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何も見えない




 泣き声が聞こえる。


 揺らめく明かりが見えた。しかし、目の前はぼやけている。ここはどこだ。そう思い、辺りを見回そうにも首が動かない。

 おかしい、僕は何をしているんだろうか。困惑しながらも状況の整理に努める。

 僕は何をしているんだ。そう何度も考えるがいっこうに答えは浮かばない。周りになにかあるか。手を伸ばそうとしても手は空を切るばかりである。何度目かもわからない困惑がまた浮かぶ。

 手を動かした感触が、慣れ親しんだ手のものと違う気がした。柔らかい。そして短い。まるで子供の手だ。


「――――!」


 ボワンボワンと響く声が聞こえた。たぶん、女性のもの。それも若い。何を焦っている? そちらに目を向けると、ぼやけた視界の中で金色の動くものが見えた。金髪かな。


「―― ―――! ――! ――――!」

 今度は茶髪の男性の声だ。こちらは焦りに加えて怒りもこもっている。

「―― ――――! ―――― ――」

「――――! ――――――――――――?」

 なにか言い争いが始まった。しかし、何を喋っているかもわからない。困惑はまだ続く。いったい何が起こっているんだ。僕は今どうなっているんだ。

 やがて、続いていた言い争いが終わる。男性の怒鳴り声を最後に、意味のありそうな言葉は聞こえなくなった。そして今は、女性の啜り泣きだけが聞こえる。

 すると突然、首の辺りを掴んで持ち上げられた。頭上から老婆の呟く声が聞こえる。意味はさっぱりわからない。ちなみに僕は、今初めてこの人に気付いた。ずっといたのだろうか。


 そしてそこで、また一つおかしいことに気付く。この老婆は僕を持ち上げた上で、さらに上にいるのだ。僕の足は完全に宙に浮いている。こんなことをするためには、かなりの長身でなくてはいけないはずだ。しかし、声は完全に老婆である。成人女性に準ずる身長はあるだろうが、それでも平均程度なら、このように僕を持ち上げることなどできないはずだ。そもそも僕の身長は……、


 あれ、僕の身長は……?


 困惑は広がる。僕の身長はどれくらいだっただろう。体重は? 年齢は? 僕は僕について、何一つ思い出せないのだ。

 また女性がなにか呟く。老婆は溜め息を一つ吐いて、しぶしぶといった感じで言葉を呟きながら僕を移動させた。


 柔らかい手が頬に触れる。温かい。どうやら、女性の手らしい。頭を撫でられる。すると、ずっと続いていた激しい泣き声が止まった。


 泣いていたのは、僕だったらしい。




「―― ――?」

 男性の声が聞こえた。先ほどの茶髪の男性だ。そして、男性はまた老婆に向けて何事か命令する。その言葉に頷いたような仕草を見せ、老婆は僕を掴み持ち上げる。それから肌触りの悪い布に包み始めた。


 ここに来て僕は、ようやく「自分は今赤ん坊なんだ」と気が付いた。

『転生』そんな言葉が思い浮かぶ。たぶん僕は転生して、たぶんこの男女は両親なんだろう。


 だが、なぜ? どうして僕は転生なんかしているんだろう。以前の生活は思い出せない。でもたぶん日本人だった。そして、今いるのはほぼ間違いなく日本じゃない。聞き覚えのない言語に両親の髪の色、明かりを採るのにランプのような火を使っているらしいところから見ると、きっとそうだろう。未発達故の感覚の未熟さか、それ以上のことはまだわからないが。


 やがて、老婆は僕を布で包み終えたらしい。また持ち上げられる。ごわごわした感覚が肌を包み、少しの浮遊感の後、蓋のない木箱のような物に入れられた。

「―― ―――」

 男性がなにか女性に呼びかけると、女性は嗚咽で応える。男性は僕を木箱ごと持ち上げると、どこか外へ運び始めた。


 男性は無言で暗い道を歩く。僕はされるがままだ。少し肌寒い風が顔に当たる。ザリザリとした音と揺れ方に、舗装はされてないだろうデコボコの道を男性が慣れたようにすいすい歩いていっているとわかる。

 ……僕はこれからどこに連れて行かれるんだろう。生まれてからここまで、困惑の連続だ。

 少し、整理してみる。僕は今赤ん坊で、生まれたばかり。そうしたら両親らしき人たちが喧嘩して、今は父親らしき人にどこかへ運ばれている。母親らしき人はたぶんそれを止めたように思える。結局は父親が勝ったようだが。


 結局何もわからない。そう思うと無意識にあくびが出た。未熟な体は疲れやすいらしい。これも、赤ん坊だからだろうか。僕は突然ひどい眠気に襲われ、その意識を手放した。




 眩しい。夢も見ず、まず感じたことがそれだった。日が昇ったようで、顔に光が当たっているのを感じる。

 次に感じたのは木々の音だ。葉擦れの音がザワザワと鳴り止まない。

 眠りからは覚めたが、目はまだ見えない。昨日と比べると、幾分か輪郭がわかるようになった気がするが、それでもまだまだぼやけている。

 そこではたと気が付いた。周りに人の気配がない。僕を連れてきたはずの父親がいない。

 短い手足をばたばたと動かすと、つられて僕の入っている木箱が揺れる。地面に当たる音から、土の上にいるらしい。


 ……それにしても、父親がいないのはどういうことだろうか。

 とりあえず、辺りの様子がわからないことには何もできない。もちろん、赤ん坊の今、できること自体少ないのだが。


 まわりの様子が知りたい、そう思ったとき、体の異変に気付いた。

 僕の体の周りを、どろりとしたなにかが覆っているのだ。これについて、嫌な感じはしなかった。むしろ、暖かくて心地良いとさえ思える。

これは何だろうか? まるで適温の心地良い湯船の中に入っているような感覚。だが、粘液のような、なにかしらの物体が塗られているようではない。


 不可思議な感触。得体のしれない物体。……だが、これはとても便利なものだった。

 そのどろりとしたなにかに覆われた手を木箱の縁に近づけると、その凹凸が鮮明にわかった。またその手触りや硬さ、色や匂いについても鮮明に感じ取れる。

 これがなにかわからないが、使えそうである。得体がしれないものではあるが、いまはこれを使うことしか思いつかない。

 そう考えた僕は手足をもぞもぞと動かして、手当たり次第に拙い情報収集を開始したのだった。


 短い手足を最大限伸ばして辺りを調べているときにふと思いついた。

 このどろりとしたなにかを、もっと広げられないだろうか。

 そう考えた僕は、腕を伸ばしてさらに力を込めてみる。動かない。

 しばらく悪戦苦闘する。何しろ、今までこんなものを扱ったことなどないのだ。突然腕が増えた感覚というのはこういうものなのだろうか。だが腕にたとえるのならば、それはもうすでに生えている腕。できないことはないだろう。そしてそれから少しの時間の後、腕の中、おそらく神経に沿ってなにか動いている感覚を見つけた。おそらくこれだ。その感覚を自分で操作するのは容易ではなかったが、コツは掴めた。


 しかし、そこで問題が起きる。どろりとしたなにかを動かす度に、倦怠感が増していく。

 腕がだるい。瞼が重たい。どろりとしたなにかを動かすのも難しくなってきた。

 とりあえず見える範囲の情報収集をしただけで、もう限界だった。

 そうして僕は、朝目覚めてそう大したこともできず、再び眠りについてしまうのだった。


 それから僕は、また目を覚ます。周囲は明るい。今度は少しだけ眠ったようだ。

 それにしても、不自然な眠気だった。どろりとしたなにか……僕はこれを『気』と呼ぶことにするが、気を使うと疲れるのだろうか。


 僕は思案する。

 これは、使っても大丈夫なものなのだろうか? 先ほどの疲労感は明らかにこれが原因だ。そして、その強度も相当なものだった。体に負担をかけているのか、それとも自分のなにかしらを消費して出していたのか。どちらかといえば後者な気がするが……。

 まあ、今のところはわからない。が、あまり今意識を失うのは好ましくない。幸いにも、先ほど気を広げただけで周囲の地形や物の位置はだいたいわかった。ここからはもう少しだけ慎重にいこうと思う。



 ……とりあえず、お腹がすいた。


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[良い点] そういえば、捨てられた理由が公表されてない?ですよね? 髪色で迫害された?と予想します。 そういう風潮の描写があったかは忘れましたが... もしくは、不倫の子を疑われた?とか?なんです…
[良い点] 書き始めが2016年 09月、最新話が2021年 02月と長く執筆されているだけでなくポイントも5万(76,718pt)越え。文字数は圧巻の約300万字(2,974,680文字)とコツコツ…
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