勝利の血の味
無理矢理動かした関節が軋む。
飛び退き時間を作るわけにはいかない。今を逃せば、時間をおけばレイトンなら必ず対策してしまう。
砂利を蹴り上げ、目つぶしにする。そして振るう拳をフェイントにし、足払いをかける。砂利は手で払われたが、足払いという名の蹴りは通った。
だが、硬い。蹴りを入れた僕の足が逆に悲鳴を上げる。
痛みに呻いている暇はない。
僅かに下がると、鼻先を剣が掠めた。まずい、次弾が来る。
しかし、覚悟していたそれは来ない。一瞬戸惑い、反応が遅れた。
レイトンの剣を持たない左手での突き、それを僕はまともに顔面で受ける。
「ブッ……!」
鼻の奥がつんとする。息が詰まった。僕の頭が後ろに弾かれ、支える首が悲鳴を上げた。
体勢を整えなければ。次が来る。反射的に瞑る目を強引にこじ開け、レイトンを見ればもう剣は振りかぶられていた。
最少の動きで躱す。それが武術の極意だそうだが、それでは駄目だ。
次の剣閃を大きく躱す。突き刺さるような連撃が、その軌跡を襲った。
「その傷でよく躱すよ」
感心したようなレイトンの呟き。驟雨のような連撃を躱し続ける僕の足は、出血もあって確かに限界だった。
震える太腿を叱咤しながら、僕は食らいつく。
そろそろ限界だ。僕の足も、レイトンが対応するのに必要な時間も。
いなされる手足がジンジンと痛みを発してきていた。
好転したかと思われた事態は、悪い方向へ転がっている。
時間をかけては駄目なのに、決め手が無い。
先程の足払いでわかった。僕の闘気の密度では、レイトンの闘気は破れない。
魔法を奇襲で使おうと思い、傷も治さずに隠していたが……それほどの闘気の密度であれば、生半可な魔法では当てることすら出来ないだろう。
……仕方が無い。消耗戦に切り替える。
かつての鬼退治で編み出した、闘気封じを使う。
魔法が奇襲に使えなくなるが、元々通用しないのだ、温存しても仕方が無い。
魔力を展開、レイトンに向けて注ぎ込む。
「おや、これは……」
レイトンが振るう剣が目に見えて遅くなる。成功だ。
だが、大量に魔力を使っているせいだろう。代償として、僕の脳がヒリヒリと灼ける感触がする。
不快感に、僕の回避も若干遅くなった気がした。
「……これは、魔道具……、じゃないな。そうか、キミは」
途切れ途切れに呟くレイトン、それ以上類推させるべきではない。
種が知れればすぐに無効にされてしまうだろう恐怖に、僕の気が焦る。
これで通じて欲しい。
もっと最後の奥の手は、この辺一帯を吹き飛ばしてしまう。
これで終わらなければ、大惨事を僕の手で起こさなければならなくなる。
レイトンの背後に回り込み、渾身の突き。
背中の筋肉を爆ぜさせるようなその打撃は、クルリと回るレイトンの肘で防がれてしまった。
その回転の勢いで飛んでくるレイトンの逆蹴りを両腕で受けると、ミシリと腕の骨が軋んだ。
その威力に僕は顔を顰める。
これでも威力は激減しているはずなのだ。にも関わらず、ガードしなければまだ不味い。
小さく後ろに飛ばされつつ、僕は体勢を整える。
もう一度、前足に体重をかけ、前に跳ぼうと身構えた。
だが一瞬、一瞬であるが足が止まる。レイトンの妨害や、僕の不調などではない。
違和感だ、違和感が僕の足を止めた。
レイトンの闘気に打ち消される魔力。それがどうもおかしいのだ。
怪訝に思いながらも、飛びかかる。
そして次の斬撃を躱せば、その違和感の正体と、それに付随する情報が手に入った。
レイトンの闘気に波がある。
それも、弱まったり強まったり、とかそういうレベルではない。
横軸を時間にして縦軸を闘気の強さにしたグラフを描けば、細い線が櫛の歯のように立ち上がるグラフが描かれるような、そんな具合だ。
そして、斬撃とそれが一致する。
波形が描かれたときに合わせて剣閃も謎の斬撃も襲ってくるのだ。
口を曲げ、レイトンは嘆息する。
「まさか、魔法使いとはね。闘気も使える奴は初めて見たよ」
「……僕も、僕以外は見たことがありません」
当然ながら、すぐに看破されてしまった。軽口を叩きながらも閃く剣を避けると、とうとう僕の傷口から血が噴出した。
それを見て、レイトンが眉を顰め、そして苦笑する。
「勿体ないけど、ね」
戦う気もなさそうな、力の入っていない突き。僕の眼前に迫るそれをしゃがんで回避すると、背後で何か壊れたような音がした。
伸びきった腕、チャンスだ。左手で手首を掴み、後方に引きながら右手での腹部への打撃。
本命ではないが、これを受けるか躱すか、試す。当たれば最高だが……。
レイトンは僕の手を振り払い、身を捻る。
「よっ」
軽く掛け声をつけ、避けた。闘気はその時、活性化していなかった。
……これは、ブラフか? それとも本当か?
わからないが、振り払う動きは闘気を活性化しており、避けるときは生身の体だった。
僕の攻撃の最中、闘気を鎮めるのは危険すぎる。
これは、レイトンの弱点と見ていいかもしれない。
ならば、勝機は見えた。
だが、表情を変えるな。勝ち誇るな。レイトンに気付かれてはならない。
僕は表面上、無策のまま立ち向かわなければならないのだ。
歯を食いしばり、展開した魔力を意識しつつ、僕は躍りかかった。
次で最後だ。
闘気を最大限に活性化、レイトンの横に並ぶように斜めに跳ぶ。右手を左肩の上に回し、袈裟懸けに斬ろうとしているレイトンの斬撃を避け、左方に回り込めた。
この位置からならすぐには剣は来ない。今のところ、不可視の斬撃が来る気配もない。
貰った。狙いは首、顎先だ。
当たるかと思われた僕の攻撃。
だがレイトンは一瞬笑うと、剣を持つ手を下ろした。
次の瞬間、僕の胴を薙ぐように当たる斬撃。障壁から察知出来ても躱せない速さの斬撃が、僕の胴体を大きく傷つけた。
「ごっ……!」
再度、体が崩れ落ちる。膝の力が抜ける。もう立っていられない。
膝が頽れて地面についた。視線を上げると、レイトンの口元が見える。それは確かに、笑っていた。
勝利宣言は、レイトンが先だった。
「ぼくの勝ちだね。楽しかったよ、さようなら」
頭上から、そう声が響く。
だが、それは違う。
僕にだって、隠し球があるのだ。
念動力を使った障壁だけではない。僕は、魔法使いだ。
地面しか見えない視界。僕もうつぶせに倒れ込む。
もはやレイトンは見えず、もう数瞬で斬撃が僕にとどめを刺すだろう。
僕の流した血に濡れた、石畳に鼻が触れた。
もはやレイトンは見えない。
もう、僕の顔はレイトンに見えない。
だからもう、笑っても大丈夫だ。
あらかじめ作っておいた風の刃。僕にだって不可視の攻撃はある。
レイトンの周囲に待機させておいた夥しい量のそれを、一斉に起動させる。
当然、大半は消されてしまうだろう。
だが物理的に躱すことなど出来ない全方位からの飽和攻撃。
レイトンの闘気の隙間を縫ったその攻撃を、消すことなど出来まい。
視界の外だが魔力の中だ。
レイトンの帯びるその闘気に、三次元的な隙間はない。それは断言出来る。
レイトンの闘気の四次元的な隙間。そこを僕の風の刃が通過したときと、僕が石畳の生暖かさを実感したのは、ほぼ同時の出来事だった。
どうと倒れ伏す体。腹部に感じるこの熱は、魔力など無くともわかる。薄皮を裂き、内臓まで到達しているこの傷は、手立てが無ければ致命傷だ。
戦闘中に治す暇など無い。これで勝負がついていなければ、僕はきっと死ぬだろう。
手応えはあった。が、それでも絶対じゃない。僕は渾身の力を振り絞り、体を反転させて上を向いた。
レイトンが視界に逆さに映る。
青い空を背景にし、薄影となったその顔に浮かんでいたのは笑みだった。
「……僕の勝ち、ですかね?」
譲歩して貰って、傷一つ付ければ勝ちな勝負である。この勝利は誇れるものでもなんでも無いが、それでもこれで条件は満たしたはずだ。
レイトンは唇をとがらせ、ポツリと言った。
「……ここ二十年くらい、見たことが無かったのになぁ」
そして左手を頬に当てると、その掌を見た。
一条の傷。そこに血が滲んでいた。その血を手の甲でグイと拭う。そして見る間に、透けるようにその傷は消えていく。
闘気の活性化によるものだろうが、治癒というより再生だった。
「立ちなよ」
「……一応、満身創痍なんですけどね」
差し出された手を握り、起き上がろうと力を込めた腹筋に激痛が走る。腹圧で中身が漏れそうだ。
鎮痛しても消えない鈍痛と不快感に、僕の顔が歪んだ。
「テテ……」
その僕を強引に引きずり立たせると、レイトンは僕を見て堪えられなかったように破顔した。
「ヒヒヒ。頑張って生き延びなよ。そっちはぼくは協力しないからね」
「容赦なく斬りつけといて、よくもまあ……」
文句を言う僕の口から、血が混ざった涎が垂れる。
この血に塗れた戦場でも、その勝利の血の味は、とても鮮烈なものだった。
小説としては失格なんですが、「こいつら会話の先回りしすぎて何言ってるかわからない」という方向けに割烹の方に自分用のメモコピペしておきました。
しばらくしたら消しますので、お手数ですが興味のある方(?)どうぞ。