現況と元凶
受付カウンターには先程の探索者達が列を成していた。
騎獣を借りるために申し出ているのだろう。オルガさんが忙しそうに申請書を書いている。
見ていると目が合ったようで、オルガさんはこちらを見て小さく会釈をした。
邪魔をしてはいけない。
僕は小さく会釈を返すと、ギルドの外に足を向けた。
朝ご飯は済ませてあるし、昼は何処かで食べていけば良いだろう。
仕事を受けるためにギルドへ歩いている最中だったのが功を奏した。もはや準備は万端になっている。このままクラリセン手前の集落まで行くとしようか。
先遣隊がいるとはいうが、やはりこの目でクラリセンの状況も確認しておきたい。
その時間を作るため、到着目標は、今日の昼まで。
魔法と闘気の併用で急いで行く。
久しぶりの強行軍だ。
壁の外、麦畑の脇道を歩いて通る。森の前で立ち止まって、クラリセンがあるであろう方向を見据えた。
一度通った道だ。距離の目算は出来ている。
走り続けられるよう、心肺機能と下半身の強化。それ以外は闘気の節約のために通常通りで。
掛けられる場所には魔法を使い、重さを軽減する。それだけで、一歩の距離が二倍以上に伸びる。ついでに風の抵抗まで緩めれば、踏み込む直前の失速も抑えられる。
誰も見ていない今だからこそ、遠慮無く使える移動方法。
騎獣よりもレシッドよりも速い。僕の最速だ。
景色が流れるように後方へ飛んでいく。
結局四百里弱の距離に、一時間かからなかった。
実はもうちょっとかかる予定だった。
……少し自分の移動能力を過小評価していたようだ。反省せねばなるまい。
曇り空で太陽は見えない。
そのため時間はわからないが、だがきっとまだ昼にはなっていないだろう。そんな頃、僕は目標であろう集落に着いた。
この集落は開拓村だ。近くにあるにも関わらず、クラリセンとは大分違い、僕の育った村に近い生活様式だった。
立ち並ぶ家は木で作られ、窓にガラスも填まっていない。道路も舗装されていないため、ネルグの根が絡まり緑色に染まって見えた。
そして、僕の育った村とは違うところがあった、そこだけがクラリセンに近く、そして開拓村らしくないところだ。
クラリセンと同じく、人が多いのだ。それも失礼ながら少し汚れた人たちが。
広場のようなところで筵を敷き、何人も座り込んでいる。
家を持たず、野外で生活するしかないような者であれば衣服は粗末な物であるだろう。そしてここが大きな街でないことを考えると、装備も整っているはずだ。というよりも、整ってなければ生きていけない。
ただ単に何かの気まぐれで外に座っているような者であれば、その服はそんなに汚れていないだろう。
だが、そんなに粗末な服を着ているわけでもなく、荷物もなく、そして泥と土埃で汚れている彼らはそのどちらでもない。
……彼らがきっとクラリセンから逃げてきた人たちだ。
そう思った。
彼らを横目で見ながら、臨時に立てられたギルドの支部を探す。
開拓村であるため本来はギルドの支部は存在しないはずだが、クラリセンから逃れた職員達と探索者で支部が作られているそうだ。
そこにイラインから派遣された探索者と、職員である観測手も加わっている。そういう話だったはずだ。
ギルドのシンボルであり、バッジの形でもある蜥蜴。その旗印が目印らしい。
小さい村だ。すぐに、入り口に粗末な旗が立てられた小屋が見つかる。
木綿のような粗い布で作られた旗。そこには頭を上にして壁を登る蜥蜴の陰影が、墨のような染料で描かれていた。
小屋の中は小さな机が置かれており、そしてその後ろに書類が積まれている。
書類は山のような量だが、緊急で持ち出したことも考えると、これでも本来の業務をこなすには足りないのであろうことは予想出来る。
その小さな机では、職員が一人書類を睨みながら座っていた。
「すいません」
僕が声を掛けると、ようやく僕に気がついたようで職員は顔を上げる。
「あ、ああ、はい、なにかご用でしょうか」
「イラインから派遣された者です。今の状況をお聞きしたいのですが」
「え、あ、はあ」
職員も疲れているのだろう。反応が鈍かった。
「あ、増援の方ですね……。詳しい話は、明朝皆様集まったときにご報告いたしますが……」
えーと、と続けながら、書類をゴソゴソと探る。
「ええと、報告書はこれじゃなくて……確かこっちに……あ、ありましたすいません」
「いえ、ゆっくりで大丈夫です」
「ありがとうございます。えー……どこから……」
目頭を押さえながら職員は悩む。ぎゅうっと瞑られた目には、濃い疲労が見えた。
その報告書を借りられれば良いのだが、貴重な情報だ。紛失や破損されては困るのだろう。
職員は僕に見せる気配もなく、瞬きを繰り返しながら、手書きの文字を追っていた。
「まず始めに起きたことから、順を追ってお願いしたいです」
「……わかりました。今回の魔物の軍勢による大侵攻ですが、まず発端は三日前の正午付近、街の北側に大犬たちが現れたことからです……」
職員はまるで朗読会のように、事件のこれまでをまとめた報告書を読み上げてくれた。
街の北側、ネルグの方角からまず大犬が急襲。そこでいくつかの家屋が破壊された。
少なくなってはいるが、まだクラリセンでも魔物は出る。即座にその犬たちは自警団と騎士達により討伐された。その時点ではたまたま現れた、という認識だったらしい。
そしてその夜、またもや魔物が姿を現す。今度はステニアーバードが主役だったらしい。
北側の家屋のうち、昼に無事だった家、そのうちの一つ。ある家族の息子が帰宅したところ、両親が居間で眠りこけているのを発見した。
そこまでは、微笑ましい光景かもしれない。しかし、その両親を起こそうとしたその息子は驚愕した。
居眠りをしているのではない。両親は苦悶の表情で、息絶えていたそうだ。
その事態に慌てた息子が自警団に報告。昼間の件もあり、すぐに探索者達が捜索したところステニアーバードと遭遇、これを退治した。
もちろん被害はその家だけでなく、他の家庭でも起きていた。探索者達が見て回った中には、死体を大犬や蟻が食い荒らしている最中の家もあったそうだ。
一日のうちで相次いだ魔物の襲撃に、次の日本格的な対策が取られた。
住人が無事な家を境界とし、自警団と騎士の配備。その上で探索者と魔術師、それに少ない参道師による周辺の捜索が行われる。
そして、捜索に当たった者たちが次に遭遇したのは、大犬とステニアーバードの混ざった群れだったという。
それも半端な物ではない。それぞれ何十頭という数の群れだったそうだ。遭遇した者たちも善戦はしたものの、犠牲を出しながらの退却を余儀なくされた。
命からがら退却し、防衛線の内側に彼らは逃げ込んだ。しかし事態はまだ終わらない。
街の北側に線を引くように伸びた防衛線。そこに対して散発的に続く魔物の襲撃。
ついには、一部の守りが決壊する。
そしてその穴からなだれ込んだ魔物が、家畜や住民達を食い荒らし始めた。
事態を軽く見ていた街の上層部もようやく重い腰を上げる。もはや手遅れに近いこの時点で、住民の避難を決意した。
しかし、街からの避難など事前の通達も無しに出来るわけもなく、誘導も空しく被害は増えていく。
避難指示と抗戦指示と、その他の悪意のない流言が飛び交い混乱するクラリセンの戦力。
それでも当然、魔物の侵攻は止まらない。
その結果、魔物は街を蹂躙、占拠した。
住民の生き残りは少なく、統制の取れた避難を行えたいくつかの小集団が、周辺の開拓村や街に散り散りになっている。という状況らしい。
単調な声での報告を聞き終えた僕は閉口する。わかってはいたことだが大惨事だ。
だが、まだだ。まだもう一つ気になることがある。
「……随分な状況ですが……原因は?」
「それが、未だにわかっておりません。今のところ、街を占拠した魔物の軍勢も他の街に攻め入ることはなく、沈静化しております。クラリセンの中で、死体を漁りながら大人しくしているという……本当に不可思議なことで」
「……そうですか」
原因がわからない。
しかし、周りの村々に被害が出ていないことはきっと僥倖なのだろう。
救いは、それだけしかなかった。
「……お忙しいところ、ありがとうございました。では明日、どこに集合すればいいでしょうか」
「はい。明朝八の鐘……いえ、この村には時計鐘がありませんので、その時間に鳴らされた鐘に合わせ、広場に集まって頂きます。その時はどうか、お願いいたします」
「わかりました、必ず」
僕が頭を下げると、職員は僅かに微笑み会釈を返した。笑顔を作る余裕もないだろうに、凄い人だ。
ギルドを出て、クラリセンの方を見る。
森を割り、真っ直ぐにクラリセンの方へ延びている街道。街道を越え、その先では血が滴る惨劇が起きているのだ。
先程の話では、凄まじい量の大軍らしい。やはり一度、見てきた方がいいだろう。
先遣隊とやらの話を聞く他に、自分の目で確かめておきたい。
そう思い、一歩踏み出す。
その僕に、視界の端から声がかかった。
「待った待った。行くのは良いけど、あんまり刺激しないようにね」
暢気な声に、僅かに溜め息が漏れる。それを悟られぬように口元を引き締め、ギルドの入り口の横に背を向けもたれ掛かっていた男を見る。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね、レイトンさん」
「ヒヒ、ぼくとしてはイラインで会いたかったけどね」
いつからいたのだろうか。そこには、この前クラリセンで別れた以来のレイトンが立っていた。
「今ここにいる探索者は、クラリセンで活動していた人が殆どのはずですが……、拠点を移したんですか?」
「いいや。イラインのギルドで話を聞かなかったかな? ぼくは、先遣隊の一人だよ」
この何処か重苦しい雰囲気の満ちた村で、いつものようににやけ顔を崩さず、レイトンは佇む。
なるほど、イラインの職員が言っていた二名のうち、一人がレイトンという訳か。
ならばちょうど良い。
「先遣隊。だったらきっと、今のクラリセンに斥候として行ってますよね? 今はどんな感じでしたか?」
僕の質問にレイトンは微笑んだ。職員のように無理をするようでもなく、自然な笑みだ。
「それはキミもその目で見てきた方が早いかな。でもさっき、ギルドの中で報告を聞いてたろう? 大方、そんなところさ」
「静かに死体を漁って待機している、ですか。」
「そうだね。実際に見てくればいいじゃないか。血と肉に塗れた、最低の戦場が待ってるよ」
しばらくお肉は食えないね、とケラケラ笑うレイトンを見ながら僕は今度こそ溜め息を吐く。
「でもまあ本当に、明日の掃討戦にも備えて、奴らを刺激しないことだね。準備も万全じゃない今、統制が崩れて近くの村に侵攻を始めたら目も当てられない。ぼくもキミも、複数の村を同時に守ることは出来ないだろう?」
「明日準備が整えば、掃討出来ると」
「うん。あのぐらいの規模だったらぼくが相手取ることも出来るけど、問題は他に散ってゆく奴らだからね。ぼくもいるし、キミもいる。他にも色つきは参加するんだろうから、そう問題は無いさ」
「……そう言って頂けて、少し安心しましたよ」
僕が安堵の息を漏らすと、レイトンは嘲るように言った。
「ヒヒヒ、問題はその後、だからね」
「また、何かあるんですか?」
「そこは自分で考えると良い。今回の予想は簡単だよ。ぼくがここにいると知れば、ヘドロン嬢にもわかることさ」
そう言ってぴょんと小さく跳ね、そして片足でクルリと回る。
「ま、ぼくもキミとはイラインで会いたかった。それは本音だよ」
レイトンはそううんざりした表情で言った後、また笑顔に戻った。
「じゃね、偵察行くんなら気をつけてね。ぼくは自分の食料をとってこないと」
「ちょっと待ってください、まだ」
レイトンは僕の言葉を無視して手を振り、ギルドの屋根の上に跳び乗る。
そして、いつかのニクスキーさんのように姿を掻き消した。
僕は追及を諦め、頭を掻く。
先程まで無風だった村に、一瞬血生臭い風が吹いた気がした。