人間だって腹は減る
開拓村へ戻る僕の足取りは重かった。
街の光景を思い出す。
肉片が飛び散り、手足や内臓が転がり、腐らせるために死体が放置される街。
あの街は、これからどうなるのだろうか。
魔物に乗っ取られたあの街から魔物を殲滅し、また人間のものとする。
そこまではいいだろう。だが、その後だ。
あの惨劇の舞台で、街の人間はこれまで通り生活出来るのだろうか。
血で染まった石畳を新しく舗装し直し、綺麗な石畳に変えたところで、半壊した家を直し、真新しい家にしたところで、あの光景を忘れることは出来ない。
……まあ、それは次の住民が決めることだ。僕にはどうも出来ないし、どうなろうとも構わない。
今僕が出来ることといったら、魔物の討伐に全力を傾けることだけだ。
村に入る。
僕の顔が、ここにいる避難民と同じで無ければ良いのだが。
「帰ってきたね。どうだい?明日が楽しみになっただろう?」
「ええ。明日、あの街を取り返す気が沸いてきましたよ」
待っていたかのように、レイトンが姿を現わす。
沈んだ気持ちの中、レイトンの笑顔を見て何故か気が楽になった。
溜め息を吐いて、僕はレイトンに尋ねた。
「……あの街は、復興出来ますかね?」
「難しいだろうね。逃げてきた奴らの殆どは、もう戻る気も無いだろう。新しい人間の入植も絶望的だ。もう、以前のような栄華は望めない」
「そう、ですよね」
わかっていたことだが、やはり他者から聞くとショックだ。次の住民が決めることではあるが、その決める機会ももう来ないのだろう。
レイトンは、パンパンと乾いた音をさせて手を叩く。そして一度伸びをした。
「ま、その辺は終わってからで良いだろう。それよりも、キミも早く行くといい。今広場の方で宴会をやってるから」
「宴会ですか。何でまた」
こんな時に、と続けようとした僕の言葉を遮り、レイトンは補足する。
「こんな時だから、だよ。戦意高揚と、避難民達への炊き出しも兼ねているんだ」
そういえば、村に入ってから食べ物の匂いがうっすら漂っていた。なるほど、これは炊き出しだったのか。
「……参加しないわけにはいかないですね」
「その辺は勝手にするさ。ぼくも参加する気は無いし」
「へえ、何か準備でもあるんですか」
「いや、もう寝るんだよ。明日働くためにね」
「……そりゃまた気合いが入っている……んですか? 折角の宴会なのに」
言ってから気がついたが、失礼な言葉だった。だがレイトンはそれを気にする風でもなく、柔らかく笑った。
「ぼくには戦意高揚も過分な食物も必要ないからさ。だからぼくにとって、明日働くのに必要なのは充分な休息、それだけだ。どんちゃん騒ぎで気合いが入るのならばやればいいし、必要ないならやらなくてもいい。そういうものだとぼくは思うね」
「宴会も楽しみだからやるんじゃなくて、必要だからやる、ですか」
レイトンにとって、娯楽は楽しむものではなく利用するものである、という感じか。
ああ、それは。
「何だか、グスタフさんみたいですね」
自分のために利用出来るものなら何でも使え、と言っていたあの老人。その教えのようだった。
「ヒヒヒ、当然じゃないか。ぼくも石ころ屋だよ」
「元、でしょう。前回のクラリセンだって、グスタフさんの指示でもなんでもなかったらしいじゃないですか」
ニクスキーさんの話では、レイトンはもうグスタフさんの指示も受けずに勝手に動いているらしい。ならばもう、そう名乗れはしないだろう。
レイトンはその言葉を聞くと、深い息を吐き出してから空を見上げた。
「まあね。グスタフならもっと穏健な策を取っただろう。もっと遠回りで、優しい作戦をね」
「……そうですか」
レイトンとグスタフさんのとる作戦。そのどちらが正しかったのか僕にはわからないが、それでもやはりこの二人には意見の相違があるのだ。
「そのあたりの方針は確かにちょっと違うかもしれない。でも」
レイトンは足元の石を蹴り飛ばす。一つ、二つと小さいものを。
「活動を続ければ、残る悪党はぼくらだけ。そしていつか正義に倒される。グスタフとぼく。その理想は変わらない、そう断言するよ」
先程と変わらぬ笑顔。だがそう言ってニコリと微笑むレイトンの笑顔は、何故か怖い気がした。
そうしている間に、陽は沈んでいた。
「では、おやすみなさい」
「じゃあね。また明日、広場で会おう」
少し話した後レイトンと別れ、僕は悩む。
宴会に出るべきだろうか。だが今は食欲が沸かない、それが本音だ。
自覚はないが、やはり先程のクラリセンの光景が堪えているのだろう。
胃に鉛が詰められている、胃に働く気が無い。そんな気がする。
試しに、漂ってくる匂いを胸一杯に吸い込んでみた。
きっと美味しそうな匂い。米の甘い香りに、炒められた肉の香ばしい匂い。少し香辛料の辛そうな匂いもしている気がする。
先程まで嗅いでいた、血の匂いとは全く違っていた。
でも、駄目だ。胃は動かない。
……僕もレイトンのように休もうか。
そう思った。レイトンのような積極的な不参加ではなく、そういう気分になれないから、という消極的な不参加だが、それもいいだろう。
そうと決まれば、寝床探しだ。もうすぐ雨が降りそうだし、何処かに雨がしのげるところがあればいいのだが。木の洞でも探そうか。
「カラス……ええと、さま!」
そう考え、森に歩き始めた僕の背中から声がかかる。
今度は誰だ。
僕が歩みを止め振り返ると、そこにはチェーンメイルを着た男性が立っていた。
村の中心部の灯りで逆光になって、ここからは顔がよく見えない
「はい、何かご用でしょうか?」
「オラヴさまがお呼びです。何故来ないのか、と」
「は、はあ……」
装備を見るに、恐らく騎士だろう。それも、朝見た連絡員とやらだ。
一応僕が歩み寄っていくと、その騎士は足を揃えて僕の前に立った。
「すいませんが、食欲が無いんですよね。何も食べない奴が行っても場の雰囲気壊すだけだと思うので、遠慮すると伝えて……、いや、何で騎士様が探索者の使い走りしてるんですか」
その伝令のあまりの自然さに、つい伝言を頼もうとしてしまった。だがよく考えたら、何故この人は伝令などしているんだろうか。
「ハハハ、しょうが無いんですよ。私はまだ下っ端なんで」
騎士は明るく笑う。
その声に、僕は内心首を傾げた。
おかしい。この声に聞き覚えがある。そして逆光を透かすその茶髪も、見たことがある気がする。
誰だろう。僕の知っている人だろうか。
顔が見えないのがもどかしい。一応官憲である騎士に失礼なことをしてはいけないし、覗き込んではいけないだろう。
名前を聞けばわかるだろうか。
……確かめてみるか。
「左様ですか。そういえば、失礼しました。ご存じのようですが、探索者のカラスと申します」
そう言って僕がぺこりと頭を下げると、騎士はそれを止めるように手をかざした。
「ああ、いやいや、私なんかに頭を下げないでください。今回の作戦上は俺なんかよりカラス……さまのほうがずっと大事なんですから」
「武官である騎士様にそんなことは出来ませんよ。ただの年下の探索者として扱って貰って構いません」
ええい、面倒くさい。立場が上かもしれない者に対して、先に名乗れとは言えないのでまず名乗ったが……一応ここで名乗り返すのが礼儀だったはずだ。そうこの前オルガさんに習ったはずだが……通じていないのか。
公式の場でもないし、貴族位もなさそうだ。直接聞くか?
いや、まだ様子を見よう。気になっていることもある。
「そういえば、どうして僕の名前を?」
「今回参加する探索者の中で隅に置けない人物ということで、何人かの情報が共有されているんですよ。騎士団側の情報ですけどね」
「へえ、何人か、と言うことは他にもいるんですよね? 差し支えなければ、誰だか聞いてもいいですか?」
「構いませんよ」
そう言い、騎士は指を折り曲げながら名前を挙げていく。
「そうですねぇ……まずは、<叫声>のオラヴ・ストゥルソン、<血煙>のレイトン・ドルグワント、それに<形集め>のオトフシ、そして<狐砕き>のカラス……、他にもいましたが、今覚えているのはそれぐらいですね」
すいません、と騎士は苦笑する。何人か、というのに四人しか覚えていないのは問題じゃないだろうか。
「何というか、色つきばかりですね」
というか、二つ名持ちと言った方がいいか。
「色つき……というんですか? まあ、有名な方と言えばわかりやすいですね。その方々には失礼の無いように、と上から言われております」
「……僕はそこに加えなくてもいいですけど」
「ハハ、カラスさまは……、あ!」
騎士は言葉を言いかけ、何かに気がついたかのように大声を出した。
「すみません。名乗って頂いたのに、私が自己紹介していませんでした」
そう言って、騎士も頭を下げる。やはり、何処か優雅な印象を受けた。
しかし、ようやく気がついてくれた。
名前を聞くのにこんなに遠回りをするとは、やはり礼儀とは面倒くさい。
「私はキーチ・シミングと言い……じゃなかった、申します。以後お見知りおきを」
「あ、はい、え、ああ、はい! よろしくお願いします!」
名前を聞いて驚愕した。受け答えがしどろもどろになる。
キーチ! 懐かしや、あの開拓村のキーチ。
騎士になっているのは知っていたが、まさかこんなところで会うとは思わなかった。
僕の内心の動揺などつゆ知らず、キーチは問いかけてくる。
「それで、本当に宴会は欠席しちゃうんですか?」
「ええ。そのつもりですが」
「明日のためにも、腹一杯食うべきですよ」
「そんな気分じゃ……」
ない、と言おうとした僕のお腹が、グウと鳴る。
それを聞いたキーチは、笑ったように見えた。
「ほらやっぱり、お腹空いてるんじゃないですか」
「……そのようですね」
懐かしい顔と話し、気分が少し紛れたのか。
僕のお腹は、働くことを決めたようだった。
キーチに連れられ、広場の天幕に入る。
なるほど、明るいところで見れば、茶色い髪に雀斑、そしてその緑の目は確かにキーチだった。
天幕の中は湯気が貯まり、白く濁って見える気がした。
中央には大きな鍋が置かれ、中には粥が入っているらしい。近付いてよく見てみれば、肉味噌の粥のようだ。
僕は少し息を吐く。
確かに、食べなければいけない。動けなくなっては大変だ。
ここで食べるのは、僕にとって必要なことなのだ。
心して頂こう。そして明日僕は、クラリセンのために全力を尽くすのだ。