売れた商品
“その後は、振り返ることなく歩き続けてください。謁見室であれば部屋を出るまでで済むのですが、……この会場ですとこの席に戻ってくるまで必要になると思います”
最後の会釈を忘れかけてて失敗しそうだったが、上手くいった。
後はこのまま、振り返らずに帰れば何事もなく終了だ。よかった。
安堵し、軽く息が漏れる。
先程は跪くまでも、跪いてからの動作も、立ち上がり方も、全てオルガさんの授業に忠実に行っていた。
正直な感想としては、酷く肩が凝るというものだった。
今だって、振り返らずに歩けだの、歩いている最中に拳を作ってはいけないだの、守るべきルールが残っている。
貴族達はこんな礼儀作法を常日頃から守っているらしい。
とても、僕には無理そうだ。
少しだけ、貴族であるサーベラス卿の評価が内心上がった気がした。
元の席までもう少し、と言うところで背後から木の折れる音が響く。
……何だろうか、振返れないのがもどかしい。
振り返らせようとしている罠だろうか? 危険が迫っていたらどうしようか。
少し悩んだが、視界に入っている他の人間の表情を見るに特に危険なわけでもなさそうだから大丈夫だろう。
僕は一段早足になって、出品者席へと舞い戻った。
席に戻った僕を、オルガさんが満面の笑みで迎えてくれる。
「おかえりなさいませ。首尾は上々のようですね」
「お陰様で生きて戻って来れましたよ」
僕もそれに笑顔で応えた。
生きて帰って来れたのは、間違いなくオルガさんのおかげだ。
殺されるような事態が起これば、当然反撃していたが。
「ところで、最後の方で何か音が鳴ったと思うんですが……」
「ああ、あれは……フフ……」
オルガさんは、堪えきれないように笑う。薄紅色の唇の隙間から小さく前歯が覗いた。
「何でもありませんよ。サーベラス卿が、誤って椅子を壊してしまっただけです」
「あ、誤って……?」
どういう状況だろう。いや、もう自分で見ればいいのか。
「ええと、もう振り返っても?」
「ええ、もういいでしょう」
オルガさんからもお許しが出た。
振り返り、もう遠くなったサーベラス卿の席を見る。もはやサーベラス卿も立ち上がり部屋から出て行くところだったが、椅子はまだそこにある。
その椅子は、確かに壊れている。
上から強く叩いたかのように、肘掛けの部分が破断していた。
なるほど。
「ハ、ハハ、確かに誤って壊してしまったみたいですね」
「ええ。誤ってなので、仕方ありません」
誤って、力任せに殴ってしまったのだろう。怒る理由も何もないはずなのだから。
……弁償とか必要ないのだろうか。
まあ、あってもサーベラス卿にとっては端金か。
「では、私たちも行きましょうか」
「どこにですか?」
オルガさんはウインクをしながら、指先で外を示す。
「当然、外ですよ。この間の時間は何に使うと思っているんですか」
「休憩時間ですよね」
「ええ。別名、昼休みとも申します。食事の時間ですよ」
「……ああ、そういえば他の皆さんも向かったみたいで」
見回せば、先程戻ってきたときよりも、もっと人は少なくなっている。
というか、殆どいない。
「わかりました。でも、ご一緒しても大丈夫ですか?」
「私の方には何も問題はありませんね。カラス様も、何かございますか?」
仕事中ではないのだろうか。もしそうだったら、他のギルド員との関係もあるだろうに。
そう思い聞いてみたが、逆に聞き返されてしまった。
まあ、問題が無いのならばいいだろう。
「いえ、特には」
「でしたら、参りましょう。近くの食堂の麺料理がとても美味しいらしいので、気になっていたんですよ」
「行きましょう」
僕は即答し、足を踏み出す。
美味しそうな麺料理、オルガさんの紹介ならば間違いはあるまい。
折角一番街に入れたのだから、贅沢をしてもいいだろう。
楽しみだ。
入った店は、一番街らしく上品な店だった。
一つ一つのテーブルには花瓶が飾られ、二又のフォークとナイフがそれぞれ置かれている。
そのテーブルは等間隔に、隣の客が気にならないような距離で並べられていた。
「いらっしゃいませ」
しかし、この店に限ったことではないがウエイターのお辞儀も丁寧だ。一番街以外では見たことがない気がする。これが街間の格差か。
「二名です」
「かしこまりました。お席にご案内いたします」
オルガさんが慣れた様子で人数を告げると、ウエイターは僕らを窓際の席まで案内してくれた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「雀玉の皿を一つずつ、それに何品かお任せ出来ますか。ああ、お酒は結構です」
「かしこまりました」
ニコリと微笑み頭を下げて、ウエイターは厨房へ向かう。
変な話だが、その姿を見て本当にこの街は他の街と違うと、そう実感出来た。
雀玉の皿は柔らかい玉状のパスタで、濃厚なチーズソースがかかっている。その、粥のような見た目の料理をスプーンで掬って食べるのだ。
味的には肉料理と一緒に出した方がいい気もするが、これ単品でも美味しかった。
クラリセンからイラインへ戻ってきて、ようやく食事らしい食事が出来た気がする。
……贅沢が、癖になってしまうのも困るが。
会場へ戻り、少し待てば午後の部が始まった。
ステージの上には午前と同じように司会者が立ち、商品も置かれている。
その幕に覆われた商品は、午前の時に出た商品のどれよりも大きく見えた。
「目録を見るに、午後からは芸術品の類いが多いですね」
「その中に、あの狐もある、と」
「はい。どれだけの値が付くのか、個人的には楽しみですよ」
話していると、品物の解説が始まる。
始めに出品されたのは大きな絵画だった。
「王都の画家ディクソンにより描かれた『陽光』でございます。実在しない花が、柔らかい光を浴びている様は見る者の心に深い郷愁の念を……」
絵画について司会者が解説しているが、正直ピンとこない。
……これはやはり、実用品が多い午前の部の方が僕には楽しめたのかもしれない。
入札が行われ、品物が売れていく。
その後も絵画の他、壺や陶器製の人形などが出品されていくが、あまり面白いものではなかった。
それでも参加者にとっては興味深い品物ばかりらしく、どれも金貨が二桁以上の高額で売れていったが。
そしてついに、フルシールの剥製の番らしい。
「これを目当てにいらっしゃった方もいるでしょう! 今回、探索者ギルドより出品された剥製でございます」
まだ幕がどかされていないにも関わらず、観客から歓声が上がる。その幕の中は僕も見たことがないので、少し楽しみではある。
そして幕が捲られると、よりいっそう歓声の音量が上がった。
「二十年前の戦では両国の精鋭達を壊滅させ、その後も各地で甚大な被害を上げた魔物。気まぐれに森の中を闊歩し、出会った者には平等な死を与える。動き回る災厄、フルシールの剥製です!」
その剥製は、僕が狩ったときと大分形が変わっていた。
剥製であるので当たり前ではあるが、ぐんにゃりとしたあの様は消え失せており、精悍な顔つきで前を睨んでいる。
前方に飛びかかるように屈められた四肢、毛並みは掃除されているのか、少し遠いこの場所からも輝いて見えた。
目を凝らし、首元の辺りを見ても僕が傷つけた跡も無く修復されている。
今にも飛びかかってきそうなその迫力に、美しい毛並み。なるほど、グラニーが欲しがるのもわかる。
僕が狩ったという贔屓目もあるだろうが、午後の部の中で今のところ僕が欲しいと思える唯一の品物だった。
入札が始まる。
嬉しいことに、入札のために上げられた手は下がる気配を見せない。
金貨五十枚を数え、それでもまだ手は上がっている。
その中には、サーベラス卿もいた。
熱心な顔つきで、周囲を見ては手やりを変えていく。
六十枚を超えてまだ上げられている何本もの手。
それを見て、確かに僕は嬉しさを感じていた。
結局、落札したのはサーベラス卿だった。
「……正直、意外です」
僕を憎々しく睨んでいたあの様。それを思い出せば、僕の出した品物など興味を示さないだろうと思うのだが。
そう思いサーベラス卿を見て呟く僕に、オルガさんは微笑んだ。
「何も意外ではありませんよ。サーベラス卿は、一人息子を溺愛していると噂ですからね」
「ああ、息子への贈り物ですか」
息子への愛情が、僕への憎悪よりも勝っていた。そういうことか。
「カラス様への意趣返しも、ご子息への愛情故にでしょう。貴族であればあのような私情に走るべきではありません。だから男爵止まりなんですよ」
「辛辣ですね」
子供が傷つけられれば、相手に対して怒りの情を抱く。
僕には親も子もいないからわからないが、きっと親とはそういうものだろうに。
「……失言でした。口に出すべきではありませんでしたね」
「いえ」
オルガさんは笑って口を閉ざす。
ここはきっと、何事もなかったようなフリをするのがマナーだろう。
今日僕は、礼儀を学んだのだ。
その後も彫刻や装飾品が出品されたが、フルシールの金貨八十枚を越える物はなかった。
……今日一日だけで、一般家庭の収入八十ヶ月分だ。
食べ物で散財しないように気をつけなければいけない。
競売は、それで終わりだ。
あとは何も無く、帰るだけだ。
一番街で夕飯も食べていこうかと悩んだが、先程散財しないようにと考えたばかりだ。
今日のところは、森で何か取ってこよう。
オルガさんとの別れも、簡単なものだった。
「それでは、カラス様。またギルドの方でお会いしましょう」
貸衣装屋で衣服を着替えた後、門の前で別れる。ギルドの方向とは違うが、まだ何処か行くのだろう。仕事だろうか。大変だ、邪魔をしてはいけない。
「あ、はい。お世話になりました」
「いえ、私も今日は楽しかったですよ。わざわざ品を用意した甲斐があったというものです」
「え、それはどういう……」
「何でもありません。お疲れ様でした」
そう、意味深な言葉を残してオルガさんは帰っていった。
品を用意したというのは、狐を加工したことだろうか。
謎だ。
もう一つ不思議だったのは、翌日ギルドまで代金を受け取りに行ったときのことだった。
「ああ、カラス様、昨日はお疲れ様でした」
報酬受け取りカウンターの男性職員は、にこやかに僕を迎えてくれた。
速やかに、僕に金貨七十二枚が支払われる。
「私どもも見ておりましたが、やはり素晴らしい値段が出ましたね! これで、ギルドの面目も保たれるというものです」
「買取額の参考になりましたでしょうか?」
「ええ、大いに。あとはもっと数が出てくれればいいんですけどね……」
「はは、そうすれば僕も大儲け出来ますね」
一応、あとはお礼も言っておかなければ。
「そうそう、オルガさんにもよろしくお伝えください。ギルドの仕事とは言え、僕の案内までして頂いて……」
「? 何のことですか?」
僕の言葉に、男性職員は首を傾げる。あれ、おかしい反応だ。
「え? 昨日案内して頂いたんですが、聞いていないんですか?」
「えーと……そんな担当は聞いていないですね。私どもは、競売の見守りと代金の受け取りが業務でしたので……。それに……」
「それに?」
「ユスティティアは昨日、休暇を取っておりましたので……」
「え」
僕も職員も、戸惑う。
オルガさんが競売に参加したのは、私用だった。
何故そんなことをしたのか、僕と職員は顔を見合わせ悩む。
結局答えは出ずに、僕はギルドを後にするのだった。