彼は英雄ではない
レヴィンに駆け寄る治療師。彼女がそのだらりと下がった腕に向かい、法術を唱えた。
やがて淡い光が腕を包む。
しかしその光が収まっても、レヴィンの苦悶の表情は変わらなかった。
「あ、あれ?」
治療師の表情が戸惑いに染まる。そしてもう一度法術をかけても、結果は同じだった。
首を捻り、もう何度か法術をかけ直す。
そして、治らない原因に思い当たった治療師は、声を上げた。
「う、嘘? ……あ! まさか!」
「……な……何……だよ?」
息も絶え絶えにレヴィンは聞き返す。先程までは興奮状態だったから動けていたのだろう。今はもう、指先を動かす気力もなさそうだった。
「レヴィン様? 魔法使いとしての等級は、いくつでしょうか?」
真剣な顔で、治療師は尋ねる。顔を覗き込みながら、折れた場所に手を添えながら。
「……ちっ……! …………片腕……だよ!」
悔しそうにレヴィンは吐き捨てる。そしてその後、僕を睨み続けていた。
「片腕!? い、いえ、そんなこと今は問題ではありません! あ、あの!」
治療師は一瞬驚くも、そんなことをしている場合では無いと野次馬に叫んだ。
「誰か! 治療院から上級の治療師を呼んできて下さい! 私では治療出来ません!」
涙目で叫ぶ治療師の声に何人かは顔を見合わせるも、誰も動かなかった。これが傍観者効果というものだろうか。
どよめく野次馬を見回して、治療師の顔が青ざめる。
やはり目の前の患者を助けられないのはショックなのだろう。
僕は黙って、その様子を眺めていた。
しかし、失礼な話だが少し笑えてきた。
レヴィンは片腕の魔法使いらしい。それを黙っていて、なおかつ先程の<怪力無双>の真似を考えると、多分もっと効果的な暴露の時を狙っていたのだろう。
具体的に言うなれば、レヴィン優勢の時に僕を降伏させようとしてグラニーが叫ぶとか、僕に完勝した後失言として自ら言うとか、そういう時を狙っていたんじゃ無いだろうか。
それが今、治療師に聞かれて発言し、そして軽く流されている。
自らが片腕の魔法使いだと言うことよりも、自らの怪我が治らないことのほうに皆が驚いている。
『貧民街の卑怯者に鉄槌を下す正義の味方! 勇者の魔法を完成させた魔法使い! そして、なんと! 片腕の魔法使い!』という、盛り上げを完遂出来なかったのだ。
忍び笑いが漏れそうだ。
もしかしたら違うのかも知れないが、未だに憎々しげに僕を睨んでいるレヴィンからすると、間違いないと思う。
そして治らない原因は、明白だ。
レヴィンは魔法使いだ。それも、本人の言によると片腕の。
そして僕は先程闘気を全力で活性化させて、その手でレヴィンの腕を握りつぶした。
内傷だ。それも、重度の。
もしかしたら内臓の方もいくらか損傷しているのかもしれないが、そちらは今本人にとっても治療師にとっても重要では無いだろう。
内傷の酷さは、使われた闘気の密度、そして本人の魔力の強さに比例する。
魔力が強ければ内傷になり辛いらしいが、一度起こればそれは重度の損傷となる。
二本指のテトラが負ったそれなりに深い傷、それは一週間以上経った今でも何の変わりも無く治癒せず残っているだろう。
そして今回は、グスタフさんですらそれ以上を聞いたことが無いという、最高位の魔力を持つという片腕の魔法使いが負った内傷。
粉砕している腕の骨。治癒が始まるまで、どれほどの時間が掛かるのだろうか。
「さて、では決闘で賭けたものを頂きましょうか」
空気を読まず、僕はレヴィンとグラニーに声をかける。
野次馬の顰め面が目に入ったが、構わない。これは彼らの決めた規則に則っているのだ。
レヴィン達に文句を言う筋合いはないし、そして見ていただけの野次馬達にも、止める権利は無い。
グラニーに目を向けると、腰の袋に手をやって、そしてまた手を離す。
往生際が悪いようで、差し出すのを渋っているようだ。
溜め息を吐きレヴィンの方を見れば、そちらはそっぽを向いて無言で無視を決め込んでいた。
僕はオルガさんに問いかける。
「決闘で賭けたものって、強制的に取り上げたり出来ませんかね?」
オルガさんは首を小さく横に振り、力なく笑った。
「そんなことは必要ありません。貴族達にとっての決闘は交渉の一つでもあります。なので、約束を反故すると相手が困りますが自分も困るのですよ。話し合いの窓口の一つを自分で潰すわけですからね」
「なるほど。そこを不正で乗り切ってしまえば、今はよくとも次はまずい。他の紛争の解決には使えなくなる、ということですか」
「はい。なので、品物を差し出さない、などそんなことはするはずがありませんよ。もしも約束を反故にしたとするならば、このオルガ・ユスティティア、確かに証人としての仕事を全うしましょう」
その鋭い眼光は、確かに二人を捕らえていた。
逡巡の後、グラニーが観念したらしい。
腰の袋を掴んで、僕に向かって差し出した。
「ええと、これは僕が直接受け取っていいんですか? それとも、証人のオルガさんを通して、ですかね?」
「どちらでも構いませんが、中身の確認は私がしましょう。ギルドの中、個室で行いましょうか」
そう、僕とグラニーを交互に見ながらオルガさんは言う。だがその言葉にグラニーは難色を示した。
「お、俺がいく、から、レヴィンは勘弁してやってくれないか」
「どういうことでしょう? レヴィンさんも、金品を賭けていたはずですよ?」
僕が聞き返すと、グラニーはレヴィンを見て手をせわしなく動かしていた。
「ひ、治療師が来ないってことは、治療院に今から行ってこないと……!」
「……ああ」
歯を食いしばって耐えているレヴィンを見て、納得した。
そうだ。確かに行けばいい。そうすれば、上位の治療師もいるだろう。
「いいですよ。ね?」
僕がそうオルガさんに確認を取るとオルガさんは頷く。それを見て、グラニーの顔が明るくなった。それなりに仲はいいらしい。
「では、レヴィンさんも持っている荷物を全て置いていって下さい。金品以外は、あとでグラニーを通じて返品しましょう」
友達の行為を無駄には出来ないようで、レヴィンは舌打ちをしながら腰の小袋を投げ捨てた。
それを拾い、土埃を払ったところで気がついた。
「ああ、そういえば、レヴィンさんは魔法を使えましたよね。魔物の死体をギルドの窓口にぶちまけた奴」
そう、初めて見たときに確か使っていたはずだ。
しかしそれを聞いても、レヴィンは俯き黙り込んだ。
僕は溜め息を吐いて、グラニーを見る。
話さないのなら、友達に聞こう。周囲にレヴィンの名前を広めるために、レヴィンの能力に詳しくなっているだろう友達に。
「どうですか? とても便利で強そうな魔法ですが……」
「そうだな、あれも勇者の魔法らしいが……」
「その中に、お金を入れたりとかは?」
「お、俺が見ていた中では、そんなことは……」
……本当にないのだろうか。
フルシールを買い取れるほどは無いにしろ、予備の金貨などは持ち歩いていてもおかしくはなさそうだが……。
そもそもその魔法について、どんな魔法かわからないのだから詮索は無意味か。
中に入るのが生物のみとか、何か法則でもあるかもしれないし。
「まあいいです。じゃあ、他に今何を入れています?」
脂汗に塗れたレヴィンの顔を覗き込み尋ねると、涙目で睨みながらレヴィンは小さく呟いた。
「何も……入ってねえよ」
「そうですか。では、……」
僕は野次馬を見回して、少し大きな声で言った。
「もう決闘は終わりなので、少し離れて下さい。危険かも知れないので」
怪訝そうな顔で、少し野次馬が身を引く。それでも離れていく気は無いようで、輪が多少広がっただけだった。
まあしかし、これだけあれば充分だろう。仮に想定以上ぶちまけられても、僕は警告したのだ。後は知らない。
「では、失礼しますね」
闘気を再度活性化する。そして、腕に集めて長い帯のように、鞭のようにそれを振るう。
これは闘気を体から離そうと訓練したときの副産物だ。
効果があるかは知らないが、これでレイトンや鬼のように魔法を打ち消せないだろうか。
敗者への辱めは不必要なものだが、実験台になって貰うくらいいいだろう。
目を瞑り、反射的にだろう息を止めて身構えるレヴィンの体を、難なく通り抜ける闘気の鞭。
……何も起こらなかった。
本当にレヴィンが持っていなかったのか、それともこれで解除が出来ないのかそれはわからないが、これ以上持ち物について追及しても無駄だろう。
僕は再度溜め息を吐いて、闘気を収める。
「では、これで行っていいですよ。お大事にして下さいね」
レヴィンはゆっくり目を開けると、僕の顔を見て歯を食いしばった。
何を考えているか知らない。
だが、これで今回の事件は終わりだ。
「オルガさん、お願いします」
オルガさんに声をかけ、グラニーに目配せをしてギルドへと入っていく。
ドアを閉める際に、もう一度レヴィンの方を見た。
心配そうに遠巻きに見つめる野次馬達は、それを助けようともしない。
よろよろと立ち上がったレヴィンに、野次馬の海は割れていった。
もはや興味は無い。僕は目線を切り、ギルドの奥へと入っていく。
……今回の治療師の代金はギルドから出ているのだろう。
だが、自らの足で立ち上がり、治療院へと向かうならばきっと話は別だ。
巻き上げた金銭があれで全てならば、治療院に行っても治療はされない。
精々、貧民街の者と同じ境遇を味わえばいいのだ。
誰からも助けられず、ただ惨めに門前払いを食えばいい。
一部だけではあるが、僕を貧民街の下等民と見下した貴族が、僕らと同じ扱いを受ける。
野次馬にも治療師にも助けられない。怪我を負わせた人物に文句も言えない。
そして治らない腕に苦しみながら、これからしばらく過ごすのだ。
「皆に助けられる、英雄にはなれませんでしたね」
誰にも聞こえない音量でそう呟くと、少し気分が晴れた気がした。