着飾る価値
しかし、一日だけ着る貸衣装に銀貨三枚もかかるのだ。自前の衣装を揃えるのには、どれほどの銀貨が飛んでいくのだろうか。
「服にこんなにお金かけるなんて、一番街の人たちは大変なんですね」
溜め息交じりに僕が呟くと、オルガさんは笑って答えた。
「それをするだけの意味がありますからね。外見を整えることは重要な事なんですよ」
「みんながみんな、そんなに外見にこだわっているんですか?」
重要な事、という言葉に僕の好奇心が疼く。
「偉い人は人に会うんですから、『清潔感が必要』とかはわかりますけど……」
少なくとも、僕の生活には必要ない物な気がするが。
オルガさんの笑顔に、若干得意げな雰囲気が混じる。人差し指でも立てながら、授業でもしそうな雰囲気だ。
「人を不快にしない。自らの体を保護する。人が服を着るには色々と理由があります。けれど、一番街で服装を整える意味は主に『無用な争いを避ける』というのが正しいですね」
「? 迂遠な気がしますけども」
服を替えれば、無用な争いが避けられる……風が吹けば桶屋が儲かるような、とても遠回りな気がするが。
オルガさんは、やれやれとでも言いたげにゆっくりと首を振った。
「とても直接的だと思いますよ。周囲の者と同じく、決められた服装をしていればとりあえず目立つことはありませんからね。それだけで一つ攻撃される要素は減るんですから」
オルガさんは長い横髪をクルクルと指先に巻き付けてまた解く。弄ぶ指の先で、艶のある金色の髪の毛がぴょこんと跳ねる。
「攻撃されなければ、反撃する必要もありません。よって、争いは起こらない」
息を潜めていれば、とりあえず誰も敵にはならない。なるほど、直接的だった。
だがそれは、名を上げ顔を売り、仕事をとる探索者とは全然違うと思う。
「目立つことが必要な探索者とは違うんですね」
そう思いぼやくと、オルガさんには即座に否定された。
「いいえ。探索者でも同じですよ。どこの場にあっても、衣服はもっとも早くに目に入ります。そこでその者の地位や立場、態度や考え方、場合によっては能力まで示せますから」
そこで一息置いて、オルガさんは僕の顔を覗き込みながら言う。
「『戦えない者の服装』をしていたカラス様は、それが原因となった諍いの経験がおありでしょう?」
服装が原因の諍い……どれだろう。
オルガさんが知っているとすると……ギルドで起きた諍い、というと、あれか。
「〈剛力無双〉の一件ですか」
服装について何か言われた気がする。もうあまり覚えていないが。
「はい。ちなみに、〈怪力無双〉ですね」
オルガさんは小さく否定した後、「覚えなくてもいいですけどね」と小声で付け足した。
「少なくとも、強く逞しそうな見た目であればあのような輩は絡んではきませんからね」
……たしかに、あれは僕が弱そうに見えたからこそ騒動に使われたのだろう。
「と言っても、カラス様の場合は身長等他の要素が影響してますので、仕方がないことではあるのですが」
……暗に、身長が小さいと言われる。
確かに今の僕は百五十センチメートルに満たないほどしかないが、まだ九歳とそこそこなのだ。普通、これくらいだろう。
しかし、何か悔しい。
「成長期なんで、そこは言わないで貰えると助かります」
「フフ、期待しております」
鼻で笑い、オルガさんは少し早足になる。
前を行くオルガさんの括られた後ろ髪が、風にそよいで左右に揺れた。
「とまあ、服装や装備からなる外見は、どこの立場であっても変わることなく重要なんです。一番街の者だけではないんですよ」
そして立ち止まり、僕が横に並ぶのを待ってまた歩き出す。
「大変なのは一番街だけじゃない、ですか」
ふと、我が身を省みる。
僕は今まで服装など気をつけたことがあっただろうか。
同じデザインの物しか持たず、出かけるときは黒い外套のみ。
……こまめに洗っているし、清潔じゃ無いとは言わないが、服に気を使ってはいなかったな……。
だから、今日の朝のような悩みが出るのだ。
「まあそれでも、かかる金額は一番街の住人が断然上位にいるでしょう。カラス様の仰る通り、一番街の住民は大変ですねぇ」
口の端を歪め、オルガさんは溜め息交じりに呟く。
その耳の横の金髪を掻き上げ、耳にかけた。
うざったいなら切れば良いのに。
……と、これもきっと外見に気を使った結果なのだろう。
口出しはすまい。
それよりも。
「……今までの話は何だったんですか……」
「少々世間離れしている、カラス様への親切ですよ」
そう言って、オルガさんは目を閉じて笑う。
「大変ですね」「大変ですよ」で済む話を、わざわざ掘り下げる必要は無いだろうに。
やはり、他人との雑談は慣れない。
服を替えて、歩きながら喋る。それだけでも、それなりに時間は経つ。
辿りついた競売の会場には、もう人が集まっていた。
「競売は十の鐘が鳴る頃から、でしたよね」
「ええ。午前の部は十の鐘から、午後は十三の鐘からと分けられています。もうすぐ午前の部が始まります」
オルガさんは腰から懐中時計を取り出し、答えてくれた。
僕は、この世界に来てから初めて時計を見た。
いつも時間は街に鳴り響く鐘の音で判断していたが、やはりそれだけでは不便な者もいるのだろう。
それは蓋のないシンプルな物だったが、カチカチとテンプが音を立てているその機械は、確かに懐中時計だった。
だが大量の細かい部品に精密な機構を備えたそれは高級品で、庶民で持っている人は少ない。
持っているとしたら、時間に追われる商人か、そんな高級品を持てるということを誇示したい富豪たちくらいなものらしい。
珍しそうに見ていた僕に、オルガさんはそう解説してくれた。しかし、その高級品を持っているオルガさんは、どっちに当てはまるのだろうか。
その高そうな金の鎖を見ながらそう思った。
「では、入りましょうか。証書はちゃんとお持ちですね」
「はい。大丈夫です」
僕が腰の鞄から金属製のカードを取り出し示すと、オルガさんは頷いた。
そして視線を切り、会場の受付へ歩き出す。
僕も遅れないようにそれに続いた。
建物の中はすり鉢状のホールになっており、その中央にステージがある。
そのステージが見えるように、円形に席が配置されていた。
オルガさんは受付で渡された紙を見ながら、迷い無くそのなかに踏み込んでいった。
「出品者はこの辺りですね」
「ちょっと遠いですけれど」
そこはステージの、恐らく真横から見る席だった。近いわけでも無く、すり鉢の上端だ。
「出品者は買いに来るというよりも、自分の品物が売れることを確認するだけですからね。下の方は料金が高いですが、行きます?」
「あ、いえ、ここで大丈夫です」
まあ確かに、買うわけでもないのだから良いだろう。
席に腰掛けると、間もなく始まるらしい。ステージの上がにわかに賑やかになってくる。
大きな品物に布がかけられ、その前に司会者らしき人が立っていた。
「カラス様のフルシールは、午後の部ですね。午前は魔道具などが多く出る予定なので、見て楽しみましょう」
「へえ、魔道具」
僕が前取ってきた懐炉。それ以外の魔道具を見るのも初めてな気がする。
時計といい、魔道具といい、今日は初めて見る物ばかりだ。
これは、来て良かったかもしれない。
僕はワクワクして、幕が外されるのを待った。