漁夫すら利せず
僕のところまで突風が吹く勢いで、オラヴは鎚を振るう。
その一振りで、レイトンに群がる鴉たちは振り払われ、……僕の横にまとめて落ちた。
まるでボロ雑巾のような扱いの三つ首鴉たちに少し哀れみは湧くが、それは今更というものだろう。
用が済んだとばかりに、三つ首鴉たちは散っていく。我先にと森の中へと消えていった。
後に残るのは、横たわる人間と立ち尽くす人間達、それと喜びを湛えた人間だけだ。
「……動くでない! 腕を頭につけ、神妙に致せ!」
オラヴがヘレナにそう叫ぶと、ヘレナは目を反らす。
勧告に従わず、ただ後退るようにオラヴから少し離れた。
「アハ、アハハハハ、死んだ、ようやく死んだ!」
虚空を見つめ、それからレイトンを眺めながら楽しそうにヘレナは笑う。今にも小躍りしそうだ。
「これで、シガン様も喜ぶわ! きっとシガン様も、敵をとって欲しいと思ってるもの! 何だ、簡単じゃない! こんな奴、初めからこうすれば良かった!」
目を左手で覆いながら、ヘレナは大きな声で一人言を続ける。オラヴはそれを、厳しい目で見ていた。
「そうよ、あんなに一杯いらなかったんだわ! あの子達を集め過ぎちゃったから、街があんなになっちゃった! 気持ち悪い!」
止まらないその言葉は、だんだんと熱を帯びていく。
「テトラがあんなに言うから、どれだけ強いのとか思ったけど、こんな呆気ないなんて! 警戒して損した! アハハハハハハハハ!」
もはや高笑いに近い笑い。その言葉の中に、自白が含まれていることを本人は気付いていないのか。
それからも、もはや聞いているのが苦痛なほど、ヘレナは喚き続けていた。
……これで自白は済んだだろう。
証言だけでは、それだけでは足りないと一蹴したオラヴも、レイトンへの凶行を合わせて見れば考えを少しは変えるはずだ。
肩越しにテトラを覗けば、青ざめた顔を引きつらせて震えていた。
僕はそこをチラリと見てから、ゆっくりとオラヴに歩み寄る。
「これでさすがに犯罪者、ですよね」
「むう……」
ヘレナを見ながらそう言うと、オラヴは苦虫を噛み潰したような顔で拳を震わせた。
街への襲撃に関しては置いておいても、レイトンへの凶行はオラヴ自らが直接目撃しているのだ。これを放置することは出来ないだろう。
ヘレナは喜びの余韻に浸っているようで、薄笑いでオラヴに言った。
「わ、私は悪くないわよ。た、たまたまあいつが魔物に食われて」
「ストゥルソン卿も僕も、あなたがレイトンさんを魔物の前に突き飛ばしたのを見ていますが」
言葉を遮りながら、僕は言う。
レイトンの方を見ると、血溜まりの中ピクリとも動かなくなっていた。
「な何よ、私が悪いって言うの?」
「悪くないはずが無いと思います」
たまたま食べられた、というのはレイトンの真似だろうか。
なるほど、そういうことは考えているらしい。だが、自らの犯行が目撃されているところまで考えるべきだと思う。
「ただ魔物を待機させておいたら街を襲っていた、なんてのとは訳が違いますよ。なんたって、直接手を出した。明確な殺意があった」
「カラス、お主……」
「加えて、今回も魔物の様子が変ですね。何故か執拗に前の三人を狙っていました。僕とテトラさんの方には、二回叩けば落ちるほどしか来なかった。何故ですかね?」
オラヴの方を覗き込みながら、語りかける。答えはもう出ているだろうが、それでもオラヴに言わなければ僕の気が済まなかった。
オラヴは震える拳を握り締め、ヘレナに向き直る。
「……! 悪いが拘束させて貰うぞ、もはやお主は疑わしい生き残りではない」
じりじりとオラヴが歩み寄っていく。後ろから見ても、唇が震えているのが感じ取れた。
……これで一件落着……かな?
捕縛されることはもう確定している。その上で、善良なうちに吐いた自白を信じられないとしても、犯人として吐いた自白なら考慮されるだろう。余罪としてで良い。
この街の壊滅に関しても、彼女が犯人なのは明白になったはずだ。
ヘレナの歯がカチカチと音を立てる。
「そそいつは野放しだったのに、私だけ捕まえるの?」
そして下がりながらヘレナはレイトンを指差す。言っている意味はわかるが、その話題は今出しても無意味だろう。ヘレナの額から、汗が一筋垂れた。
オラヴは動揺したように見えた。だがそれを見せぬようにだろう、深呼吸をしてヘレナに答える。
「今は関係ない。儂でも誰でも、誰かその時に相談すれば良かったんじゃ。さすれば、正当にお主は」
そして言葉を切り、ゆっくりと首を振る。
「話はあとで聞くでの。この事態の犯人として、な」
手を伸ばす。もうその手が届く距離だった。
「私は悪くないわ! だって誰も助けてくれなかったんだもの!」
「……それ、本気で言ってますか」
自分は悪くないと言葉を重ねるヘレナに、再度我慢の限界が近付く。
自分のために、大怪我を負ってまでかけずり回ったテトラのことを、ヘレナは見ようともしないのか。
後ろで息を飲む気配がする。痛ましくて、後ろが見れなかった。
「そう、そうよ、私に手を差し伸べて下さったのは、シガン様だけだった! 私は、あの人を奪ったレイトンを許せないわ! いや、ふふ、もう許すも何もないわね!」
死んじゃってるんだもの、と虚ろな目でヘレナは笑う。
それを見て、僕も嗤う。
彼女はそれを救いにこれから過ごすのだろう。
懲罰を受けようが、処刑されようが、『私は敵討ちを成し遂げたのだ』と誇りに思い、自らの心を慰めながら過ごすのだろう。彼女の中では自らは英雄だ。
彼女の心は倒れない。正しい行為の結果、間違った世界が不当に自らに裁きを下す。そう思いながら、最後まで行くのだろう。
だが、それはさせない。
石ころ屋の言葉ではないが、”悪は最後に倒される”べきなのだ。
悪の望みが叶うことはありえない。
といっても、僕がこれ以上何かする必要は無い。
このままでも、彼女の目的は達成されない。
いや、されていないのだから。
「話は終わったみたいだね」
ムクリと死体が起き上がる。いや、そもそも死んでいないのだ。
「……! レイトン! 何で!?」
「見たまんまだけど。治癒が終わるまで休んでたのさ」
首をコキコキとならし、血で体に張り付いたシャツをバサバサと払いながら、何事もなかったかのようにレイトンは答える。
落ちていた剣を拾い、軽い動作で鞘に収めた。
「演技だったのか……!」
オラヴが額に血管を浮かべながら、そう呟く。それをレイトンは一瞥し、微笑んだ。
「いや、実際に囓られてたし、痛かったよ。危ないところでもあった。頭を狙われるか、キミが振り払わなければ死んでいたね」
ありがとう、と頭を下げる。言っていることは、全て本当のことだろう。
僕の攻撃を素で弾き、遙か遠くの敵の気配を察知し正確に当てるレイトンが、肉弾戦の素人であるヘレナの攻撃で重傷を負うなんてあり得ない。
ただ、一般市民のレイトンは甘受したのだろう。そういうことだ。
「幸い、と言うべきかの」
「当たり前じゃないか。運が良かったね」
ケラケラとレイトンは笑う。実際、危なかったら自分でどうにかしていただろうに。
二人のやりとりを見て、ヘレナは唇を結んだ。そして地面を見つめ、鼻息を荒くする。
「あああ!」
そして意を決したように、顔を跳ね上げた。腕を大きく振り、誰も近寄らないようにと威嚇を始める。
ひとしきり喚くと、少しばかり落ち着いたのかヘレナは深呼吸を繰り返す。
肩で息をしながら、レイトンを見つめた。
「わわかった、わかったわ! 今日は駄目だった! でも、また次はやってみせる」
……何を言っているのだろうか。
理解しがたいその言動を読み解けば、またレイトンを襲うと言っているらしい。
次があると思っているのか。
僕も一歩踏み出す。確保に向け、足に力を込めた。
「バカ!」
後ろから、涙声で罵声が飛ぶ。
ゆっくりと振り返れば、テトラが叫んでいた。
「あ、あたしが、……何も、……何も考えずに……いたと、……あたしが、あたし……!」
頭を抱えながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。精一杯何かを伝えようとしているが、それは恐らくヘレナには伝わらない。
「テ、テトラ、大丈夫よ。きっと上手くやってみせるわ! 今回が惜しかったんだもの! 次は」
ぴしりと何処かで音がした。
「おい! 避け……」
オラヴが手を伸ばす。それをヘレナは振り払うように避ける。
僕の知覚の中で引き延ばされた一瞬。その時オラヴの行動が理解出来た。
割れていく地面。雰囲気に飲まれていたのか、僕も直前まで気がつかなかった。
慌てて振り返る。
もう、間に合わない。
後ろに飛びつつ、テトラの頭を腕で覆う。
僕は、しっかりとヘレナの方を見ていた。
もう、救出は間に合わない。だから、これぐらいしか出来ない。
ヘレナの足下が見えなくなる。
そこには分厚い革が現れており、カーテンのようにヘレナを隠しながら上へ登っていった。
鋭い歯がキラリと光る。胴から胸、そして首へとそのカーテンは伸びていき、やがて頭までスッポリと覆っていった。
「……ぁ……」
中からヘレナの声が一瞬聞こえた。だが、それもすぐに止んだ。
オラヴが鎚を振るおうと振りかぶるが、その叩こうとしている中にヘレナがいるのだ、鎚を止め、躊躇する。
それがわかっているのかどうかしらないが、そのトレンチワームは、僅かに下を見て笑っていた気がした。
レイトンが剣を振る。
地面すれすれで切り飛ばされたトレンチワーム。
そそり立ったその体が切断され、露出している部分が倒れていく。それがやけにゆっくりと見えた。
そしてその、ドスンとそれが地に伏せる音で、目が覚めたようにスローモーションだった知覚が元に戻る。
誰も言葉を発せない。ただその中で一人、普段通りの者がいた。
「ありゃ、まいったねこれ」
レイトンの暢気な声が響く。剣を一振りすると、そのトレンチワームが縦に割れる。その切り口から、白く綺麗な腕が見えた。
僕の目隠しを振り解き、テトラがそれを見て、泣き崩れる。
突然訪れた、事件の終わり。
僕は白昼夢のような感覚で、その一連の光景を見ていた。