだろう?」
「それが良いことかどうかはわかりませんけどね」
きっと僕は、テトラに対して負い目を感じているのだ。それは、どうやっても解決出来そうにない。それが解決しないうちは「この街の救援を達成出来た」なんて胸を張って言えそうにない。
僕の内心を知ってか知らずか、オトフシは笑う。
「フフ、そうだな。これは詭弁だ」
そして、髪の毛をさらりと払いながら、溜め息を吐いた。
「だがお前が考えすぎだということは、これだけ短い時間しか見ていない妾にもわかる。もっと子供らしく素直にやれ。心のままにな」
「それは性格なので……」
発達によって得た物でもなく、まさしく生来のものなのだ。この性格は、一生変えられそうにない。
僕が自嘲していると、オトフシは眉を顰めた。
「まったく、妾が子供の時は……」
「ヒヒ、何十年前かな」
「黙れレイトン。お前も似たようなものだろう」
お小言が始まりそうになった途端に、レイトンとオトフシのじゃれ合いが始まる。
その漫才を見て、なお気が楽になった気がした。
一段落したオトフシが、僕の方を向く。
「ごちゃごちゃと色々言ったが、とにかく、まだ何も終わってはいない。気を抜くには早い」
「はい。気をつけます」
少なくとも、もう背後に立たれたのに気付かないなんて無様な真似はしないよう、僕は心に決めた。
「その服の傷跡からしても、お前の敵は魔物だけでは無いのだろう」
「……ああ、はいこれは」
小さな穴がいくつか開いた僕の外套を見ながら、オトフシは言う。以前レヴィンに撃ち抜かれた後が残っていた。小さな傷なので気にせずにいたが、その上からレイトンに裂かれてボロボロになってしまった。
流石にもう替え時だろう。帰れば家に何着か予備があるのでそうしようと思う。
「ふふん。その自覚があるならば、なお用心することだ。人間が敵、ならば、動機や立場を問わず、目の前の人間ですら」
僕の首元に、小指程の大きさのナイフが突きつけられる。
神速、という言葉が似合うほどの速さだ。
「このように、敵になることがあるのだから。……フフン……まあ、お前には要らぬ心配だったようだが」
無論、僕も無抵抗ではなかった。咄嗟に闘気で喉を保護しつつ、障壁を作ってある。その上、反射的に左手をオトフシの手首を折る形で添えていた。右手は鉈に伸びている。
僕の反応に納得が出来たのか、深く頷いてオトフシは振り返る。
「残りの魔物の掃討が残っている。手を抜くなよ。レイトン、お前もな」
「お互いにね」
お互い微笑んでいるのに、妙な緊張感がある。奇妙な空気だった。
「それで、オトフシ」
「なんだ」
歩いて去って行くオトフシに、不意にレイトンから声をかけた。片目を細めながら、迷惑そうにオトフシは振り向く。
「やめちゃうのかな?」
「……フフン、割に合わないようだからな」
それだけ言って、今度は振り返らずにオトフシは去って行った。
去り際に言った言葉。
それが何のことだかはよくわからなかったが、それを聞くべきでは無いと、何故か僕はそう思った。
「さて、オトフシがあんなに歩き回っているんだ。もうそろそろ掃討も終わりだね。ぼくらは拠点に帰るとしようか」
「今手を抜くなと言われたばかりじゃないですか……」
言われたそばから何言ってるんだこの人は。
「ヒヒヒ。オラヴはまだ残ってるだろうし、大丈夫だろう。人に押しつけられる仕事は全て人に押しつける。それぐらいしないとこのさき生き残れないよ」
「まあ、そうですね。この辺りにはもう……」
言いながら、魔力波による索敵をする。
今まで人前では使わなかったが、もう何人かに魔法が使えることは知られているのだ。
便利なものなら使わない方がおかしいだろう。
そう思い、飛ばした魔力波に反応があった。
僕はそちらを向き、一度大きく息を吸う。
「まだ何匹か大犬が残っていますの……で……?」
そして、そちらに向かうと言おうとした僕の言葉が止まる。レイトンはそんな僕を見て、怪訝そうな顔をした。
「うん? どうしたのさ?」
僕はあまりの不可解な事態に、レイトンの質問に答えられなかった。
魔力波に引っかかった街の北側、さらにその奥のネルグに、魔物が増えているのだ。
魔物だけでは無い。普通の動物もいるようだ。大犬のような大きなものは少ないようだが、それなりの数が森から街に向かって動いている。
「こちらに向かって、生き物たちが向かってきています……?」
言っていて、自分でも疑問系になってしまう。何故だ?
「……それは、どういったふうにかな?」
レイトンは目を細める。先程までの、適当な顔はもう無かった。
「わかりません。何かを追っている感じではありませんし、どちらかというと混乱しているような……?」
どういうことだ? 魔物達が操作されている? いや、それならばもっと規律の取れた動きのはずだ。
そうではなく、動物たちを踏みつぶしながら魔物が走り、倒れた魔物を乗り越えるように動物が走るような……。これではまるで……。
「……逃げている?」
「わかった。索敵に向かう。オラヴ達もすぐに気付くだろう、ぼくらは先行して街の北で待機。いいね?」
レイトンの迅速な指示が出るが、特に逆らう理由も無い。僕は素直に頷いた。
魔物使いは死んだはずだ。
僕は内心の疑問を余所に、レイトンと共に走り出した。