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  作者: 緒方 真
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立っている死体

溺死した人を見つける話です。

ソフトではありますが、遺体の状態を描写したシーンがありますのでご注意ください。

幼いころ、地元の海で溺れ死んだ青年を見つけたことがある。

遺体の損傷が激しく彼がどこの誰なのか分かるモノもなかったため、身元の特定に時間がかかるだろうと父親が言っていた。

結局、海に出て帰ってこなかったという人も行方不明届もなかったため、無縁仏として同じような者たちと共に寺の一角に埋葬されたらしい。


その街では、観光地でもないのに時折こうした水死体が上がることがある。

理由はわからない。

大人が子どもに語るような逸話や昔話なんてものはなく、深夜に怪しい集団が街に現れる訳でもない。

忽然と身元不明の水死体が海に現れるのだ。

そして死体を見つけて報告してくるのは大概子どもで、地元のダイバーや漁師が見つけてくることは、不思議と一度もなかった。


ただ、死体を見つけた後、たまたま一番最初に見つけた親戚である伯父に死体のことを話したとき、奇妙なことを尋ねられた。


「その人はどんな風に死んでた?」


自分は最初、それを死体とは知らず、顔がよく分かるぐらいにまで近づいていた。

たくさんの魚がまとわりついていて、青年の存在に気が付かなかったのだ。

まるで蚊柱のように水中で舞っている魚たちに太陽光が反射していて、キラキラとしているそれに目を奪われていた。


「わかめみたいだった」


そう言うか言わないかのうちに、伯父は自分を抱えて大将のところまで走って行くと、「立った死体を見たそうだ」と叫んだ。

ぎょっとした顔をしていた大将もそれを聞いたと同時に顔色を変え、自分を車に乗せると、山の向こうにある親戚の家まで連れて行った。

この大将というのは各漁船のリーダーのことで、漁船には親戚ぐるみで乗ることが多いため年長者やその長男がなることが多かった。

このときの大将は母方の祖父で、同世代の親戚が少ない上、多くの大人たちが彼を「大将」と呼んでいたことから、自分も「大将」と呼んでいた。


ある日、親戚の家で目を覚ますと、いつのまに来ていたのか母が客間で自分の着替えや日用品をまとめていた。

自分が水死体を見てからすでに一ヶ月は経っていたと思う。

そろそろ家に帰りたいと思っていた頃で、ようやくそれが叶うと思って駆け寄った。


「ねえ母さん、家に帰れるの?」


嬉々とした声でそうかけた自分に、母さんは振り向きながら言った。


「もっと遠いところに行くのよ。追い返せなかったから」


母さんの顔は、泣き腫らした瞼のせいで、雰囲気ががらりと変わっていた。

それが怒っているようにも泣いているようにも見えて、自分が家に帰ってくると思って喜んでいるだろうとも思っていた自分は、それに驚いて固まってしまった。

同時に、なぜさらに遠いところへ行かなければならないのか、一体なにを追い返せなかったのか、疑問が湧いてグルグルと頭の中で渦を巻き始める。


「なんで?」


母さんは答えないまま自分の腕を取り、親戚にあいさつもせず、外に止めてあった車に乗るとそのまま街を発った。

そして、自分は海から遠く離れた土地の児童養護施設に預けられ、たくさんの子どもたちと少しの大人たちと一緒に過ごすことになる。

あまりの環境の変化に慢性的な腹痛に苛まれることが多く、転校先の学校にはほとんど顔を出すことはなかった。

定期的に面会に来る両親には必ずそのことを詰られたり諭されたり、なぜこんな目に遭わなければならないのか、訳が分からなくなった。


ある時、両親ではなく伯父と大将が面会に来たことがあった。

漁船に乗っているときとは違う真面目な顔つきで、その表情に「帰りたい」と彼らに懇願することはできなかった。


「海で、立った死体を見ただろう? ああいう人たちは、本当は死にたくなかった人たちなんだ」


部屋に自分たちだけになったとき、伯父はそう切り出した。

突然そんな話をされて、すこし驚きつつ頷く。


あの街の海岸は観光名所ではないものの水はきれいで、視界はかなり利く方だった。

水深の浅い範囲も広いため、時折ダイバーが潜っていることもある。

魚が動くたびにその体表を太陽光が反射していて、あの光景はいまでも脳裏によく焼き付いていた。

まるで蚊柱のように見えたのは、そこにある水死体を求めて群がっていたからだ。

足を海底に向け、身動き一つしないその様子は気味が悪いことに越したことはない。

それに気づかなかったのは魚たちが群がっていたからであり、また、すでに体表が青く変化していたからでもある。

魚たちを掻き分けて見たあの光景は、今でも忘れない。


「大人たちは大概ああいうのを見つけても放っておく。連れてかれるからな」

「彼を見つけてすぐ知らせに来ただろう。それがまずかったんだ」


そういうとき、大人たちは立った死体が出たあたりには近寄らず、ダイバーも近寄らせないという。

助かりたい一心でもがいて死んだ人間は、自分を助けようとした人間に縋りつく。

けれど、普通の人間にはもう死んだ人間を救うなんてことはできない。

だからそのまま連れて行ってしまうことになる。

それを避けるために、大人たちは人を寄らせず、自分たちも近づかない。


死体が現れるのも比較的遠方だ、というのに、ふと母から「一人で海には行くんじゃないよ」とか、「海に行くときは誰かに言ってからにしなさい」とか、そういうことをよく言われていたことを思いだした。

それに、日常的に船に乗っている父たちに電話をして"なにか"を確認している光景もしばしば見ている。

自分は、単純に、天候や海の状態を聞いているのかと思っていた。


大人たちは立った死体が現れても助けない。

仲間たちに報告をしても、彼らを引き上げることはない。

海に通じている人たちの間では常識だと、そこで初めて聞かされた。

二人が帰る間際、「家には帰れないの?」と尋ねた。


「身代わりが利かなかったんだ」

「身代わりって?」

「あれから逃げるには、見つけた時か、普段から身に着けているものを身代わりに使うって決まってるんだ」


簡単にまとめられた荷物の中に、お気に入りのものがほとんどないのもそのせいだった。

それを海に投げ入れれば、彼のような存在から逃げられるらしかったが、なんど試しても、いちど沈んだものですら数時間後には浜に上がってきたらしい。

長年こういうことに携わってきた寺の住職もお手上げだったため、海のない内陸に逃げるしかないと、母が会いに来た前夜に決まったという。


「死にたくなけりゃ海にはもう近づくな」


祖父は、いつもより厳しい顔つきでそう言った。

祖父と顔を合わしたのは、それが最後だった。

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