支払う代償
もう一人の貴族のお坊ちゃまは、肩を落としてずいぶん大人しくなった。
そして、怯えたような様子で僕らの後を付いてくる。
先程レヴィンを助けるために、便宜を申し出た勇気は何処かへ消えてしまったのか。
一人になると自信が無くなるタイプなのだろうか。
筋肉のシルエットも見えずにただただ膨らんだその体を、自信無さそうに縮こまらせたその姿はとても弱々しく見える。
初対面からこんなに消極的ならば、こんな事態は起きなかっただろうに。
個室の扉をパタンと閉めると、ポツリとグラニーは呟くようにオルガさんに尋ねた。
「あの……レヴィンの腕は、治るのか……?」
「さて、どうでしょうか」
意外にも、オルガさんは楽しそうに返した。
その笑顔は事務的でも無く、慰撫するようでも無く、嘲るような笑顔に見えた。
「記録に残っている遙か昔の片腕の魔法使いは、腹部に負った内傷が原因で命を落としたとか。四年間、血が流れ続けていたらしいですよ」
オルガさんの言葉を聞いて、グラニーの顔が目に見えて青くなる。僕もそれを聞いて少し衝撃を受けた。そこまで深刻だったのか。
「フフ、まあ、今では法術や手当の術も進歩してますので、そんなに大事にはならないかと。適切な治療を受けられれば、せいぜい一,二ヶ月ほど治らない腕に苦しむだけでしょうね」
「……そのぐらいで、済むのか」
グラニーは胸をなで下ろす。命に別状は無いのは、僕にとっても喜ばしいことだ。
だが、グラニーやレヴィンは知っているのだろうか。
仮に治ったところで、整復も固定もされないその腕は、歪に折れ曲がったままだと言うことを。
この世界ではそれは普通のことなのだろうが、僕だったら絶対に嫌だ。
そうは思っても、何故か僕の胸中に罪悪感が沸くことは無かった。
机の上に二人の袋の中身が並べられる。
と言っても、硬貨が数枚と小さなナイフが一本ずつ、あとは家紋入りのハンカチがあるだけだが。
「……これだけですか?」
僕がジト目で問いかけると、グラニーは慌てたように言った。何かを……というか僕を恐れるように、早口でまくし立てる。
「本当だよ! う、嘘じゃ無い。俺もレヴィンも魔術を使ってたし、大きなものはレヴィンが運んでいたんだ」
「あー、あの魔法があればそうなりますか」
物資の運搬に使われるあの魔法。それがあれば荷物は少なくなる。火や灯りの準備が不必要な、魔術師のみのパーティならば尚更だ。
そしてやはり、魔物以外も運ぶことが出来たのか。
「ちなみに、なんていう魔法ですか?」
「あの物を運ぶ魔法なら、確か《保管庫》とか言ってた」
「《保管庫》、ね」
勇者の英雄譚において、その魔法が出た場面とあの《弾丸》の場面を、僕は見たことが無い。
フラウへの読み聞かせは子供向けに編集されていた物だったからか。
魔法の案として、原文をどこかで確認してみてもいいかもしれない。
「それでは、確かにこの金貨二枚と銀貨九枚、あとは鉄貨と銅貨、合わせて銀貨二枚分をカラス様の物とします」
「ありがとうございます」
オルガさんから恭しく差し出された硬貨を僕は受け取る。
もはやこの程度あまり足しにはならないが、それでも金だ。使い道ならいくらでもある。
「……こんな、人から金を巻き上げて楽しいのかよ……」
全て終わり、もう帰ってもいいという段になって、グラニーはボソリと呟く。
オルガさんはそれを聞き逃さなかったらしい。
「これは、貴方方が選んだ手段の結末ですよ。貴方が弱くなければまた違った結末もあったかもしれませんが、負けたのは貴方です。責めるのであれば、決闘に持ち込み金品を賭けた、貴方自身の判断を責めるべきです」
「そいつ……いや、その人がそんなに強いと知っていれば……!」
「事前に調べることもせず、決闘だ、決闘だ、と騒いでいたのは貴方方です。決闘がどういう物か、これでわかったでしょう。今後はそういう発言は慎むべきですね」
文句を重ねるグラニーの発言を無視して、オルガさんの説教は続く。
事務的な会話以外に、今日はよく喋る日だ。
……事前の交渉が、そんなに酷かったのかなぁ。
僕はその説教を聞きながら、そんなことを考えていた。
オルガさんの説教ですっかり意気消沈したグラニーは、背中を丸めて去って行った。
レヴィンがいなくなった後の自信喪失ぶりが気になったが、きっとそういうものなのだ。
もはや関わることはないし、気にしないでいいだろう。
ただ、もう一つ気になることが残っていた。
「それで、オルガさん」
「何でしょうか」
「レヴィンとグラニーの身元、どこだったんですか?」
きっと、ギルドにはもう調べがついているだろう。
そうでなくとも、二人は身分証明のために家紋入りの手巾など持ち歩いていたのだ。
オルガさんが確認すれば、今すぐに身元はわかるはずだ。
正直、何処の家であるかはどうでもいい。
だが、僕と同年代で片腕の魔法使い。僕はその条件に当てはまる人物を、一人聞いたことがあるのだ。もしかしたら、見たこともあるかもしれない。
気になったからには、聞いてみなくてはなるまい。
「はい。候補はいくつか絞られておりましたが、まず先程のレヴィン様の発言で確証が得られました」
「片腕の、というところですか?」
「ええ。十四歳になる片腕の魔法使い。それだけで明白です。ネルグの南の領地貴族、ライプニッツ家のご子息ですね」
そこまで言って、オルガさんは空中で指をくるくる回し図形を描く。
「先程の手巾の刺繍、鱗ある犬の紋章もその証明となりますね。私が見たのは一度きりですが、恐らく間違いなかったかと」
……やはり。この街に来て一年目の新年祭で見た貴族の車の一つ。
そこに乗っていた退屈そうにしていた少年、その人だった。
「レヴィン・セイヴァリ・ライプニッツ。現在は物見遊山で親交のあるサーベラス家に逗留しているそうです。サーベラス家の子息は……お分かりですね」
「そのサーベラス家の子息がグラニー、ですか……? っていうか、レヴィンって本名だったんですね」
僕が何気なくそう言うと、オルガさんは申し訳なさそうに何度も頷く。
「お恥ずかしい話ですが、一番街の住民という思い込みで調査部が動いていたため、発見が遅れました」
「はは、まあ、別にわかってなくてもいいんですけどね」
以前見たことがあると、多少気になっただけだ。
何処の誰だろうと、僕はどうでもいい。
彼らの身元が重要なのは、ギルドだけなのだ。僕ではない。
会話が止まり、一段落する。
賭けた金を受け取り、敗者は去った。これでもう、決闘騒ぎも終了だろう。
「じゃ、僕もこれで帰っていいですよね?」
早く帰って寝たい。昨日は徹夜に近いのだ。ゆっくり休んで英気を養うとしよう。
「はい。構いません。今日はお疲れ様でした」
オルガさんは温かい笑みで僕を労う。
人は笑顔の人に悪意を向け辛いという。なるほど、よく出来ている。
オルガさんの笑顔で、今朝の騒動が全て丸く収まった気がした。
さて帰ろうと、扉に手を掛けた僕の後ろ姿に、オルガさんが尋ねてきた。
「ああ、そうそう。カラス様は、明日の競売に参加される予定でしょうか?」
僕は振り返り、口を開いて少し悩んだ。そして、曖昧な答えを返す。
「……んーと、それが、どうしようかと」
行っても何かを買う予定はないし、僕が見ていたからといって剥製の値段が上がるわけもあるまい。なので行かなくても良いとは思うが、それでも折角権利を得たのだから使わなければ損だとも思う。
明日の朝の気分で決めようかと、そう思っていた。
決めかねている僕に、オルガさんはニコリと微笑み諭すように言った。
「明日は私も参加しますので、もしよろしければご案内いたしますよ」
「……そうですか……?」
思わぬお誘いだ。知らない場所に一人で参加するのは正直行きづらいが、案内してくれるというのならば話は別だ。
しかし、迷惑にならないだろうか。
「お仕事の邪魔じゃ無いですか?」
参加するというのはきっと、職員として何か仕事があるのだろう。立ち会うだけ、と言う可能性もあるが、それでも隣に僕のようなおまけがいるだけで邪魔な気がする。
「そんなことはありませんよ。ギルド職員も何人か参加しますし。それに、今回の決闘騒ぎの補償と考えていただければ安い物です」
しかし僕の心配を余所に、オルガさんはそう言い切った。
……出るか出ないか迷ってはいたが、ここまで言ってくれているのだ。
参加してみよう。
「じゃあ、お願いします。一番街へ立ち入るのは初めてなので、少し不安だったんですよ」
「フフ、そうですか。では、明日の朝、九の鐘が鳴る頃に一番街西側の門の前で待っていますね」
「わかりました。遅れないようにします」
思わぬ提案に乗ってみるとしよう。
退屈な日々を変えるには、何か挑戦しなければいけない。
これが挑戦かと言われると疑問符が飛ぶが、それでも普段はしないことだ。
少しだけ楽しみになった明日に、足取りも軽くなる。
僕の顔に笑みが浮かんでいたことに気がついたのは、ギルドを出てしばらく経ってからだった。
家に帰ると、眠気がどっと襲ってくる。
だるさに負けてそのまま毛布に寝転がると、瞼が重たくなってきた。
まだ午前だが、明日はイベントがあるのだ。
遠足を待つ子供のように、夜更かしをするよりは良いだろう。
徐々に暗くなる視界。僕は特に抵抗することもなく、意識を手放した。