礼勝てば即ち
「お連れいたしました」
午前の部も終わった。僕は、サーベラス卿の侍従に呼ばれてサーベラス卿に謁見することになった。
名目は「将来有望な探索者に会っておきたい」というもの。
まあ、嘘だろう。
僕は、目の前のサーベラス卿を見る。
だったら、こんなにも、敵意のある目はしていないはずだ。
謁見とは言っても、ここは午前の部終了後の会場だ。
まだ周囲にはまばらに人が残っており、そこかしこで談笑している。
優雅に楽しそうにしていて羨ましい。
椅子に座り、足を組んでいるサーベラス卿の手前五歩程まで近づき、まず会釈をする。
それに合わせて、侍従も僕に頭を下げ、サーベラス卿の横に控えた。
もう一度、今度は跪いてから深く頭を下げ、そのまま挨拶の言葉を口にする。
「お初にお目に掛かります。ギリアン・サーベラス卿。本日は謁見の名誉を賜り、恐悦至極に存じます。私はしがない探索者、カラスと申します」
なるべく噛まないように、明瞭に発音する。
そして頭を下げたまま、右手を胸に当てて静止した。
少し待つと、前方でサーベラス卿が口を開いた。
「よく来てくれた、カラス君。君の噂はかねがね」
「恐縮です」
まだ頭は上げられない。この人から許可が出ない限りは頭を上げてはいけない。
僕の内心を読んだのかどうだか知らないが、その許可が出た。
「まあ、頭を上げたまえ」
「いえ、若輩の身にて、控えさせていただきます」
「そう言わず、頭を上げなさい」
「では、失礼して」
ようやく頭を上げられる。
視界が広がり、周囲がよく見えるようになった。おつきの人間は三人で、男性が二人に女性一人。声は優しげだったが、やはり彼らの主人の頬はひきつっていた。
……ここからサーベラス卿がどんなことを言うのか。注意しなければいけない。これからが面倒くさいのだ。
僕はオルガさんからの授業を反芻しながら、次の言葉を待った。
オルガさんは髪の毛をクルクルと指に巻き付け、ピョコンと弾く。
「これからカラス様に礼儀作法の指導をさせて頂きます。口頭ですが、ちゃんとお聞きくださいね」
「また唐突ですね」
午前の競売中、僕は商品を見るのもそこそこにそんな話をずっと聞いていた。
「時間が差し迫っていますが、まず重要性からお話しいたしましょう」
「ああ、はい」
オルガさんの真面目な眼差しに、僕は居住まいを正した。
そんな僕を見て、オルガさんは満足げに頷いた。
「まず、爵位を持つ者は私情で平民……爵位を持たない者を罰することができない、ということはご存じですか?」
「……いえ、初耳です」
僕にとって爵位を持つ者、つまり貴族は偉い、という認識のみだ。偉いのだから、平民の処罰ぐらい簡単にできると思うのだが。
「これは法で定められているのですよ。爵位制度における平民への……長いので、通称で良いですね。通称『貴族法』に定められた項目に当てはまらない限り、平民を罰することは出来ません」
「どういった項目でしょう?」
「これも多いのですが、まずイラインの法に逆らったとき、また彼らの領地内で領地における法に逆らったとき、……他にも様々なものがあります。そして今回重要なのが、『公然と貴族を侮辱したとき』ですね」
流れが見えた。
つまり、無礼討ちだ。
「つまり、今日僕は『貴族を侮辱したことにより処罰される』と」
「理解が早くて助かります」
オルガさんはクルクルと人差し指を回す。これは、『早い』というジェスチャーだろうか。
「実は常套手段なんですよ。言葉遣いや服装、態度に難癖を付けて、侮辱されたということにして平民を罰することは」
「その、貴族法の意味がないじゃないですか……」
というか、わざと侮辱されて相手を罰しに行くという行為。自ら被害者になり、相手を加害者に仕立て上げる。それは『当たり屋』と言うんじゃないだろうか。
「法が厳しくても従う者はもちろんいます。しかし殆どの人は無視するか抜け道を探すか、そのどちらかです。この国では後者の方が多かったということですね」
小馬鹿にするようなオルガさんの笑みは、僕を通して知らない誰かを笑っていた。
「証人となり得る人間が周囲にいなけれぱ、その項目は効力を持ちません。期せずして、この競売会場は絶好の舞台になっているんですよ」
「期せずして、ということはあの人それを狙ってきた訳じゃないんですか」
僕の言葉にオルガさんは口を隠し、小声で囁いた。
「ここ何日で調べられた資料を見る限り、サーベラス卿はそこまで考えられる方ではありませんよ。先程カラス様が目に留まったのは本当に偶然でしょう。でも、機会があれば即座に動く、そういう方です」
「そして、サーベラス卿の予定外だったこの状況は、カラス様への追い風でもあります。証人となり得る人間は、サーベラス卿の味方ではない。中立な第三者です。カラス様が切り抜けられる余地にもなっている」
「……僕がちゃんとしてれば大丈夫、ということですね」
「はい。重要性が伝わったようで何よりです」
話が一段落すると、オルガさんはコホンと一つ咳払いをした。そして、人差し指を立てて僕への授業を開始する。
「ではここから、改めてお聞きください。サーベラス卿の場合は、躊躇なく死罪にする方でもありますので」
「は、え、はい」
死罪。突然の深刻な言葉に、思わず変な返事になってしまう。
オルガさんの目は大真面目だ。きっと嘘ではない。
「カラス様は武力で切り抜けられるとも思いますが、諍いを起こして禍根を大きくするのは得策ではありません。それは最後の手段としてください。よろしいですね。……ではまず、……」
それからのオルガさんの解説は端的で分かりやすいものだった。
恐らくここまでは間違えていないだろう。
“男爵位への非公式の謁見ですので、本来は立礼でも構いません。ですが、貧民街のことを理由に攻撃される可能性があります。なので今回は、より丁寧な跪礼を行ってください”
“また、挨拶は頭を下げたままで。その後「頭を上げろ」という指示が出ると思いますが、一度は断って下さい。こちらも本来は男爵位程度でしたら不要であり、一度断るのは王候貴族相手に行うものなのですが……それも処罰の理由に出来なくもありません”
一瞬サーベラス卿の手が震えた気がしたが、本当にそれを狙っていたのだろうか。
残念ながら、僕にはその表情からは窺い知れない。
サーベラス卿の言葉を待つ。
通常であれば、贈り物や何事かを献納して、そして立ち去る。
それだけの事であるはずだが、サーベラス卿の目的を考えると、何か言われるはずだ。とオルガさんは言っていた。
オルガさんの指導の中に、当てはまる物であればいいのだが。
そしてゆっくりと、薄い笑いを浮かべながらサーベラス卿は口を開いた。
「カラス君、と言ったね。緊張しないでくれ給えよ。私はあの狐を倒した、将来有望な探索者と顔つなぎをしておきたいだけだからね」
「恐縮です」
“相手の目的を否定するような言葉は使ってはいけません。謙遜か、同意で返してください”
「いやあ、君の強さは素晴らしい。狐からだけでも充分わかるが、昨日行われた決闘では、私の不肖の息子だけではなくあのライプニッツの息子にまで完勝したらしいじゃないか」
言葉の途中から、サーベラス卿の額に青筋が浮かんでいる。
ああ、これは僕でもわかる。明らかに、怒っている。
「いえ、グランヴィル殿に加減されたらしく、私など、次に戦えば勝てますまい」
「本当にそう思っているかい?」
「ええ、もちろんです」
間髪入れずに答える。ここで一呼吸開けたり、まごついてしまっては危なかった。
「ただ……息子は軽くない怪我を負ってしまってね……。失った歯の変わりに、木床義歯を合わせるのが大変だったよ……」
……ここら辺も、危ないところか。
オルガさんに聞いておいて良かった。
「心中お察しします」
“相手が同格以下でも無い限り、決闘の結果について謝罪してはいけません。自らに非がある、という事になり得ますし、貴族にとっては『正当なものではなかった』と取られても文句は言えませんので”
サーベラス卿が足を鳴らす。貧乏揺すりのように、地面に付けた踵を何度も打ち鳴らしていた。
「さて、そうだ……うん、そう……」
まとまりのない言葉に、小さくなっていく声。それに比例して、手足が落ち着き無く動くようになってきていた。
まだ、狐のことと決闘のこと、それだけしか話していない。にも関わらず、話のネタがもう尽きたらしい。
オルガさんが言っていたとおり、計画を立てずに行動したのだろう。
だが、言葉が止まった。それも困る。
このまま立ち去って良いのなら助かるが、許し無く立ち去るわけにはいかないのだ。
時間が経ち、午後の部が始まれば解放されるだろうが……一時間近くもこのまま拘束されるのは嫌だ。
早く何かアクションを起こしてくれないだろうか。それか、もう諦めてくれないだろうか。
そうした願いが通じたのだろうか。ようやく、サーベラス卿の口から意味のある言葉のまとまりが吐き出された。
「……ご苦労だった。下がり給え」
唇を震わせながら、サーベラス卿は僕に立ち去るように命じる。
終わった。では、早々に立ち去ろう。
「……それでは、さしたる献納もご用意出来ず、失礼いたしました」
僕は一礼し、ゆっくりと立ち上がる。
そして振り向こうとしたところで気がついた。一縷の望みを掛ける様子で、サーベラス卿が僕を見つめている。
“最後に、立ち上がってからも会釈を忘れずに”
そうだ、忘れるところだった。
僕がもう一度会釈をすると、サーベラス卿は大きく肩を落とした。