初めての探索
出発は、次の日の朝だった。
昨日売ってもらった旅装は、そう良い物ではないと思うが、それでも古着しか着ていなかった僕には初めての一張羅だ。
薄い革のブーツは、地面のデコボコを感じないようにしてくれるし、藪の棘も引っかからない。デニムのような、密度が高く編まれた服は、少々の枝も気にせず行動できる。
着心地だって良い。いずれも前までの、薄い布で作られた靴や肌着とは大違いだ。
着ているだけで、嬉しくなる。
北の門から出発する。小さい子供が出て行くが、それを見咎める者はいなかった。
意気揚々と、僕は歩く。
初めての遠征だ。遠征といっても、何日もかけずに帰ってこれる距離ではあるが、それでも遠くまで行くのだ。
いつものように、すぐに帰ってこれる距離で、食事のついでにする狩りではない。採取のために、遠くに行くのだ。
この遠征で、何か変われば良い。そう思い、この採取を受けた。なんとか、停滞した生活を変えたい。
しばらくは畑の風景が続く。刈り入れの終わったこの時期は、何も植えられていなかった。
一ヶ月ほど前までは、そこには黄金に輝く穂が風にそよいでいた。植えられていたのは、麦だろうか。
しかし、150kmの道のりだ。歩いて行くのはどれだけかかるだろう。
単純に計算して、成人が一時間に4km進む。つまり、休みなく歩いて三七時間半かかる。僕の幼い身体では、それ以上かかるだろう。倍以上かかってもおかしくない。
しかも、街道でもなく森の中を進むのだ。休息だって必要だ。一週間以上かかることも覚悟すべきだろうか。
そう考えたところで、気付いた。
飛んでいけば、地形は関係ない。全力で飛べば、速さも大人が走るより速い。
そう気付いた僕はすぐに、上空に躍り出る。そして北へ飛行を始めるのだった。
少し、失敗した。
飛んでいくのは良いのだが、姿を隠してはいない。そのため、狙われるのだ。
大型の鳥に。
始めは、遠くにある黒い点に見えた。しかし、それがぐんぐん大きくなると、羽を広げた鳥だと気付いた。
「ギャアッ! ギャアッ!」
そして次の瞬間、僕のお腹へと突進してきた。嘴を、すんでのところで受け止める。
「うおぉぉ、危ねえぇぇぇ……」
焦って嘴は握ったままだ。すぐさま念動力で遠くまで放る。羽ばたきを止めたその大きな鳥は、落下していった。
大きかった。広げた羽は二メートルはあったんじゃないか。茶色い身体に、黒く鋭い嘴、爪も大きく力強そうな感じだった気がする。
飛行中は、やはり姿を隠していこうか。そう思ったところで、視界の端にまた何か映る。また下から何か近づいて来たのがわかった。
見れば、先程の鳥だ。
急いで速度を上げる。ほとんど全速力だ。そして、透明化する。
鳥は姿を消した僕に驚いたのか飛び回っていたが、しばらくすると、元いた方へ飛んでいった。
ふう、と僕は一息つく。
殺してしまっても良いが、僕は今お腹がすいていないのだ。打ち捨てることになっても勿体ない。
透明化してからは、猛禽に襲われることはなかった。改めて、透明化魔法の万能さを思い知った。
三時間ほどで、コズ山には着いたようだ。周囲の山々と、店主に貰った地図を比べて、そう判断する。
もう昼前だろう。とりあえず僕は食事を取ろうと、持ってきた荷物を漁る。中には、柔らかいビーフジャーキーのような干し肉が入っていた。それを囓っていくが、固い。水が欲しい。
川まで降りていくと、そこは聞いていたとおりに様々な石が流れてきているようだった。
とりあえず、その水を手で掬う。濁りはないようだ。鼻を近づけてみても、おかしな匂いもない。
念のため、濾過をする。魔法で具現化した水を筒状にし、中に大小の石をまた魔法で生成する。その上から水を注ぎ、下から出てきた水を飲むのだ。
もう一つ、煮沸もしておこう。石の容器を作り、下から火で熱する。少しだけ沸かしたら良いだろう。
効果があるかどうかもわからない気休めのような物だが、気分の問題だ。
変な味もしない。美味しい水だった。
魔法って便利だ。
お腹も落ち着いたところで、探索を始める。
今回の目的は、翡翠の原石だ。先程から見えているとおり、大きめの石が川底に並んでいる。
店主から貰った紙に、狙い目の石が描かれている。
白っぽく、なかなか割れないが柔らかい、磨けば光沢の出る石。そんな所だろうか。店にあるかどうかわからないが、現物を見せてもらえば良かった。
こうして見てみても、いくつか候補はある。しかし、なかなかわからない。
石など、色以外は大体同じに見えるのだ。それに、白い色が筋で入っていたり、ぼんやりと蜘蛛の巣状に入っていたり、これらが条件に当てはまるかわからない。
今回は初めてなんだ。間違っていても仕方がない。そう自分を叱咤し、それらしい物を片っ端から袋に詰めてゆく。すぐに、袋はいっぱいになった。
重たい。僕の胴回りほどの袋がいっぱいになり、10kgくらいだろうか。もう手では持っていられなくなった。
念動力で川辺に放り、僕も少し休む。
ザアアと、水が流れる音が響く。
水量は豊富で、水深も深いところでは僕の腰までありそうだ。
魚もいる。擦れていないのか、近づいて水を揺らしてもあまり逃げていかなかった。ここは、漁場としてもしばらく使えそうだ。こんな遠くまで、そのために来ることはないが。
ザワザワと揺れる木々の音に、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
またこれから三時間ほど、しかも重たい石を抱えて飛ばなくてはいけないのだ。少し休もう。
そう思い、木の上で昼寝をしようと場所を探した。いつもの習慣だ。
やはり森の中は落ち着く。
15分ほど眠り、もうそろそろ帰ろうと背筋を伸ばす。
することはもうないのだ。帰って、換金して今日は終わりだ。涼しい風に髪を揺らしながら、辺りを見回す。欠伸が止まらない。
そこで、違和感に気付いた。
魚が一匹もいない。鳥の声もなくなっている。
一瞬、時間帯のせいかとも思ったが、夜ならばまだしも昼過ぎのこの時間帯にそうなるとは思えない。
嫌な予感がした。
反射的に、周囲に魔力を展開する。そうしたところ、水の中、特に深くなっているところに何かいた。
形が探れない。魔力が溶けるように消されてしまう。
「っ!」
僕はすぐに上空に退避する。いや、しようとした。
そこに長い尾が襲いかかってくる。念動力で障壁を張る。しかし、その障壁は紙のように切り裂かれた。やはり、魔物。
腕を使っての防御が間に合ったが、それでも威力を殺しきれない。
僕の身体はたたき落とされ、川辺の泥の上にドスンと落ちた。
「痛てぇぇぇ」
一瞬息が止まる。受けた腕が痺れている。落とされた背中は酷い鈍痛で、立っていることもままならない。目の前に、星が飛んでいた。
「ああ、もう!」
帰ろうとした矢先にこれだ! そう、川の方を睨むと、そこにいた蛇と目が合った。先程の攻撃で、透明化魔法が剥がれてこちらを見れるようになったらしい。
こいつが、話に聞いていた大蛇だろう。頭部は1m程の高さがあり、その大きな目は黄色く、こちらを睨んでいた。
舌をチロチロと出し、こちらの匂いを探っているのだろう。食べられる物か、そうでないか。
食べられる方という判断が下った。大蛇は尻餅をついている僕の身体を飲み込もうと、大きな口を開けて迫ってきた。
それを、ごろごろと転がって躱す。まだ食べられるわけにはいかない。
ギロリとこちらを睨む。獲物が逃げたのが気に入らないらしい。まだ少しふらつくが、立ち上がれるだけの時間が出来た。急いで息を整える。
魔力が溶かされ、透明化魔法が剥がされたということは、こいつは闘気を扱うタイプの魔物だ。出力の弱い魔法は解かされ通じない。こいつが魔法を使ってくることは無いが、ただただ力が強いこのタイプも厄介だ。
こいつに魔法は通用しない。通じないわけではないが、魔力を使い果たし、寝てしまうのも困る。
ならば、と僕は闘気を纏う。力がみなぎる感覚、背中の痛みも何処かに消えた。
僕が闘気を纏ったのを見て、大蛇も一瞬たじろぐ。しかし気を取り直すと、また僕に飛びかかってきた。
横に跳んで躱すと、その横顔に一発突きを入れる。
ドスンと鈍い音がして、蛇がすっ飛んでゆく。そしてその先の岩に激突した。
二,三回のたうつと、首を折り曲げてまたこちらを襲いかかろうと力を込める。
もう、そんなことはさせるものか。
足に闘気を集中し、頭のすぐ前まで跳ぶ。大蛇は反応できずにビクンと動きを止めた。その隙を、僕は見逃さない。
地面を蹴り、顎を蹴り上げる。大きく大蛇の頭が跳ねた。力強い筋肉のうねりが、僕の足に伝わる。
右腕に力を込める。そうして、大蛇の腹を思いっきり殴る。硬いが、闘気の込められた拳は容易にそこを突き破った。
「ギュゥゥゥゥゥ……!」
悲鳴のような鳴き声が上がる。僕の肘から先も血まみれになった。大蛇の頭が振り下ろされる。僕を潰そうとしたようだが、そこには僕を叩き落としたような力は込められていない。
横に避けると、数瞬おいてドンと地面に頭が激突する。周りの空気が揺れる。
のたうち回る大蛇の動きに巻き込まれないように距離を取った。悲鳴を上げながら、周囲の木々をなぎ倒しながら大蛇は暴れる。傷口は小さいが出血しているようで、川は真っ赤に染まっていた。
とどめを刺そう。こいつは、僕を食べに来たのだ。僕を、殺しに来たのだ。ならば、殺すべきなのだろう。
そう考えたが、致命傷を与える手段が僕にはほぼ無い。
いつものように首を落とそうにも、魔法が通用しない。魔力を大量に使い魔法を撃てば通るかもしれないが、そうすれば僕は魔力切れで今日中に帰れなくなるだろう。
さっきのように身体に穴を開けるのも、何度もやらなければ致命傷にはならない。いずれは死ぬだろうが、何回も何回も穴を開けるのは面倒だし危ない。やるとしても最後の手段だ。
短剣に闘気を込めるのも同様だ。小動物の解体ぐらいしか出来ない小さな刃では、切れたところで小さな傷しか付かない。
そこで僕は、質量兵器を使うことを思いついた。闘気を抑え、再び魔力を展開し上空へ飛ぶ。
魔力は溶かされる。魔法は消される。しかし、物体は消されない。
近くにある、大蛇が折った丸太を念動力で持ち上げる。これでもかなりの重さがあるのだ。しかも、大蛇が折ってくれたおかげで弾は充分にある。
「ギュオォォォォ!」
周囲を顧みずに暴れる大蛇の頭をめがけ、何本も丸太を打ち込む。魔法は消されても、勢いまでは消せない。
鈍い音がして、木が大蛇の首に食い込んだ。三本打ち込んだところで、大蛇の動きが止まった。尻尾だけが、ビクンビクンと痙攣している。
これで死んだだろうか。
風の刃を尻尾に放つと、簡単に切断できた。もう、闘気は帯びていないようだ。
疲れた。
全身が痛い。腕には痣が出来ている。きっと背中にもあるだろう。
一応、細かい擦過傷はこの場で治療する。もう今日は闘気は使わないでおく。
後ろを振り返ると、そこには大蛇の死体が転がっていた。
確か店主に聞いた話では、牙と皮、あとは体内にある水を溜める袋が売れるそうだ。まずはそれだけ捌こう。
まったく、余計な仕事だ。しかし、これも金になるのだし、何事も経験だろう。
魔法で捌いていく。正確な捌き方など知らないし、石ころ屋でも「適当に切り出せばいい」としか聞いていないので、そうなる。
えらの内側、口から繋がってるところにゴムのような感触の袋が付いていた。これは水を通さずよく伸びるため、色々と用途があるそうだ。
牙は根元から折り取った。多少肉も付いているが、このくらい構わないだろう。
皮は…………諦めよう。一部だけ切り取っていくのも嫌だし、10m以上の長さのこれをどうやって持って行けばいいのかわからない。それに、切り取るのが面倒くさい。
捌き終わって問題も残る。残りの死体をどうしようか。
この蛇の肉は食べられるとも店主に聞いた。
僕を食べに来た大蛇を殺したのだ。食べるのが礼儀だとは思うし、蛇の味にも興味がある。だが、こんな大きい物は食べきれない。
とりあえず、尻尾の肉を少し切り取り焼いてみる。しかし、これは駄目だ。
何が駄目かって、噛み切れない。
歯は通るのだが、しなやかな筋肉の繊維が千切れないため、口の中で小さく出来ないのだ。
染み出てくる味は中々美味しいとは思うのだが、これは無理だ。
確かに毒は無いようだし、食べられるんじゃないかな。顎が強ければ。でもなんか、話が違う。後で店主に文句を言ってやる。食い物の恨みは恐ろしいのだ。
結局、魔法で小さくカットし飲み込むことになった。
僕には食べられないし問題は解決していない。どうしよう。
そう思って、再度蛇の残りの死体に目をやると、そこには驚きの光景があった。
午前中に僕を襲った鷹が、蛇の死体を啄んでいる。
なるほど、あとはこいつらが食べてくれるだろう。そう祈る。
自然って凄い。僕には食べられないのに。