希望を捨てぬ者
話を聞き終えたオラヴは目を落とし、呟くように言った。
「……そうか。わかった。嫌なことを聞いてすまんかったな」
「いえ。どうせまた明日見ることになりますので」
オラヴの顔に、沈痛そうな色が見えた。僕の声も沈んでいく。
天幕の外はとうとう雨が降ってきたらしい。手に持った椀は、冷めてしまっていた。
だが、オラヴが沈んだのはそれだけだった。すぐに、声に張りが戻る。
「じゃが、そうじゃな。だからこそ、明日、明日儂らは取り返さなければならんのじゃ。クラリセンを人のもとに、返さねばならんのじゃ」
目を開き、オラヴは拳を作る。見上げる僕のちょうど目の前に、その大きな拳があった。
ダン、とオラヴは足を踏み鳴らす。
力を込められたその足は地面を振るわせ、すぐ横に立った僕の体も揺らした。
「宴もたけなわですまんが、皆の衆、儂の言葉を聞いて欲しい!」
大きな声に、びりびりと空気が震える。正直、耳を塞ぎたい。
広場にいた皆の視線がオラヴに集まる。
「知らぬ者もおるじゃろうから、まず自己紹介をしよう。儂は探索者オラヴ・ストゥルソン、この宴席を用意した者であり、今回の討伐任務の前線指揮官でもある」
そう言って言葉を切った。そしてオラヴがゆっくりと周囲を見渡すと、視線の先の人の姿勢が正される。彼らはきっと無意識にやっているのだろう。
静まりかえった広場にオラヴは頷いた。
「明日、我ら探索者はクラリセンへ向かう。騎士達と合同で、あの街を奪還する」
誰もその声に応えない。
「儂らはイラインの行政から依頼されて来ておる。騎士達もそうじゃ」
だが、その言葉が出た途端に、広場の端から声が上がった。
「し、仕方なく来てやったとでもい、言うのかよ」
裏返った声で叫ぶのは、服装からして避難民だろう。目の下に隈ができていた。
オラヴはその声に、目を瞑り、首を振った。
「いいや。仕方なく、などではない」
「じゃあ、なにを!」
言った避難民は、オラヴの視線を受けて怯んだ様子だった。
それを気にせず、オラヴは続ける。
「皆が心を一つにしているわけではない。探索者の中には、真にクラリセンのために、義を持って来た者がおる。もちろん、ただの仕事としてきた者もおるじゃろう。来た者の理由は様々じゃ。じゃが!」
拳を振るい、テーブルを叩いて音を出す。ダン、と小気味のいい音がした。
「じゃが、断言する。ここに、クラリセンに対して何もする気が無い者はおらん。皆、何かしら自分の出来ることをクラリセンに対して行おうと、ここに来ておる」
一つ息を吐き、オラヴは自らの掌を見つめる。その目は悲しみに満ちて見える。
もう一度、今度は睨むようにして周囲を見渡し、そして高らかに言った。
「クラリセンの避難民の諸君! これはそんな儂ら、いや、儂からの真摯なる嘆願である」
皆、次に何を言うのかとオラヴを見守る。完全に、宴席の空気は無くなっていた。
「クラリセンを、復興させて欲しい。話に聞くクラリセン。残念ながら、儂は行ったことがない。じゃが、話を聞くにとても賑やかで楽しい街だったそうじゃな。活気あるその街を、儂は見たい」
そこまで言って、オラヴは深々と頭を下げた。
僕はその姿を見て驚く。声が出るところだった。
二十年前の戦で大手柄を上げ、爵位まで得た戦場の英雄が、頭を下げたのだ。
何人かしか見たことはないが、貴族という者たちがそんなことをするとは到底思えない。
混ざっている騎士のような者たちも、表情に驚きが混じっていた。きっとこれは非常識なことなのだろう。
しかし何故か、悪い感じはしない。
自らの名声を軽んずるその非常識な態度が、僕にはどこか涼やかに見えた。
頭を下げたまま、大きな声でオラヴは宣言する。
「儂らは明日、死力を尽くす。だからこそ、主らに頼みたい。主らも死力を尽くし、新しい街を作ってくれ! どうか!」
外の雨が大降りになってきていた。
頭を下げたオラヴ。その姿に誰も反応出来ずに、シンと静まりかえる。先程までの静かさに加えて、外の雨音が響きより一層静かになった気がした。
だが、静まりかえった皆の中、一人だけ一歩前に出た者がいた。
「やりましょう! 俺も死ぬ気で戦います! 街を魔物が占拠しているなんて、そんな状況、早く解決すべきです!」
拳を振り上げたのはキーチだった。周囲を見回し、力強い視線で周りを鼓舞した。
鼻息荒く、目に涙を浮かべてオラヴに賛同する。
その姿に、安心感を覚えた。
成長し、姿形は少し変わっている。だが、キーチは変わっていない。あの開拓村で声を上げたあの頃のまま、きっと強くなっているのだろう。
キーチの声に、他の人間も反応する。
ざわざわと広がっていった声が、やがて大きな宣言となっていく。
「お前らだけにいいカッコはさせるかよ!」
「やるぞ! 明日は俺も!」
「おおお俺たちだって!」
「私達の街を取り戻しましょう!」
「もとのあの街を!」
オラヴの言っていることは、普通のことだった。言葉も意味も、何の変哲も無い何処にでもある善意からの言葉だ。
街の魔物を何とかしたい、街を元通りの姿にしたい。
そのために、皆の力を貸して欲しい、それだけだった。
だが、その声の調子や身振り手振り、そして話の運びに視線、その全てをつぎ込んで、この広場の人間を巻き込んだ。
顔を上げ、オラヴは力強く笑う。温かい笑みだった。
「皆ありがとう。そしてもう一つ!」
オラヴの声に、ざわめいていた群衆が静まる。皆、期待を込めてその次の言葉を待っていた。
「探索者達も騎士達も、街の人間も、死ぬな。でなきゃあ、報酬は受け取れん。金を得ることも、復興した新しい街を拝むことも叶わん。だから、明日は死ぬ気で生き残れ。以上だ」
拳を突き上げて、叫ぶ。
「皆、明日はよろしく!」
締めの言葉と共に、歓声が広がる。
酒宴の盛り上がりに隠れていた先程までの絶望感は何処かへ行ったようで、避難民達の表情も少し明るくなった気がする。
もう一度、馬鹿騒ぎが始まった。
大降りの雨音はもう聞こえない。騒ぎ立てる声に、笑い声。楽しそうな声で広場は覆い尽される。
特別なことをしたわけでもない。
ただ話をして、周囲に協力を求める。
そして明日、先頭に立って、体を張って、傷つきながらも戦うのだろう。ただそれだけだ。
壊滅した街。本来ならそこに希望など無い。
だが、そこに希望を作りだし、明日への活力を皆に与える。
そんな人物のことを人はきっと、英雄というのだろう。
オラヴの大きな後ろ姿を見て、僕はそう思った。
酒宴も終わり、皆も休みに入る。
明日から、ある者は戦場で魔物と戦い、ある者は荒れた街を復興させる。
そんな戦いが始まるのだ。
そして、出撃の朝は来る。
いつの間にか雨は止み、眩しいくらいの朝日が僕を迎えた。