性別不明の神体能力者
序章
「…………………お願いですから自分の部屋に戻って寝てくれませんか?」
今にも夢の世界へ堕ちてしまいそうな眼を擦りながら中学二年生の亥裡霊斗は半分イライラモードで玄関前に立っている人物に言い放つ。
彼がイラついてしまうのも無理ないだろう。現在の時刻は午前一時半をまわっており、ほとんどの中学生はベッドの中でグッスリスヤスヤお眠りタイムに突入してもいい時間である。
近所に密集しているどの『学生寮』からも明かりが漏れる様子は見うけられず、今現在が深夜であることをより一層強調している。
裡巫斗という学生もその一人で普段ならば夜十一時には床に就いているため、つい先ほどまでぐっすり夢の中にいたのだが…………、だがこの日はそうはいかなかった。
一人の少女が家に押しかけてきたからだ。
さすがに真夜中だけあって他人の家に押しかけて来たとはいえ体には寝巻を纏っていた。といってもその寝巻は裡霊斗にとって初めて目にする類のもので、木綿でつくられた単衣を身に纏い、腰のあたりで帯を巻いて身を整えるといういわゆる『浴衣』であり、裡霊斗が普段から(そして今も)身に纏っている上下別の寝巻とは全くの別物であった。
彼女の名前はソフィア・レトーン・咲柄。名前の通り彼女はハーフで父親が日本人、母親がアメリカ人という家系である。ちなみに裡霊斗も父親が日本人、母親がイギリス人という家系であった。別に珍しいことではなくこの時代において著しい国際化が進んだために世界の七〇%以上の国民は民族の異なる父母を持つ家系で出来ている。
ソフィアと名乗る少女は今日お隣に引っ越してきた同級生で何故だか三〇分に渡ってインターホンを鳴らし続けてきたのだ。
無論、そんな少女に対する少年の拳は怒りの塊となって熱く握られていた。
「夜分遅くに他人の寮の部屋に押しかけて罪悪感とか何かないの?」
すると彼女はニッコリと笑って,「ありません」とあっさり言い放つ。
「私今まで一人暮らししたことなんかなくて夜一人になるとで眠れなくなっちゃうんですよ。それで……本当にありがとうございます」
「………………………………………………何でありがとうございますなのかな? おまけに何で靴を脱ぎ始めているのかな?」
聞く耳持たないソフィアという少女は、裡巫斗が止める間もなくずけずけと家の中に入って行ってしまった。「お世話になりまーす」というボイスと共に。
一人玄関に取り残された少年はあいた口がふさがらないと言わんばかりの大口を開けて唖然とした表情を浮かべた。思わずドアノブを握る手に力が入る。
…………………………………………………………………………………お世話になりまーす?
………………………………………………………………………………おせわになりまーす??
………………………………………………………………………………オセワニナリマース!?
数秒間の硬直の後、部屋の主の手がドアノブから離れた。ギイィィイと音を立てて開き戸はゆっくりと閉まっていく。
まるで監獄の扉が閉められるかのように、何かとんでもない事が待ち構えているかのように。
扉が閉まる寸前にドアの隙間から裡霊斗の青ざめた顔がちらりと見受けられた。
二週間とちょっと前に中学校の春休みが終了したわけだが、夏休みという次の安息日までほど遠いということは理解しているのだが、この少女を即刻我が家から追い出さねば何やら安息日という物がこの亥裡霊斗には二度と訪れないような気がした。
その後、何があったのかどんな手段をとったのかそれらはあえて伏せておくとしよう。
一章 出会い
1
西暦二一九五年四月二四日金曜日の朝八時一五分、五分鳴っては五分止まるという一連の流れを繰り返す目覚まし時計がかれこれ一〇周目を周った時、ようやくそのモーニングコールが手動によって停止した。
停止させた目覚まし時計の主である亥裡霊斗はそのままベッド脇にある目覚まし時計のモーニングコール停止ボタンから手を離さず時刻が表示されている画面に目をやる。
「…………………………………………………………………………………………………………」
一度画面から視線を外し、ふと考えてみる。
あれ何でこんな時間になってんだろ。今日って金曜日だよね学校ある日だよね。
そして再び画面に目をやってみる。
「……………………………………………………………………………………………………?」
あれやっぱり見間違いではないね。何かがバグっているわけじゃあないよね?
「……………………………………………………………………………………………………!」
あれ、これやばいじゃん遅刻じゃんアウトじゃん!
「……………………………………………………………………………………………………(混)」
あれ、がこれになってあれであれこれなったからこうなった訳だね(混)
「……………………………………………………………………………………………………(涙)」
あれこれ考えたってしょうがないな。どうせ学校には間に合わず本日の遅刻は決定事項なんだし今更急いだところで怒られることに代わりはないな。
(……よしっ! 今日はのんびり登校しよう。やっぱり人生はポジティブに生きなきゃね)
自分でポジティブに生きようと思っている時点で既に精神状態は戦場の地雷多発地へ突き進んでいるようなものなのだが、あえて裡霊斗はその歩みを止めない。
(この前先生言ってたしね。一秒遅れようが一分遅れようが一時間遅れようが遅刻したことには変わりないってね)
先生も良いこと言うねすんばらしいね! という完全に間違った思考回路を作り上げた裡霊斗は朝からパンを咥えて学校に猛ダッシュする女子高生を披露することもなく、ゆっくりベッドから起き上がる。
寝巻から着替えることなくそのまま部屋の扉を開けると台所へ向かう。
鍋に水を入れると火(というよりIHコンロ)にかけてその間に洗面所で洗顔をした。
効率のいい行動から分かる通り、彼は基本的に自炊慣れをしている。というよりかはしなければならない。
理由は一人暮らし且つ食事サービスのない寮生活だからだ。
よって本日のように寝坊をしても誰にも起こされることなく満足のいくまでグースカ眠り込む羽目となることが多々発生する。
とはいってもあまり覚えていないのだが昨日の夜、厳密には今日の朝一時半頃、裡霊斗と同い年ぐらいの女の子がズケズケと寮内に侵入をしてきて追い出すのにかれこれ一時間かかってしまい、再び眠りに就いたのは三時になる一歩手前だった。
一時は警察に通報をしようかと考えたりもしたが、よくよく考えてみれば更に面倒事を増やして睡眠時間を削るようなものだったので、諦めて自力で彼女を追いだしたのだ。
今思えばあいつは一体何なのだろうと不思議に思う。
次のニュースです。先週イギリス名門校のオックスフォード大学で不審な集団が往生しているとの情報が出ており、近隣に住む学生たちの一部には敷地内の寮から外へを移り住むなどの対策とる傾向が見られます。不審な集団についての情報の中には銃を所持している者の目撃証言も多数あり、警察は集団の詳しい情報の確認を急いでいるとの事です。尚、付近の学生寮に住む学生たちに夜間は絶対に近づかないでくださいと、繰り返し警告を伝えている模様です。詳しい事は情報が入り次第お伝えします。
「……困った世の中だね」
さっさと朝食を作り終え、リビングにそれらを運んだ裡霊斗は食事をしながらテレビのニュースを見ていた。
一人ぼそりと独り言を放ったわけだが、これは決して今目の前で話題となっているニュースへの感想ではない。今裡霊斗の心の話題はそのテレビ画面の端っこに小さく表示されている天気予報にある。今日は一日土砂降りの雨と表示されていたのだ。更に詳しく言えば、一時その雨は止みますが夜一一時半から再び雷を伴う雨が降るでしょうとの事であった。
(家にまだ傘残っていたかなあ……)
彼はよく傘を学校に忘れてきてしまうタイプの人間であるために、雨が降るたびに家の中にある傘が一本また一本と減っていき、気が付けば一本も無いという事態によく遭遇する。
しかしだからと言って学校を休むと年に一度もらえる一年間よく休みませんでしたねおめでとうという『皆勤賞』がもらえ無くなる為、休むわけにはいかない。
とにかくさっさと学生服に着替えるかなとようやく寮を出て学校に行く決意を固めた一人の生徒は着替えを始める。彼の通う学校は年に数回ある式典以外は基本的に私服であるため大抵の生徒は朝もしくは前日の夜は学校に何を着ていくのか迷うそうなのだが、この生徒は全く気にしない。もうそういう年頃なのだが。
登校する道は町中を突っ切るため、周りにはたくさんの人が歩いていた。ただこの時間帯となるともう学生の姿は見られず、社会人で埋め尽くされている。
時間は午前八時五五分、先生の頭にもしっかりと血が上ってきた頃だろう。
さすがに少し急いだほうがいいかなと思い、駆け足になった瞬間、
前方二〇メートル付近に見覚えのある人物がいた
それは昨晩この亥裡霊斗を散々苦しめ、寝不足に追いやったあげく、遅刻の間接的要因を作り上げた名も身元も知らない人物、
身長は裡霊斗とほぼ同じで腰下まで下りている青色の髪が特徴的な、
あの少女だった。
しかも運の悪いことに向こうもこちらをじっと凝視している。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
数秒間の沈黙の後、亥裡霊斗は登校ルートから少し外れた道を全速力で走り始めた。
但しその顔は遅刻しそうな小学生が先生のお説教から逃れるような走りではない。
例えるならお使いを頼まれそうになった子供が親から逃れるような走りである。
嫌な予感が頭の中を過りつつ、チラリと後ろを振り返る。
案の定、彼女は笑いながら後方一五メートル地点を身軽そうに走っていた。彼女の青い長髪が正義のヒーローのマントのように靡いていたが、今はそんなことはどうでもいい。一刻も早くこの場から、あの少女から逃れなければと彼の脳がトニカク逃ゲロ信号を発していた。
裡霊斗はビルとビルの間が五〇センチ弱の日光の当たらない路地裏を走り抜ける。
その後を追う少女も裡霊斗と同じように駆け抜けて行く。
二人の間隔はそれ以上縮まる事も無ければ広がる事も無かった。
四〇〇メートル程走ったところで突然裡霊斗は今まで走っていた歩幅より遥かに長距離を跳躍した。同時に体を半回転横に捩じり、最高点に到達した時丁度真後ろを振り返って、
ボン!
エアガンを発砲する時のような、空気が圧縮された後に破裂する風船のような音が響く。彼はいつの間にか手中に何かピストルのようなものを握っていた。
更に半回転をすると見事進路方向を向いた状態で着地を決めてそのまま止まらずに再び走り始める。
別に彼は陸上部で走り幅跳びの選手をやっているわけではないし、小さい頃からスケート選手になるために日々空中でトリプルアクセルの練習をしているわけでもなければ、体操を習いに週三回の稽古に励んでいるわけでもない。そんな中学二年生に走りながら一度幅跳びのように跳び上がり、一回転をした後に着地をして止まらず走り始めるという芸当は中々出来ないだろう。
尚も約一〇〇メートルもの狭い裏路地を右に左に走り続けていた裡霊斗は突然立ち止まる。
今まで追ってきていた少女がいつの間にか消えていたのだ。
「…………当たった」
ボソリと呟くと本来歩くべき通学路へ戻っていった。
リュックサックの中に先程少女に向けた対人捕獲用ワイヤーネット銃をしまいながら。
2
「……このっ、大バカ者があああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
入学式から一週間と数日が過ぎた春の学校にある桜の花びらはそよ風程度の風圧にも耐えることができず、お花見シーズン終了を告知していた。これはやはり地球温暖化によるもので一五〇年ほど前まではこの時期桜は満開、あるいはつぼみを開かせていなかったらしいが今となってはそのことを知る人間などほとんどいなくなってしまった。
東北地方南部の宮城県仙台市青葉区にはかつて安土桃山・江戸初期の時代に活躍をした武将、伊達正宗の本拠地であった仙台城の跡地が存在した青葉山が存在する。また、その城跡の西側には広瀬川が隣接しており、その広瀬川から仙台城跡地を含めて半径約一キロにわたって亥裡霊斗の通う『県立限ケノ丘中学校高等学校』が広がっていた。
ここまでの広さの学校が建設された理由は単に政令指定都市の中のあるこの学校の生徒数が三二〇〇〇人を超えていることや、主に二つの区域に分かれていることからなっている。
一つ目の区域は男女共同中学校及び高等学校区域である。名前の通りここは男子・女子生徒が共に出入りすることが許されている場所であり、本校の六割近い生徒らが通っている。
もう一つは女子中学校及び高等学校区域、いわゆる女学校である。ここにいる人間は生徒どころか教職員までもが全て女性で構成されており、その理由は『最近男子のセクシャルハラスメント行為が増加している』という教育委員会の調査結果に関連している。要は男子への恐怖を抱く女性の苦情叶えるために作られたたものなのだ。
それでも学校側としては本来ならば男女共学が望ましいという傾向が強く、女学校に通っている生徒が共学に移動したいと学校側に申請すればほぼ間違いなく許可が下される。
反対に一時的ではあるが男子が女子中高区域に入ることも可能である。もちろん条件付きではある。その特例が生徒会長、元生徒会長並びに女学校に通う子を持つ親だ。これは遠まわしに信用のない男子は侵入したらぶっ殺すというメッセージを送っていることを意味している。
そんな学校に、春の晴天に似合わぬ怒鳴り声と雷を落としたのは男女共学区域で二年E組を担当する佐藤光、身長一七〇センチ代後半と、女性にしては平均身長より高めの女教師である、
が、夜道を一人で歩こうものなら真っ先に引っ手繰り標的となるであろう華奢な体をお持ちなのだ。
それ故に職員室前の廊下でお説教を受けている真っ最中の亥裡霊斗は首を傾げていた。
この女教師のどこからライオンの精神を破壊しそうな唸り声(お説教の怒鳴り声)が発声されるのかと。
そう考える当の本人は全く恐怖など抱くことなく、説教内容を右耳から左耳へとスル―し続けているご様子なのだが……。
ところで今更いうのも何なのだが、この人物は苗字が漢字一文字、名前が三文字限ケ丘中学校第二学年で一週間とちょっと前に進級したばかりの生徒、亥裡霊斗である。
先週行った発育測定では身長一三九・八センチ、体重二九・二キロ、視力五・〇以上という超小型軽量生物であり、学年の中では最小サイズの男子生徒となっている。温かい目で見ても小学生にしか見えないのだ。
一方でその独特の低身長とは裏腹に髪はかなりの長さを維持している。前髪はヘアピンを付けなければ目に掛かってしまい、後ろ髪に至って髪先は常時肩より十センチ以上下をいく。おまけに身長と体重の比較から解る通り、裡霊斗の腕、脚、首、肩回り、胴回り……、全てにおいて女子と変わらぬ体型なのだ。そのせいもあり、中学校入学したてのお手洗いには……何というか……色々と変な目で見られた。
「裡霊斗。おまえは今、何故先生に怒られているか分かるか?」
先程、共学校舎いっぱいに響く怒鳴り声を上げたせいか、光先生は少しばかり落ち着いた様子を見せていた。ならばここぞとばかりに精一杯謝罪をするのが一般的な生徒なのだが、
「先生こそ、何故御自分が今怒っているか分かりますか?」
ビキリ! と、危険な音と共に光先生の額に青色の血管がいくつか浮かび上がる。
端から見ればあの人バカじゃないの? 先生に向かってあんなこと言っちゃって不良気取りですか? それともただの目立ちたがり屋さんかな?
と、あらゆる視点から突っ込みが炸裂しそうな漫才ネタに使えば笑って終わるセリフだが現実世界の大真面目のお説教場面で説教者に向かって吐けば、
「お前が春休み明けてから十日間連続遅刻を記録なんかするからだろおおおぉぉぉおおお!!」
再び光先生は爆発お怒りモードに突入する。
そんなお怒りオーラが充満した職員室前の空気を読まない(或いは読めない)少年は呑気に軽い口調を止めない。
「そんなに怒らないでください。今日は一時間目のHRから何か重大発表があるんですよね? だったらいつまでもこんなところで説教なんかしていていいんですか?」
「…………お前は自分が置かれている立場を解っているのか分かっていないだろうないいや絶対分かっていない。だがまあお前のその言い分にも一理ある。残念ながら今すぐお前を教室に返さなければならないのだ。先生にも用事があってな、だから今日の一時間目の最初の一五分は自習になったん」
「分かりました。早速戻らせてもらいます」
言うや否やビュンと風速三五メートルを超える台風の如く時速八〇キロは軽いチーターの如く瞬く間に教室へ続く廊下の曲り角へ消えてしまった。
「……あ……あんのクソガキが……」
反論をするタイミングを失い廊下に一人残された光先生は悔しさのあまり教師あるまじき暴言を漏らした。
ここで三分にも満たない朝のお説教タイムは幕を閉じる。
結果、生徒に反省をさせるどころか先生側の怒りパラメーターがより一層増加するという全く持って為にならない説教となった。
3
AM九時〇五分、寝不足、足の速いストーカー、怒鳴り声の大きい先生。あらゆる苦難を乗り越え朝の障害物競走を終えた選手は二年B組の教室に到
「おらああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!! 裡霊斗おおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおお!!」
バキイイイイイイィィィィイイイイ!! ドンガラガッシャーン!
教室に辿り着くなりやけにうるさい大声と痛々しい擬音が鳴り響く。
裡霊斗はわき腹に跳び蹴りを食らいその勢いで教室に置いてある昨日の放課後掃除当番が綺麗に並べた机二、三個をひっくり返しながら腰を床に打ち付ける。
周りにいた女子は少し驚いている様子だが、誰も声をあげて驚くまでに至っていない。男子に至っては誰一人動こうともしなかった。つまりこれが限ケ岡中高一貫校中学二年生亥裡霊斗の日常なのだ。
「いたたたた、これ結構やられるほうは痛いんだよ。これで後頭部とか腰が不自由な大人になったらどうしよう」
全身骨折とまではいかなくとも捻挫など体の何処かに何らかの異常事態が発生しそうな勢いで教室の机と椅子の中に突っ込んだものの特に大きな怪我もなく手足についた床のホコリをはらい落とす。
「で、何の用なの? ロン、悪いけど今日はいつも以上に特別に疲れてんの。できればこのままずっと授業を爆睡タイムにするか、保健室に行って安眠タイムにするか、さっさっと家に帰って昏睡状態に陥りたい気分。本来だったら今すぐお前の心の臓を抉り取ってちょいワックスを付けたその黒々ヘアーもろとも脳の味噌をグッチャグチャに潰して一六〇・八センチという俺より二一センチ高いその身長をあと三〇センチは縮めてあらゆる同学年から上から目線を受ける亥裡霊斗君の気持ちを理解してもらうところだけど今日は朝から疲れてくたくただから手短に手身近にお願いしたい」
そう言うと裡霊斗は自らに跳び蹴りをブチかました同級生の切永ロン(きりえい・ろん)を避けるように自分の席がある一番窓側の列にフラフラと移動する。
そんな彼に机を元の位置に戻したロンという同級生は少し急ぎ歩きで追いつくと並行するように横を歩き始めた。
歩きながら同級生は、
「聞いたぞ裡霊斗、おまえまた告られたんだってな。」
ここに来て、朝からなんつう話題振ってんだ!? と思わずツッコミを入れたくなる発言を発するどうしようもない男子だと再び気付かされる。どっから来たんだその情報、ともツッコミたいところである。
しかしながらここにいるのは中学二年生といえども担任の先生との口論に打ち勝った(正確には説教されていた)少年である。
「ノーコメント」
半ば呆れ顔でそれでいて言葉にはとてつもない重圧を掛けるかのような口調で重く苦く口を開く。そのセリフに圧されてなのかロンはそれ以上同じ話題に踏み込むことは無かった。代わりに、
「じゃああれ知っているか? 今日の一時間目の最初一五分がなんで自習になったのか。……ていうか自習の事知ってる?」
「んーまあ先生からさっき廊下で伝えられたから一応自習の事は知ってるよ」
「でも何故自習になっているのかは知らない訳だな。ちっちっちっ、ではここで問題です、何故一時間目それも最初の十五分だけが自習時間に急遽変更になったのでしょうかっ!?」
どうでもいい、真面目に心の底から本当にどうでもいいと思います、だから今すぐ私目にその自習時間を睡眠時間のために有効活用させてください! と言ってしまっては相手にされなくなったロンが後ろに数歩下がって、再びあの跳び蹴りをクリーンヒットさせてくるような気がしたので冷静に自己分析した裡霊斗はため息交じりにこの茶番に付き合うことにする。
「そうだね、転入生のご登場……とか」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ここに新手の超能力者誕生か」
取り敢えず一発で大当たりを引き抜いたようだ。
「よし、これにてクイズは終了。そんで亥裡霊斗の最低限必要な意識維持機能及びエネルギーも底を尽きたというわけで今から一〇分間絶命する」
コテッという擬音がピッタリの動作で頭を横にして机に突っ伏した少年はうんともすんとも言わなくなった。スースー寝息を立てて完全に睡眠モードへ移行してしまったようだ。
「……知らんぞ、また光先生に怒られても」
そして
「あ、じゃあじゃあ眠気がぶっ飛ぶ話をしてやろうか?」
明らかに悪意の籠った表情と言葉で話し始めた。
「何なの、その眠気がぶっ飛ぶ話って。言っておくが放送室に飛び込んでハイジャックして大音量で校内放送やったって眠いものは眠いんだよ」
「はっはっはっは、切永さんそこまで大胆なことはしませんよー」
何で一人称が自分の名前な上に『さん』付けなんだ。というツッコミを心の中で済ませると、
「じゃあ話してみろよ」
暇だから聞いてやっかなあ、的な口調で尋ねる。
「今日ストーカー被害に遭っただろ」
「ブフウ!」と思わず吹き出す。
「何で知ってんの?」
「そりゃアレだ、一連の流れを観てたからな」
「屋上からでも?」
「まあね。それよりだ、こういう出来事があるとその後学校で先生が『はーい、今日は転校生を紹介しまーす』みたいなことを言って『あー! お前は』とか何とかきて『あっ、さっきの』てな具合で」
「二次元ラブコメの見すぎ。て言うかそれ何百年前の漫画のネタですか」
「ふっ。思春期男子っていうのはな、常に夢を追い求めて青春を生きる愛に溺れた存在なのだよ」
突然切永がもんのすごく下らない事を真面目に語り始めるが、裡霊斗はその内容に全く興味を示さないらしく、
「愛に溺れてあちらこちらが破損した、修復不能の脳内ピンク一色性欲丸出しド変態に言われたくない」
あしらいつつ、呆れ気味でツッコんだ。
「いや世界は広いからなあ、今や全人類の人口は何人か知っているか?」
「……一一一億人」
「そうだ。その内男性は四八億人、女性は六三億人。つまり四八億分の一ペアが道端ドッキリイベントをかましてそのまま籍を入れちゃうっていうのも無きにしもあらずだ」
熱血教師のように話を進める切永とは反対に、冷静を通り越して極寒領域に到達した裡霊斗は少し黙って、
「……ねえ切永ってさ、宇宙人存在すると思う?」
何か意味ありげなことを口にした。
「宇宙人? そりゃまた限りなくゼロに近い確率だな」
切永が返答した瞬間、かかった! と裡霊斗の口の端が嗤う。
「つまり、そういうことだ」
鼻で笑われた熱血教師もどきは、ここに来て初めて裡霊斗の考えを察する。
が、あくまでもラブコメ定番イベントを主張する二次元に飲まれた存在は、オタク決定のセリフを吐く。
「二次元の神様は、俺の中で生きているんだああああああああああああああああああああああああ!!」
そんな絶叫を何とも思わない同級生は、冷酷な笑みを浮かばせてどこかで聞いた様な名言を吐く。
「神は死んだ」
と。
4
(……か、……が……あう……う……嘘……でしょ……!?)
自習時間が終了して五分が経過した。
裡霊斗の脳内思考回路が破損して一分が経過した。
しかし思考回路が現実逃避へと軌道修正したところで所詮は妄想の世界。決して現実が変わることはない。
誰かこの場に暴走して大砲の制御が利かなくなった戦車を放り投げ入れてくれ。位の現実逃避を望む原因というのはアレである。切永にとって朗報のアレである。裡霊斗にとっては今朝の路地裏鬼ごっこを思い出させてくれるアノ人物である。
思い出したくもない、高い位置でポニーテールに結んでも腰下まで届く長い青い髪、青い瞳、白人を思わせる透き通るような白い肌、赤ん坊にも折ることが出来るような腕と脚、学校の校則を完全に無視した短いスカート。
何だか三つ分離れた席で切永がしきりに「神は復活したぜヒャッホー」とか何とかほざいているが、そんな事は後にしよう。
「イギリス出身のソフィア・レトーン・咲柄と言います。昨年度まではイギリスのオックスフォード大学の学生でした。特技は西洋剣術のブロードソードですので模擬試合ならいつでも受けます。日本語はこの通り日常会話程度なら可能なので気さくに話しかけてください」
「「「(め、女神が舞い降りた!)」」」
一人を除くクラスの男子全員が同じ意見を持ってクラス内が和やかな雰囲気に包まれた時、
「先生、俺何だか急に吐き気がしてきたので帰ります」と一人、バカンス中に嵐に遭遇した遭難者のような顔で早退宣言をする者がいた。
「ああ!? いい訳ないだろ無いだろうが。大人しく席について今日の遅刻についての反省文を原稿二〇枚にまとめてサッサと提出しやがれ」
先生の性別はホントに女ですかメスですか♀ですか、と問いたくなるセリフが返ってきた。
さては今朝の職員室前の遅刻の件についての説教妨害を根に持っているな。
察して睨み付けたが、裡霊斗を無視するかのように転入生の方へと目線を逸らされる。
「えーと、じゃあ空いてる席は」
光先生が教室を見まわした時、
「センセー、裡霊斗の右隣空いてマース」
悪意の籠ったいたずら精神全開切永の声が聞こえてきた。
「む、そうか。それじゃああの席に着いてくれ」
光先生が新しく決まったソフィアの席を指さす。するとそちらに目を向けた転入生が一言、
「ああー、彼の名前、裡霊斗って言うんですか」
教室がどよめいた。まるで裡霊斗と知り合いかのような事を言ったからだ。
「そうだが、知り合いか?」
「知りません!! 断じてこんな白昼堂々ストーカー知りません!!」
ソフィアに答えさせる暇も与えず叫んだのは裡霊斗だった。しかしこの時点で墓穴を掘ったも同然だろう。
「そうか、やはり知り合いか。なら裡霊斗、ソフィアさんに校内の案内をしろ。これも『罰』の中の一つとしよう」
「よろしくー!」
席に着いたソフィアと名乗る少女はいきなり馴れ馴れしく話しかけてきた。
「よろしく、じゃないでしょ! 何でお前がこの学校に転入して来るの!?」
たまらず反論に出る。
「もう、ひどいなあ。今朝から私をネットで縛ってあんな事やこんな事までしておいて、今更何言ってんの」
ムフフと笑うソフィアにクラスの男子がどよめく。特に切永。
「あ、あんな事やこんな事や〇〇〇ですとおおおおおおおおぉぉぉぉぉおぉおおおおおおお!!」
「いやいや〇〇〇なんてしてないし、て言うかあんな事やこんな事って何?」
「む、男子のくせにこの言葉の言い回し方を知らないの? 絶滅してなかったんだ、純粋な少年」
「へ? それより何で今朝俺を追いまわ」
「ハイハイ、みんな静かにしろー。そんで裡霊斗は残りの三〇分反省文書いてな」
次から次へとやってくる皆の話に対応しきれず、聖徳太子にはなれないと判断した裡霊斗は、心を無にして本能に身を任せ、呟いた。
「あー、神様もう一回死んでください」
5
「ここが職員室、でここを真っ直ぐ行くと連絡通路があってその先に体育館がある。で、逆方向に行くと下駄箱があって、そこを出て八三五メートル歩くと校門が見えてくるから俺は帰っちゃおうかな」
「ズルはダメだよ」
転校初日の女子の学校案内とは……窓の外を自由に飛び回るカラスとは違い、わたくし亥裡霊斗は鳥かごの中に捕らわれの身となったインコようだな。
と。一人悲しくそんな事を考えていた。
「ていうか、何で今日の時間割は七時間中六時間が自習なの。なんか廊下にも先生方の姿見えないし」
「何でだろうね。そういえば私の行く学校という学校は毎回登校初日はこんな感じだなあ」
「全く、何だってみんなクラスで楽しいワクワクオンパレード自習やっている中、こんな転入生の相手をしなくちゃならないの」
泣けてくるのだが泣いたところで何も変わらないのはよく理解している。
前に歴史の授業でやっていたのだが、自習風景は一五〇年前からあまり変わらないもので、いつの時代も先生の『自習は静かに行いましょう』なんて言葉を人生で一回も破らず真面目に己の勉学に没頭する者などは存在しない。仮にそんな希少動物が存在するならば、動物園にでも行って保護されてしまえばいいのだ。
よって自習=レッツ・パーティー☆
または自習=中学生の足りない眠気回復補充時間に充てるべきだろう。
これは世界に存在する二二世紀末期の中学生以上大学生以下において、暗黙の了解の中の一つである。
睡眠不足はお肌の大敵。どっかの化粧水の宣伝で肌の質がどうのこうのと言っていた気がするが、興味はない。けれども何故か今更になってその記憶が鮮明に思い出される。この頭はどうやらどんな理由を作ってでも体の全機能を休止させたがっている。
(眠い。寝たい。何なら今すぐここで寝てしまうかな。大体何で睡眠不足に見舞われながら校内案内係をしなくちゃいけないの。いや、待って。こいつが全ての元凶じゃん。恐るべしラブコメ主人公)
がっくり肩を落として最大限に自分の悲しき運命を恨んでいると、
「ねえねえ、そういえばこの学校で裡霊斗のお気に入りの場所とかってある?」
「藪から棒に何なの」
ああ、これ以上こいつと会話をしていると、顔面に拳骨をブチ込みたくなっちゃう。
そんな彼の想いを更に増幅させたいのかと思えてくるセリフが出る。
「あるなら連れて行って欲しいなって遠まわしに言ってるんだよ」
そのセリフを吐いた時点で全く遠まわしではないね。あーあ、君の脳幹に向けての繰り出される殺意の塊がもうすぐ完成するよー。
ぼやいたがソフィアはまるで聞いちゃいない。
そんな場所は無いからさっさと教室に戻ろう。何て言ったところでこいつはそんな願い聞き入れてくれそうにないなあ。と様々な意見が裡霊斗の頭の中で飛び交う。
が、考えたところでどうともならないのは明白だった。
「ああ、もう連れて行ってあげるよ。その代わり……」
「(……その代わり、何? ま、まさかご褒美とでも言うの!? やっぱり純粋な中学三年生はとっくの昔に絶滅していたのね)」
顔から血の気を引かせつつ、何となく口元だけで笑った。
「その代わり見せてもらうよ。ソフィアの――――――――――――」
6
「……何話してんだろうなあ」
「もうあのソフィアさんって人、堕ちたかなあ」
「それが叶わぬモノとも知らずになあ」
裡霊斗がいる第一三校舎とは反対側の第二七校舎の屋上では双眼鏡を片手に、本日自習集団となった男女三五名の中学二年生が、切永を中心に職員室前廊下を見ていた。
この二つの校舎間は二五メートルプールがすっぽり収まるぐらいの距離があったが、間には視界を遮るものは四メートルちょいの壁だけなので、屋上に上がれば向かいの校舎の事はすぐに分かってしまう。
「見た目が完璧だからなあ」
頭をポリポリ掻きながら切永は呟いた。
するとその意見に同意した黄色い髪の萩野双児も言う。
「何せ性別を間違えられるまでな顔立ちだもんねえ」
「こら、全ての女子が男を見た目で判断すると思うんじゃない!」
女の癇に触れた二人の意見に反論をしたのは、紺色の髪をした弾力のある胸が特徴の明宮瞳。「少なくとも私たちは君ら男子のようにホイホイ異性に堕っこちていったりはしない」
彼女の言葉に女性陣は首を縦に振ってうんうん、頷く。
すると切永は、はぁー。とため息交じりに息を吐いて女子一同に言い放った。
「んじゃあ、このクラスの女子の中であいつに告ったことのない人。手ェ挙げてみろ。ラブレターだろうがメールだろうが想いを伝えた奴は除外でだ」
シーン。と静まり返る。
あまりの静かさに自分で言っておいてなんだが、調理実習室から裡霊斗の肉を殺ぐための包丁を盗り出して来たくなってしまう。
「うるさいわね。どうせ男どもには乙女心を理解するなんて1万年かかっても無理よ」
「そんなんだから、モテないのよ」
「こういう人が一生童貞で過ごす羽目になるのよね」
「このっ、女の敵!」
静けさの後は憎さの嵐だ。酷い言われようだがこんな事は日常茶飯事なので切永の心には全く響かない。
そんな事よりも、この女子たちの怒りようから察するに未だ彼女らの叶わぬ想いは相当な溝に嵌っていると想像できる。中には一年も引き摺っている者もいるのだから、下手に刺激をすれば暴力にまで及ぶかもしれない。
「見てなさい、裡霊斗君はいずれ私が手に入れる!!」などと、何度振られようが何度でもぶつかっていく萩野双児の双子の妹、萩野双発がいい例だ。
彼女らを見ていると人気男優を追いかける熱狂的ファンの考えがよく分かる。けど解りたくはないなと切永は心の底から思った。
「なんでまたあいつは出会った女子を一人残らず堕としていけるんだ?」
「やっぱり顔じゃね? 所詮人間は生き物だしさ、一〇〇年位前に絶滅した……ええと……ああそうそう、ライオンだ。その生き物はね、雄は鬣っていう自分を大きく見せるもの己を見せつけて、それが大きければ大きいほどメスからの交尾をせがまれていたらしいよ」
「そうか、だから女子は長髪のあいつに交尾をせがんだのか」
なるほどー、といって手をポンと叩くとこめかみに痛みが走る。
明宮の聖なる拳、聖拳の直撃によって切永の顔面及び胴体が左方二メートルに飛んで、鉄製の錆びた手すりにゴンッ、痛々しい音を立ててそのまま地面に倒れ込む。
うぎょへっ!! 奇妙なうめき声を上げる切永を見て、明宮はクールな顔で
「誰もそんな事まで言っておらん」
ついでに倒れたところに足で踏みつけはじめる。
と、そこへ。
「おい、ろん。あいつら昇降口の方へ向かったぞ。どうするんだ、早く尾行をしないと見失うぞ、学校の敷地の一部は森になってるんだからさ」
萩野の少し焦った声が入った。
「三六人全員がまとまって動いたら確実に気付かれちまう。やっぱここは4×9グループに分
かれて行動しよう」
「「「オーケー」」」
声をはもらせると彼らは次なるフェイズへ移行を開始する。
7
青葉山を覆うようにして建設された、東京ドームの二百倍以上の敷地面積をもつ『限ケ丘中高一貫校』は、そのあまりの広さに警備を人やロボットでは賄いきれないと判断し、今から六〇年前に壁を設置した。
壁の高さは三〇メートル、炭素繊維強化炭素複合材料と鋼鉄、更にチタン合金の三層が一〇センチおきに平面に埋め込まれており、厚さは五メートルもある。上空三〇メートルを超えたところには近赤外線センサやレーザーカッターなどの様々な防犯設備が高度三〇〇メートルまで充実している為、侵入は不可能に近い。仮に飛行機や何かで侵入を目論んだ場合、壁の上部に設置された二四時間厳重体制の計5万のレーザーカッターが直径二メートル以上の物体に反応して、対象に決してこぼれることのない刃を向けることとなる。
ではこのホワイトハウスにも負けない厳重な場所から外の景色を眺める事は不可能なのかと言いますと、
「うわあぁ! こんな見晴らしのいいところがあるんだ。スゴイ、よくこんな場所知っているね」
はしゃぎまわるソフィアを見て、「そりゃあ、良かったね」と裡霊斗は近くにある石像の台座に腰掛ける。
台座の上にある石像のモデルは『伊達政宗』。一五六七年から一六三六年に生きていた六〇万石以上の領地を治めていたといわれる戦国大名らしい。台座に『伊達政宗卿』と記されていることから間違いないだろうと裡霊斗は考えたのだ。
そんな石の塊を考慮してなのか、石像の政宗が見下ろしている方向、彼の治めていた仙台の街が見えるようにそこだけ幅二〇メートルに亘って壁が無い。代わりに像から一〇数メートルのところには崖がある。更にそこには二〇〇〇もの例の刃が構えている。故に、どのみち侵入は不可能だろう。
「(何でこんなところに来なきゃいけないんだろう……)」
台座に身を預けてあくびをしながら眠そうに目をこする。
裡霊斗の腹時計が正確ならば今は恐らく三時間目が始まった頃だろう。
この学校は中高一貫校であるが故に中学生にも昼食というものが存在しない。よって学生たちは弁当組もしくは倍率の高い食堂組に分けられる。
食堂組に属したり弁当組に寝返ったりする裡霊斗は今朝の寝坊により、今日は食堂組に強制
移動させられた。
しかし食堂組での食べ物争いは早い者勝ちとなっており、全員分の食料は用意されていない。
その日によって人数は変化するが、大抵男女共学校舎では一万人の人が六〇か所に設置された食堂に駆け込むが。足りない足りないマッタク足りていない。成長期を疾走中の彼らにとって六〇という数は昼休み前にコンプリートされてしまう。
よって『二時間目の休み時間』、別名『第二次食堂世界大戦』を逃した裡霊斗はこの後断食の午後が待っている。
「さて、そろそろ見せてもらいますか」
不意に裡霊斗は立ちあがった。
「ホントにやるの? 怪我しても知らないよ?」
ソフィアは持ってきた長さ九〇センチ、幅一〇センチ程の布の袋の紐をほどく。
現れたのは。
「おおー、かっこいいね。なかなかのブロードソードじゃん」
刀剣種全体からみると肉薄の長剣、刃渡りは六〇センチ弱、金色のシンプルな十字鍔がキラリと太陽の光を反射させる片手剣だった。
するとソフィアはふと、一つの疑問を投げつけてきた。
「……裡霊斗は何か得物持ってきているの?」
無理もないだろう。先程廊下で
『ソフィアの西洋剣術の実力を俺との模擬試合で見せて欲しい』
と吹っかけたにもかかわらず、ここまで手ぶらでやって来たのだから。
しかし次の彼の言葉、行動にソフィアは驚いてしまった。
「あー……、じゃあこれで」
そう言って手にしたのは長さ三〇センチほどの足元に転がっていた『竹』であった。
「……アンタ、私の事馬鹿にしているでしょ」
思わずソフィアはブロードソードの柄に力が入る。
「何で? 女の子にケガさせたら危ないでしょう。挑戦を受けるって言ったのはそっちだし。それにソフィアの持っているソレ、エッジ付いてないじゃん」
確かにソフィアの持っている剣には刃が付いていない。これは大会公式試合のルールで、模造刀を使用することが定められるようになっているからだ。
「けど、直撃すれば捻挫ぐらいはするわよ。金属製であることには代わりないんだから」
「問題無い。さっさと掛かってきなよ」
「そ、じゃあ一ついいことを教えてあげる。私はね……西洋剣術トーナメント頂上決戦一三歳の部の……チャンピオンよ」
サラリととんでもない事を口にした。
が、特にそれに動じることなく
「やっぱりね」
口元に笑みを浮かべると、何かを握った手をだす。
手の中にあったのは
「今からコイントスをする。地面に落ちたら試合開始の合図。フィールドはこの学校全て」
裡霊斗の試合開始のルールの説明を受けて、「了解」と小さく返事をする。
「あ、そうそう。ソフィア、空は飛ぶ?」
「は!? 何を訳の分からない事を……」
呆れたような顔をするソフィアに対して裡霊斗は
「オッケー、まだのようだね。まあその内分かるから」
何やら意味ありげなことを言うと、
「それじゃあ」
コインのある左手を前に出して
「決戦開始!」
キーン、とコインの弾いた音が聞こえる。
クルクルと回りながら放物線を描く光る物体を見るとソフィアの足に力が入る。相手がだれであろうと容赦はしないのがスポーツマンシップだ。イギリス国内チャンピオンなら尚更。
両者は腰を少し落とす。
そして、チリンと乾いた音がするや否やソフィアは全神経を己の脚と少年の竹の切っ先、『ポイント』と呼ばれるところに集中させて、地を、大地を、
蹴った。
双方の距離は一〇メートル。それを一秒もかけることなく走り抜ける。
(恐らく竹ならこの剣で簡単にへし折ってしまう。やはりここは……)
寸止めを考えていた。
力一杯もう一度地面を蹴ると、未だ微動することのない少年に向かって剣を向
「ダメダメ。寸止めなんていけないよ」
裡霊斗の声が耳元から入ってきた。
ハッとして前を見ると、もうそこには誰もいない。
「上だよ」
頭上から声が降ってきた。
見ればビルの三階ほどの高さに突き出た木の枝に少年がぶら下がっているではないか。
「これなら意外にチャンピオンなんて簡単に獲れるかもね」
未だに口元に笑みを浮かべる長髪少年亥裡霊斗は枝から手を放すと地面に軽やかに着地する。
「ほらほら、かかって来ないの? 今のが本気じゃないよね。明らかに寸止めしようとしていたし。そうそう、急所を狙ってきてもいい事にするよ。勿論俺は通常のルールでさ」
ブチン。と、彼の挑発にチャンピオンの心で何かが切れた。
そして、
「言ってくれるね、それじゃあ今度は寸止めしないよ」
再び地面を蹴った。先程よりもスピードが速い。スポーツ選手というのは相手が強ければ強いほど、一定の所までは自分も強くなるという考えがある。
恐らく彼女は今、その理論に当てはまった状態なのだろう。
下から突き上げるように、先刻よりも遙かに早い寸止めを考慮しない攻撃が裡霊斗の顎を狙う。が、彼は持っていた竹で攻撃を回避した。受け止めたというよりは流し打ちをした、が正しいだろう。
咄嗟に、カウンターを避けるべくソフィアは後方に飛び下がった。が、いつの間にか更にその後ろにカウンターを予測した少女の回避を、予測した少年が立っていた。
(いつの間に!?)
このままでは後ろからの攻撃を受けてしまう。そう判断すると全力で右足を地面に食い込ませるようにブレーキをかけた。
(何てスピード!? 瞬間移動でもしたかのように見えた)
そんな考えが頭をよぎるが状況を分析できるほどの余裕がない。普段彼女は試合の前半でたとえ負けようとも相手の攻撃パターンや力、速さを読み取るのだが今は違う。
余裕が全くないのだ。
「はっ!」
声と共に、ソフィアは再び走り始めた。
(今度は一撃では決めない)
相変わらず焦りのない表情をしている裡霊斗に接近する。
(連撃で隙を作る!!)
剣を振るった。それこそ常人には回避不能であろうと。もしこの攻撃が自分に浴びせられたなら、自分でも受け止めきれないだろうという攻撃を。頭に、首に、肩に、腕に、胸に、腰に、腿に、膝に、足に、あらゆるところに。
けれどその攻撃が、五〇発は打ち込んだであろう攻撃の全てが、己の全力の力、速さでかました攻撃が。
完膚なきまでに弾かれた。
たった一本の竹の切れ端によって。
たった一人の少年によって。
「まあ、こんなものかな」
ピュンッ、と持っていた竹をはるか遠方へダーツのように投げ捨てると、裡霊斗は校舎のある方へ歩き出した。
「裡霊斗君」
背後から呼ばれた。
「あなたは一体何者? どうして私に挑もうと考えたの?」
少女の声に裡霊斗は足を止めて、
「気になる?」
くるりと後ろを振り返ると急に真面目な顔をして言った。
「これから始まる『ストーカー撃退大作戦』のウォーミングアップ!」
8
ソフィアの一方的な攻撃をする試合が繰り広げられる少し前、学校の屋上での班分けによって決められた一つの四人グループが二人の尾行に成功していた。
彼らは自動的に0・5秒以内にピントを合わせてくれるという電子双眼鏡を手に、相変わらず追尾を続行、後方三〇メートルを静かに歩く。木から木へ身を隠し、プロの探偵のような動きで的確な距離を保っている。
「あいつ等どこに向かう気だ?」
「いいか双児、男が女をエスコートしてこんな人気の無い場所に来るっていうのはな、太古の昔からお決まりのパターンが待っている前兆と言われているんだよ」
「お決まりって……告白とか?」
「それもそうだが、中学二年生ともなればその先の楽園に身を任せて飛びこぶふぐぉおおお!!」
R一八の話題へ飛び込もうとしていた切永のみぞおちに明宮の拳がヒットした。
「馬鹿なことを言うんじゃない。裡霊斗はそんな事しない。あいつはギリシャ神話でいうところのアルテミス並みに異性には無関心だ」
「アルテミスってあの純潔を司る処女神っていわれた女神か。確か遠矢を射るのが得意なんだよな」
「うぐぐ、何だ明宮もしかして焦ってんのか? いやあ分からんぞ。男っていうのはな、成長するときはいきなり成長するからなあ」
ニヤニヤしていると双児が不思議そうな顔をして
「つうか、何怒ってんの? 別に裡霊斗はお前の彼氏でもないんだしさ」
「……嫉妬かぐふうう!?」
再び復活しかけていた切永に嫉妬によってできた怒りの塊がぶつけられた。
「切永は余計な一言が多いんだよねー。そんなんだから一生童貞なんだよ」
「中学二年生で童貞じゃなかったら捕まるけどね」
双発のボケにすかさず双児がツッコんだ。
「ともあれ俺は友達として、裡霊斗がソフィアさんに告白することへ賛成ー。下手なことをして乳デカ女と付き合う事になるよりはマシだ」
「何で乳デカ女とはダメなんだよ」
「乳がでかいと俺の理想と離れてしまう」
「……切永は横から掻っ攫うつもりか!?」
苦笑する双児を無視して切永は言葉を続ける。
「一四年間女を見て生きてきた俺の分析結果から言わせるに、彼女のバストはアンダー以上Bカップ以下だな。このサイズは男性の中では非常に人気のある数値なのだよ」
「おい、何でそんな要らない測定機能の付いた目を手に入れた? 死にたいのか? まさか私まで測定したんじゃないだろうな」
半分キレ気味の明宮が警告をするが、切永はまるで興味がないかのように
「あー、別にお前のは興味ないよ。大体Eカップを超えた時点で俺の眼中には映らないから」
「……何か言い残すことはないか?」
今にも理性がはじけそうな明宮だったが、それを制するように双児が声を上げた。
「ちょっと待って、あいつら政宗像の前に来たぞ。ってことは」
切永の重々しい声が聞こえた。
「実力測定か」
何故か急にその場の空気が重くなる。今までの朗らか尾行とは何かが違った。
何かこれからとんでもないものを観るかのように。
プロの武道の試合を間近で観る観客のように。
彼らは双眼鏡から手を放して首にぶら下げた。
「五〇メートル位は距離をとろう。でないと巻き込まれるかもしれない」
緊張した声で双児と三人は後ろへ下がった。
伊達政宗の石像があるところは像を中心に半径三〇メートル程拓けており、木は四,五本程度しか無い為、彼らは充分な距離を維持していた。
それでも後退を考えたのだ。
その先に立ち入ってはいけない、と言わせているかのように。
四人は後退を終えると爆弾の衝撃に耐える時のように地面に伏せて腹這いの姿勢をとった。
「お、やっぱりソフィアさんの手に持っているやつ、ブレードソードだよ」
「あの構え方からして相当な実力者だな」
「練習を積んだ者、と言うよりは体質に恵まれたって感じね」
「恵まれたかどうかは分からないよー。何たって私たちは不幸なんだからさー」
萩野妹がふう、とため息をついていると
「おっと、おしゃべりはここまでだ。裡霊斗のコイントスが始まるぞ」
「裡霊斗式開戦の合図ね」
後の事は先程の裡霊斗とソフィアの一戦の通りだった。
四人は裡霊斗の無駄なき完璧な防御、ではなくソフィアの剣さばきに見とれていた。
「……なんか、ソフィアさんってトンデモない女剣士ね」
「……私が転校してきたときはアイツ得物すら持ってくれなかったしねー」
「……西洋剣術とはまた妙なものが来ちゃったなあ」
「……乳が小さいからこその動きだな。多分明宮には絶対無」
ゴンッ!!
重々しい一撃が切永の頭に振り落された。
「(コイツは一日に何回殴られてんだ?)」
双児が切永の成長の無さに呆れていると、切永は得意げな顔をして、
「舐めんなよ、もう俺には力を受け流すコツが分かってんだ。これきしの事、何十回受けようとも平気なのだよ……それよりだ。堕ちたな、ソフィアさん」
「いやあ、そう簡単にはおちないでしょー。て言うか切永は女舐めすぎー」
「じゃあ裡霊斗が堕ちたりしてな。はっはっはっはっ。あいつ意外と女に」
笑っていると。
チュンッ。ズドスッ!!
突如切永の横を頬を掠るように何かが通り過ぎた。
ソレはもう尋常じゃないスピードを備えた何かが。
先端の尖った細長いモノが。
音速を超えてんじゃないの? 位を思わせるスピードで。
切永にしては珍しく、恐る、恐る、振り返る。首をギチギチいわせてゆっくりと、ゆっくりとその何かが刺さったであろう後方の木の幹を……
――――――――――――――――竹槍が刺さっていた。
切永には見覚えがあった。ついさっきまでこれをずっと目にしていた気がした。何でこんな
ところにあるんだろう?
そこに前方から殺気を感じる。ふと、何かに気付いた腹這い状態の切永は、再び首を元の位置に戻す。
すると前方から殺気染みた長髪少年がこちらへ何かを言いながら歩いて来るところではないか。
四〇メートル以上離れていたので声こそ聞こえなかったが、その動く口元で何を発音しているのかは理解できた。
な、に、を、し、て、い、る、ん、だ、テ、メ、エ、ら。
この時四人の脳裏にはある知識が蘇った。
ギリシャ神話の中に登場する処女神。彼女はアクタイオーンという男に入浴中の姿を見られて、ぶち殺したという。
特に入浴中を見た訳ではないのだが、彼らは覗き見をしたという事が裡霊斗からすれば罪なのだろう。
「あれだな。あいつ、見た目はそうだが中身も女なのか?」
「知らん。けど男にも女にも容赦をしないというのは知っている」
「じゃあ私たち挽肉ビーフになっちゃうのかなー」
「挽肉beefっていうよりは挽肉corpseが正しいと思うな」
「はははは、そりゃ大変だ」
彼らの足元には冷や汗の水溜りが出来ていた。
「奴ならやりかねん」
ぽたっ。と切永の二九滴目の汗が地面に落ちた時、彼らはこの世の芸術に沿った、実に美しい一切無駄のない『回れ右』をすると地を蹴って森の中へ走り始める。
処女(?)神アルテミスの手から逃れるべく。
9
午後五時三〇分。部活は仮入部期間なので、完全全下校時刻の一時間前には寮前に辿り着いたハプニング少年亥裡霊斗は、終りの見えぬ螺旋階段を登りつめていた。
彼が登っているのは地球上で最も体積、面積、高さを誇る建造物、正式名称『バベルの塔』。
英訳するとthe Tower of Babelなので、通称TOBとなっている。
元々バベルの塔というのはキリスト教の聖書の中に出てくる人類によって造られた巨大建築物。
実際にその建造物の記録が残っており、計測結果によれば縦横高さ全てが九〇メートルの到底天には届くことはないものであった。確かに大昔に建てられたものである為、日本では精々物見やぐらが限界だった当時の人から見れば「何アレ!? やっばいよデッカイよ天に聳え立つみたいじゃん」などと目ん玉飛び出させて驚くだろうが二二世紀末期の今では「さっさとあの面積に対して背の低いガラクタ破壊してもっと高いマンションを五,六件建てるぞ」と考えられてしまうのがオチだろう。
そう、その程度の建物ならいいのだ。その程度の建物なら。九〇メートル位なら。
西洋剣、ブレーブソードの模擬試合に敗れたイギリス女子チャンピオンがあの後しつこく付き纏い、「どうやってあんな剣術を身に付けたの!?」とか「日本では確か何百年も前から剣道っていうのがあるんだよね?」とか「一緒に剣道部に入部しよう!」などなど。挙句の果てには「私にも裡霊斗の剣技教えて!! 裡霊斗君の部屋で泊まり込みで」という爆弾発言を公衆の面前でし始めたのだ。
元々はソフィアと距離を置くために試合を申し込んだのだが、それが裏目に出た。逆に彼女の中の剣闘士心に火をつけてしまったのだ。
やむを得ないと判断した裡霊斗は最終手段に出る。HR終了後、昇降口で背後から「一緒に帰ろー! 裡霊斗の部屋まで!」などとふざけたことをぬかして飛びかかって来たスカイブルーヘアー少女の顎に向かって下から迷いのない一閃! 三〇分は起き上ること無いであろう強烈な正拳をブチかますと案の定、そのまま地面に背中から崩れ落ちた。重症な脳震盪を起こしたお嬢さんを保健室送りにすると、無人AIバスに乗って帰路についた。
寝不足や昼食抜き。これらの出来事によって今日一日の運勢は最悪です、と診断されてもよい星座をお持ちの人物は、超巨大建造物のエレベーター扉前に立って絶句した。
『本日は一七時から一七時の間、点検作業によって停止させております。何卒ご理解とご了承をお願い致します』
そんな貼り紙を見た時には、本気で昇降機の金属製ドアに頭突きをブチかまそうとした位疲れていた。
『な、何だってこんな日に限ってこんな仕打ちを受けなきゃいけないのおおおおおおおお!! ツケか!? 今までの一〇日間連続遅刻早退記録のツケか!?』
叫んだところで意味がない。むしろこの少年はエレベーター前一人何しているのかしらと周りから遠巻きにヒソヒソ知的障害者容疑をかけられるだけだ。
非常螺旋階段を登り始めて早一時間が経過した。
(そろそろ私、裡霊斗の限界が近づいてまいりましたよ~。さあて今は何回かな……まだ一六五階ですか)
もう何巡目だろう、こんな事を考えるのは。
そう、この建物は聖書や伝説に出てくる高さ九〇メートルという生半可な塔ではない。
縦、三一四一・五メートル。
横、三一四一・五メートル。
高さ、三一四一五・九メートル。
(……絶対高さだけサイズ桁一つ間違えたでしょ!)
この塔の二六五階の寮に住み始めて約一年。今までの点検期間は特に寝不足や飯抜き、誰かに追い掛け回されるというアクシデントは無かった。重ねて彼の身体能力は先程の試合からも分かる通り、平均的な中学生よりもずば抜けている。したがって過去にこんな老人ホーム行き寸前の体でこの様な苦痛を経験したことは無い。
面積に対して極端な高さを手に入れたこの塔は人類の科学の結晶をつぎ込んだ最高傑作だろう。しかしこんな便利極まりない塔も全四〇〇機の昇降機が一斉停止すればあら不思議。先の見えぬ終わり無き螺旋階段を強制的に登りつめることとなる。
(何でなの!? 何でこんな事になるの!? いつもの元気いっぱい体力ゲージ満タン状態なら余裕だけど、この疲労の塊と化した体には地獄でしかないよおおおおおおおおおおお!!)
そろそろ一〇〇巡目にはなるであろう思考回路を巡らせてもこの苦痛感は決して消えない。
上り続けるしかないのだ。
彼の寮のある二六五階まで。
10
一九時三〇分。途中から再開したエレベーターに乗って寮に辿り着いた一人のクタクタグッタリ少年。部屋のドアを開けるなりベッドに飛び込んでそのまま、気を失ったように深い眠りに沈んでいった。
実は二一三階から最上階である二七三階は一つ一つのフロアが床から天井までが三二〇メートルあるどデカいトンデモ空間になっており、学生たちはここを『居住空間』、あるいは『寮空間』、『学生空間』と呼んでいる。理由は簡単で、この縦横三キロ高さ三二〇メートル空間には人工的な森や山、湖が広がっていて、その中で三か所に『寮区域』という高さ四メートルの壁に囲まれた直径二百メートルの寮密集地がポツリポツリとある。つまりバベルオブザタワーの中に、更に学生寮その他もろもろの建物が建てられているのだ。
また、フロア中央には学生ら専用の安価なものを取り扱う店が並ぶ直径七〇〇メートルの『街』が存在する。そしてこの街の中央に行くと、先程裡霊斗の乗ってきた他フロアとの行き来が出来る、気圧によって動力を得る『気圧圧縮式上昇下降機』が四〇〇機設置されている。その全てが止められているというのはかなり不運だ。
他の学生たち、一般人は朝の中に建物内二三万ケ所に設置されたスピーカーからこの報告を受けているので早めに、もしくは遅めに家に帰るようにしているのだろう。が、今朝学校に行く時間になってもグースカ眠りこけていた一人の少年はこのせいで墓穴を掘った。
二一時一三分。
目を覚ますと部屋の壁にある窓の外は真っ暗だった。外に合わせてこの塔の中の照明も暗くなるように最上階にある中央制御システムにプログラミングされているらしい。らしい、というのは以前裡霊斗がこの寮に引っ越して来て、現在地である『バベルの塔』の説明会を受けた時に聞いた話であって、実際に見たわけではないからだ。
外と同様部屋の中も真っ暗だったので、「電気」と呟いて明かりをつけた。
部屋の照明は壁にあるスイッチでも音声入力でも操作できるようになっている。
「……朝ご飯の食器、洗ってなかった」
別に誰が聞いている訳でもないが、ふと心に浮かんだ事を口に出した。
そして足を動かすのすらめんどくさそうな顔をして、ベッドからよいしょ、とじじい臭く立ち上がる。向かう先は台所、食器を洗うついでに軽い夕食を作って食事を済ませてしまおうと考えたのだ。
部屋のドアを開けてのそりのそりとナマケモノのような動きで廊下に出ていくと、今度は廊下の電気が独りでについた。こちらは体温感知によって、廊下に人が来ると体温を感知して照明がつく仕掛けになっている。
廊下を一歩につき三秒、というナマケモノ並のスローペースで歩き始めて一五秒。リビングを通って台所へ向かうはずの少年の足が、止まった。
隣にはバスルームへつづく扉が佇んでいる。そのドアの中から、
ポチャン。
(……ポチャン?)
おかしい、何故風呂場から滴の垂れる音がしたのだろうか? そんな疑問が彼の進路方向を変えた。頭には三文字の漢字が浮かび上がる。
(……不審者!?)
と思い、ドアノブに手をかけた。
普通、不審者となれば下手に部屋の中に入って相手に殺されるなんて事態に追い込まれかねない為、まずその建物から離れるものだが、彼は別にそんな事はしない。
つまり、自信があったからだ。
相手が何者だか知らないけど自分はそんなタマに殺られるほど弱くない。
事実、ブレードソード世界大会優勝者に本気を出すまでも無く勝利するという身のこなしや動体視力が備わっている。
よってなんの躊躇いも持たず、ガラス製の黒いドアを開けて洗面所に入ると次なる扉、風呂場行きのプラスチック製の板に向かう。そして開け放った。
ソフィア・レトーン=咲柄。
風呂には一人のイギリス出身の少女が立っていた。
しかも一糸まとわぬ姿で、
全身のラインが見える状態で立っていたのだ。
「不審者以上の不審者だったみたいだね」
一言感想を述べ、再び扉を閉じようとする。
が、
「ちょッッッッッッッッッっとおおお待ったアアアアアアア!!」
それを阻止すべく全裸少女はドアに手をかけた。
「裡霊斗は男じゃないの? 普通なんか反応するでしょ! ドギマギしないの!? 裸体さらした女の子前にして何でドギマギせずに平然としていられるの!?」
怒りと嫉妬(?)を露わにした少女の言い分が理解不可能な、完璧完全一〇〇%純粋少年はしかめっ面をして、
「裸体だろうが何だろうが別にドギマギはしないでしょ! て言うか何平然と人ん家の風呂に入っているわけ!? どうせお前の家は隣なんだからここに来る理由はないよね!?」
別の意味で動揺し始めた少年も負けじと怒鳴り散らした。
「そんな事より何でオトコのソコ、反応しないの!? こういう状況に遭遇したらまず全快になるのはソレでしょ!!」
近くにあったバスタオルで体の各所を隠しつつ、話の話題は何だかおかしな方向へ進行していく。
「何が全快、全力で愉快だあ!? そんな事よりここに来た理由を言ってごらんなさい! さてはアレか、ご飯が作れないので夕食を食べに来ました的なアレかああアアアアアアア!!」
「そうだよ! 何か文句でも?」
何故か完全加害者のソフィアが怒りっぽくなっていた。が、それを上回る怒りが少年を襲う。
「文句しかないでしょおおオオオオオオ!! しかも何怒ってんのあんたバカじゃないの? 人ん家に不法侵入とか犯罪だよ! 刑法第一三〇条、『正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金に処する』を知らないのかああアアアアアアア!!」
「知るかアアアアアアアアア!! 軽犯罪法一条二三、『正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者』に裡霊斗は該当するという事実を知らないのかああアアアアアアア!!」
……それはちょっと違うと思うね。
「これ全然ひそかじゃないし、て言うかこの状況下では軽犯罪法第四条、『この法律の適用にあたっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない』に反するから認められない!! 分かったら大人しく出ていけ!」
刑法がどうとか二一世紀の中学校の文学ではまずない会話が飛び交う風呂場。
「本来この場においては裡霊斗がスイマセンデシタアとか何とか言って土下座して、私がその後頭部に足蹴りをするのがラブコメのパターンなのに何でアンタは男としての反応を見せずに突っ立っているわけ!? このッ、変態!!」
ソフィアが勢いよく顔面パンチを繰り出すが、裡霊斗は武術に心得のある動きで難なくそれを躱す。そのまま無駄のない動きで彼女の腰に手を回して背後の洗濯機にチラリと目をやると、
「よいしょおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
頭から勢いよく背面投げでブチ込んだ。
その素早い動きのせいか、少女に巻かれていたバスタオルが肌蹴た。
同時に、
ガゴオオオオオオオン!! と洗濯機内部で回転する駆動部分が揺れる音が洗面所に響き渡る。
「フンッ! この俺の顔面に拳を振るおうなんて、一〇〇年早い!!」
一撃で尚且つ全裸で洗濯機内で気絶した尻から下を洗濯機から出している下半身体全開少女を見送ると、格闘少年はそのまま洗面所を後にした、
「なぁんて上手いこといくとでも思ったかああアアアアアアア!!」
と、今まさに部屋を出ようとする裡霊斗に向かって、
最早一三歳中学二年生女子が発声するものではないスピーカー越し並の声が部屋いっぱいに、反響した。
更にサッサと洗濯機激突ダメージから完全回復した少女はここであり得ないことを実現させた。
今の今まで頭からスッポリはまっていた四角い箱を右手右腕一本で持ち上げると、裡霊斗の顔に向かって、覆いかぶせて中に叩き込もうとしたのだ。
「死ねええエエエエ!!」
これには流石の少年も驚きを隠せず、
「え、ええエエエエエエエエエエエ化け物おおオオオオオオオオオオ!!」
無理もない。中身が空っぽとはいえ、脱水の揺れにも耐える重さが四〇キロを優に超える物
体を持ち上げた女子中学生を前にして驚かない者がいるほうがおかしいのだ。
(こ、コイツ一体何者だ!? というかこれは間違いなく俺たちと同じ――――!)
様々な疑問を抱きつつ、〇・五秒後に発生するであろう洗濯機の大災害対策に向けて頭をフル回転させ、この後の対処法を考え始めた。
人間とは自身の生命が危機的状況に追い込まれると、普段は脳で制御している力が解放されることがある。この現象は肉体的にも精神的にも引き起こされるらしく、例えば自分の母親が車の下敷きになった時、八歳の娘が一トンの乗用車の後輪を持ち上げた、というものだ。これは肉体的な力の解放で、己あるいは大切な人を失ってしまいそうな場面に遭遇したために一種のパニックに陥って、脳のリミッターが外れたと考えられている。一方で精神的な制御を上回る力が発揮されるというのは、道路に飛び出して車にひかれそうになった時、それまでの自分の過去が一瞬でフラッシュバックするというものがある。
と、ここまでで〇・二秒。
自分を安心させるためなのか、頭でそんな知識をフル回転させて過去に得た知識をよみがえらせた。
なるほど、これがフラッシュバックと言うやつか!
(なんてことはどうでもいい! 大切なのは今だ。この後の対処法を考えなければ間違いなく悲劇の終末に向かって真っ逆さま!! 考えろ、今最善を尽くすための最も優れた対処法を!!)
パターン一。後ろに避ける、洗濯機から回避成功、洗濯機自由落下、地面激突、大参事。
パターンニ。受け止める、腕に洗濯機四〇キロ、プラス落下の勢い、両腕壊滅、体組織壊滅、大参事。
パターン三。大人しく洗濯機の中に詰め込まれる、大けが、大参事。
パターン四。前に飛び出す、ソフィアを引っ張る、身代わりに下敷き、クッション、俺無事、洗濯機無事。
と、この時点で〇・三秒。
……………………。
「『四』だああアアアアアアアアア!!」
行動に出たときには〇・四秒経過。
勢いよく前に飛び出すと華麗な動きで洗濯機を躱し、ソフィアの服を掴んで後ろに引っ張、
……ここで一つの疑問が少年の頭に浮上した。
彼女は服などを着る時間があっただろうか? と。
風呂でばったり遭遇してそれからドラム式洗濯機に頭からぶち込まれた少女にそんな余裕が存在したのだろうか? と。
いいやそのような時間は無かった。
ならば、と少年はソフィアの足を掴みにかかり、四〇キロ越え物体の下敷きの刑に処してやることに変更した。
右足首を力一杯ガッツリホールドすると右腕に力を込めて後ろに、自分とすれ違うように、
自分を前に進める平泳ぎのような反動を求めた。
と、ここでまたもや二つ目の疑問が脳裏に浮かぶ。
彼女は自分の体についた滴を拭った場面などあったのだろうか? と。
一見どうでもいい考えだが、この世には物理学が存在し、その物理学の中には『力学』という分野がある。そこでは摩擦という現象について習うのだが、それによれば人間が物体を自由に掴むことが出来るのは手にある指紋が強力な静止摩擦力というものを生み出しているおかげらしい。接触面の水分層による粘性抵抗は、その水分層の厚さに反比例し、これを利用して、層の厚さを微妙に調整することにより、滑りやすくもなり滑りにくくもなるという。
裡霊斗が遭遇した時は、今現在は、少々水分層が厚くなっていた。
つまり少年の手は、摩擦力の小さな物体に掴みかかった為、見事にスリップ。中途半端に引っ張られたソフィアはバランスを崩して、そのまま仰向けに床に転倒。裡霊斗はその上に覆いかぶさる形でうつ伏せに倒れ込んだ。
更に少し遅れて背後で少年の回避しようとしていた『大参事』の凄まじい破壊音が耳に入ってきた。
「オああアアアアアアアアアアア!! 我が家の六万三千円のうず巻き式洗濯機がああアアアアアアア!!」
「いいからそこ退いてええ!! 裡霊斗重、くない!? うっそお何でこんなに軽いのよ!!」
「黙れええエエエエエエエエエエエエエ!! 何でソフィアはアレを、あんな重いものを片手でブン投げられるんだああ!? いずれ弁償させてもらうからね!!」
未だ馬乗り、というかかなりエロい体勢で裡霊斗とソフィアがギャアギャア叫んでいると、そこに更なる厄介ごとが舞い込んできた。
「な、何してんの二人とも!?」
廊下に立っていたのは明宮瞳。
目の前の光景があまりにも信じがたい事だったせいか、持っていた缶ジュースの入ったビニール袋をうず巻き式洗濯機によって五センチはヘコんだ床に、ゴトリ。どうやら真下の住人だったらしく、あまりの轟音に何事かと外の階段を登って駆けつけてきたらしい。
「う、羨ま……じゃなくて何でこんな体勢に!? 二人ともまさか転校初日で交際開始して一線を越えようとしていたのか!!」
何だか色々と勘違いをしている。ようだがその勘違いをしている明宮の心情すら読み取れない少年は、のそりと起き上ると、
「何でまた明宮までいるの? 何か用? あれ、おーいどうしたの。放心状態に陥ってんのか
な?」
裡霊斗は明宮の顔の前で手を振るが、目の前に広がる光景に大きな精神的ダメージを受けてしまった少女はピクリとも動かない。
……………………………。
やれやれ、と裡霊斗は、
「めんどうな事になったね」
11
風呂場騒動が一悶着して一〇分が経過した。
現在裡霊斗の家はリビングと台所、この二カ所の照明から部屋中に光が行き届いている。
キッチンでは裡霊斗が夕食の準備を、リビングでは……、
何でだろう?
何でこうなったのだろう?
何でこうなっちゃったのだろう?
味噌汁を温めながら少年はこの世の終わりが明日です、と宣告されたような人類の顔をしていた。
しかしそれも無理ないだろう。
六〇〇秒前に自分の家の六三〇〇〇円の四〇キロを超える、うず巻き式洗濯機を破壊した少女を前にしても絶望しない人類の方がおかしいのだ。
「何で当たり前のようにそこに座って両手にナイフとフォークもってニコニコしてんの。絶対に後で弁償してもらうからね!」
怒りの籠った一言を発するが、何故かソフィアは得意げな顔を見せて、
「ん? いいよ。お父さん仕事は『グレートブリテン及び北アイルランド連合王国首相 兼 第一大蔵卿兼国家公務員担当大臣』だから、お金は困らないし。ふっふーん! 私の親すごいでしょ」
付け足そう。
六〇〇秒前に自分の家の六三〇〇〇年の四〇キロを超える、うず巻き式洗濯機を破壊した英国首相の娘を前にしても絶望しない人類の方がおかしいのだ。
「て言うか何でソフィアには警護がいないの!? 確かグレートブリテン及び北アイルランド連合王国首相兼第一大蔵卿兼国家公務員担当大臣ってイギリス首相の事だよね!?」
正当な指摘をすると、
「さあ? 警護の者がいうには上からの命令で、日本の住むところには学生しか入ってはいけないところなので来れないとか。ああ、そうそう。隣の住居人が助けてくれるだろうって」
途端に裡霊斗の顔から滝のような冷や汗が溢れ出す。
「……さてはあのクソオヤジ、英国首相官邸に行っていたし変なこと言いやがったな」
「クソオヤジって、もしかして裡霊斗の親って日本の内閣総理大臣!?」
「え、あ、いや、まあそうだけど」
「やっぱりね。先週うちのメイドさんたちの間で噂になっていたんだよ。イケメンのカッコいい首相が日本から会談しに来たって」
ソフィアが明るく話せば話すほど裡霊斗の表情は暗くなっていった。
「あ、ほら裡霊斗。お汁こぼれちゃうよ」
厄介者の指摘で絶望の淵から帰ってきた少年はいIHコンロの電源を切ると、手際よくおかずを白い皿に盛りつけて、ご飯とみそ汁を装う。
「ほら出来たよ。もう九時半になるし、さっさと食べてしまおう」
彼の手によって運ばれてきた料理に対して、ソフィアはジィィィっと見つめると、
「……毒入ってないよね?」
同じく裡霊斗はソフィアの疑いを露わにした顔をジィィィッと見て、
「ケンカ売ってんの?」
「別にそうじゃないけど」
「(他人にご飯頂戴って言っておいて毒の混入を疑うなんて、何を考えてるんだコイツは?)」
呆れと怒りに頭を悩ませていたがこんな事を考えていてもしょうがないので「いただきます」
の一言で食事を始めた。
「そういえば、何でソフィアはこの限ケノ丘中に転校してきたの?」
裡霊斗は麻婆豆腐を口に運ばせつつ質問をする。
「うーん、詳しい事は分からないんだけど何故だか私の通っていた学校で不審者が発生して、もしかしたら私が狙われているんじゃないかってなってね。そしたら偶々日本から首相が来ていて、日本なら世界の中では安全国だし最高のSPを用意してくれるって話になって」
「それでここに来たのか。なんてこった。帰国したら真っ先にあんのクソオヤジぶち殺さないとな」
話すうちに裡霊斗の機嫌が悪くなっていくが、そんな事に何とも思わない少女は、それより「ねえねえ、ところでこのスープって何なの? 初めて見るんだけど」
目の前の食卓に並べられた食べ物を、珍しいものを見るようなキラキラ目で眺めていた。
「それは味噌汁っていうもので、俺の場合は鰹節でダシをとった汁に味噌を溶かして、その中に豆腐とかワカメとかの具材を放り込んで作っているよ」
「総理大臣の息子でお坊ちゃまのくせに! 何でそんな知識が、そんな料理技術を持ってんの? どれどれ……、なっ!? この料理、私の家で雇っているコックが作るものよりおいしいんだけど!?」
くわっ!! と汁を啜った少女の目が開いた。
そりゃあよかったな、と呟くと裡霊斗も味噌汁を啜る。
現時刻は九時四五分。
ようやく少年の願う安息時間がやって来たようだ。
12
どうやら安息日とか、安息日、休み時間、休日というのはあっという間に過ぎていくらしい。
何故裡霊斗がこんな事を考えているのかというと、目の前の光景がそれを証明してくれたからだ。
「あの、ソフィアさん? その、ここって俺の部屋だよねえ?」
「当たり前でしょ。裡霊斗何言ってんの?」
目の前の光景というのは裡霊斗が風呂から上がるといつもは少年のものの寝床に、ソフィアという少女が横になっているというものだ。
「あ、もしかして私と一緒に寝るのに緊張しているのかなあ? 大丈夫大丈夫、私は気にしないから」
ブチリ、とベッドの主のこめかみから嫌な音が聞こえた。
「じゃないでしょおおオオオオオオオオオオオオ!! どうして君は他人の聖域へ無遠慮にずかずかと入り込んで来れるのかなああアアアアアアア!?」
「いやーん、動揺しちゃって。言っておくけどR一八には入っちゃだめだぞ」
「R一八に入るだか何だか知らないけど、とにかくここから出ていけええええ!!」
裡霊斗はソフィアの首根っこを掴むと部屋の外に放り出してドアを
バタアアァァァアアン!!
怒りの籠ったドアの開閉、勢いのあまりに発生した風で廊下に座る少女の髪がなびいた。
「……、え? あれ、裡霊斗? もしかしてこのまま本当に寝ちゃうの? 待って。あれ? 嘘ホントに? 無理無理無理無理!! 私独りで寝れないのおおお!! ちょっ、ごめんなさい! 待って待って待って鍵閉めないで開けて寝ないで無視しないで助けてええエエエエエエ!!!!」
すると、意外なか弱いお嬢様側の顔が見られたところで満足したのか、ゆっくり扉が開いた。中から、
「分かったら静かにして。入っていいけど床で寝てよ」
眠そうな返事があった。
途端にソフィアの顔はパッと明るくなって勢いよく中に飛び込んでいく。
「イエーイ侵入成功☆ じゃあまずはまくら投げだね! ファイアああアアアアアア!!」
「ブホウヮ!? くそっ、このやろう騙しやがったな! おああアアアアそれ壊すなまくら振り回したら落ちるから止めろ止めて何してんだお、お、お、おおオオオオオオアアアアアアアアギいやああアアアアアアアアア!!」
愉快な叫び声が耳に張ってくる真下の部屋には、ソフィアさんいいなあ、などと考えていた明
宮が布団を敷いて座っていた。
と、そこで彼女の携帯が愉快な音楽を奏で始めた。どうやらメールの着信音のようだ。
(こんな時間に誰だろう?)
不思議に思いつつ一応念の為、と立ち上がって机の上に向かった。
ロック画面を開くと案の定メールが二件、受信ボックスに入っていた。送り主は担任の光先生だった。
一斉配信メールと表示されていることから、何やら大切なことが記載されているのだろう。
中を開くとそこには――――――――――――――――――――――――。
行間Ⅰ
《あと何時間かな》
暗闇の中、一つの個体が声を出す。
個体は地面に立っている訳でもなければ椅子や地べたに座っている事も無かった。
個体は宙に浮いていたのだ。
周りには話し相手となる他の個体が居る、会話が可能なコンピューターが存在するなどということは無くただただ暗闇の空間が広がっていた。当然窓なども存在しない。
《被験体マーク〇〇一 及びマーク〇〇二の最新状況報告を》
個体が再び声を出す。すると暗闇の空間に直径一〇センチ位の青白い球体状の発光物体が無数に現れた。
青白い発光物体は個体に応答をするかのように機械とも生物とも言えぬ音を出す。
〔マーク〇〇一、身体能力九九・八%、知力並びに神経細胞伝達能力一〇〇%オーバー。マーク〇〇二、身体能力九九・7%、知力並びに神経細胞伝達能力九九・九%。完成予想、マーク〇〇一暫定六九時間三五分、マーク〇〇二暫定七〇時間四六分。〇〇一と〇〇二の距離間二〇・三.以上報告終了、スリープモードへ移行〕
音が止まると同時に全ての発光物はその輝きを増す。しかし数秒後にその中の一つが突然力尽きた蛍の灯のようにフッと消えた。まるでそこには元から何も無かったかの様に。
その瞬間、輝きを増したその一瞬だけ無数の光によって暗黒の空間が照らされた。部屋は球体状の造りをしている。正しくは球体状、例えばパンパンに膨らんだドッヂボールを内側から見たようなものである。
スイカの中身を刳り抜いた様な、球の内側にいるような、そんな所に一つの個体は浮いていた。フワフワと空に浮かぶ雲の様にではなく、時間が停止したかのようにぴたりと球の中心に静止していた。
個体は再び目も口も開かないままで声を出す。腹話術ともテレパシーとも異なる全く異質の声は部屋全体に響きわたる。
《これよりプラン三一四一五九二を開始 最終段階への移行開始を実行》
個体が次なる指示を空間に出すと今度は直径五〇センチ程の紫色の光球が先程同様一〇つ、床も天井もない部屋に浮かび上がる。
〔準備及び第四次元世界において日本時間午前八時一三分より自動制御によって対象に試練を搬送します〕
先程とは異なるしかしやはり機械でも生物でもない音を出す。
《ようやく彼らはここまで辿り着いたか 二〇〇 いや三〇〇は絶命したか しかし特に問題は無い 彼らはその為だけに作られた 使用物の責任は誰か他の者に委ねぬ限り 製造者がとることとなる》
何処からとも無く声を発するこの個体は感情を持ち合わせていない。
代わりにどんなものにも負けない意思を持っている。
感情なく意思あるもの。まるで目的地を設定され、その通りに動くロボットのようだがそれとは少々異なる。
少し間を空けて個体は事も無げに空間に響かせる。
《さて 最後の実験では神経細胞発達動物は何体消えることか》
二章 校内スパイ大作戦〈スタート〉
1
突然ではあるが携帯電話の電子メール機能は現代の人類において必要不可欠便利極まりないものである。パソコンや携帯電話のコンピューター同士がネットワークを通して文書、画像などの情報を伝達、蓄積する通信システムであり、何時何処に居ても携帯ノートパソコン一つで何か伝えたい事を対象の相手に伝達することが出来るという素晴らしい仕組みだ。
しかし人間とは生き物であって生き物ということは人それぞれ様々な感情を抱いている。よって、全ての人間が全く同じ常識や考えをもって同じ行動を起こす確率など天文学的数値に等しいといっても過言ではない。つまり、大抵の人間はこの電子メールを楽しく便利に使おうと思うのだが、科学の進歩により肉体的弱肉強食毎日が危うい自然から脱出を遂げたことにより新たな刺激を求めて悪用しようとする者も現れ始めた。
インターネット回線を通じ他人の携帯パソコンに不法アクセスして己の侵入能力を誇示するというのは序の口。組織化したサイバーテロ集団により、個人や企業の情報を金銭摂取目的に攻撃或いは業務妨害を目的とした攻撃で一番多いAdvanced Persistent Threatを略したAPT攻撃をされたというのはよくある話。西暦一九九四年、大よそ二〇〇年前から存在する携帯ゲームは幅広いジャンルへとなっていったがこれらをインストールしたが最後、購入したゲームの企業に使用機種の情報はだだ漏れですという噂もあるぐらいで、むしろこのインターねット環境が充実した日本いや世界において情報が漏れないという事が、天文学的数値に限りなく近い。
もう一度言おう、携帯電話及びその中に機能として購入時から存在する電子メールとは実に便利なものである。
便利すぎるからこそ携帯会社は更なる便利さを求めて開発に挑みつ続けてきた。メール使用者増大の原因は機能向上だけではない。大昔から存在する同じ電話会社ならば電子メールのやり取りは無料になるというサービスが存在する。これを初めとする様々なサービス実施により更に電子系統の伝達は著しく使用されるようになった。
このことから、またもや更に開発企業はより一層需要のある機能を追加しようとアップデートに励む。
その中で今国内において最も愛用されているのがElectronic Short Mailというもので世間ではESメールと称されることが多い。メールアドレス或いは電話番号を登録した知り合いのメールが新しいものから一度に一つの画面にいくつもフキだし状に映し出される。知り合いによって文字やフキだしが色分けされているために読みにくいことは無い。このメールは一つのフキだしにつき五〇文字という制限があるが、別にそれで不便だと感じることはほとんどない。一つの事を細かく分けて伝えればいいし、むしろその方が読み手も読みやすい。
と、ここまでは二一世紀のメール形式とほとんど変わらない。
このメール機能が国内最大とまで呼ばれるようになったのはもう一つ大きな理由が存在する。
それは今から半世紀前に実施された前自動感情再現文字音声化システムの導入である。
仕組みは実にシンプルであらかじめ機種の持ち主が『あ』から『ん』までの濁音を含む一〇五の直音、『きゃ・きゅ・きょ』などの拗音、『ん』『っ』『―』という特殊モーラとよばれるものを含んだ全ての音を携帯に発音を記憶させる。
つぎに送り手側が伝えたい内容を携帯に打ち込むまたは吹き込みをして、それを送信する。
するとそのメッセージは一度電話会社にある世界の最先端テクノロジーから作り出された、人間以上の頭脳以上の頭脳という意から『ジーニャス・ジーニャスAI』と名付けられたコンピューターを通して音声変換される。驚くのはこのAIは音声に自動てきに感情移入を施すことが可能という点だ。
最後に音声変換が行われたメッセージを受信側が聞く。二二世紀ではイヤホンは携帯からコードを引っ張らずに無線で聞いているためほとんどの人は音声で聞くことが出来る。ちなみにイヤホンの電源は耳を通して体温という熱エネルギーから充電されるのでバッテリー切れを気にする必要はない。
とにかくこの時代において『昨日送ったメール読んだ?』『あ、ごめーん見んの忘れた』『何ですって!?』『何よ、そっちこそ! もう絶交よ』なんて言うトラブルはほとんど見受けられなくなった。それほどまでにメールは手軽なものに変貌を遂げた。
が、伝わりやすいが故に聞きたくもない情報までもが耳に入ってしまうようになったのも事実である。
例えば四月二十四日金曜日の夜一一時ジャストににESメールの内容をを耳に挟んだ故に夜一一時五八分の暗黒校舎、限ケ岡中高一貫校中学男女共学二年生校舎の厳重セキュリティーを相手に対学校セキュリティー特殊部隊へと早変わりしなければならなくなった亥裡霊斗含む二年B組の男女七割弱の生徒がいい例だろう。
ぶっちゃけて言えば彼らは今夜の学校への不法侵入及び『重要アイテム入手』を試みている。
そもそもの事の始まりは小一時間前に遡る。
夕食を食べ終えてさあて風呂にでも入りますかなとそれこそ天文学的数値とまではいかなくとも百万種類の曲をランダム再生していたら三回連続同じ曲が再生されました位の確率で二年B組の生徒全員が一斉に行動に移ろうと、耳にはめていたイヤホンを取り外そうと考えていた矢先の出来事だった。
『ピロリン☆』『チャッチャラチャッチャチャーン♡』『ギュイイイィィィン♪』。人それぞれメールの着信音は異なるがとにかくクラス全員の携帯に電子メールが届いた。これはまた例の確率によっての偶然か!? と思いきや何のことは無い。担任の光先生先生からの一斉送信メールだった。こんな時間に何かなと思って開いて聞いて、
【夜分遅くに申し訳ない。いま急に思い出したんだけど、月曜までに去年の数学のワーク全部やって出しといて】
更にもう一着。
【そうそう、まさかだけど学校に〈置き勉〉してましたなんて言ったら…………ぶっ殺すからな(*^▽^*)(笑)】
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
『『『『おああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぎああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああいやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!!』』』』
もはや天文学的数値に関する確率などどうでもいい状況陥ったいわゆる〈置き勉組〉の諸君は一人一人寮の個室でほぼ同時刻、精神的に悲鳴を上げた。離れていても心は一つである。
彼らにとってワークやら教科書やらは重く、ましてや好きでもない本や資料を何故毎日持ってその重みを肩に食い込ませて学校と家との間を徒歩で往復しなければならないんだ、という理由で学校の個人用ロッカーにテスト前以外は置きっ放し状態になっている。よって本日のようなESメールには五〇文字制限がありますというルールを完全に利用し使いこなした五〇文字×二通のメッセージが彼らに届けば大半は焦りと絶望に溺れる。
また置き勉組の中でも極少数の生徒には、
『別にワークなんて持って帰って復習しなくても定期テストの五〇〇点満点いつでも年中決定事項なんだから、こんな課題は必要ないのに。何だってこんな目に合わなくちゃいけないのおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!』
『全くだよね。何で新しい学校登校初日にして私までこんな酷い仕打ちを受けなきゃいけないのよ!』
『いいからソフィアはさっさと自分の部屋に帰れえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇえええ!!』
等という『成績優秀集団』あるいは『勉強余裕組』も存在する。
とにかくこれらの人々は光先生の絵文字と殺意付電子メールによって、すぐさま同じ心理状態に陥ったクラスメイトに連絡をとる。
『どうする!? これはかなりヤバいぞ』
『ワークを全部やれってことは月曜日に朝早く登校して取りかかっても朝の会までには間に合わない』
『学校の教室って何時に開くんだっけ?』
『表向きは七時半ってなっているけど実際は七時前には開いているらしい』
『そんな不確かな情報は宛にならないし、何よりあの量の課題は二時間やそこらで終わるものじゃない』
科学の発展が止まることを知らないこの時代、中学二年生ともなればキーボード操作は話すのと同じくらいのスピードで行われる。最も中には音声入力している者もいるが。
『俺、諦めよっかなあ』
『今部活動の先輩に確認取ったんだけど一昨年もこの課題出されているみたい』
『あ、それウチも聞いたことある』
『確か「菅野亮」って人が宿題すっぽかしたんだよね』
『その人その後どうなったの?』
『四日連続放課後部活を休まされて教室で光先生と一対一のにらめっこ居残り補習待ち受けていたって』
『その情報は確かなの?』
『あ、俺その話を菅野先輩から直接聞いた。その後先輩寺入りしちゃったしさ』
『やべーよ何があったんだよ菅野先輩』
『よし』
『どうしたロン』
『皆色々な意見を出しているようだが、ここまで追い詰められたらアレしかないでしょう』
『アレって?』
『なになに』
クラスの七割の人間が気になってイヤホンに耳を傾けたその時、切永ロンは次なる爆弾発言を電子メールに載せて投下した。
『昨年度、先輩方がこの方法を使ってこの宿題を乗り越えた。名付けて「夜の学校に忍び込もう大作戦」!!』
『ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええ!?』
トンデモない発言を前に思わず音声入力によって回線が混み合い大音量がイヤホンから漏れ出す。
『おいおいおい、ロン。さすがにそれは無理があるんじゃないか』
『普通無理っしょ』
『とまあほとんどの人がそう考えるだろうがおれにはいろいろ秘策っつうか裏技がある』
『成功率は?』
『五〇パーセントってとこだな。しかあし、諦めて先生に坊主になるまで精神をぶっ殺されるよりかはマシだ』
『よおし、んじゃあ勇気ある者どもは男女問わず学校から二番目に近いファミレスに集合しましょう』
明宮瞳の言葉に数人の生徒が行動を開始しようとしたがここで一つの疑問が生じる。
『何故に二番目に近いファミレスなんだ?』
『バカね、一番目に近いファミレスだと学校帰りの先生が夕食をとっている可能性があるでしょ』
『……そだな』
『それじゃ、持ち物は音声だと忘れちゃうから文字のほうを見ながら各自持ってきて』
『『『了かーい』』』
返事とともに置き勉組は即座に行動を開始する。事が決まれば彼らの動きは早い。消火活動の要求を受けた消防士の如く、明宮の送ったメールを元に荷物をまとめてとっくに門限を過ぎた寮を抜け出す。『バベルの塔』を飛び出すと全速力モードから急ぎ歩きに移行して学校のある青葉山方向に足早に向かう。
途中の夜の街はひっそりしており道路には人っ子一人居らず、どのビルからも光が見られることは無い。という二一世紀後半のピークに達した節電時代とはまるで常識が異なり、大通りは車が途切れることなく走り抜け、昼間でさえ影があろう裏路地までもがネオンやビル群から漏れ出す光や宣伝の電光掲示板によって闇という闇が取り払われていた。
二一世紀末、いくら節電に取り組んできた日本とはいえ、そろそろエネルギー不足が一段と問題視されるようになるだろう、と科学者たる生物的本能が働いたのか、一人の「クリスチャン・ローゼンクロイツ」という天才科学者が世紀の大発明をした。
記録によれば、その科学者は太陽から地球に降り注ぐ光ではなく「熱」に関心を持ち、「熱エネルギー」から効率よく「電気エネルギー」へのエネルギー変換法の技術の開発に取り組んだという。その後僅か三か月余りで発明に成功、なんとエネルギー変換率が九八%を上回る機械が完成、という驚異の結果を叩き出した。初めの方こそ世間からは信用されず周りの科学者からは批難の声を浴びていたが、実際に製品を売り出してみるとバカ売れ。噂によればその品だけで八〇億円超えの儲けを出したという。
発明品のは名前は『スルト』。直径二〇センチ程の銀色の球体状のもので、昼間それに直射日光を六時間当てるだけで一日分に発電される原子力発電所三つ分の電力が得られるという代物である。その球体は真上から見ると正六角形の形をしており、厚さが三センチ弱の永久磁石製で球体は常にその上にぴたりと五センチの間隔を開けて浮いている。その金属銀ぴか球体の半径一〇メートルから三〇メートルの範囲に置いた電化製品はいつでもフル稼働することが出来る。
まさに世紀の大発明にふさわしいだろう。
その大発明は治安維持にも貢献している。
夜一一時十五分を回ったというのにもかかわらず街の灯りという灯りがフル稼働しているのは二一世紀後半からより一層悪化した治安維持の回復を狙っての事だった。経済の不安定さが原因となり政府の中でも一番二番を争う国内問題として、あらゆる対策を試みてきたが一向に 小康を取り戻すことはできず失敗が続く。
そんな時に例の科学者の功績によって夜の街に光を灯し、治安回復に取り組んだ。
結果は大成功、政令指令都市を中心にそれまでより四割がた治安が安定するようになった。
そんな平和な街を三〇近い影が疎らに駆け抜ける。向かう先は当然ファミリーレストランという名の家族連れで気軽に利用が可能なレストラン。
一斉に駆け抜けると(この時間いないとは思うが)学校帰りの教職員に発見される可能性が高まるため、あえて集団行動を避けることにした。無論これも明宮の指示の中の一つである。
2
「うわっ! これホントに面倒なパターンだね。俺はもう諦めて寝ることに専念するよ」
とある寮の一室では性別をよく間違えられる置き勉組に属する生徒が脱力感に見舞われ本気で睡眠モードへの移行を開始しようとしていた。
が、それを許さない生徒が同じ部屋に立っている。
「ダメに決まってるでしょ。裡霊斗は先生に精神崩壊されていいの? お坊さんになっちゃうよ」
「あのね、ところでだけどあんたはホントのホントに真面目に帰って。そんで二度と来ないで貰いたい」
「そんなツレないこと言わないでほら起きてよ。ついでに私を学校から二番目に近いっていうファミレスに案内して欲しいな。夜道を女の子一人に歩かせようとしてなんか思わないの?」
「案内って、そんなの自分の携帯で調べていけばいいでしょ。それに夜道っていう夜道なんて日本は街の灯りで消えているから。強いて言うならそのままナンパに遭遇するなり拉致されるなりして二度とこの部屋に現れないでくれるととても助かるかな」
君はどうでもいいからさっさと消えて居なくなれという感情を隠さず正直に吐き出すのだが、ソフィアはその程度じゃへこたれませんと言わんばかりに会話を続けてくる。
「じゃあじゃあもし案内して無事ワークを獲ることが出来たらもうここには来ないから、行こ」
次の瞬間床で堕落していた裡霊斗は突然ガバッと起き上って数秒間ソフィアを凝視する。
「…………行こうか」
返事をすると送られてきた持ち物一覧が表示されている携帯画面を見もせずにさっさと準備を揃えてしまう。まるでこういうことに慣れているかのような早さで準備を終えると彼はソフィアの手を取って寮を飛び出す。
ドアから飛び出した次の瞬間、裡霊斗は今朝ソフィアの追跡を振り切った時の様に地面を少し強く蹴って後ろに体の正面を向ける。と同時にソフィアを空に向かって軽く投げた。丁度体が扉のほうを向いたとき、ポケットから鍵を取り出すとライフルの弾丸の様に勢いよく進路方向に対して平行に回転を懸けて鍵穴に向かって投げる。
それを見ていた空を舞う少女はまさかと思う。
まさかそんなことが出来る訳がない。
しかし、彼はやってのけた。
見事鍵がかぎ穴に触れる瞬間鍵と鍵穴の向きが同じになった。そのまま吸い込まれるように鍵はピッタリはまる。
更に鍵には強力な回転がかかっているためその勢いを留める事無く鍵が回る。
見事、というか有り得ない方法で施錠を成功させた裡霊斗はそのまま更に半回転して空に放り投げていたソフィアをキャッチ。お姫様抱っこの様に抱えると勢いを殺すことなく二階の通路から地面に跳び下りてそのまま走る。
抱き抱えられたソフィアは特にこの体制を嫌がる事無くクスッと笑って、
「お姫様抱っことは随分と大胆なことを考えるね」
「なんか問題ある?」
「日本じゃこんな行為はクラスメイト関係ではほとんどしないって本に書いてあったよ」
「でも嬉しいとか喜ばしいとか幸せを表現するときにすることはあるよ」
「……えっと、もしかして、今この状態が嬉しいの?」
ここにきて裡霊斗の言葉にソフィアは少し頬を赤らめる。
「そりゃ嬉しいよ」
「えっ、ウソ!? 本気? ちょっ」
「本気だってば」
ボンッ! 更に頬どころか顔全体が真っ赤に染め上がり煙が出そうになるほどになったところで、
「だって数学のワークを手に入れたらソフィア二度と俺の部屋に入ってこないんでしょ」
ピシャーン!
今度は別の意味でソフィアの顔が真っ赤になる。
何も理解せず無意識に乙女心を弄んでしまったお姫様抱っこ中の両手が塞がれた、無防備な王子様には、本日最大級の不幸ともいえる仕打ちが待っている。
3
「……裡霊斗、お前その頬にくっきりと浮かび上がっているもみじマークってのは何だ?」
「実は正直なところ俺にも何がなんだかサッパリ分からない」
裡霊斗がお店に到着した時には集合を呼びかけられた人がほとんど揃っていた。
ちなみに彼らの座っている席は団体客専用の縦長造りとなった部屋の中央に置かれている縦長のテーブルである。
席についているものの中には自分の家から運んできたと思われるノートパソコンを広げて起動させている者もいる。もう一度言うがこの時代の人々は科学の発展により、小学一年生の時点で21世紀初頭のパソコン関係の企業に就いている大人並に、コンピューター系統の電子機器に強い。恐らくその中で特にパソコンに強いものが、今回インターネットを通じて学校のセキュリティーシステム情報に乗り込むのだろう。
そして彼らを仕切っているのが部屋の端っこに立っている本日の言いだしっぺ、切永ロンである。
「何でロンが仕切っているの?」
人の下につくことを比較的嫌う裡霊斗は軽くしかめ面になる。
だからこそこの中学二年生は朝の様によく先生に怒られても物怖じしない性格に育ったとも言える。
「まあまあいいじゃないか、言い出しっぺは俺なんだしさ」
流すように返事をすると、裡霊斗に席に着くように促す。渋々空いている席に着くと同伴のソフィアも隣にちょこんと座る。
「さあて、それではみんな大体揃ったな? それでは今から『夜の学校に忍び込もう大作戦緊急会議』を開始する。大まかな流れとして、まずここにいるみんなを三つの班に分けてそれぞれに仕事を分担する。主に学校のセキュリティー情報を入手して提供する『情報班』、それらの情報をもとに現場に的確な指示を出す『管制班』、二グループからの報告をもとに無駄なく行動をする『実行班』の三つだ」
一同の前で生き生きと説明をする切永を頬杖をつきながら見ていた裡霊斗が、
「……随分本格的な作戦だね」
誰にも聞こえないような声の大きさで一人ぼそりと呟く。
しかしこのように最初から完全に冷めている人間とは反対に他のクラスメイトは
「よし、俺は普段から電子ゲーム作りとかしているから情報班だな」「私は放送部だし管制班にしようかな」「それじゃあ俺は去年陸上部で県大会出場したから実行班に入るよ」「お前体力だけは人一倍あるからな」
次から次へと意見が交わされ、すぐさま班分けが終了した。皆さん随分とノリノリのようだ。
するとリーダー切永が実行班に指示を下す。
「俺たちはこれから今すぐ学校へ向かう、だけど到着してからは管制班からの指示があるまで学校敷地外で待機」
「よっしゃ、いっちょやったりますか」
「「「「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」
ほとんどの人がこれから戦場に向かうかのような侍の如く燃え上がる中、一人の冷淡な性別不明少年は部屋の隅で哀れな迷える子羊を見るような目で
(……この人らアカンわ、社会に出たら真っ先に身を滅ぼすタイプや)
少々大阪人に変身しつつ、冷静に彼らの行く末を分析するのであった。
4
「ここが指令部替わり、ね。中々いいんじゃない」
明宮瞳率いる管制班はパソコン二三台、人員一五人とともに学校から二キロほど離れたとある一角の建物に来ていた。
「でもその本拠地がカラオケボックスとはロンもよく思いついたもんだねえ。まさにうってつけの基地だよ」
メンバーの一人が感心するように声をもらす。
皆うすうす理解はしているが、切永が臨時集会のときにこの団体客専用カラオケボックスを拠点にしようと考えたのには理由がある。
それはここが密閉された防音空間だという点だ。どう考えても今回の侵入で管制が口にすると周りの人から聞けば大声に出来ない用語がいくらでも転がり出てくる。直接な声で会話をやり取りしたいのは山々なのだが、そのような通信手段をとれば少ない月々のおこずかいの中から通信料というものが差し引かれてしまう。そんなものを使用するぐらいならば、いっその事ESメールを使った方がいいだろう。
また、より早く支持を出すには音声入力をしなければならない。音声入力は通常の会話より少し大声を、例えるならば一〇メートル離れた生徒に授業をする先生並の声を出さなくてはいけない。そんな彼らが試しに夜のファミレスを陣取ってみよう。
『お客様、大変申し訳ありませんが他のお客様のご迷惑になりますのでどうか声を控えて下さい』とか何とかいう温和な対応が来ることはまず無いだろう。
『ああー、すいません警察の方でしょうか? 実はうちの店に中学生ぐらいの男女一五人が大声でノートパソコン相手に発狂していまして……、ええそうなんですよ。今すぐこちらに来て牢屋に一〇〇年ぐらいブチ込んでおいて下さい』
これが正しい模範的対処法だ。
そういう事情で彼らは団体料金の一人八〇〇円の歌いたい放題コースを選択した。
「まあロンは昔からそういう奴だからな。見た目はただのぼけっとした中学生なんだけど、その実態は予めすべて計算された上での行動しかしない、ある意味恐ろしい男子だ」
「……ひょっとしてあいつと幼馴染みなの?」
「……まあそんなところかな」
パソコンの起動、イヤホンとの接続、携帯のESメールとの同期。
いくつかの準備を終えて、彼らはそれぞれの持ち場についた。
「あとは情報班からの連絡を待つのみね」
「ハ、ハ、ハ、ハヒェエークショイヤアアアァァァァァアアアア!! …………間違いないな、誰かが、どっかの女子が俺のウワサをしている!」
「オイコラ夢から戻ってきなさいロン君、自ら司令塔ポジションだと宣言した君が脳内お花畑になってどうするの」
「安心しろ双児よ。俺の脳内は常に八〇%が異性への愛、体の九〇%が生殖器で出来ている。よってその状態を保ち続けている今の俺は正常である。ワーハッハッハッハッハッハッハッハッハー」
「あっそ」とあり得ない音声のくしゃみと笑い声を上げる切永を余所に萩野は、ようやく学校から八キロ離れた高層マンションの半分を超えたであろう八九フロアの非常階段を登り続ける。
「ところで、そんなコンビニ並みに二四時間脳内お花畑営業中のロンに質問があるんだけど」
「コンビニどころか締切りに追われた小説家並みに夜も寝ないで脳内ピンク色の僕ちゃんに何の用だい?」
「他の実行班メンバーが後ろから一人も付いて来てないんですけどおおおおおお!?」
確かにその通りだ。ふと後ろを振り返れば四三階、いや三〇階、いやいや五階位までは確かに学校への侵入にノリノリで付いて来ていた……はずの新人スパイ共が誰一人として消えてしまっているではないか。
「まああいつらには体力と気力、いやプライドが無いからな……、マンションに入ってから何秒たったんだ?」
「六三秒」
「じゃあ、今頃三〇階あたりでヘロヘロになってんだろ。全く、世間はこれを科学の進歩の代償って呼ぶのかな」
六三秒÷三〇階≒二メートル/階、…………そんな中学二年生いるわけ無いだろバカ野郎、とツッコみたいのは山々なのだが生憎ここにいるのは体力スピードバカ&宇宙は地球を中心に回っている主義者並の自己尊厳者であって、本当は新人スパイたちは一〇階でにらめっこ大会に出場可能な今にも過労死を遂げてしまいそうな顔で、この先二〇段×二〇〇階弱はあろう階段とにらめっこをしていたのだが。そんな事は本気で考えもしない。
それでも多少遅れることは予想していたらしく、
「なあに既に手は打っている。あいつは喜んでこの作戦にのってくれたよ」
そう言って切永はニヤリと笑った。
「……あいつ? ……この作戦?」
萩野双児と切永ろん、現在彼ら二人の登る第九九フロアより遥か下方、一五フロアの非常階段では四人×二グループのメンバーが、
「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア、ハア」
けっして性的興奮状態に陥ったわけではなく、疲れのあまり酸欠状態に陥って全身の筋肉に乳酸が溜まって踊り場にへばってしまっていた。その中の一人が息が苦しい中呟く。
「ハアハア、何なんだよロンと双児の奴。足速すぎだろ、あと体力も」
「なんかあいつら一フロアにつき二歩で登って行かなかったか?」
「いや去年のスポーツテスト記録から知ってはいたけどさ、化けモンだろ」
「何でエレベーターは監視カメラで記録が残るからって、非常階段で上がる必要があるんだよ」
もはや彼らに階段あと一段として、これより先のフロアにあと一〇分は進む気は無い。
そんな中一人の少年が、そんな状況だからこそ一つの違和感に疑問を抱く。
「なあ一つ思ったんだけどよ、なんかおかしくねえか?」
「あの二人の底知れぬゴリラ並体力のことか?」
「……いや、そうじゃなくて。あの計算が全てで一二年間半人生を送ってきたロンが、普通こんな状況を想定していなかったと思うか?」
「「「「……………………」」」
暫しの沈黙、そして
『はあい、皆さん。こちら君たちより五フロア下にいる亥裡霊斗です』
何故か敬語を話す少年、亥裡霊斗の声が八人のイヤホンから聞こえてくる。
『いやあ、俺としては出来ればこんなスパイごっこなんてしたくないし、て言うか今すぐ帰りたいところなんですけど、君たちがめっちゃノリノリになっていたから協力してあげた訳でありまして。つまり用件としてはもしもそんな人たちが走り始めて一三六秒後に疲れて一五フロアでその先の階段とにらめっこしているような状況にいるならすぐに追い付いて、』
ガシャコン。と何やらエアガン内部の撃鉄を起こし、弾丸を薬室に送り込む際の動作でよくある棹桿を引くような音が聞こえてきた。
『このガス銃を使って逃げ場のない非常階段でキミタチを蜂の巣にしてあげますから。 ああそうそう、ガス銃なら死なないなんて甘い考えは捨てたほうがよろしいですわよ。うっかり目に誤射してもこちら側は知ったこっちゃないですからね』
どう考えてもこのしゃべり方をしている男子生徒など、通常ならオカマ位だ。ではイライラ状態の異常者だとしたらどうだろうか。
「「「……………………。」」」
再び訪れる数秒の沈黙。そして、
「「「うあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああいやあああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぎょああああああああああああああああああああああ!!」」」
何でお前が今ガス銃なんて持ってんの、というツッコミが八人の脳裏を掠める余裕も無く、彼らはバベルの塔に並ぶ高層建造物の最上階を目指して再び命がけの進撃を開始する。
どこの世界もスパイは命がけである。
この日、人類は生命の危機的本能によって新たなる階段登り記録、ギネス記録を生み出すこととなる。
5
「……どうだ、開けられそうか?」
「ふっ、俺の頭脳を何だと思っているんだ?」
「八〇%が娯楽と性的欲求によって作られたピンク一色ブレイン?」
「…………なんかムカつくがその通りだ。よってだ、その欲求を満たすためならば俺はどんなスキルでも身に付けているのだ」
「つまりコレは余裕だと?」
「オフコース!」
二人のベテラン中学二年生スパイは電子ロックのかけられた屋上へ繋がる階段の前にいた。
本来ならば中学一年生にも拘らず、空手におけるフルコンタクトと呼ばれる直接的な打撃が認められている大会で、全国出場を決めた彼らにとって厚さ五センチの鉄の板など五秒あれば、強制開錠されてしまうのだが、さすがにそんな事はしない。たちまちマンションの警報装置が鳴って『牢屋に一〇〇年ブチ込んでおいて下さい』と管理人に言われたら元も子もない。
したがって、彼らは平和的にスパイらしく切永自作の電子ロック解除装置を取り付けて開錠を試みていた。すると、
ピコン! と成功の合図が聞こえる。
「よっしゃ、行くぞ」
ドアを開けると二人は一気に階段を駆け上がる。いや、一フロアにつき二歩で登っていく彼らに、「駆け上がる」という動詞は適切ではないかもしれないが。
ヒャホー! と雄叫びと共に二人は最後の屋上へ出るドアを開けると屋上へ躍り出た。はずだったのだが……、
ガゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
聞こえてきたのは最後の扉に二人の脳天が昇天するほどの勢いで激突した、盛大な除夜の鐘の音であった。
「な、ナンデマタコノ扉マデ電子ロックガ」
「ム、ムネン」
本来ならば彼らは扉を開くと同時に屋上へ飛び出すはずであった。が、しかしドアノブは固く固定され、決して回ることはなかった。その上、一フロアを二歩で跳び上がる気分ウキウキ中学生の二人が急停止できる筈もない。
よって彼らはおでこに大きなたんこぶを作りながら、再び電子ロックの解除に挑み始めた。
「オオッと、一人目見ーつけた」
「いやあああああああああああああああああああああああ!」
現在五九階の踊り場において一人のモブ少年、長谷矢終はこの上ない危機的状況に追い込まれていた。
理由は簡単、深夜の眠気と疲れと作戦に対する嫌悪感によって最早アイツ悪役じゃん、的なにやにやドSと化した長髪ガンマン少年が背中に大きな黒いバックを背負って、後方七メートルから追ってきていたからである。
「待ってえ、みんな置いて行かないでえええええ! ちょっとおおお、これあまりにも理不尽じゃねえか!?ていうか何で裡霊斗の奴まであんな巨大な荷物を背負っておいてこんなに体力残ってんのおかしくね?」
叫ぶが、それがどうしたとドSガンマンはそんな事を右耳から左耳へ聞き流すように笑うと、
ドパパパパパパパパパと発砲を続ける。
同時に絶叫を上げる少年の少し前方で、このままでだと後ろから一番目の裕が堕ちたら次は俺だなと予想のできる二番目モブ少年、遠藤末はとある作戦を決行する。
不意に後ろを振り返ると、
「終、今までありがとな」
優しくそう言って微笑むが早いか、左足で終を忍法まきびしの如く追っ手に向かって終を蹴り落とした。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
やれやれ助かったお前の犠牲は無駄にしないぞ、終。
しかし転ぶ間際、彼は最後の抵抗をする。
全力で手を伸ばし、末の長ズボンの端を掴んだのだ。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
やれやれ仲間が増えたお前の道連れは無駄にしないぞ、末。
所詮モブというものはどう足掻いてもモブであってよほどの活躍でもしない限り、最後までモブとしてモブらしく散る。
終と末、彼ら二人組もまたモブらしい終末を迎える事となった。
一方、今度こそ最後の電子ロックを解除したモブではない二人組は、おでこにたんこぶを作った頑丈な扉をオープン☆
屋上に飛び出した。
そこには雷から建物を守る為の避雷針と貯水タンクしかなく、案の定殺風景なところだった。
しかし予想に反して決して彼らが一番乗りなわけではなかった。屋上には彼ら二人を待つ人物がいたのだ。
「あり? いつの間に来てたの、ソフィアさん。」
「えええっ!? 何でこんなに早いの? ていうかそこ危ないよ!」
屋上の端っこから足がはみ出る形で座っていたソフィアに双児は注意を促す。
「大丈夫大丈夫、落っこちないし落ちても平気だから。ところで裡霊斗は何処?」
質問に自分たちより早く屋上に上がってきていた人がいた事に面喰っていた双児が答える。
「ああ、脳内お花畑野郎……いや、ロンの奴が言うには下の方で鬼になっているみたい」
「そうそう、今頃みんなまとめて楽しい鬼ごっごを開催中だよ。」
「……………………は?」
「まあまあ、そんな事より今のうちに学校の距離と方向を確認しとかなきゃな。」
(どうせあいつらの事だからいくら裡霊斗作戦決行したっつってもあと一〇数分分はかかるだろ。その間に学校の立体マップでも作成して指令班に提供しとくか)
ロンは情報班ではなく実行班である為、荷物は手軽にしておかなければならない。よってノートパソコン無しの携帯のみで侵入建物の三次元マップを作成する。
見立て通り一五分後、生命の危機を感じた八人と生命の危機的状況を作った張本人は屋上に到着した。
ただ、彼ら(鬼から逃げる人間)の顔は切永が予想していたより遙かに酷なものらしく、二人は呟く。
「侵入する前にこんなに疲れてどうすんの」
「やっぱ人間って、無計画な生き物だ」
そんな彼らを端から見ていたひとりの少女は疑問を抱く。
「それで、こんな学校から離れた建物に登ってどうやって侵入するの? まさか空を飛ぶとかいう非科学的な作戦じゃないでしょうね」
「そうだよロン、いい加減に俺らにも作戦内容教えろよ!」
するとロンは半分ニヤッと笑って
「ソフィアさんの考えは半分正解半分外れ。」
正六角形のビルのある一辺に歩くとこういった。
「おい裡霊斗、ここから背中のソレをぶっ放してくれ」
ハア。軽く溜息をつくと背中の黒いバックから中身を取り出した。
「なにそれ……、狙撃銃?」
「『超遠距離ワイヤー電磁投射砲』……と言っても分からないだろうから、実際に見てもらうのが一番かな」
バックの中から取り出した部品を組み合わせると、長さが約二・五メートルというライフルを少し大きくした形のものが出来上がった。
ライフルと異なるのは大きさだけではない。その銃口の大きさが二〇センチあろうという大口を開けていた。
裡霊斗は銃らしき物体の台座を広げて屋上の端ぎりぎりに置く。
すると突然ソレは喋り出した。喋るというかは報告をしているようにも聞こえる。
『地の材質スキャンをします。……be scanning material ……be scanning material ……information complete. 材質、強化カーボン、建造番号〇九九九四六一一七NNBKERS三九八Z。これより反動緩和装置を設置します。アンカー着地目標点の距離を入力してください』
質問に対して裡霊斗はしゃがむとソレに映し出された液晶パネルに距離を入力する。
『入力が完了しました。誤入力防止のため、再度入力しますか。スキップしますか』
再度入力を済ませるとソレは最後にこう言った。
『注意、注意。これよりこの場に反動緩和装置を抑止レベル七で設置します。尚、半径四メートルへの進入を禁じます。』
キイイイイィィィィイイイイイイン。
かなり高いモスキート音並の音を出したかと思うと、
『三、二、一、』
そして
ズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアンズガアアアン!!
ほぼ同時に一二回、機械からは白煙と地面が砕けるような音が鳴り響いた。
煙が晴れてソフィアはその場で何が起こったのかようやく理解する。
先程の銃らしき物体が自動で地面に蜘蛛の足のような一二本の反し付の物体で固定されていたのだ。
「スゴッ! え、何コレ? ちょっ、裡霊斗今から何するつもり!?」
「だから、見ていてよ。すぐ分かるから」
言うと地面に伏せてプローンと呼ばれる狙撃姿勢に入る。そのまま右手をストックの所定位置に置き、トリガーに人差し指をかける。
光学標準器から覗いた学校はすぐ近くにあるように見えた。最も彼には視力三一四・五という望遠鏡も吃驚の能力が備わっているのだが、本人には気分的なものがあるらしい。
狙う先は彼らの通う校舎の屋上に突き出た非常階段の中、鉄骨が備わっている直径五〇センチほどの一本の柱。
ビルの高さ二・〇キロメートル、平面地図の於ける学校からの距離八キロメートルジャスト。この時代、中学二年生で習う三角比の公式斜辺の二乗=底辺の二乗×高さの二乗より、直線的弾道距離の二乗=八×八+二×二=六八キロメートル。
つまりは約八・三キロメートル先の標的に向かってこれから裡霊斗は何かをするつもりなのだ。
「弾速を三四・〇キロ毎秒にセットアップ、リチウム電池に充電開始。完了五秒前、三、二、一、」
カウント終了と同時に彼の細い人差し指はトリガーを引き絞る。
「ゼロ」
瞬間、銃口二〇センチから銃口と全く同じ大きさの弾丸らしきものが凄まじい摩擦音と共に発射された。
マッハ一〇、八〇〇口径から解き離れた弾丸は、その初速度を生み出すことによって発生する反動によって裡霊斗もろとも銃は後方へ吹き飛ばされそうとする。しかし予め地面に打ち込んでおいた、抑止レベル七の衝撃緩和装置によってその勢いは一二方向へ分散される。
一方反動の源である弾丸は人間の動体視力をもって捉えることの出来ない速度で、目標地点に吸い込まれるように突き刺さった。同時に直接柱に突き刺さった弾丸を本体とするならば、更に反しが付いたカーブを描く補助的な衝撃緩和装置に似た蜘蛛の足のようなものが四角い柱を取り囲むように余った三面の中、二面に突き刺さった。
仮に半端ではない化け物染みた動体視力を持ち合わせた人間が存在すれば、この現象はまるでビルの屋上から発生した電気が雷と化して、学校の屋上に突っ込んだように見受けられるだろう。
弾道を示すレーザーのような筋が消えると、そこには太さ一ミリあるか怪しい位細い紐が現れた。どうやら先程打ち出した弾丸らしきものには炭素繊維を用いた強化カーボンワイヤーが取り付けてあった。
「ねえ裡霊斗」
「待った、質問タイムは後にして欲しい。今はとにかく魔法でも使ったと思っておいて」
驚きのあまり質問攻めを食らうと予想したのか、ソフィアの言葉を遮ろうとする。が、
「早く行こうよ」
以外にも彼女の口から飛び出てきたセリフは冷静穏やかなものであった。普通これを初めて見たものは大体絶叫するか、顎が外れるか、ぎっくり腰になるか、何かかしらの反応を示すのだが……。
「オイ待ったアアアアアアアア!!」
突然叫び声を上げたのはソフィアではない。とあるぼろぼろのモブ生徒、遠藤末である。
「まさか今回の作戦ってそのワイヤーに滑車をつけて、そんでそれにぶら下がって行って来い的な奴かあああ!?」
恐怖に飲まれたモブは絶叫をあげる。
しかしそんな事にはおかまいなし、と言わんばかりに切永は平淡と告げる。
「だからどうした。理科の授業で滑車はやっただろう、エンドウ豆君」
「いやいやいやいや内容全然違うからね実践なんてやってねえし! て言うかエンドウ豆じゃなくて遠藤末。いい加減覚えろやああああ!!」
「じゃあ早速一番乗りで行ってもらおうかな。安心したまえ、この滑車は学校に近づいたら自動的に減速を始めるから」
「何で俺が一番なんだよああ待って待ってなんかお前力強い止めようか俺をワイヤーにぶら下げて何ニヤニヤしてんのちょちょちょちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「ああそうそう、緊急事態に備えて何時でも離脱できるように命綱はつけないからこのぶら下がっている電車のつり革から盗ってきた取っ手に摑まるだけでいいよ」
「ストオオオオオオッッッッッッッッッップ!! 今なんつった!? 命綱無しいいいい!?アンタいかれてんだろ常に異常事態のこの作戦において何で命綱無いんだよ」
とその時、
ピカッッッッゴロゴロゴロゴロ。
夜空の天気が崩れてきた。確かに今朝の天気予報では夜一一時半から再び雨が降るでしょうと言っていた気がする。
「あ、ほら天気崩れてきたよ。いやあ残念だなあ、でも雷に打たれたら危ないしなあ」
「安心しろ天気予報はチェック済みだ。こんな事もあろうかと雷で震えることのない連中ばかりを集めてきた。それにな、裡霊斗だって本当はこんな事したくなかったのに協力して来てくれたんだぞ。少しはお前も見習え」
「最後の方はガス銃ぶっ放してボッコボコにしてきたけどね」
「しょうがない、エンド豆にはいいお呪いを教えてやろう」
「『エンド豆』じゃなくて遠藤末。何なんだその『終りの豆』って。もうめんどいから苗字だけで呼んでくれ」
「一九六一年、米国とロシアが冷戦の中、代三五代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディーはこう語った、一九六〇年代中に人間を月に到達させる、と。その言葉通り、一九六九年七月二〇日アポロ一一号によってそれは実現された。その時人類初の月面に一歩を踏み出したバズ・オルドリンはこう言ったのだ。『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、二のBにとっては偉大な飛躍である』と。さあ言ってみろ、エンドよ」
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、二のBにとっては偉大うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
彼の絶叫は地獄のぶら下がり式安全レバー無きジェットコースターが下りを始めた合図であった。
二一世紀の人間から見れば壮大なリアルアクションゲームに挑んでいるように感じられるが、
科学の進化が止まることを知らない二二世紀末期ではこんなことは日常茶飯事なのだ。
とはいえさすがに中学生の命綱無し人間ロープウェイは日本ではまずないであろう。
「さあて、お次はどなたが行きますかな?」
完璧すぎるいたずら心満載の笑みを作ったロンは次なる犠牲者を生み出すべく、学校へ送り出す新人スパイに目をやる。
すると、
「じゃあ俺が行く。て言うか行かないとヤバいと思うよ、ここから見ただけで学校の校庭に七八基の監視カメラが置いてあったしその中で二六基は完全に視界に入っちゃっているから根こそぎ破壊しないとあと三分後には終の奴ホントに終わるよ」
「ああー、何でそれ言っちゃうかなあ。黙っていれば後から破壊してあいつの写った映像だけが、学校のセキュリティーシステム記録機に残って俺たちに容疑がかけられる可能性が少なくなったのに。はたまた下からスカートを穿いた女子たちの下からの映像がグボララララウとおおおおおえッ」
乙女の逆鱗に触れた切永のみぞおちにソフィアの力強い正拳が一発! 後方に七メートルふっ飛ばされた。
「ロン最低ー、乙女の敵! この獣」
「ソフィアさあん、そいつマジで脳内ピンク一色だからあんまり相手にしない方がいいよ」
「はいはいその辺にしておいて、それじゃあ俺は先に行ってカメラ破壊してくるから」
「でもどうせみんな同じつり革式移動でしょ。特に体重の軽い人は、風の抵抗を受けてスピードが出ないっていうのに今更どうやって追いつくのよ?」
確かにそうだ。これはジャンプスキーやスカイダイビングでもよく言われることなのだが、物体が大気中を移動する場合それがどんな物であっても体積のある物質である限り空気抵抗を受ける。空気抵抗は運動している物体の密度に比例する為、人間の場合は同じ滑車にぶら下がっている限り、どうやっても見た目小学五年生の女子(に近い男子)がモブの終に追いつくことはない。
同じ条件ならば決して。
「だから走るの、このワイヤーの上を」
「……どうやって?」
「だから普通に走って」
「……何処を?」
「このワイヤーの上を」
「……これが漫画の読みすぎで自意識過剰となりすぎた引きこもり少年の哀れな末路か」
「いや引きこもりになってないから、逆に去年は一応皆勤賞受賞しているし。もう埒明かないからもう行くよ」
するとソフィアがニヤニヤしながらやたら勝ち誇ったような目で裡霊斗を蔑むと
「一応腰につり革でも結んでおいたらあ? 足を滑らせたときに宙ぶらりんになって命は助かるよ、裡霊斗の腰が綱に引っ張られてぶら下がるとこ見てみたいね」
彼女のいやみをポジティブに受け取るような口調で
「心配してくれているの?」
「な!? あ、そ、そんな訳ないでしょ。別にそんな事微塵も」
さらに彼女の言葉を遮るように
「じゃあ一緒に行こうか?」
「へ?」
またもやソフィアをお姫様抱っこのように「よっと」と言いながら持ち上げると、そのままつり革を腰に付ける事無く太さ〇・五ミリの強化カーボンワイヤーに走り出す。
そして
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、……え?」
強風が吹く地上から二〇〇〇メートルの空に設置されたワイヤーの上を走り始めた。
「誰だっけ、速攻で宙ぶらりんなんて言ったのは?」
「……裡霊斗って何でもありの中学生ね。しかもこれ『走る』というより『滑る』に近いね」
「それがソフィアの感想ですか、もういいや。……おっとこんなちんたら走ってる場合じゃなかったね、さっさと抜かさないと。ちょーっと加速するからしっかり摑まってなよ、そらっ」
裡霊斗のワイヤーを踏む足にいつも以上の重みが加わった時、ソフィアの体重がぐんっ、と裡霊斗に引き付けられる。その加速の方法はまるでオリンピックスピードスケートの滑り方のようだった。
グングン速度を増して靴底から火花が散るようになった頃、ようやく前方五十メートルの位置に終が現れたが、そこはもう学校まで残り八〇〇メートルの地点だった。
「マズイね、このままだとあと二〇秒足らずで一つ目の監視カメラに。ソフィア」
「え、何? なんかするの?」
「必ず受け止めるから安心して、ちょっと飛んでもらう」
「え、は、何をって、キャアアアアアアアア」
ソフィアを高く前方に放り投げると閃光の如く、更なる急加速をする。
終の一〇メートル手前まで来ると、ポケットから何かを取り出してワイヤーを蹴る。
「金メッキ個体窒素型弾薬装填よし、目標数二六」
標的を確認した裡霊斗は、今度は今朝ソフィアの尾行から逃れるために使用した銃を取り出す。
トリガーを引くと、まるで宇宙船がレーザー光線を放ったような雷のような轟音が標的と全く同じ二六回鳴り響く。
但し銃口から出てきたのは対人捕獲用ネットではなく弾丸。それも鉛製ではなく、鋼鉄だった。恐らくはこ゚の銃も電磁投射砲なのだろう。
まるで体操選手のような動きで頭を下にした体勢で、百発百中総額七百万のカメラを再起不能にした。
その後、未だパニック状態に陥った絶叫モブ少年の終を抜かすと、滑り込むような形でワイヤー上に着地をして空から降ってきたソフィアを受け止め、見事学校の屋上に着地を決める。
「ふー、今回は結構ギリギリセーフだったかな」
一息つくとソフィアを降ろして屋上の上に立つ。
「ホントに八・三キロを一分かからず来ちゃったね」
もと来た幅〇・五ミリの道を振り返るソフィアはそんな事を呟く。
「まあ今俺らのやっている行為は今から二〇〇年前の時代の人から見たらとんでもない事らしいからね。あと一〇〇年したらもっと学校に侵入する方法ももっと夢のような発想に辿り着くだろうね」
「そうそう、あと一〇〇年経ったらな」
その声の主は切永ろん、出何処はアンカーが突き刺さった非常階段からかなり離れた屋上の端っこの方だった。
「おーい、ろん。さては能力ツカッタでしょ、……じゃなきゃつり革式移動でに摑まってこんなに早く屋上に来れる筈ないしね」
「だって重力だけじゃ遅すぎて全然面白くないんだもん」
「だからツカッタんだよ。八・三キロって結構長いしね」
今度は切永とは反対側の端からの別の声だった。
「いやいや、残りの人たち置いて来てどうするの、双児。これじゃあ何時まで経っても来ないよ」
「ダイジョーブ」
ニヤリと笑うと切永は右手を体の前に出すとパッと広げる。
「あいつ等はもうワイヤーに取り付けたつり革にガッツリ縛っておいたから。あとはツカウだけでここに来る」
言うが早いか突然ソフィアの目にはあり得ない現象が引き起こされたのを捉えた。
「何、その紫色の球体……何でそんなものが!?」
「あ、もしかして君の目にも見える? 初めて見たかなこれ?」
「……いや、何でロン君までそんなもの出せんのよ」
思いもよらない回答だった、但しここに居る三人以外ならばの話だ。
「久しぶりだねえ、こんな事」
「半年ぶりじゃね? 明宮が最後でしょ」
「まあだから今夜俺は渋々ながらもここに来たんだけどね」
亥裡霊斗、切永ろん、萩野双児の三人は互いに何か暗黙の了解をするかのように頷く。
「とりあえず残りの連中八人が来ちまうからこの話は後でってことで。いいかなソフィアさん?」
そして
「「「うおおおおおおおおおおおぎやああああああああああああああいやあああああああああああああああああああのああああああああああああああああ!!」」」
ド派手に八人の新人スパイは屋上に尻から着地を決めてきた。
「取りあえずどうにか全員生き延びえてますな、良かった良かった。心配したんだぞ、特に終」
「嘘付けえ! おまっ、人を散々な目にしといてその謝罪セリフの一番後ろに(笑)ってついてんぞ!」
「気にするな、別に俺はそんなこと全然気にしてないぞ」
「オイイイイイイそれタフな被害者が言うセリフだから! 何で加害者のロンがそんな事言えんだよ」
「とにかく、学校に進入したからには一刻も早く目的の物を発見し、脱出をしなきゃいけないね」
二人の言い合いにいい加減飽きてきたソフィアは仲裁に入った。
「さあて、それじゃあ俺の電子ロック開錠ボックスで開けてしまいますか。この学校は屋上の入り口まで施錠されているからな」
気を取り直した切永はドアに近づこうとする。
「何やってんの、ロン」
不意に裡霊斗が呼び止めた。
「何って、電子ロックの解除ですけど」
するとハア、と裡霊斗は切永の発言及び行動に呆れたように溜め息をつく。
「ロンはアホだね、この学校の屋上だけはホントに施錠されているんだよ」
「は?」
「だーかーらー」
未だに今の状況をまるで理解していない、ピンク一色少年の反応がじれったいかのように続きを言う。
「この扉は鋼鉄製南京錠っていう特殊な手動の鍵で閉める錠が取り付けられているんだよ」
南京錠。なんきんじょう。ナンキンジョウ。
久々にこの名詞を聞いた切永及びその他新人スパイ一同は、初め裡霊斗が口にしている言葉の意味が理解できなかった。
数秒の沈黙、そして
「……どうしましょうねえ。……あ、どなたかバズーカ砲持ってない?」
セリフは困っているが、表情はボケ顔の現実逃避に滑り込んだ切永が誕生した。
「しょうがない。どうやら一四年の時を経て身に付けた俺の『対アナログ式開錠テクニック』が役に立つ時が来たようだな」
得意げに満面の笑みを広げる萩野が救済の発言をした。一同はこんな奴に任せていいのかと一瞬戸惑うが更に、
「俺の親の仕事の都合上でな、よく手伝いしていたから分かるんだよ」
このセリフでみんなの決意が固まった。
「よし、俺の対電子ロック開錠テクニックは役に立たないからお前のその腕に掛ける。急いで開錠してくれ、時間があまりないからな」
急遽萩野は扉を開けるべく、各自持参で持ってきたウエストポーチから道具を取り出すと、開錠作業に取り掛かった。
「オッケー出来たよ」
僅か五秒の出来事であった。
「え、お前早すぎじゃね? 一体どうやって開けたんだよ」
あまりの開錠の早さに切永は恐る恐る扉の鍵に目をやる。
そこには
「おいおいおい。双児、君は究極の天然さんだっけか? この扉は電子ロック解除装置を使っても開かないって今裡霊斗が説明下ばかりだろうが。何だよこれ、見るからに俺の装置とほとんど同じじゃん」
ドアノブあたりに取り付けてあったのは『ピッ、ピッ、ピッ』と電子音を出しながら、黄色いランプに点滅を灯す四角い装置であった。
「こんなもん今は何の意味も無いんだよ。それよりなんか針金一本とピンセットないのか? あの二点セットが無いと、南京錠は破壊しない限り開かないんだよ。ったく、ピッピッピッピッうるさいなあ…………あれ?」
ここに来てようやく切永はある事に気付いた。
解除装置の電子音の間隔が狭くなっている事に。
ついでに言えばイエローランプの点滅する間隔も。
「何カリカリしてんだよ、ロン。俺の親から教わったから間違いないって。必ず開くからさ」
「…………そういえばお前の親ってどこの何屋ちゃんだっけ? 鍵屋さんだよねそうだよねうんきっとそうに違いない」
「……何だよ、話してなかったっけ? 花火師だよ花火師。もう日本では最後の一人って言われているけどな、何せ国際化が進んだせいでほとんどの伝統文化が消えかかっているし」
萩野のさりげない爆弾発言によって屋上には再び沈黙の天使が舞い降りる。そして彼らは振り返った。恐る、恐る、ゆっくり、ゆっくり、首を、回して、ドアに目をやる。
『ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ』
誰がどう聞いても音の間隔及びランプ点滅の間隔がより一層短くなったのが感じられる。
まるで『いい加減に起きなさいもう鳴らし始めて五分経ちますよ』と言っている目覚まし時計のようだ。
まるで『これ以上近づくんじゃねえ近づいたらぶっ殺すぞ』とカラスの巣に近づく無邪気な子供に親鳥がけたたましくないているかのようだ。
まるで『もすぐ時間ですよ』と報告をする
「「「爆弾じゃねえかあああああああああああああああああ!!」」」
我が身に迫る危険を悟ったスパイ少年らは、爆発の際に発生する爆風から少しでも遠くに逃れるべく、全力疾走で屋上の端へと向かう。
『ピピピピピ――――――――――――――――――――――――――』
「伏せろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
明らかに今までとは異なる長音を発した装置から、対テロ特殊部隊が登場するドラマでも思い出したのか、全員がモブキャラ終の叫び声とともにプロ野球界に匹敵する見事なヘッドスライディングを決める。
そして、
ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!
凄まじい爆発音と共に屋上の強固な扉どころか下のフロアに繫がる階段まで木端微塵に吹き飛ぶ。
というような、未だ地面にガクブル状態に震えている男女八人の想像とは違い、
ボッフン。
かなり小規模な、それこそギリギリ南京錠とドアの留め金が外れる程度の破裂音と少量の白煙が発生した。
「……あり? 階段の破片は?」
見事に期待を(期待などしていなかったが)裏切られた終はゆっくりと顔を、そしてうつ伏せの体を起こす。
「バカだねえ、双児がそんなアホみたいに大量の火薬を詰め込んだ爆弾を持って来る訳ないでしょ。うっかりワイヤーにぶら下がっているときに暴発でもしたらどうすんの」
「ホントに男子って情けない人ばっかりね」
「ほら、茶番はお終いにしてさっさと行くよ」
爆発の規模を見抜いていた裡霊斗、ソフィア、萩野、切永はこじ開けられた闇の広がる真っ黒の入り口からさっさと中に消えていった。
『ちゃんと指定された二人一組でそれぞれのルートから行くんだぞ』
ここからはイヤホンから聞こえる切永の音声変換機によって作られた人工的な声の指示を頼りに進入が開始される。
進入の際、切永はこう言い放った。
『我々は「侵入」をするのではない。月曜日という未来を創るために「進入」するのだ』
かっこいい事を言っているように聞こえるが、傍から見れば彼らは『侵入』をしている事に変わりない。
5
屋上の鋼鉄製南京錠を扉もろとも破壊してから一〇分弱、裡霊斗&ソフィアのペアは六階と七階の間を通る換気口の中を、四つん這いになってゆっくり前進していた。
「ねえ、裡霊斗君がさっきマンションの屋上から学校に向かって撃ったライフルみたいなワイヤー銃って、基本的な仕組みはElectro Magnetic Launcherから、電磁投射砲から用いたものなんだよね?」
突然、二〇メートルほど進んだところでソフィアは少し前を行く裡霊斗に尋ねる。換気口の幅は六〇センチ。人が二人並んで進めばつっかえてしまいそうな狭さだった。
「ん、まあね。それにしてもよくあんな時代遅れの銃なんて知ってるね」
「それはまあ、あまりにも効率の悪い電力を消費するからって事で、今は原子力銃がレギュラーになっているからね。向こうの、イギリスの友達に銃マニアがいてね、その人から知識を得たんだけど」
「なるほど、今イギリスで若い世代の女子の間では、銃ブームが起きているという噂は本当だったんだ」
裡霊斗が小耳に挟んだ自分の情報を正しいものと判断していると、
「それより何であんな遠いところからアンカーが学校の柱に当たるわけ? ただでさえ後ろから伸びているワイヤーで弾道がブレやすくなっているのに」
「そりゃあ、ソフィアだって練習すればすぐに出来るようになるよ」
「バカ言わないで。一体どうやって八・三キロ先の標的にヒットさせるのよ。 そんなスナイパーは世界でも数少ないの」
「うーん、でも科学が発展して更に性能の良い銃が開発されたら一〇キロ位までなら延長されると思うよ。そんな事よりもよく直線弾道距離が八・三キロだなんて計算出来たね」
するとソフィアはムスーッと、少し怒ったような瞳を見せて
「……バカにしてるでしょ、私は先月まで世界最古に誕生したといわれているオックスフォード大学で大学生としてイギリスに住んでいたの。そんな私が日本の中学二年中期で習う三角関数の基本式を知らない訳ないでしょ」
「はいはいそうでしたね、わずか一〇歳にしてイギリス名門大学に一発入学、その後たったの半年で成績トップの座に就き、平均点が一〇〇点満点中一点の全国学力模試で偏差値九九を記録した天才少女が知らない訳無いね」
厭味ったらしく情報を並べると
「ちょっと、何でそんな事知ってんのよ!? 同級生にも秘密にしていた事なのに」
「同級生って……どうせ多くても一四、五人位しかいなかったでしょ。あそこの大学は『倫理的な思考を持つことが出来る人間』を育成させることを目標としているから」
「だから何でそんな詳しい事を知っているの? ……あ。はっはーん、もしかして私に興味でも湧いたの?」
「女子に興味がどうのこうのっていうのはロンが専門だね。あいつは転校してきた女子を他学年だろうがとことん調べる癖があるから」
「うわっ、気持ち悪ッ! て言うか後で殺しとかなきゃ」
次にロンとこの子が再会したら一体どうなっちゃうんだろ? という考えは今は取りあえず胸の中にしまっておくことにし、チラリと後ろを振り返る。
すると彼女はズンズント前進速度を上げてきた。察するにロンへの怒りが充満し、矛先を向ける場所がないために本人の無意識のうちに力となって表れたのだろう。
更に前進スピードをあげて裡霊斗を抜かそうとしたその時、
「あ、待って。その先結構急な坂道に」
「はれ?」
注意を促そうとしたまさにその時、一瞬早く前に飛び出したソフィアは匍匐前進中の上半身が軽くなったことに気付いた。が、もう遅い。体の重心は一直線に下り方向へ斜め三〇度を維持して滑り出した。
「そりゃあ!!」
ガックン。
とっさに裡霊斗の出した左手が彼女の前進、全身を急停止させる。もしちゃんとしたところを掴んでいたらの話だが。
例えばソフィアの穿いている黒いショートパンツのゴムの部分はいかがだろうか。
掴みやすいし見事に急停止! ……したのは黒いショートパンツだけでしたハイ。
慣性の法則。それは運動している物体が運動を止めようとすると、急にはその運動を止める事は出来ず、そのまま少しの間運動を続けるというものである。例えるならば道路に飛び出したモブキャラ終に、走っている車が気づいて急ブレーキをするがすぐには止まれず、そのまま跳ね飛ばしてしまうという現象が手っ取り早いだろう。
とにかくその慣性の法則がはたらいた為にズルズルと脱げてしまい、そのまま膝の辺りまでずり下がってようやく体が止まった。
この時点で健全なる日本人女子ならば「いやーんエッチー」と凄まじい往復ビンタがセットで飛んでくるところだが、
「あらまあ、裡霊斗って随分と大胆だね」
さすが帰国子女、全く物怖じすることなく後ろを振り返る。
と。
しかし密室換気口ハプニングはこれだけでは終わらなかった。
この時ソフィアは自分の腰より下が必要以上に涼しいことに違和感を覚える。ふとそちらに目をやると、
なんと裡霊斗の手が掴んでいたものはショートパンツだけでなく、下着の直パンツまでもがお得セットとして付属していたのだ。ここで一四歳の少女のお尻が異性の前で外気にさらされた。顔面三〇センチ前で丸出しとなった。
さすがの帰国子女もにこやかにこう囁く。
「良かったね、人生のラストにいいもの見せてもらえて」
「え、え、え、何怒ってんの? ちょっ、目が殺気立ってますよ。何を静かにズボン穿き直してあだだだだだだだだだ痛い痛いホントにやめてええででえええええええええええぎゃああああああそんなに暴れたら音声認識防犯装置がああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!」
どうせ先程脱衣所で見たばかりなのだから今更ではあるのだが、体勢が悪いらしい。
「いい加減にその手を放せやあああああああああああああああああああああああああああ!!」
害的性行為から純潔を守るべく、乙女の防犯措置がドッキリビックリハプニングを引き起こした犯人に作動した。
『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
「……何やってんだ裡霊斗の奴」
イヤホン越しに繫がりっぱなしの音声変換機がオンに設定されたソフィアと裡霊斗の携帯からの声を聴いていた萩野は半ば呆れ気味にため息をつく。
「そりゃアレでしょ。思春期の男女が同じ密室で一緒になると発生するっていうイチャイチャプレイドキドキムフフフイベント。イヤホンからの声を察するに、こりゃあ片想いだな」
何の事だかよく解らないが、切永のピンク一色顔に萩野が再びイヤホンのスイッチを入れて裡霊斗と接続する。
「イイイイヤアアアああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
尚も絶叫が聴こえてくる。
「……随分と激しいイチャプレイベントだな」
三章 さて、最終段落へ移行しようか
1
帰り道、新人スパイらと別れて少人数で帰宅という最後の作戦を実行中。
その中の一つ、裡霊斗、ソフィア、切永、萩野、そして途中で合流した明宮のグループはバベル・オブザ・タワーから一キロほど離れた街中を歩いていた。
「いやー、なんか脱出の方は呆気なかったなあ。まさかああも簡単に防犯システム管理室に入れるとはねえ」
「堂々と正門から出られたもんね」
裡霊斗と切永がそんな話をしていると、少し後ろを行く明宮がふとソフィアのおかしな様子に気付く。
「どうかしたのソフィアさん。なんか顔真っ赤だけど、熱でもあるの?」
「いえ、そうじゃなくて。ちょっと……て言うかかなりのアクシデントが発生しまして」
「アクシデントってまさか学校の防犯装置にでも引っかかったんじゃ」
「違う違う、そうじゃないんだよねえ」
前方をいく切永が割って出た。
「学校じゃなくて裡霊斗が乙女の防犯装置に引っかかったんだよ」
「「……どういう事?」」
明宮と裡霊斗が不思議そうに質問する。その様子を見ていた萩野が呆れて
「……何で裡霊斗まで疑問形なんだよ。お前が元凶だっていうのに」
いうものの、中学二年生になったというにも関わらず、未だ思春期を迎えず男子としての覚醒をしていない鈍感少年は事の次第を全く分かっていない。
さすがに切永も呆れて
「裡霊斗、お前はさっき換気口の中でどんな出来事が起こったか覚えているか?」
「頬に大量の真っ赤なモミジと何本かの頭髪を失ったね」
「そう、その通りだ。じゃあお前は何故そんな目に遭った?」
「……それはソフィアが謎のお怒りモードへの移行を開始したからでしょ」
いつまで経っても切永の伝えたい事に繫がらないため、呆れというよりイライラが積もりはじめた。
「だーかーらー、何で裡霊斗はソフィアからそんな攻撃を受けたのかって言ってんだよ」
どうだ、これでようやく全てがつながっただろう! と、切永は満足気な顔をするが、
「なんで打たれたんだろ」
けろりと今まで切永が積み重ねて来たものをいとも簡単に崩した。
ついでに切永の満足気な顔も崩した。
「なんで」
その時、ソフィアはゆっくりと口を開いた。
「何で裡霊斗は自分の罪深さに気付けないのかなあああああああああアアアアアア!!」
半分ほど理性の飛んだ被害者である少女は再び裡霊斗に飛びかかる。
「なっ!? 何で、何怒ってんの。ちょっ、危ない」
全身を駆使して全力で襲い掛かるがここは歩道、先程の逃げ場のない狭い密室とは違って次々と迫りくる攻撃をかわすと、両手をパシッと掴んで動きを制する。
「ちょっと、普通ここは私に素直にぶん殴られてよ。私が被害者なんだから」
「生憎俺はマゾヒストじゃ無いんで素直に殴られるという考えはないよ。ていうか俺がソフィアに何したっていうの?」
「な、何って……それは」
急に口ごもるソフィアを見ていた切永はニヤニヤしながら、
「ソフィアさーん、裡霊斗はマジでそっち方面の情報に疎いから、はっきり言わないと一生理解してくれないよー」
「そっち方面がどっち方面なのかよく分からないけどホントに何でソフィアが怒っているのか解らないんだけど」
ここにきてとうとうソフィアは吹っ切れた。
「だ、か、ら。裡霊斗が私のお尻とセットで生殖器見た事だってばあああああああああ!!」
よく言えましたー、さあ裡霊斗君君もこれを機にサッサと謝ってしまいましょうという切永の考えは打ち砕かれ、
「ああー、そのことね。大丈夫だよ、パンツは見てないから」
…………………………………………………………………………裡霊斗君、君ってもしかして究極のおバカさんですか?
その場にいた男女三名は凍り付いた。
彼の発言は爆弾物だが中身は液体窒素並みの凍結物だった。
「死イイイイねエエエエエエエエエエエエエエ!!」
この日一番ともいえる最大級の正拳『対性的言語鈍感男子死亡確定率一〇〇%越東京都青少年健全育成法拳』が油断していた裡霊斗のこめかみに炸裂した。
「まあ、あれだな。ロンのように何でもかんでも知っているのも困るけど、何一つ知らない純粋潔白っていうのも考えもんだな」
萩野がそんな感想をこぼした時だった、
「「「 !? 」」」
ソレ、は突然やってきた。
「おいみんな、急ぐぞ。ちょっとこれはマズイ状況になった」
ソフィアの打撃攻撃から復活した裡霊斗は何やら真剣な顔をして残り二〇〇メートルというバベル・オブザ・タワーへ繋がる大通りを全力で走り始めた。
「いいか、ソフィアさんは今回初めてだろうから見ているだけで良い。下手に手出しをして死んでしまっては元も子もないからな」
切永はそう言うと裡霊斗に続くように走り始める。
「ほら、摑まって」
何が起こったのか全く理解できずに戸惑うソフィアの手を引いたのは明宮だった。
「いい? よく聞いて、そして理解して。今からとんでもない物理の法則を無視したような現象を目の当たりにするけど、決して現実から目を逸らさないで。そしていずれは自分のモノにしてね」
そう言うとソフィアを引くその手は鷹の飛行速度も超える速さで前進を開始した。
2
「何とか間に合ったかな」
第二七二階層、居住区フロアの最上階に辿り着いた裡霊斗は、第三寮の建っている森の中に立っていた。
ホッと安堵の表情をすると
「いやあ間に合ったね、でも何だかいつもより少し早いな。それにここ数か月奴らの強さが格段に上がっているし、こりゃあ近々何かデッカイことが起こる気がするぞ」
少し遅れて切永が到着した。
彼らは言いながらウエストポーチに手を伸ばす。
「念の為、もう構えておいた方が良……!!」
裡霊斗が何かを言おうとしたとき、二人は瞬時にその場を跳び上がって高さ一〇メートル程の所に突き出た木の枝を掴む。
ズザズン!
と。
一瞬遅れて彼らが今の今まで立っていた地面に異変が見られた。
綺麗に切り取られたかのような直径三〇センチの穴が不自然にもポッカリと現れたのだ。
バッ、と裡霊斗が頭上に目を向けると、
「高度三〇フィートを維持して」
切永に向かって叫んだ。
「全力で跳べ!!」
言うと同時に枝から離れると、二人は空中に躍り出た。
直後に
ズザンッザンッザンッザンッザンッザンッザンッザンッ!!
再び今の今まで二人のぶら下がっていた枝を中心に、木に無数の穴が反対側まで空いた。
空中に飛び出すと切永は自分の進路方向に学校の屋上で手中から出した紫色の球体を前方に
放り出す。
するとその物質に引き込まれるかのように切永が空を前進した。そのスピードが尋常ではな
い。戦闘機が加速していくかのような早さで速度を上げると次の木に飛び移る。
直前、紫の球体はぶつかる寸前でタイミング良く消滅した。
まるで切永が隣の木に飛び移る為だけに引き寄せたかのように。
一方、裡霊斗は何かを見つめて何かが来るかのを解っていたかのような動作で、
ズドンッ、と。
摑まっていた枝を軸に背後の木を右足で蹴る。
切永とは違って何かを繰り出すことの無いまま隣の、更に隣の木まで直線軌道で反動を駆使して飛び移った。
そのあまりの速さに摑まっていた木の枝はへし折れ、足で蹴った木の一部を中心に半径三〇センチ、深さ一〇センチのクレーターのようなものが出来てしまった。
注ぎん瞬間、ほぼ同時にやはり切永と同様、背後の木にいくつもの丸い穴が空いた。
その様子を確認するかのように一瞬目をやると、彼らは次なる木に飛び移った。
「……至近距離からだね」
木から木へモモンガの如く飛び移りながら声を出す。
「多分な。今回の相手は恐らく重力系統だろう。光の屈折を利用して姿を消してやがる。しかも『敵』は無機質機械野郎ときやがったから、こりゃあ捉えて潰すのは相当骨がいるな」
「後味が悪くないっていう点で全力を振舞えるけどね」
会話を終えると二人は頷いて、二方向に別れる。
彼らの言う『敵』とやらが標的に定めたのは切永だった。その証拠に彼の通り過ぎた木に次ぐから次へと例の穴が空いていく。
「さてと」
まるで獲物を狩る鷹のように
「今回はどうやって潰すかな」
顔は口が耳まで裂けるかのように笑っていたが、その口から出る言葉は全く笑っていなかった。見えない『敵』に全身の神経を集中させている様だ。
そのまま集中を途切れさせる事無く次の紫物質を手から出すと、
後方に撃ち出した。
投げたのではない。手から出す、という仕草は今まで通りだが、その後それを手首や肘を動かさずに放したのだ。それも野球のピッチャーが投げるスピードを遙かに上回る速さで。
すると意外にも見えない『敵』は、それに当たった。いとも簡単に。
それまで姿を隠していた『敵』の全貌がほんの僅かな間だけ明らかとなる。
銀色の球体だった。直径は二〇センチ、金属製のようだった。
ふと切永はその正体に気付いた。
「何だ、こりゃ。『スルト』なのか」
それは今や世界の九割の電力の源と言ってもいいエネルギー変換率九八%発電機、世紀の大発明『スルト』であった。
ズオン! と妙な音を立てると一瞬にして紫物質の中へ吸い込まれるように消えてしまったが、彼の目が『敵』の正体を捉えるのには十分な時間であった。
「またしてもわけが分からないが。……取り敢えず一件落着かな」
タン、と地面に綺麗な着地を決めると
「今回は挟み撃ち作戦要らなかったかなあ」
裡霊斗が居るであろう方向へ走り始める。
するとそちらから、萩野が手を振りながら走ってきた。
「終わったか」
「ああ。今回の敵はやけに弱かったからな」
切永の呼吸が落ち着いてきた。
「妙だな、ここ数か月の敵は一段と強く賢く攻めてきたようだったけど」
萩野の表情が曇る。
「ただ唯一、攻撃力だけは格段に上がっていた。はっきり言ってアレに当たったら場所によっては確実に死ぬな」
「どんな攻撃だったんだ?」
「重力系統のもんだ。恐らくは超小型重力波加速器を搭載していた無機質機械だろうな」
「重力波をぶっ飛ばしてきたのか」
萩野は歯噛みした。
「重力波が当たったところは綺麗さっぱり切り取られたみたいに無くなっちまったしな」
そうそう、そこらじゅうに穴が空いていると思うぞ。などと切永が近くの穴だらけになった木を指さした。
と。
突然その方向から裡霊斗の叫び声が聞こえてきた。
「避けろおおおおおお!!」
切永と萩野は初め、何がなんだか解らなかった。
裡霊斗の叫び声に対して、ではない。
その直後に起こった体のバランスが崩れたことにである。
何やら切永の左半身、萩野の右半身からバチャバチャと音が聞こえる。
ふと、さり気なく何気なく、そちらに目をやる。すると本来ならば彼らの体にある哺乳類の前肢にあたるものが消えていた。
すなわち腕である。
代わりにそこから、その断面からは真っ赤な液体が大量に吹き出ていた。
ドサリ、ドサリ。と後ろで何かが落ちる音が聞こえた。それは切り落とされた二人の左腕が地面に落ちた音だった。
「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
次に叫び声を上げたのは切永だった。
が、すぐにその場に倒れて声を出すのを止める。
一瞬の激痛が彼を襲い、そして眠気に襲われたのだ。
「……何しやがる」
二〇メートル離れたところから呆然とただただ切永が倒れていく様子を見ていた裡霊斗はポツリと呟いた。
「……何でこんな事をするんだ」
二〇メートル離れたところから呆然とただただ萩野が倒れていく様子を見ていた裡霊斗はポツリと呟いた。
指先一つ動かさずに口だけを開いて呟いた。
「テメエらあアア! 何てことをしやがんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
自我を失い、怒りと殺気の塊が地面を勢いよく蹴り上げる。
ドンッ! と、再び反動のクレーターが現れると同時に。
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ!!
それまで光の屈折を利用して隠れていた何千体もの銀色の球体『スルト』が姿を現した。
てっきり『敵』は一体だけしかいないと思い込んでいた切永や萩野が攻撃を受けた理由はこれだったのだ。
「潰すぞ、テメエらは絶対に潰す! そんでいずれはテメエらをここに繰り出した黒幕を」
唯一、『冷静さ』を欠いていない怒りと殺気の塊は静かに、
「原型残らず」
力のこもった声で、
「分子余さず」
威厳ある声で、
「原子残さず」
揺ぎ無い声で、
「素粒子含めて」
ゆっくりと、ゆっくりと、
「この世から一辺も残さず」
殺意を込めて。
人間が想う感情を、創造を超えた声で。
静かに言い放つ。
「――――――ブち殺SU――――――」
たった一つの拳一撃で半分を砕いた。
五〇〇〇体はいたであろう中から、その半分以上を言葉通り、己の右腕、固く握りしめた右手で潰した。
それに対して『敵』もやられっ放しで終わらんと言わんばかりに『切り取る重力波攻撃』を繰り出す。
余った『スルト』だけでも二〇〇〇体を優に超える数が存在していた。それらが全て同時に例の攻撃を放つ。
つまり、裡霊斗はこの瞬間、それが人間であるならば絶対に回避できない状況に見舞われた。
しかし彼は。
三六〇度、逃げ場のない中再び地面を蹴る。そして。
消えた。
人間という生き物が立ち入ることの出来ない領域に入った者のような、その位の速さで。
移動した、というより消えたが正しい表現方向ではないかと思いたくなる、速さも速度も無いそんな事をやってのけた。
音速の領域をも凌駕したそれは、そんな中で言い放つ。
【黒幕、調子に乗るなよ、君はヒトの命を何だと思っている。どう足掻いても、君の運命はもう決まっているというのに。神を望んで何になるというのか】
口の利き方が変わっていた。
【掃除の時間だ。盗聴器越しにでも、カメラ越しでも見ているがいい】
人格が変わった、二〇〇〇の攻撃をかわした、最早人間を、生物を、超越した存在は。
【どれ。この世界が耐えられるか。耐えられるならば、コレを使おうかな】
日本語で『手』と呼ばれる部位を振りかざし、『何か』をコイン手品のように一瞬で四次元世界に『降ろした』。
【……全く。難点は、うっかりコレで世界を、宇宙を、四次元を。消さないようにすることだな】
この時、彼は。裡霊斗の体を乗っ取った何かはものを喋っていなかった。
まるで大地と共鳴し合うかのように。
大地がものを言うかのように。
鳴り響いた瞬間。一つの存在は巧みにリンクした人体を操って、ソレを振った。
但し。その振り方は言葉では表現できないような振り方だった。
縦横高さの無い〇次元世界で縦に振るように。
横と高さの無い一次元世界で横に振るように。
奥行の無い二次元世界で奥に突き刺すように。
『 』の無い三次元世界で『 』に『 』するように。
そして。
ソレは、たったの一振りで全ての『スルト』を跡形も残らず消し去った。
崩れる音など聞こえない。砕けた部品の落ちる音など聞こえない。
「やはりこの体は、力の開放限界度が他の個体と比べて遙かに大きいな」
裡霊斗の姿をした、裡霊斗を借りたソレはそう言って切永達の元へ歩み寄って行った。
3
⦅……ここは、どこなのだろう? 視界が真っ暗で何も見えない、それに、俺は、浮いているのか? 変な気分だ⦆
〖そうだろう。しかし誇りに思うがよい。現人間を立ち入らせたのはお前が初めてだ〗
⦅……現人間? ここはどこ?⦆
〖ここか? そういえば名前など創ったことが無かったな。ではお前の創造に任せるとしようかな〗
⦅馬鹿馬鹿しい。て言うかあんた誰なの?⦆
〖私か? 人間相手に名乗るのは初めてなのだが、気になるか?〗
⦅……別にいいよ。じゃあ代わりに履歴でも言ってくれるかな⦆
〖なかなか面白いことを言うな。強いて言うならば私の役目は、『人間を惑わせた蛇と楽園とケルビムを見守る』事だな〗
⦅……あんたは人をなめているのかな? それじゃあまるで⦆
〖『大天使ガブリエル』。とでも言うのかな〗
⦅ふうん⦆
〖おや、いきなり出会って名乗られてもう納得したのか〗
⦅ううん、やけにリアルな夢を見ているなあと思ってね⦆
〖そうか。やはり信じてはくれないか〗
⦅当たり前でしょ。こんな自己紹介で信じるなんて、飴ちゃん一個で誘拐されるようなものだよ⦆
〖それにしても、お前は本当に男か女かよく解らない話し方をするな。さすがは『神の創造から外れた物質』だな〗
⦅何のことを言っているの? そんな事よりその大天使ガブリエルさんが何の用かな⦆
〖『切永ロン』『萩野双児』、これらの個体がたった今死亡した〗
⦅……そうだ。早く目を覚まして助けなきゃ⦆
〖だからもう死んだと、過去形で言っているだろう〗
⦅何なんだよアンタ、夢のくせに何を語っていやがる。これは悪夢か⦆
〖あと0秒は君が目を覚ますことは無い〗
⦅何言ってんの。どういうことだ? ……そうか、止めたのか⦆
〖そうだ。時の神『クロノス』に言うてな〗
⦅止めて、どうするんだ⦆
〖君の仲間を復活をさせる〗
⦅ははは、あんたはキリスト教信者か⦆
〖信者ではなく、正しくはキリスト教の一部なのだがな〗
⦅まあいいよ、あんたが大天使ガブリエルって言い張るのは自由だ。そんでこの世界にやって来たのはいいとして。何故ここへ来たのか理由を知りたいね⦆
〖神の定めに従わぬ者がもう一人現れ、動き出したから。かな〗
⦅もう一人? 今回の黒幕の事!?⦆
〖そうだ。人間の分際で神に近づこうとして、神の怒りを買いし者だ〗
⦅……もう一人ってことは、つまり、元々あんたの言う神とやらに逆らっている者がいるんだな⦆
〖知りたいか。その人物の事を最もよく知っているのは君だよ〗
⦅マジですかい。あ、何となく分かっちゃった⦆
〖そうだよ、君だよ。お前の存在。未だ神にも解らぬ、果たしてお前の何が解らないのかすら解らないほど謎めいているのだよ〗
⦅どうもおかしな夢を見ているみたいだね。早く目を覚まさなければいけないんだけど⦆
〖まあそう焦るな。彼らは今、このゼロの狭間で世界と共に創り直されているところだ。もう少々時間が掛かる〗
⦅そう、それなら訊きたい事がある⦆
〖神の掟に背かぬモノならば答えよう〗
⦅さっき、俺が二三五三体の『スルト』を破壊した後、誰かが俺の体を乗っ取ったでしょ⦆
〖気づいていたか。というかよく憶えているな。完全に意識を乗っ取ったと言っていたのに〗
⦅戦い慣れしている天使だったなあ⦆
〖凄いな。君はそこまで判別していたのか〗
⦅アレを日本ではこう呼ぶんでしょ。『神のごとき者は誰か』⦆
〖強かったであろう。君も力を引き出せばあれぐらいまで動けるのだぞ〗
⦅……大天使ミカエル、ねえ。そんな想像の産物と名前を信じろって言うの⦆
〖その名は今から二〇〇〇年ほど前に私が直々にとある人間に教えたものだ。厳密には想像や空想の産物ではない。ところで体を乗っ取られた気分はどうだった〗
⦅さあね。何だか自分を客観的に見た気分かな。けどね、ミカエルっていうのは人間の祈りや懇願に司る天使なんだよ。そんな奴が祈ってもいない俺に、俺の体に次入ろうとしたら潰してやるよ。それこそ堕天使ルシフェルと同じ運命にしてやるかな⦆
〖何故だ? 先刻お前自身を救った命の恩人だぞ。何故そのような不快感を持つ〗
⦅命の恩人だからどうした。命が危うくなったらすぐ助けるのか。そんな甘い考えを持っている奴が何で俺を助けた⦆
〖助けたと言うよりは修正した、が正しいがな〗
⦅切永とか、萩野とか。何であいつらを助けなかったんだよ⦆
〖だから救済ではなく修正だと言って〗
⦅神は不器用だな。それに完全ではないな⦆
〖お前たちの神が神であることを否定するのか〗
⦅というよりは『神=完全』を否定する。現に俺たち人間は完全なる存在ではない⦆
〖?〗
⦅完全ではない完全もどきに完全全能を創り出すことは不可能だし、一方で完全全能なる存在に不完全を創り出すことは絶対に不可能なんだよ⦆
〖……面白い発想だな。では君は何だ。神によって創られたわけでもなければ神でもない者だ。まして悪魔でもない君は客観的に自分を見て、観て、診て、視て、看て、どう感じた〗
⦅創造者の創造者に創られた神々や天使の試作品、或いは失敗作。ひょっとすると新型かもしれないな⦆
〖面白い。本当に面白い。君に興味が湧いたよ。大天使としてもだがガブリエルとしてもな〗
⦅ああ、そうかい⦆
〖では最後に我々が名付けた君の名前を告げておこうか〗
⦅いえ、どうでもいいので早く帰ってください。そして俺を戻してください⦆
〖『少年少女』。由来はその性別不明な容姿からだ〗
⦅全くもってどうでもいいことなので帰って下さい⦆
〖そうか、それではまた明日会おう。亥裡霊斗君……いや、少年少女〗
⦅ああ、また明日…………なぬう!?⦆
四章 情報
1
目が覚めると朝だった。
裡霊斗の住むバベル・オブザ・タワーには各フロアの天井に一つの巨大な明かりが設置されていて、朝昼夕晩で明かりの強さが変化するようなプログラムが、最上階の制御システムに委ねられている。
電子カレンダーによれば二一九五年四月二五日土曜日午前六時三〇分。裡霊斗の休日にしては少し早い朝だ。
彼が一時間前まで眠っていたベッドの上には、居候のソフィアがスースー寝息をたててグッスリとお休みしている。
「……なんか壮大な夢だったなあ」
別に誰かに言ったわけでもなく、独りぼそりと口にしてみた。
隣ではスヤスヤと寝息を立ててソフィアが気持ちよさそうに眠っていた。
昨日ベッドの下に布団を敷くからそこで寝なさいと言ったばかりなのに。おそらく夜中に寝ぼけて上に這い上がってきたのだろう。布団慣れしていない西洋人らしいと言えば西洋人らしいのだが(それ以前にこの時代敷布団を使う日本人などいない)。
「おーい、起きなさい。そして自分の布団に、て言うか部屋に戻りなさい」
手のひらを寝顔にぺちぺち当てると、
「……んー? んにゃ……、スカー」
一度体をもぞもぞさせたと思ったら、すぐさま停止してしまい、再び寝てしまった。
たまらず叫ぶ。
「何寝てるのおおオオオオオオオオ!! 起きなさい目を覚まそう朝だよグッドモーニング!」
部屋の主が懸命に居候を起こそうとするが、全く反応せず。
「……しゅ……」
と、ここで。ようやく彼女が重々しい口を開いた。
ここぞといわんばかりに裡霊斗も起床に向けて少し声を荒げて
「しゅ!? 『しゅ』って何? 何が言いたいのかなあ? もっと大きな声ではっきりと! ほら部屋の主に言ってごらんなさい」
「……しゅ、春眠暁を覚えず……むにゃ」
ピシャーン!!
この時、明らかに裡霊斗の背後に精神的な冷たい雷が一筋の光の帯を造りだした。
堪えられなくなったベッドの主は「そりゃあ!」と、八畳という中学二年生にしては少し広
めの一人部屋で寝床を台座ごと上下反対に一八〇度回転させた。
「………………………………………………お、起きろおおおおオオオオオオおおおおおおおお
おおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオ!!」
これにはさすがの「春眠暁を覚えず」を語る少女も、
「むおっ!! なななな、な、な!? 何をするのだ! 人をベッドの下敷きにして何を呑気にそこに突っ立ているの!? 苦しいなあ!! この布団の塊を退かしてもらえるといいなあ」
「喧しい!! それはこっちのセリフ! 人様の寝床に忍び込んで何を呑気にスヤスヤお眠りタイムに突入してんの!?」
「いや、確かにそれは悪かったと思っているけどさ……、取りあえず今は私を押しつぶさんと言わんばかりに圧し掛かってくるベッドを除けてくれると嬉しいな」
「知らん!! 全イギリス何チャラカンチャラチャンピオンなら自力で這い出してきなさい! そしてさっさと部屋から出て行って帰って下さい!!」
言うや否や部屋の扉を乱暴に開け閉めして出て行ってしまった。廊下からはプンスカ怒り気味の少年の足音が聞こえてきた。
そこで一人部屋に取り残された少女は我に返る。
「……あれ? もしかして私って完全に放置? 放置プレイ? 待って! このベッドホントに重いんだってば! 助けてくださーい……、おーい! ヘルプミイイイイイイイイイイイ!!」
2
朝の騒動が終わってから三〇分後、リビングでは二人が昨晩の夕食と同じ配置で朝食を摂っていた。
裡霊斗は自炊した味噌汁を口に運んでいく。一方、反対側のソフィアは『レミエルによって創られたオトナのふりかけ』という謎の名称の、毒々しい地雷臭満載物質を白米の上にかけていた。その白いご飯の上に紫と黒と緑の塊が盛り付けられた光景は、誰がどう見ても「あーあ、何でまたよりにもよってそんな勿体ない事しちゃうかなあ」と、呆れてしまうものだ。
……はっきり言って、なんかもう中身の壊滅加減は絶対級で、それどころか見た目からしてアウトなのだ。
味噌汁をテーブルに置いた主は、この世に絶望した世間が考えるのニートのような顔をして、尋ねた。
「……それ、おいしいの?」
味噌汁から納豆かき混ぜ作業に移行した少年を見ると、向かいの少女はあきれ顔で、
「少なくとも今裡霊斗がかき混ぜている異臭を放つねばねばした茶色い物体よりはおいしいよ」
「そうかい」
返事をすると納豆保持者は少し黙る。
が。
「おい!」
ここで何かおかしい現象に気付いた。
「何でソフィアは当たり前のように俺の目の前に座って飯食ってんのかなああアアアアアアアアア!?」
今にもちゃぶ台返しが来そうな勢いで興奮する裡霊斗に対してソフィアも負けじと室内のおかしな現象を指摘する。
「じゃあ聞くけどね、何でこのリビングの壁は見たくともない数式で埋めつくされてんの!? おかしいでしょ! オックスフォード大学での授業でもこんなの習わなかったのに。何でこんなものが書けるのさ!!」
すると一瞬だけだが少年の態度が小さくなって「いや……、脳内に……他人の意識……電極なし……繋げたり……天使……存在が……計算で……物理学から」などと訳の分からないことを呟いていたが、すぐに元の戻ると、
「とにかく、飯食ったら今度こそ出て行ってもらうよ。いつまでもご飯とか他人に頼っているとろくなことがないから。それに……」
何か遠くを見るような目で、死者を天国に見送るような、そんな目でその先の言葉は口にしなかった。
(明日……いや、今この瞬間だって、いつ俺が、ソフィアが、みんなが殺されるか分からない状況なんだから)
ボケーっと考え事をしていると、ここで居候はムッとして、
「人様の全身をくまなく見ておいて何言ってんの! 言っておくけど、あの借りはこれから高校卒業までの五年間の生活を支えるってなってんだからね」
「…………………………………………………………は!?」
「は? って何なの。裡霊斗はイギリス内閣首相直々に私のSecurity Policeに任命されたの! Security Policeって意味わかる? セキュリティーポリス、SPの事よ」
分かりたくないし、出来る事なら知りたくもなかったというのがSPの本音だ。
「ところで、今日裡霊斗の友達がこの家に来るって言っていたけど、どんな人?」
意気なる脈絡のない話が話題にぶち込まれた。そんな少女に裡霊斗は適当に答える。
「ん、あー。簡単に言えば、ソフィアと同種に人たち、かな?」
3
切永ろん、明宮瞳、萩野双児、萩野双発が部屋に入って来たとき、室内では「きゃーえっちーばかーん以下は割愛なのである」というラブコメサスペンスアニメが繰り広げられていたため、まず真っ先に切永が脳裏に裡霊斗に対する『嫉』と『妬』を浮かべる間もなくキレた。
男と男の軽い殴り合いをしている中、萩野妹はソフィアのハプニングを見て「わー、私もやられたいなあ」などとほざき、直後にその中に飛び込んで、いかに裡霊斗とラブコメを実現させるかという計算を始めた。
初めはその光景をボー然とみていた明宮だったが、すぐさま我にかえると「やめなさーい」の一声でその中に飛び込んで、悲しくも切永の左手が胸のふくらみに当たってしまい、中略な事態であった。
「君たちってホントにバカだねー」
冷蔵庫に作り置きされていた麦茶を勝手に拝借してちびちび飲んでいた萩野兄はあきれ顔でその光景を眺めていた。
「……恋愛って複雑なんだな」
言っている間に室内の軽い喧嘩は徐々にエスカレートしていき、終いには乱闘になりかけていたので、萩野兄は強行手段に出た。
再びキッチンに向かうと自ら持ってきた荷物の中から何やら怪しげに中を引っ掻き回し、
「ハイ、そこの五人衆! ちょおっと静かにしようかな」
ポケットにあった黒い物体を手に取り、そこに刺さっていた消火器の黄色い安全栓のようなものを引っこ抜く。そしてプロ野球選手の投球フォームを固めた。直後、綺麗なな弧を描かせて乱闘の内戦ど真ん中に吸い込まれるよう床に敷かれたカーペットの上に物体が落ちた。
すると、あれほどやかましくヒートアップしていた五人の動きがぴたりと止まった。ついでに鼻の頭で正拳を受け止めていた切永の顔に冷や汗がたらたらと流れ始める。
「……………………何コレ?」
続いて切永の顔面に拳をめり込ませていた明宮の顔からも嫌な汗が噴き出てきた。
「……………………昨日見たアナログ式ロック解除爆弾と同じ臭いがするわね」
そして裡霊斗のナニを目指してまっしぐらだった萩野双発はのん気な口調で、
「あーこれはアレだね。一昨日兄が自分の部屋で作っていた……ポジティブな言い方をすれば、『ちょっと大きめの綺麗な打ち上げ花火』って奴ね」
そんな能天気ガールを不安そうな目で部屋の主は見詰めると、恐る恐る質問をする。
「ネガティブな表現をすると?」
すると何故か得意げにムフフフと笑みを浮かべて、
「『対戦車ミサイルと肩を並べられる程綺麗に人生を終わらせることの出来る花火』かな」
「……………………………………………………………………………………………………………」
しばし沈黙。そして、彼らは動き出す!
その時、キッチンから恐る恐る目だけ出していた萩野兄は見たのだ。
少年少女五人が、米軍、自衛隊、ロシア兵、各国どの一流教官にも負けぬ動きが実行されたのを。
少年少女五人の動きが、思考が、完全に一二〇%オーバーでシンクロしていち早く対戦車手りゅう弾を窓から外へ運ぶ姿を。
少年少女五人が連携して、最後に長髪少年がサッカーゲームに極限まで集中したキーパーのカウンターの如く窓から外へ蹴り飛ばす瞬間を。
少年少女五人が見上げる青空に一つの大きな爆炎&爆煙が現れたシーンを。
「やあっと静かになった。ホントに神力者っていうのは何でこんなめんどくさい人ばっかりなんだろ」
呟く萩野双児自身が一番めんどくさい奴だという現実があるのだが、誰しもこういうものは意外と自分自身を客観的にとらえなければ気付かないものだ。
客観的に自分を見つめ直すことのない少年は、いち早くリビングの三人掛けソファーの一番やわらかい中央に座ってしまう。そして未だ窓の外を眺めている五人に、
「いつまでそんな所に立ってんの。何の為にここに集合したと思ってんだよ。さっさと座って話を進めよう」
本当なら一悶着させた裡霊斗はこの家の家主として花火師もどきを一発ぶん殴ってやりたいところだが、そんな時間はないので言われるとおりにソファに座った。他の人もテーブルを囲うように腰を下ろしていく。ただ、裡霊斗だけは何故かソファーのクッション部分ではなく、右サイドの肘掛けに体育座りで腰かけていた。そこが定位置らしい。
「さてと」
六人が座ったところで、話を切り出したのは切永ロンだった。
「皆さん揃ったので、これから昨日の戦闘からの情報&これまでの情報をソフィアさんに伝える会を開きたいと思いまーす」
イエーイ。と、一人……いや、独り盛り上がっている少年を無視するように明宮瞳が話を遮
った。
「取りあえず、私たちのこれまでの戦闘から得た情報をソフィアさんに提供するところから始めようかな」
4
コーヒーカップを手に、限ケノ丘中学校職員室のとある机には光先生がいた。
「くっそー、まさか携帯を忘れていしまうとはな」
彼女は昨日、生徒らに一斉メールを配信した際に携帯を使用しようとしたのだが、そこで自
分の携帯が家にない事に気付いた。止むを得ず、自宅のパソコンを使って三六名に文書を送ったのだ。一応その後も家の中をくまなく探したのだが結局見つからず、学校に置き忘れたと判断した。
「お!」
机の上に散乱したプリント類をどけていくとようやく目的の物に辿り着いた。今度は絶対に忘れないようにと即座にバッグの中にしまう。
卓上の強化プラスチック製グラスに目をやると、
(携帯は見つかったし、コーヒー飲み干したら帰るかな)
すぐに残りを飲んでカップを職員室脇の給湯室の流しに置き、そのまま帰路についた。
ところが、光先生の去った後の給湯室から、
パキンッ!
と、何やら強化プラスチック製の物体が壊れるような音がした。
音源は先程彼女が使っていた流しからだった。
そこにあったのは縦に綺麗な亀裂の入った真っ二つに割れたカップ。
ひとりでに起こったそれは、まるでその現象は何かこれからよくないことが起こる前触れのソレに相応しいものだった。
5
「初めはどこから切り出そうかな。昔話に浸るのもいいんだけど、それだと話す側が疲れるしなあ。まあ取りあえずは能力者全員の人数と共通点を話しておこうか」
と主導権を把握した切永は言った。
それに対してソフィアは怪訝そうな顔をして、
「共通点?」
尋ねてきた。
「そう、共通点。一つ目、これはほぼ絶対なことなんだけどさ、俺たちの元々の身体能力が常人に比べて遙かに高い。これは今まであってきた人たち全員に通じる事なんだよねえ」
「じゃあ、私が西洋剣術を使いこなしてトップに辿り着いたっていうのは」
「努力の成果ではなく、才能の有無の違い」
断言したのは裡霊斗。続けて、
「俺らは元々のポテンシャルが高い故に、大体出会ったやつらは何かしらの武術を身に付けている。彼らが武術を学ぶきっかけとなったのは人それぞれだけど、とにかくみんな強い。全国大会からジュニアオリンピック出場者までいた」
そんなに有名になるような人たちばっかりが国や世界のトップに躍り出ようなものならば、誰か一人ぐらい能力の正体がばれてしまいそうなものだな、とソフィアは思ったがその心を読んでいたかのように切永は、
「見えないのさ」
言い放つ。
「俺たちは身体能力が一般人と比べて遙かに高い。それは、『目』も例外じゃない」
「どういう事?」
ここで切永はめんどくさそうな顔を萩野双児に目でバトンタッチを要求した。
「おい、切永。そこまで言うなら自分で説明しろよ……。そう……だな、じゃあ例えばの話をしよう。この世にはさまざまの種類の光が存在するだろ。赤外線とか可視光線とか紫外線とか、あとはX線かな。ところが人間の目っていうのはその内の可視光線しか視覚として感知することが出来ない。それと同様に俺たちの出す能力も特殊な光で、能力に無関係な人には視覚として取り入れることが出来ないようになっている」
そこで説明を中断すると、持ってきていた荷物の中からごく一般的に売り出されているビデオカメラを取り出した。
「このカメラはさっき言った赤外線、可視光線、紫外線、X線の全てを、設定すれば光として認識して撮影することが可能となっているものだ。で、これを試しに使ってみると」
言いながら切永に目線で合図を送る。切永はそれに応じるように右手を前に突き出してサッカーボールを手に持つように、手のひらを上に向けた。
「結構体力持っていかれるから一瞬だけな」
告げた瞬間、音もなく手にひらの上には、昨晩ソフィアが学校の屋上で目にした直径三〇センチの謎の光球が、何もないところから現れた。が、今回は三秒もしないうちに光球は姿を消した。
「と、まあ今のはソフィアさんは肉眼で見たから見えたけど」
撮影をしていた萩野双児はカメラをソフィアに渡して再生ボタンを押す。
何が起こるか多少理解していたが、それでもその映像を見て驚いてしまった。
「……何も、映っていない……?」
肉眼ではあんなにもはっきりと見えた切永の能力が、映像には一辺も、ぼやける事も無く、決して映し出されることは無かった。
驚愕の事実を前にした少女を見て、裡霊斗は萩野の説明を補足する。
「どうもこの光の正体は、光源はこの世に存在する物質から出来てはいないみたいなんだよ。いや、言い方を間違えた。正しくはこの世に存在出来ない物質からなっている、かな」
これに対してソフィアは怪訝そうな顔をしたので、続けて裡霊斗はその先を言った。
そう。
だから。
だからこそ。
「電子頭脳には、電子機器にはそれを表現することが出来ない。何たってソレを表現する光源この世にはないからね」
「じゃあ、どれだけ公共の場で能力を使っても誰かにばれることは無いんだ!」
ポンッ、と手を叩いて「それはいいね」とソフィアは感心していた。
「私たち以外には絶対ばれないって事は、パニック騒動の心配も必要ないしね」
「まあな。でも、この現象にはさらに『上』がある」
切永はうっすらと笑みを浮かべてある人物に目線を送る。
「この中には、他の能力者にすら見ることの出来ない能力を使用する奴がいる」
彼が目をやったところ、そこにいたのはソファーの肘掛けに座っている者、
「裡霊斗……の、事?」
恐る恐る尋ねてみると、これには萩野兄が、
「大正解。彼だけは特殊なんだよ、それも全てがね。だよね、切永」
「まあ、その話は追々する事にしよう。で、ここから話すのは能力について最も大切な部分、能力の発動条件と発動原因。これについては研究していた明宮が一番詳しいな……いや待てよ。やっぱり裡霊斗の方が詳しいかもな」
切永が交互に少年と少女を見て説明係を決めかねていると、
「説明は明宮の任せる。俺は用事を思い出したから一〇分ぐらい出掛けてくるね」
そう言い放って、裡霊斗は席を立って一度自分の部屋に行くと財布だけ持って玄関から出て行ってしまった。するとどこかしょんぼりする明宮だが、ニヤニヤし始めた切永に拳を振るうと、
「という訳で私が説明するね。まずは原理についてだけど、その前に私たちはこの能力に名前をつけているの」
「名前って、『超能力』か『神通力』、あるいは『魔法』で決まりでしょ」
「ううん、それだと『超心理学』っていう既知の自然法則で説明のつかない現象についての学問上の意味と一致しないの。超能力っていうのは『今日の科学では合理的に証明することの出来ない超自然な能力』ってなるけれど、私たちはもうこの能力について科学で説明できる段階まで分かっている。だから、魔法、魔道、魔術、奇術、仙術、妖術、幻術、方術、呪術、死霊術、これらのどの能力にも該当しない」
「じゃあ、結局さっきのような能力は一体何なの?」
少女は映されることのなかった能力を記録したカメラを見て、
「一体なんて名付けたの?」
尋ねた。
それに対して明宮の答えはこうだった。
「『神体能力』」
「…………………………………何それ」
「ああ、『神体能力』って言っても神の体に宿された力とかそういうんじゃないよ」
手をパタパタ振ってソフィアの呆れかけの想像を即座に否定した。
「『神体能力』っていうのは、『神経細胞特化体能力』の略。私たちの体は一般人に比べて神経細胞が進化しているみたいなの。それで、私たちの体を構成している生殖細胞以外の細胞、つまり体細胞と、進化した神経細胞がほとんど同じ造りをしている」
「そうなると、どんな現象が起こるの?」
全く未知の世界に戸惑いつつ尋ねると、
「全身が自分の思い通りになるのよ」
答えたのは明宮ではなく、萩野妹だった。
「神経細胞は自分の思考を全身に伝達する役目を担っている。だからその神経細胞が体細胞となれば、全身の細胞が自分の考えたことを更に伝えようとする。例えば」
「体外、とかな」
続きを言ったのは切永。
「みんなの言う通り。だから体の外に現象が現れるの。本来筋肉細胞とかがするべき役割を、能力を使用する時は準神経細胞となってスルーしてしまうからな。行き場を失った脳からの伝達事項は無理やり外へ押し出されてしまうんだ。で、私たちの目に見える形になったのがあの『神体能力』ってわけ」
だけど、ここで一つの問題が起こったと明宮は言う。
「どうしてこんな体になってしまったのか。そもそもいつから、どこで、どのようにして成ったのか、全てが謎だらけなのよ。それで色々と考え、これらすべてを納得させる答えが三つ弾き出された」
ここから急に彼女の声がより一層真面目になった。
「まず一つ目。生物学によれば、DNA複製の際のミスや化学物質によるDNAの損傷および複製ミス・放射線照射によるDNAあるいは染色体の損傷、トランスポゾンの転移による遺伝子の破壊などによって引き起こされた、突然変異の可能性。そして二つ目は、細胞核内の染色体の構造異常によって引き起こされた障害の一種、つまり染色体異常を指す」
「ちょ、ちょっと待って」
ここでソフィアが話を遮った。
「何? 何か違和感でもあった?」
「そうじゃなくて、明宮さんってまだ中学二年生になったばっかりだよね」
「? そうだけど」
「それなのに何でこんなに難しい事知っているの? トランスポゾンの転移なんて普通何のことか分からないでしょうに」
驚いていると明宮は、何だそんなことかとでもいうような表情で、
「トランスポゾンとは細胞内においてゲノム上の位置を転移することのできる塩基配列で、別名動く遺伝子。これくらいは私の中では、私たちの中では、常識となっているよ。別におかしい事ではないでしょ。まあ、『何かを知ろうと思うならば、まず自分の周りの事を知れ。そして徐々に物事の本質に近づけ』って言うのが裡霊斗の言い分で、ここに居る人たちはみんなそれに従っているだけなんだけどね」
「あ、瞳おいしいセリフ持って行った!」
「別にいいでしょ。前の時は双発が言ったんだからさあ」
ここで、ガールズトークへ突入する気配を感じた切永が口を挟んだ。
「さてさて、それじゃあここからは毎月恒例のワクワクタイムといきますかな」
にこにこ笑う天パー少年切永の言っていることが理解できないソフィアは首を傾げた。
「ワクワクタイムって……何?」
「んー、そんなの決まってんじゃん」
切永は少し間を空けてこういった。
「ソフィアさんの能力を発動させるんだよ」
「…………出来るの!?」
「そりゃあ出来るさ。何たってソフィアさんは『神体能力者』なんだから」
「……どうやって?」
すると、切永はどこからかゴッついモデルガンを取り出した。
「それ、何に使うの?」
訊いてみると突然、切永は笑みを浮かべた。
口が耳まで裂けてしまうような、残酷な笑みを。
そして。
「イッツ・ショータイム!!」
室内には乾いた音が鳴り響いた。
同時に薬莢が床に落ちる。
また、明宮も床にうつ伏せに崩れ落ちた。
彼女の背中からは紅色の液体がじわじわと溢れ出していく。
「………………………………………………………………………………………え?」
初めは何が起きたのか、ソフィアには理解できなかった。
数秒して、ようやく頭が現状を認識し始めた時、
またもや室内には二発の発砲音が聴こえた。
崩れ落ちたのは萩野双児と萩野双発。彼らも同じく、背中から溢れ出す赤い液体が服を染めていった。
「…………あ……あ、あ、あ、あああああああああああアアアアアアアああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアア!!!!!!」
パニックに襲われた少女は絶叫した。
目の前の状況が理解できない。
何故みんながこんな目に遭わなければならないのか。
何より理解できないのは、
「オラオラどうしたんだよ、『神体能力者』さんよお。叫んだところで失った命は戻ってこないぞ。まあそんな嘆いた顔するな。どうせ生あるものはいずれ死すのだから」
笑みを止めない男。残虐な、理解不能な、人格が暴走したこの人物。
少女の震える唇が動いた。
「……何で……」
掠れながらも精一杯声を絞り出す。
「……何でこんな事を、何でこんな事をするの? 何でこんな事をあなたはしたんだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
いつの間にかソレは叫び声へと化していた。
その時、室内からベランダを伝って外へ、空へ、
一筋のオレンジ色の閃光が放たれた。
一瞬遅れて空気が振動、というより気体がしびれる音が聞こえてきた。
「へえ。『弱い力』の種族、ね」
そう呟く少年、切永ろんはかろうじて彼女の『弱い力』を躱していた。依然、その表情は笑み。
但し、それは邪悪な笑みではなかった。物事の有様に、物事の奇蹟に出会ったような、感心したような笑みだった。
と。ここで。この状況で、
「………てなわけでそこの三人衆、もう起きていいよ。終わったから」
ここで、この言葉で、切永のこのセリフで、殺人現場と成り果てたリビングルーム内では信じられないような出来事が起きた。
「よっこらせっと」
「うわっ、やっぱりこれベタベタして気持ち悪いッ!」
「次回はべた付かない液体を作成するべきだと思うね」
何と、拳銃に撃たれて重傷、あるいは死亡したはずの三人が何の違和感もなく立ち上がったのだ。
「…………はれ? みんな死んだんあなかったお?」
泣きじゃくり、言葉がうまく言えてない少女はまたまた目の前の状況に対応が遅れる。
大量の映像を取り込んで重くなったパソコンのような反応速度だ。
「……やっぱり女子っていうのはマジ泣きするんだな」
「……お前の演技が迫真過ぎたんだろ。何なんだよあの顔、指名手配所に載れるぞ」
「そういう双児の死にざまだって、ありゃあテレビ出演も夢じゃないぜ」
「まあいんじゃね? 今回は成功したんだしさあ」
「それにしてもソフィアさんの泣き顔ったら面白すグルルぼあああああああアアアアアア!!」
ドッキリ被害者の正拳が笑いっ放しである切永の金的にクリーンヒット!
みんなが血のりを落とし終わった時、未だ真っ赤な切永ろんは股間を抑えながら室内をピョンピョン飛び跳ねていた。
「……お前は何やってんの?」
その様子を明宮は呆れ顔で眺めている。
「アンタはカエルにでも生まれ変わりたいの?」
「いやっ……そうじゃっ……なくてっ……今はっ……将来がっ……結構危ないからっ……集中させてっ……ホントっ……戻って来れるかっ……危ない状況っ……うくっ……」
「何やってんだか……」
そんな中、ソフィア=レトーン=咲柄ただ一人は、自らの『神体能力』によって半分が吹き飛んだ元三人掛けソファー(現一・五人掛けソファー)に座っていた。彼女の目は何やら遠いところを見ているように見受けられる。
「……何コレ? 何なの? 何がしたかったの? 家ふっ飛んじゃったんだけど。私の顔の前から閃光が現れたんだけど。何なのコレえええエエエエエエエエエえええええ!?」
頭をわしゃわしゃ掻き毟る新人能力者を見て、説明の途中だったことを思い出した世継ぎの危うい金玉悶絶少年は、
「あー、そうだった。説明の途中だったね。さっきソフィアさんが発動させた能力は、大まかに四種類あるうちの『弱圧』って類のものだな。この世には……、というか俺たちが確認している能力を大雑把に分類してみると『弱圧』『磁念』『重引』、そしてちょいと特殊な『暗黒闇能』の四つで成っている」
切永はチラリと萩野妹に目をやる。すると何かを察したのか、口を開いて説明を始めた。
「ここからは私の専門分野なんだけど、まずはソフィアが発動させた『弱圧』について。簡単に言えばこの世に存在する物質を原子まで破壊する能力。仕組みは結構複雑なんだけどね、まず人間の体からは常に微弱な電気が放出されているのだよ。ところがソフィアは『神体能力』によってその力を増幅させたり減少させたりすることが出来る。で、一種の静電場加速器となったその体は、空気中の窒素以外の元素の原子核に含まれる中性子を抽出して、それを狙った方向へ飛ばす」
「ちょっと待って」
次から次へと萩野妹の口から飛び出してくる未知の言葉に、脳の処理スピードが追い付かなくなったソフィアは話を遮る。
「何その『静電場加速器』って? せめて英語だと助かるんだけどな」
「ああそう言う事? 確か、electrostatic fieldとか言ったね」
「ああ、それなら納得いく。話を続けていいよ」
この時点で話についてこられるのはソフィアただ一人。他の能力者たちは説明を聞いた事があったが、最早『せいでんばかそくき』の意味が分からず脱落してしまった。専門の分野に進んでしっかり勉学に励めば、この時代なら高校二年生で理解できるようになるが、それはもうしばらく先の話だろう。
「それで、中性子をぶつけられた原子核は崩壊を初めて核分裂を始める。プルトニウムやウラニウムといった核分裂を起こしやすいものに限らず、鉄やら鉛やら、あげく気体にまでも核分裂反応を起こさせてしまうものなの。まあそういう訳だから、発電の力を増幅させれば中性子の量も増えてパワーアップ出来るけど」
萩野妹は区切って、
「この能力はコントロールが非常に難しい、らしいねえ」
らしい、というのは萩野双発自身がこの類の能力を保持していないからだろう。
「ええー! 私、そんな面倒な能力を身に付けちゃったの!?」
「何をガッカリしているんだ。この能力を持った奴は俺も今まで二人しか見覚えがない。きわめて希少な『神体能力者』なんだから少しは胸を張りなよ」
と言ったのは萩野兄だ。
「はあ、そうかなあ? 私は小さな力でもいいから簡単で単純で扱いやすいものが良かった」
「それは俺の能力だな」
「そうそう、切永と双児の能力は『重引』ってもので力の制限が大きい分、コントロールが安易なものだったねえ」
「それってどんな能力?」
「名前の通り、彼は半径一〇キロ圏内ならどこにでも重力場を自由自在に作ることが出来る能力。紫色の球体を造りだしてその大きさが大きければ大きいほど重力も大きくなるのだけど、大きさに対して力が小さいんだよねえ。頭上にサッカーボールサイズのものを出して、ようやく成人男子を宙に浮かせられる程度。しかも干渉距離は精々八〇メートルで、実用性があんまりないもの」
うるせーなどと切永が文句の一つをぼやいた。
「ふーん。それで、仕組みは?」
すかさず質問をすると、そこで萩野妹は少し困った表情をした。
「どうしたの? なにかあるの?」
「……実のところこの『重引』は謎が多い能力なんだよねえ。大気を圧縮して強制的に作り出した固体から重力場を得ているのは分かっているのだけど、そもそも地球上にある大気を全てかき集めたところで、どうやってもあんな物体にはならない。つまりは無茶苦茶な能力ってこと」
不思議なものだと思いながらソフィアは次の能力について耳を傾ける。
「えーと、そうそう『磁念』っていうのは磁界を作り出す能力の類ね。この能力は万能で、体を磁石にすることで磁界を作り出すことが出来るの。訓練すれば磁力を使って車を持ち上げたり、磁力によって生み出される誘導電流を操作して発電することが可能になる」
萩野妹の言葉に、メッチャべんりなやつじゃん、と目を輝かせ始めたが実はそうでもないらしい。
「残念ながらこの『磁念』は他の能力に比べて精神的にも肉体的にも体力の消費が激しいのよ。瞳と私がこの能力の持ち主なんだけど……例えばぁ、ああこれなんかいいんじゃない」
彼女が目を付けたのは隣の和室に繫がる襖だ。
「今時襖なんて誰も使ってないけど……、これは中に鉄が埋め込まれているのよ。ここで、能力を使用すると……」
車が無理矢理上からプレスされるときに出しそうな金属が拉げる音が聞こえてきた。
同時に、見る見るうちに見た目は紙製の扉が複雑な方向に。
曲がって。
折れて。
原型を留めぬ残骸となった。
「まあ、こんな感じよ。でもこれだけで私の小指の第一関節の神経が何も感じなくなってしまったわ」
あまりにももろい能力だと知ったソフィアは驚きを隠せない。先程、彼女自身が自分の能力、『弱圧』を使ったときには力の弊害など無かったからだ。
あれ程大規模な破壊をしても何ともなかった『弱圧』に対して、反動の大きい『磁念』。
能力にはそれぞれ美点と欠点、長所と短所、メリットとデメリットが存在する。
「とは限らないぜ」
ソフィアの考えを読んだかのように切永が口を挟んだ。
「この三つはそうかもしれねえが、後の一つは異なる。この三つの法則を超越したかのようなものだ」
「残りの一つ?」
ソフィアは首を傾げた。
「そうだ。その名前は『暗黒闇能』。因みに命名したのは俺。継いで俺の専門分野。この『神体能力』は現在裡霊斗の奴のみ確認されている」
「発現象は?」
「分からねぇ」
低く唸るようにつぶやく。
「そもそも、能力を見たことがないんだ。俺たちは能力を発動すると、他の能力者はある程度距離が近ければ、そいつを見ずとも『ああ、アイツは今能力を使用中だな』って感じることが出来る。つまり、裡霊斗のは感じることが出来ても見ることが出来ない、そんな能力なんだ」
「じゃあ、その能力を使うと、周りにはどんな影響があるの?」
「何だろうな。そうだな……、強いて言うならば『不可侵略』かな。なんつーか、人間が立ち入ってはいけない領域に『神体能力者』自身が入って自分に能力を懸ける感じ」
どうやら上手い説明方法はない、というか日本語では、人類の言葉では表現が不可能なものらしい。
「まあ、一番はソフィアさん自身が能力を自由自在に使えるようになって、その感覚から他人の能力を感じられるようになる事だな」
結局はこれが第一なのだ。
他人の能力が分かるようになるにはまず自分自身から。その後、徐々に周りについて知れ。これがあの少年の言い分なのだ。
と、そこへ玄関の扉を開けてあの少年が帰ってきた。
「ただいまー…………………あ!?」
少年の手にはいくつかのおやつが入ったビニール袋があった。が、それが手から床へと滑り落ちる。綺麗に自由落下したおやつは地面に静かに着地した。察するに中身は軽い物体、綿菓子か何かだろう。
まあそれは置いておくとして、裡霊斗はゆっくりと首を回して部屋全体に隈なく目をやる。
何かがおかしい。
(いや待て、考え過ぎかな? だが何故? 確かに今しがた玄関には鍵を掛けた。そうだ、これは間違いない事だろうね。では何故? 何故こんなにも室内の空気が対流しているのかな? 今は春なのだから扇風機もエアコンも付けていない。そう、何故? 窓だってすべて閉めて……、窓!?)
ここで、不審な室内空気対流事件の原因が判明した。
そして出来れば判明などしない方が良かったと思った。
ベランダに繫がるガラスに目をやったはずなのに、はずなのに!
そこにはガラスどころか、ベランダの上方に設置されていた屋根までなかった。
ふと何かに気づいた少年は向かいの寮、G棟に注目した。そしてびっくり仰天!
何とG棟の屋根と最上階が削れたように、一カ所だけ丸く切り抜かれていた。下から突き上げた大砲が屋根の端に掠ってそのまま通過していったかのように。
「……おい、何なのこれは? 何で風通しがいいようになってんの? 何で真夏の熱中症対策バッチリになってんの!? おまけに見てよこのソファー! なんか傾いていると思ったら右半分蒸発してんじゃねえか!? 核兵器でも持ち込んだのか? 一体誰がこんな……こんな……!?」
言葉が再び喉につっかえた。
理由は簡単だ。この大参事の中、平然として他人の部屋でくつろぐ五人衆に文句を言おうとしてクルリと体の向きを変えたら、
原型を留めぬ襖と書いて粗大ゴミと呼ばれる物体が転がっていたからだ。
日本語で『襖』。
英訳するとHUSUMA。
ここで、少年は、家主は、簡潔に且分かりやすい感想を絶叫した。
「何ッッッじゃこりゃああああああああああああああああアアアアアアアああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
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シリアスな場面というのは脆く、その気になれば一瞬で破壊できるものなのだろう。
と、いち早く自分の身の危機を感じ、キッチンに飛び込んで男女構わず割と本気で殴りかかる家主を見ていた切永(最終的に殴られた)は思う。
シリアスな場面というのは、見る人によって見え方は全く異なってくる。
そう、例えば、弁償。
「襖一枚五〇〇〇〇円。防弾ガラス一枚一八〇〇〇〇円。三枚で計五四〇〇〇〇円。ベランダの屋根ボトル一つ五〇〇円。一五個で計七五〇〇円。屋根本体一五〇〇〇〇円。手摺り一五〇〇〇〇円。ソファー一五〇〇〇〇円。よって、総額一二四万七五〇〇円。お前ら全員で分担していずれ返してもらうからな!!」
家主のありがたいお言葉と正拳を頂戴して、身も心もへとへとに疲れた少年少女らは綺麗に正座して横一列に並んでいた。ただし、切永だけはロープで体をぐるぐる巻きに縛って天井から逆様に吊るされている。首謀者の罪は重いのだ。
そんな中、
「……何で私まで正座しなくちゃならないの?」
口を挟んだのはソフィアだった。
「喧しい!! 大体誰のせいで俺ん家にこんな大穴があいたと思ってんの!?」
「いや、それは謝るけどね。けど、私は『初心の者は極限の状況に追い込まれた方が能力が発動しやすいのでドッキリしかけちゃうぞ作戦』という切永の作戦に騙されただけで、故意に遣ったわけじゃあないんだよ」
「それは騙されたソフィアが悪い。こんなアホの言う事やる事をいちいち真に受けるな!!」
言いながら『こんなアホ』に蹴りを入れた。
「うグエッ!! 旦那ぁ~、そろそろ許して下さいよぉ。ホントに今回ばかりは反省してますってばぁ。グエッ!!」
もう一発蹴りを入れた少年は突き放すような眼で「あと一時間はそのまま」「ええ~、死ぬってマジで助けて御免なさい」と切永は言うがガン無視された。
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「あうぅ~。そりゃでは、きょきょきゃらはさいしぇんのじょうひょうをこうきゃんするびゃといたしぇますんだああぁぁ~」
切永の口調がおかしなことになっているのは、本当にマジで一時間かっちり逆様の刑に課せられたからだろう。
「ねえ、切永は何言ってんの?」
「多分、『それではここに、私の謝罪の印として一〇〇〇万円を今すぐに用意いたしましょう』って事だね」
「おいおい裡霊斗、おりゃあそんなこと言っとりゃんわい!!」
慌てて頭の自己言語修復機能をフル回転させて言葉を標準語に戻し始めた。
「じゃあさっさと元に戻って、言いたいことをはっきりと言いなさい」
「えーそれでは改めまして、ここからは昨日の戦闘から得た情報を交換する場といたします。つきましては……」
ここで皆はずっと疑問に思っていたことを知るべく、裡霊斗の方に顔を向けた。
「おい、裡霊斗! 一つ聞かせてもらおうか」
「…………何を?」
おとぼけ調子で尋ねると、何故か萩野兄まで身を乗り出して、
「「とぼけるな! どうやってお前は俺を復活させた!?」」
切永は左腕を、萩野兄は右腕を指さして言った。
「何で飛んだ腕が復活してやがる!?」
昨晩の負傷を語った。
が、あくまで裡霊斗は冷静に、
「天使が君臨したからかな」
「「「………………………………………はあぁ?」」」
たまらずその場全員が呆れた声を漏らす。
「いやあ、俺もよく分からないんだけどね。敵を倒したのは俺じゃなくて『神のごとき者は誰か』って奴……、ああ、キリスト教の天使『大天使ミカエル』の事ね。あいつが俺の体を乗っ取って、五〇〇〇体はいたであろう敵を倒してしまった、らしい」
「……らしいっていうのは?」
「次に俺の体の中に君臨してきた『神は我が力』、つまり『大天使ガブリエル』が言ってきたからね」
眠そうな、呆れたような、そんな目で萩野妹は、
「信じたの?」
「当然最初は全面的に信用してなかった。でも、夢にしてはあまりにもリアルだった」
「夢じゃないって証拠はあるの?」
「ある」
即答だった。
裡霊斗は指を出すと、こう言った。
「そこでは自分の『指紋』が見えた」
「指紋、がどうかしたの?」
「夢の中では人や物、背景がぼやけて見えるのは誰でも知っていると思う。それは指紋にだって共通することなんだよ。よく、自分が今夢の中かどうか調べる際には、指紋が使われる。もし夢なら、俺の場合は指紋は曖昧なもので気持ち悪いグニョグニョとミミズみたいに動くはずなんだ。けど、」
裡霊斗は一呼吸入れて、
「動かなかった。鮮明に見えた。しかもこの世界より質が綺麗だった。だからさ、もしかしたらこれは誰かが外部から機械を使って脳に幻覚幻聴を送っているのかなって思った」
「どうだったの?」
明宮が尋ねると少年は静かに首を横に振った。
「違ったみたい。起きてすぐに自分の室内を探索したけどそれらしきものは何一つ見つからなかった。もしやと思ってソフィアの寝巻も引っぺがしたんだけど何にも出てこなかった」
何気ない一言を言い放った、
この瞬間。
少年がさり気ない一言を発した時。
リビングの空気は一変した。
切永は静かに眼鏡の奥に隠された冷徹な目を映し出すと、念のために確認する。
「裡霊斗よ、今なんと申した?」
「ああ? んんと、部屋の中を探し回ったけど何も見つからなかったって言ったかな」
「その後!! 最後に。何処を探したと!?」
最早爆発寸前だった。にも拘らず状況を飲み込めていない純度一〇〇%不純物〇%純粋少年は平然と言い放つ。
「だからソフィアの服の中を探したって言ってるじゃん。探している途中でね、変な声を出したから怪しいと思ったんだけど、結局何にも出てこなかった。収穫ゼロって事オワッ!!」
叫んだのは切永が純度一〇〇%の胸ぐらを掴んだからだ。
「裡霊斗おおぉ!! お前って奴は一日に何度女を抱擁したら気が済むんだ!? 純粋とか何とか言っておきながら結局は裡霊斗自身が一番オトコのユメにどっぷり全身を浸からせてんじゃないかぁ~!!」
「う、あうあう~。揺さぶるなぁ、何だよお。ジュンスイ? 男の夢? 一体何の話をしてんの? あれ? 明宮なんでむくれてんの? ひょっとして怒ってませんか?」
「うるさーい!! 何で私にはこういうの回ってこないのおお!?」
バチーン!! と、明宮のビンタ攻撃が楽園少年の頬に炸裂した。
そんなどんちゃん騒ぎを見ていた萩野兄はふと、部屋の隅に居たソフィアに目を止めた。
「……あれ? 何でソフィアさん嬉しそうな顔をしているの?」
8
「ところで」
顔が少し赤いソフィアは掴み合いになっていた切永と裡霊斗を引き離しながら、
「昨日の敵って一体何者なの?」
対して顔を少し赤くした裡霊斗が(こちらはビンタによる赤化)答えた。
「それは俺たちにも分からないんだよ。何時何処からどのタイミングで仕掛けてくるのかはほとんど謎」
「ほとんどっていうのは?」
ソフィアは怪訝そうに尋ねた。
裡霊斗は右手人差し指と中指を立てると、
「二つだけ条件がある。俺の学校に、『県立限ケノ丘中学校高等学校』に『神体能力者』の転校生が転入してくると、自己紹介から二四時間以内にバベル・オブザ・タワーの何処かかしらに出現する」
「私たちに関係しているっていう事?」
ソフィアの疑問に家主は頷いた。
「そうだろうね。そしてもう一つは、敵が現れる毎に塔の出現階層が一個ずつ上がっていくんだよ」
そこで。
ソフィアは室内の空気が急に重くなった気がした。
そして。
少女も何故このような事態になったのか、という事に気付いた。
「待って、昨日戦った階層ってこの塔の最上階じゃ!!」
その言葉に、一同は、皆は頷いた。
「だーから焦ってんだよ」
当然のことのように、切永は言う。
「これは俺の想像なんだけどなあ、思うに俺たちは一種のゲームをしているんじゃないかってな」
「ゲーム?」
「そう、ゲームだ。始まりの敵は今から八年前、第一層に現れたんだと。俺はそん時はまだこの塔に住み着いてなかったから、裡霊斗が単独で倒したらしい」
「つまり、初めは裡霊斗だったってことね」
「そうそう、俺だけだった。で、そのうち色々な能力者が集まりだしてね、気が付いたら最上階に辿り着いていたよ。一六〇階あたりかな? その辺りで気付いちゃったんだ。これは俺たちを創り出した『魔王』に挑むゲームなんだってね。何が目的かは知らないけど、たぶん次で終わる」
もしそうなら、彼らは彼らを縛ってきた呪いから解き放たれるだろう。
「ところでさ」
ソフィアは切り出した。
「その、今まで出会ってきた能力者たちっていうのは、何処に行ったの?」
ズキリ。
と。
裡霊斗は、その場にいた五人は自分の胸が、精神が抉られるのが分かった。
「……死んだよ……」
裡霊斗は呟いた。
「殺されたんだ」
切永は重々しく言った。
「例の『敵』にね」
明宮はゆっくりと口を開いた。
「犠牲者数は二六六人」
萩野双児は重々しくものを言った。
「人間っていうのは脆いんだよ」
萩野双発が虚ろな瞳で喋った。
けれど、
だから、
彼らは、
「俺たちは終わらせなきゃいけないんだ。このバカげたゲームを。命を弄ぶ野郎の考えを、計画を、創造を。俺たちは、絶対に許さねえ」
この瞬間だけ、ほんの数秒だけ、裡霊斗の声が低い威厳のある男の声に変わっていた。
行間 導き
暗闇の中、『個体』は浮いていた。
微動だにせず、時間の停止した世界意にいるかのように。いや、もしかしたらこの世界は停止しているのかもしれない。
《最後の――――に移ろうか》
佇む『個体』はものを発した。
《最終フェイズの準備 一七三二〇五〇八〇七五六八八七七二九三五二七四四六三 四一五〇五体 全機起動》
そこからきっちり一〇秒後。
《全機起動確認。これよりこの物質を起動。全機のエネルギー及びエネルギー源を供給開始》
言い放った瞬間、空間は光を手にした。
次に空ができた。
そして地ができた。
最後に、
〈エネルギー吸収終了〉
喋り声が変わった。
〈只今より〉
個体は『手』と言う部分に力を込めた。
〈仮死状態から生存状態へと移行する〉
そして、全身がゆっくりと動いた。
『動きに問題ない』
更に。
『全身の動きも問題ない』
完全に『人間』となった。
『それでは「扉」を拓こう』
今、『人間』となったその物質は、地に舞い降りた。
『人間を正しき方向へと導く「扉」を』
ゆっくりと地を歩き出す。
『亜空間を経てこの場のみ、四次元世界と結合させよう』
手を振りかざす。
『ユニオン終了』
天から光のリングが『人間』を包み込むように降りてきた。
『長かったな』
今し方『人間』となった者は、笑みを浮かべた。
『六九一年か』
口が裂けるかのような、
『彼らを迎えてやらねばな』
大胆な笑みを浮かべて言った。
『さあ、最終フェイズを始めよう』
五章 アルマゲドン
前にも同じことを言ったことがあるような気がするが、念のためもう一度言っておこう。
どうやら安息日とか、安息日、休み時間、休日というのはあっという間に過ぎていくらしい。
何故裡霊斗がこんな事を考えているのかというと、目の前の光景がそれを証明してくれたからだ。
ベランダに繫がるガラス戸は元々ソフィアの放った能力、『弱圧』で原子レベルにまで粉砕されていた。
が。
そこから二〇数分後。
突如、一四階建ての寮の中、裡霊斗が住む階より上の階が音もなく、跡形もなく消し飛んだ。それも、二階の天井を含めてだ。
一瞬の出来事だった。
戸惑うことなく六人の『神体能力者』は自身の鍛え上げられた肉体を駆使して寮から脱出をした。
土をこする音と共に少年と少女は地面に降り立つ。
「誰だ!!」
萩野双児が顔を上げて叫んだ。
その問いに、
『私だよ』
背後からの声だった。
「「「――ッ!?」」」
化け物染みた声に、
五人は跳び上がった。
正体不明の何者かから距離を置く。
『度胸があるのは一人だけか』
声の主は唯一距離を置かず、逃げるという手段を取らなかった亥裡霊斗を見た。
裡霊斗も見ていた。互いの距離は五メートル弱。
「あんた誰だ」
少年は仁王立ちをして睨む。
『私、か。私の名は「クリスチャン・ローゼンクロイツ」』
クリスチャン・ローゼンクロイツ。
裡霊斗にはその名に聞き覚えがあった。自分たちに芽生えた『神体能力』の正体を掴むべく調べていた時、チラリと目にしたことがあったのだ。
確か、
「ヨーロッパ中世の伝説上の魔術師」
裡霊斗が緊張した声を出すと、『人間』は笑みを浮かべて、
『理解が早い様で助かる。さて、』
より一層濃い笑みを浮かべて、
『これから私は君たちを殺す』
断言した。
何となくは分かっていた事だったが、それでも驚きは隠せない。
『抵抗するのは自由だ。得物を用いても構わない』
最悪の状況だった。
コイツは能力者。先程の寮の破壊は彼にとってたやすい事だったのだろう。現に、ソフィアの数倍の閃光を生み出したにも拘らず、彼は全く疲労感を見せていない。そもそも奴に『疲労』は存在するのだろうか。
頭にいくつもの疑問を浮かばせながら、裡霊斗は口を開いた。
「……お前が……、俺たちを……創った、のか?」
『そうだ』
即答だった。
『厳密に言えば、被検体〇〇一……いや、「亥裡霊斗」は他の被検体と少し異なるが』
そこで言葉を切って、
『私がお前たちの創造者という事は間違いない』
震える声をどうにか押さえながら、今度はソフィアが尋ねた。
「何の……為?」
『「神」になる為だ。無論、私がな』
馬鹿げた発想だった。
あり得ない発想だった。
『そのために私は「バベルの塔」の建設、人類のエネルギー源「スルト」を創ってきた』
しかし、その妄想を実現させたのも、また、事実。
『私には容易い事だった。何せ、私には限られた時間が存在しない。人間など、生物など仮死状態にすれば幾らでも存在し続けることが出来る』
とんでもない考えだった。
『限られた「時」から抜け出せば、人間は幾らでも脳を神化させることが出来る』
常軌を異していた。
『問題は停止状態の肉体』
誕生から一〇〇〇年近く経つ『人間』は嗤う。
『だからお前たちを創った』
人間以上の脳を手にした者は言う。
『お前たちを創って、お前たちに試練を与え、成長させ、完成させた』
クリスチャン・ローゼンクロイツは言う。
『そのお前たちに勝ってこそ、私は完成する』
彼の周りの空気が変わる。
『だから、殺す』
彼の周りの地面が変わる。
『さあ始めよう』
手を前に振りかざし、
『人知を超越した絶対的存在を見い出す闘いを』
同時。
彼は飛び出す。音を超える速さで。
一瞬で距離を詰めて。
いや、距離を詰められた事にすら、萩野双児は気付かなかった。
『遅い』
と、声がした時には。
ある少年は、『萩野双児』は例の『弱圧』で死んでいた。
「……あ……な、う、嘘……、だろ?」
思わず切永は口から驚きの声を漏らした。
無理もないだろう。仲間が、友人が、能力によって影も形も残さず殺されたのだから。
しかしそれ以上に驚いたのは、ここまで生き残った百戦錬磨の少年が死んだことだ。今まで何十回という過酷な『運命』を辿って来たにも拘らず、そんな戦いのエキスパートが殺されたのだ。
「……死……ッ……ガ……!!」
裡霊斗の声に気が付いた切永はクリスチャン・ローゼンクロイツと名乗る男に目をやった。
30メートル先。そこではすでに裡霊斗と『人間』との闘いが始まっていた。
男が放つ、『弱圧』に対して裡霊斗は相も変わらず何の能力も使用せず、ギリギリのところで全てを躱している。
『少年よ、一ついい事を教えてやろう』
闘いながら、顔色一つ変えることのない『人間』は言う。
『君たちは今私が使用している能力を「弱圧」とか言ったようだがな。それは間違いだ』
対して強張った顔を緩めず、少年も言う。
「違うって、何が違うんだよ?」
『種類だよ。この世は四つの力からなっている。「強い相互作用」「弱い相互作用」「磁力」「重力」、そして君たちの能力もそれらをベースにして創作させてもらった。分かるだろう、私の力は宇宙において最も強力とされているもの。原子核の陽子と中性子がくっつきあう力、「強い相互作用」をベースにした「激甚」絶対的力だよ』
瞬間。
閃光の大きさが変化した。
直径七メートル程だったものが、倍に膨れ上がる。
「ッ!?」
かろうじて躱したが、服の一部に掠れる。その部分は跡形も無く消えた。
『抵抗をしないのか? 私の能力が直撃すれば、原子レベルどころかその先の破壊が待っている。陽子、中性子、電子、ヒッグス粒子。それらすら残らない』
全く反撃の様子が見られない防戦一方の裡霊斗に尋ねる。
『もし、私を舐めてそんな防戦を続けようと言うならば』
男は目を細めて、
『死ぬぞ』
ここで更に能力を一段階解放した。更に閃光の筋の大きさが倍になったのだ。
「がッ!?」
掠れた頬から血が流れた。
と、
『む?』
男は何かに気付いた。そしてそちらに目をやると、紫色の球体が飛んできていた。
『重力をベースとした能力、「重引」か』
何を思ったのか、左手を近づいてくるソレにかざす。触れれば惑星だろうが光だろうが問答無用で吸い込むソレに。
が、
『人間』はソレを掴むと、握りつぶした。
まるで、殻の無い湯で卵を握りつぶすかのように。
『残念だ』
翳した左手をそのままにして、
『さようなら。被検体ナンバー〇二六、切永ろん』
更に、一〇倍の大きさに膨れ上がった『激甚』が切永を飲み込んだ。
後には何も残らない。
必死に抵抗しようとしたのか、唯一閃光から逃れた右手のみがボトリ、と地面に落ちた。
「あああああああああああああああああああああ」
続いて飛び掛かったのは明宮。
「ばかっ!! 一旦距離を置いて」
裡霊斗が言う間もなかった。
彼女の能力、『磁念』によって持ち上げられた、地中に埋まっていたであろう鉄骨がクリスチャン・ローゼンクロイツを襲う。
が、彼は詰まらなさそうにそれを見る。
『こんなものか』
と。
案の定、男は体の周囲三メートルに『激甚』を膜状にしたものを張った。
触れたところから、鉄骨は削り取られるように消えていく。
ヒッグス粒子以下の何かに。
そうして同時に、男は閃光を放つ。
彼女の腕めがけて。
「あがッ!? ッぐ、あ、が!!」
音もせず消された腕の事に気付いたのは、痛覚を知ってからだった。
ドサリ、とまた一人の人間が崩れ堕ちる。
『無論、能力の使い方は様々だ』
彼は言う。
『そういう訳で、裡霊斗君。君には絶望的状態を味わってもらう』
言うなり、右手を天に向けて掲げた。
そこに。タイミング良く萩野双発の能力がぶつかる。
彼女の能力は、
『また「磁念」か』
萩野双発は磁念によって持上げた鉄筋を剣を扱うかのような動きで叩きつけた。
今度はさっきとは異なり、間に『激甚』の膜を張る事さえ許さない。
タイミングの合った攻撃を繰り出した。
つもりだった。
『甘い』
その鉄骨が右手に触れた瞬間、触れたところから鉄が、原子番号二六番が、Feが消えていったのだ。
「そんなッ、馬鹿なッ!?」
つぎに跳び上がると、萩野の頭を掴んだ。
『私は神になる男だぞ。こんな事など造作もない。掌の表面に膜を張れば、私は無敵となる。そう、こんなふうに』
告げると同時に少女の頭に手がめり込んだ。
少女の頭が消えていく。
『さて、残るは二人。君たちはどのような抵抗を見せてくれるか』
男は嗤う。
殺すことに躊躇いを持たない。
『私としては、裡霊斗君。君をフィナーレにし』
男の言葉が終りまで放たれることは無かった。代わりに『激甚』が放たれた。
少年が立ち向かったからだ。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころおおおおおおおおおおおおおおおおおおす!!!!!!」
全身の肉体を、筋肉を、駆使して避ける。躱す。
『面白い』
クリスチャン・ローゼンクロイツは嗤う。そして、ここで男は初めて拳を握った。固く熱い拳を。
彼もまた地を蹴った。
一気圧の音速を超える世界で、
人間の動体視力を超える世界で、
科学を超越した世界で、
二つの拳が正面からぶつかり合った。
その場を中心に波動が生まれる。そして近辺の寮を含めた建物全てのガラスが割れた。
拳と拳がぶつかり合ったとき、クリスチャン・ローゼンクロイツの目が変わったのを裡霊斗は感じた。
(コイツっ!! ヤバいっ!!)
咄嗟に後方へと飛んだ。
『いい判断だ』
全くその通りだろう。あのまま左手で第二撃を打ち込んでいたならば、ただでは済まなかった、と本能が、彼の脳が危険信号を発していた。
「……化け物め」
呟いて、少年は深呼吸をする。自分に言い聞かせる。
(集中しろ。奴に全神経を注げ)と。
「行くぞ!」
亥裡霊斗が一言発した時、クリスチャン・ローゼンクロイツは気が付いた。
彼の声が変わっていたことに。
低い大人の男の声に変っていたことに。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
雄たけびを上げた瞬間、少年は前に進んだ。
生身の人間には実現不可能な速さで。
二二世紀末期の最新戦闘機をも凌駕する速度で。
地を揺らす迫力で。
少年は立ち向かった。
『ッ!!』
彼らの、『神体能力者』の創作者、クリスチャン・ローゼンクロイツは思った。
何故、この少年にはこのスピードの実現が可能なのか、と。
明らかに音速を超えている。
そんな事をすれば、一瞬で細胞と細胞を繋ぐ水素結合は失われ、細胞膜は破れ、細胞は木端微塵になる。
ならば何故、何をもってこいつは進むのか。
しかし、それでも。
『遅い』
裡霊斗の脇腹に拳が突き刺さった。『人間』の拳が。
更にそこへ、閃光『激甚』を打ち込んだ。
筈だったのだが、間一髪裡霊斗はその腕を払う。
本来の軌道から逸れた閃光の筋はそのまま少年のわき腹の横を抜け、後方にあった寮に吸い込まれていく。そして音無き破壊。鉄骨に当たったらしく、建物が倒壊していった。
少し遅れて凄まじい轟音がしたが、そんなものに気を取られている暇はない。
少年は次なる拳を、左手を前に出す。
『いい反応だ』
敵は顔をゆがめずその拳をその体で微動だにせず受け止める。つまりそれはこの程度の攻撃は効かないという事をいう事を証明した。
「クソったれ!!」
苦し紛れの声を出しながら、更に拳を振るう。
今度は右手、つまり利き手だ。
鈍い音がして、男の体が僅かに動いた。
『?』
男は先程より少し重いと感じる。
そこにまたしても拳、今度は左手。
『!?』
グラリ、と体がよろめいた。
気のせいではない。
この少年、何かがおかしい。
亥裡霊斗は拳を振るえば振るうほど
『(強くなっている!?)』
裡霊斗が右手を振るった時。この時、男は初めて顔を歪めた。
『ばか、な!?』
けれど、この動揺は同時に高揚へとつながる。その証拠に男はなおも嗤う。
『面白い』
クリスチャン・ローゼンクロイツは拳を振るい始めた。
それが反撃の一歩だった。そして少年のこめかみに炸裂した。
一〇メートルは後ろへ飛んだ。普通の人間ならこの衝撃は乗用車に轢かれるのと同じに感じるだろう。
それでも少年は何とか立ち上がる。
己の腕に、脚に、力を込めて、そして地を蹴った。
足元の大地が耐えられぬ蹴りを放った。
そして進む。
その拳に賭けて、進む。
「うおオオオオおおおおおおオオオオおおおおおおオオ!!」
辺りに響くのは雄叫び。
少しのズレも許さず、一番力の伝わる方向、面に対して垂直に、九〇度に、真っ直ぐ放つ。
が、
そこで彼を阻んだのは一つの能力。
『激甚』。
その絶対的な能力を前に、勢いを止めることの出来ぬ拳は消えていく。
触れたところから、綺麗に削れていく。
『終りだよ』
残念そうな声で、男は息を吐いた。
『またしても君たちは失敗作だったようだ。なに、安心しろ。次は成功させる。そして次は成功させる。人類の夢にして終端、「神」化』
クリスチャン・ローゼンクロイツは右手の手首を軽く振った。そこから出てきたのは一本の剣。
『縦八〇センチ、刃渡り六〇センチ。中世ドイツの「ディートリヒ伝説」に登場する英雄ハイメの聖剣「ブルートガング」。伝説ではこの剣はとある一騎打ちで壊れてしまう。が、私はこれを復活させた』
金属の擦れる音を出しながら鞘から剣が引き抜かれた。
『楽に逝かせてやる』
その一言だった。
剣は見事に少年の心臓に刺さり、貫通した。
その瞬間、裡霊斗は抵抗した。剣を掴み、必死に抵抗した。
しかし一五秒して、少年は動かなくなった。
この時、亥裡霊斗は、全身の全機能を失った。
そして、
『死んだ』
復活祭
⦅……また、この夢か⦆
〖まだ夢と言うか。全く、死んでしまうとはな〗
⦅ははは。何せ相手は最強能力者な上に、俺たちの創作者だ⦆
〖随分と消極的だな。そんな理由で諦めるのか〗
⦅……しょうがないだろ。俺たちは所詮人形。奴を神にするための踏み台だったんだ⦆
〖諦めるのか〗
⦅ああそうだよ。死んだらみんな終り。死は平等なんだ⦆
〖そうだな〗
⦅……⦆
〖でも、そうじゃなくて。もし何でも出来る人間になれたとしたら〗
⦅いい幻想だな。もしそうなったら、当然奴を倒して、みんなを生き返すだろうな⦆
〖己の命と引き換えだとしても、か〗
⦅勿論。どうせ死んでいるんだ。一瞬でも生き返れるってだけでも贅沢な話だ⦆
〖なぜそんなに奴を倒すことを願う〗
⦅あいつはな、『次は成功させる』と言った。つまり、もう一度この悲劇を生み出そうとしているってことだ⦆
〖……ふむ。死んだ君には関係のない事だろう〗
⦅そうだろうけど、でも許されねえ事だ。あいつは人の命を何だと思っているんだ⦆
〖人じゃなく『神体能力者』たち、だろう〗
⦅いいや。容姿が同じ、感情が同じ、他人の事を考えている時点で人間と何も変わりない⦆
〖そうか〗
⦅人間と変わらないんだよ。なんにもな⦆
〖なるほど、そうかもしれないな。それでは、あまり時間もないことだ〗
⦅?⦆
〖君を生き返してやろう〗
⦅……⦆
〖信じる信じないは自由だが、とにかく今は自分の願いを想え〗
⦅……俺の……、願い⦆
〖これよりその幻想を具現化する。始まりは六〇秒後、そしてこれは私からのプレゼントだ〗
⦅なにをだ?⦆
〖『聖剣デュランダル』、決して刃こぼれしない剣だ。『激甚』に当たろうが欠ける事は無い〗
⦅何故これを?⦆
〖よく人間は言うのであろう。目には目を、歯には歯を、聖剣には聖剣を、とな〗
⦅……⦆
〖どうした?〗
⦅俺が生き返るのかどうかは未だ信じられないけどさ⦆
〖いや、絶対生き返る。お前がそう望むのならば〗
⦅もし、そうだったら。ありがとな⦆
〖どういたしまして。だが心得ておけ〗
⦅何を?⦆
〖もしまた殺されるようなことになれば、『神のごとき者は誰か』が〗
⦅俺を支配する、か⦆
〖フム、解ればよろしい。それでは行って来い。お前の望む世界に〗
⦅ああ⦆
六章 救済
『さて、残るはお前だけか』
クリスチャン・ローゼンクロイツは目標を定めていた。
対して相手も無残に殺されるつもりはない。せめて精一杯抵抗して、悔いの無いようにしよう。
裡霊斗が闘っている間、必死に自宅から持ってきたブレーブソードを構えた。
『せめてお前が私を少しでも神に近づけてくれることを望む』
威厳のある声で、
『被検体ナンバー〇〇二。ソフィア・レトーン=咲柄』
全身に力を籠め、両者は互いに地を蹴る。
だが、実力差があり過ぎた。
パワー、スピード、スタミナ。全てにおいて差があり過ぎたのだ。
ソフィアが五メートル進む間に、男は三〇メートルの距離を詰める。
『まあ、所詮はこの程度』
ふう、と息を吐いて男は己の能力、閃光『激甚』を出した。
対して少女も己の能力、閃光『弱圧』を出す。
見た目はよく似た能力だが、中身は全く違う。
『貴様の破壊は所詮原子レベル。だが私はその先を行くのだよ』
中心で互いの能力がぶつかり合うが、すぐにソフィアの閃光は押し返され始めた。
所詮はこの程度。
私は作られた側。
奴は創作者。
その違いは、圧倒的。
その差は歴然。
歯噛みをしながら悔しがるが、今更抵抗したところで何にもならない。
(私は……無力なんだ)
思う。思ってしまった。
「私は、無力なんだああああアアアアああああアアァァ!!」
思わず叫んだ。
しかしそれを否定する者がいた。
「そんなことは無い」と。
何時でも何処でも困ったら助けてくれる都合のいいヒーローがいた。
どんな敵にも一歩も引かず、勇敢に立ち向かうものがいた。
圧倒的力の差を気に留めることなく前進していく人がいた。
諦めの悪い意地汚い人間がいた。
迷う事を知らない一心不乱に進む少年がいた。
仲間を優先させ、自分のことなど顧みない憧れの少年。
彼の名前は『亥裡霊斗』。
2
男と少年、両者の距離は一五メートル。
『どんな術を使って生き返った』
低い声を出して尋ねた。
「さあな、気が付いたら大地に立っていたんだ」
大胆不敵な顔をして笑う。
『さして、その剣は如何なるものか』
裡霊斗の手に握られた銀色に光る剣を見て、男は訊く。
「『大天使ガブリエル』に貰ったんだ。なんでも決して刃こぼれすることのない剣、『聖剣デュランダル』らしいぜ」
瞬間、クリスチャン・ローゼンクロイツの顔が確かに強張った。
声が震えているのが分かった。
『お前如きが、大天使に「択ばれた」……だと』
「……何の話だ?」
『ほざけ。さては貴様、天使に干渉したか』
「ああ、らしいな」
『ならば貴様は俺に殺されるべきだ。干渉した人間を殺した者こそが、その役目を引き継ぐのだから』
裡霊斗はこのとき思った。
(なるほど)
と。
天使があんなにも慌てる理由はここにあった。
(こりゃあ、絶対に殺されちゃあいけないな)
腰を落とし、手に力を籠め、剣を構えた。
両者は互いに極度の集中力を維持する。
先に動いたのはクリスチャン・ローゼンクロイツだった。
地を蹴るなりたったの一歩で一五メートルという距離をゼロにする。
力と力がぶつかり合う瞬間、そこを中心に波動が生まれた。
聖剣と聖剣。
神の力を、精霊の力を宿した剣同士の衝突は恐ろしいものだった。
二人が立つ地面を残して、そこから半径三〇メートルの大地が五メートルの深さになったのだ。余波による地盤沈下及び地割れ、圧力。それらが重なり、地が耐えられなくなった。
その爆心地で二人は壮絶な闘いを繰り広げていた。
一秒間に一〇〇回以上ぶつかり合う二つの聖剣。
そしてそれを操る存在。物理の法則をこえた世界に『神体能力者』と『大魔術師』はいるのだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
『あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
気が付けば二人は雄叫びを上げていた。
が、ここで裡霊斗の体に変化が訪れた。
叫び声を上げ、必死だった少年の顔に嗤いが見えた。
【情けない】
少年は変声した。
【聖剣をもって未だこの次元か】
最早、少年『亥裡霊斗』では無かった。
【聖剣とはこう扱うものだ】
剣を振った。
縦横高さ時間の存在する世界で、五次元の世界の者の振りをした。
それは『人間』の左半身を消し炭にするには十分だった。
即座に右半身しかない男は後方に飛び退く。
『なかなか面白い事をしてくれるな。だが私は原子以下の全てを知るものだぞ。自分の体を治すことなど容易いことだ』
言うなり何もないところから彼の体を造る元素が構築される。眺める少年の眼は感心したように、
【ちょっとはやるじゃねえか、人間】
戦闘に長けた『大天使ミカエル』は言う。
言うといっても口からものを言う訳ではない。
地が共鳴し、大地そのものが喋っているのだ。
『お前は……誰だ?』
ようやくクリスチャン・ローゼンクロイツはこの異変に気付いた。自分の闘っている相手が全くの異質な存在に感じられたのだ。
【答える義理は無い。まして、答えたところで意味がない】
大天使は簡単に言い捨てた。
【なぜならお前はここで消されるのだから】
その直後だった。
音もなく『人間』の頭が吹き飛んだ。
【人間という生物は、脆いな】
元凶はがっかりした様な声を響かせた。が、剣を鞘に納めたりはしない。
【しかし、お前は少し違うな】
ゾゾゾゾゾゾぞぞぞぞぞぞぞゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ――――。
何かが死んだはずの大魔術師『クリスチャン・ローゼンクロイツ』に集まっていく。
【魔術、か】
大前提として、彼は中世ヨーロッパに伝説上存在した魔術師だ。彼が操るのは何も『神体能力』だけではない。例えば体に瀕死、又は死亡確定の傷を負わされた際に仮死状態にする魔術を仕掛けておき、仮死状態に陥った時には再生の魔術を施しておけば永遠に復活をすることが出来る。わざわざ仮死状態にするのは、復活の術式は繊細なもので、心臓などが動き続けていると術を失敗する恐れがあるからだ。
『私にここまでの傷を負わせるとは流石は天使だ』
頭部を取り戻した男は楽しげに言う。自分より遙かに強い存在が現れたというにも拘らず、その表情には一切の焦りがない。
『私の前にその姿を現したのは失敗だったな』
男の顔には汗型が垂れてきた。但しこれは目の前の強大なパワーに対する恐怖の象徴ではない。
これから自身によって起こされる、何か想像もつかない未来に対する恐怖と好奇心の象徴であった。
男はその感情を心の中で弄びながら、言う。
『久しぶりに能力と魔術のコラボでもしてみるか』
瞬間、魔術師は人間であることを捨てた。人間の上の領域、しかしそれは『神』になったという訳ではない。
『これまでのようにいくと思うなよ、大天使ミカエル』
地を蹴った、訳ではない。しかし、『人間以上』の存在はミカエルの隣にいた。
金属と金属のぶつかり合う音がする。
【神がお怒りだぞ】
対して、無表情でミカエルは告げる。
【今すぐにでも殺してやらねばならないな】
言うと、聖剣を振るった。
その気になれば宇宙すらも破壊できるという天使の力が、絶大なパワーが『天使上がり』を襲う。
が、彼は何かを唱えた。
『Mの書及び第三型自然的超能力より参照。超加速大統一理論原理適用』
ここで、天使の顔が僅かに歪んだ。
ミカエルの放った魔術と物理的要素を含んだ攻撃が、男の目の前で、当たる直前で弾けたのだ。
更に、
『Mの書より参照。第一世代の荷電レプトン、質量九・一〇九三八二九一(40)×10−31。よって、電子と判明。反撃の準備。三、二、』
口からこぼれるカウントダウンが終了した直後だった。
先程放った天使の力がそのまま、『大天使ミカエル』を襲った。
反射的に少年の姿をした体はその攻撃の通過点から座標をずらす。
その攻撃の進みゆく軌道を追っていると、二キロメートル先に聳え立つ『バベル・オブザ・タワー』の壁を内側から破ったのが見えた。
材質不明。強度測定不能。破壊不可能。
そう呼ばれていた、高さ三万メートルの建物の質量全てを支える物質が粉砕された。
『「暗黒エネルギー」の証明は完成した』
男は無表情で告げる。
『まさかこのような産物が手に入るとは思わなかった。「大天使ミカエル」、か。感謝する。貴様のおかげで天使の力は手に入った。後はゆっくりと体を慣らし、神に近づくだけだ』
さらばだ、大天使ミカエル。
その言葉は天使の耳には入らなかった。
それ以前に『神上がり』は魔術を組み込んだ斬撃を放ったからだ。
天使の速度を超え、
天使の力を超え、
天使の感知力を超え、
天使の耐久力を超えたその攻撃が放たれたからだ。
その瞬間。
大天使ミカエルは『死んだ』。
質量がゼロであるはずの天使が。
その正体に気付いた『神上がり』によって。
3
二六五階、元々寮が建っていたその場所には一人の男が佇んでいた。
《素晴らしい》
縦、三一四一・五メートル。
横、三一四一・五メートル。
高さ、三一四一五・九メートル。
通称『バベルの塔』。
あらゆる物理的、心理的、魔術的攻撃を受けようとも微動だにすることのない、音を伝える事すら許さない。そんな塔に揺れが生じた。
《天使の中でも最強と言われた大天使を殺した今 私を止める者などいない》
それら以外の衝撃によって揺れた塔には異変が起きていた。
《さて、取りあえず神になる元のエネルギーでも吸収するか》
揺れの震源である塔の二六五階では『元人間』が地面から高さ三〇センチ弱の所に浮いていた。
《取り敢えず太陽でも戴いてやろう》
元人間が手を天に掲げたその時だった、
「あっぶねえぇー!! いやあ、マジで死ぬかと思ったあ」
少年が近くに積もった塔の破片の瓦礫の中からひょっこりと顔を出した。
確か天使と一緒にその肉体を破壊したはずの少年が。
《生きている、だと?》
疑問が膨れ始めた。
宇宙が誕生した原因のビックバンという爆発が膨れていくかのように。
疑問が膨れ始めた。
《何故だ? 確かにあの時手応えがあったというのに 何故生きている?》
「そりゃあ天使殺しの攻撃を放ったから天使のみが死んだんだろ」
少年は、告げる。
「なあ、『神上がり』。いい事を教えてやろうか」
少年は全てを見透かしたような顔で、
「この世にお前の理想とする完璧の象徴、『神』なんて存在しない」
少年は勝ち誇った顔で、
「なぜならこの世界は完璧なんて存在しないからだ」
少年は言う。
「常に理想を求め、より異世界にするために、人間は今よりちょっとでもいい世界にしようとするんだ。例えそれがゆったりとした全身だったとしても良いじゃねえか。大切なのは確実な前進なんだから」
《……何が、言いたい?》
その時聖剣を手にした少年は軽く笑った。
「焦るなよ。自分を、みんなを、人間を信じてみろよ。お前は不信過ぎなんだよ、クリスチャン・ローゼンクロイツ」
クリスチャン・ローゼンクロイツ。
一三七八年、ドイツのブロッケン山近くの貧乏な没落貴族に生まれ、その後、修道院で育った。古代の英知を守り伝え、人類を正しい方向に導くため密かに活動しているとされる薔薇十字団の開祖とされている。
彼には願いがあった。
人類を正しき方向へと導く何かが欲しかった。
不安で仕方がなかった。このまま人類がこの道を突き進めば、いずれあるのは『滅』のみだと。
《人間への信頼心など 遠の昔に捨てたよ》
剣を、構える。
《私の計画を教えてやろうか》
剣先を少年の心臓に向け、
《私はお前たち旧人類を滅ぼし、新たなる人類を一から創り上げる》
動き出した。
《人間 神の裁きを受けよ》
直後、斬撃が彼を襲う。
完全に人間の、生物の動体視力を上回る速度を持つ攻撃だった。
しかし少年は避ける。
まるで予めそこに攻撃が来ることを分かっていたかのような反応だった。
横に薙ぎ払われた聖剣ブルートガングを見送ると、そのまま下から突き上げるように聖剣デュランダルを振るった。
そこに反応した神上がりは剣をもって来る。
激突。
余波が生まれ、二人の立っていた場を含めて辺りの地面が抉られた。
《中々の反応だ》
感心したように男は告げ、第二撃を加える。これもまた生物の動体視力では捉えられない一撃だった。
しかし聞こえるのは肉が切り裂かれる音、ではなく水晶と水晶がぶつかるような音だった。
つまりは聖剣と聖剣の衝突。
またしても人間は神上がりの攻撃を完全に防御した。
《人間 お前は今 如何なる手段を用いて我の攻撃を止めた》
パワー。
スピード。
スタミナ。
ディフェンス。
メンタル。
確実に全てが下回るたった一人の少年が、神に近づいた者に立ち向かえるはずなど無かった。
普通ならば、だ。
「知らねえよ」
しかしその法則に従わぬものは言う。
「ただ適当に、無我夢中でぶん回しているだけだ」
人類の運命を背負わされたたった一人の中学生は語る。
「覚えとけ。人間の潜在能力は科学でも魔術でも暗黒エネルギーを用いても全ては把握できないんだよ」
反撃があった。少年の大きな反撃が。
その時少年は剣を振った。その振りに全くブレが無く、綺麗な剣さばきだった。
その攻撃が『元人間』を飲み込んだ。
ただの斬撃であるその攻撃が、人間以上の存在を飲み込んだ。
《え Mの書より参照 物理的攻撃に対するため周囲の大気温を一億分の一Kに戻せ》
たった一撃が、
人間如きの一撃が、神上がりに神の力を使わせるほどの恐怖を生み出した。
熱エネルギーを失ったその動きは停止した。
物質が動くという事は常に熱が発生している。気体が対流しているからこそ我々人間はこの地球で動くことが出来る。しかし仮にその人間の周りの空気が一瞬でマイナス二七三度、つまりは絶対零度に限りなく近づくと、空気中の水蒸気や酸素、窒素は凝固して肌に凍り付き、体は固定化されてしまう。現にいま、裡霊斗の聖剣と腕には白い氷が張っていた。
それが、マイナス一〇度程度の氷ならばすぐに体温で溶けて動きを封じることは無い。しかし絶対零度というのはこの世に存在する全ての物質が動かなくなり、停止する温度なのだ。
マイナス二七三度とまではいかずとも、それに限りなく近づいたものならば、動くことは無い。それを確認したローゼンクロイツは言う。
《勇敢なる少年よ 褒め称えよう 神に抗おうとし ここまでの抵抗をしたことを だが 所詮は人間 ここまでだ さよなら 亥裡霊斗》
最後の一撃が聖剣を封じ込められた彼を襲った。
凍り付き、微動することさえ許さない少年の体が致命的衝撃に襲われるはずだった。
筈だった。
「……そう…………簡単に……やられて、たまるかアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ミシミシと、氷の割れる音が聞こえた。
動く! 動かせる!!
「うおあアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
半分凍り付いた脳で考え、半分凍り付いた脳で指令し、有りっ丈の力を凍った右手右腕右半身に込めた。
氷が割れる音と共に、再び聖剣と聖剣がぶつかる。
《……馬鹿、な!?》
そんな事は起こりえない。そんな筈はない。いいや絶対にありえない。
熱によって生まれる振動、熱振動。それがゼロになるのがマイナス二七三度、すなわち絶対零度。この温度に達した物質は熱振動が無い為、如何なるものであろうとエネルギーをもたない。
なのに、そのはずなのに、
《(何故だ 何故 貴様は動ける )》
分からない。分からなかった。
確かに量子力学の世界では物質が絶対零度となっても原子が静止せず振動しているという『零点振動』がある。例として挙げられるのはヘリウムで、この原子は絶対零度近傍でも固化しないのはこの零点振動が原因だ。
しかしそれでも、今起こっている現象はおかしい。
そもそもローゼンクロイツは彼の体内にある『水』を絶対零度ギリギリまでもっていったのだ。そして現に、少年の腕は固定化されていた。
氷を割る音を出しながら動いたのが確たる証拠なのだ。
なのに、
その証拠が、現象が、あまりにもおかしい。
物理学を、生物学を、化学を、科学を、常識を、常識を、原理を逸している。
「さあて、まずはお前の剣を破壊させてもらおうかな」
少年は強気な態度で聖剣デュランダを構えた。
そしてこの時、クリスチャン・ローゼンクロイツは思った。
《(……美しい)》
少年の姿勢、その構えは美しかった。
これ以上ない剣道の構えだった。
そして、真っ直ぐ、剣先は綺麗な弧を描き、無駄一つない動きで振り下ろされた。
対してクリスチャン・ローゼンクロイツの持つ聖剣ブルートガングが下から、これもまた弧を描いて振り上げられた。
しかし、聖剣と聖剣のぶつかる際に発生する特有の音は無かった。
代わりに。
クルクルと回りながら聖剣ブルートガングは宙を舞っていた。真っ直ぐと上に上昇していく。
《(……何が……起こった)》
分からなかった。何故、聖剣の刃の部分のみが空を舞っているのか。そして何より、何故奴の剣は折れることなく満足に振り降ろされているのか。
《……折れた のか》
「いいや違うね」
やっと動き出したローゼンクロイツの脳が弾き出した考えを即座に否定する声があった。
「切ったんだよ」
サクリ、と。地面に聖剣の切っ先が一〇センチほど突き刺さった。そこに見えた断面は驚く程に、鏡のような平らなものだった。
《な にが 起こった》
「終わりだよ、ローゼンクロイツ。俺の勝ちだ」
告げる。しかし、
《いいや終わらない終わるはずがない何故なら私は正しいからだ正しいものは救われる神は見ているこの私を!!》
不安に襲われたのか、神上がりの存在は早口で淡々と呟く。
「いいや、終わりなんだよ。天使が言っていただろう、『神がお怒りだぞ』ってな」
裡霊斗は冷静に、冷淡とした口調で伝えた。
しかし、
『いいや終わらない! 私は神だ!! 出来ないことなど無い!! 少年、お前が死ねば私は完全になる! 私を邪魔する者は消えるんだああああアアアアアアアアア!!!!』
瞬間、男は唱え始めた。
最早神上がりの存在から遠ざかり始めていた。
そもそも神上がりになるには何かとてつもなく強い意志が必要なのだ。だが、今のローゼンクロイツには明らかな不安があった。それは己の自信を無くし、意思を弱体化させるには十分なものだった。
『Mの書より参照。宇宙理論を展開、暗黒エネルギーを放出せよ』
男から何かが噴出していく。そしてそれは再び少年の体を飲み込もうとしていく。
「邪魔だ」
裡霊斗は剣を振った。
たったそのひと振りで、見えない何かが呆気なく消される。
『ならば』
男は自身の神体能力、閃光『激甚』を発動させた。
それが原子からできている物質ならば、原子核すらも、陽子中性子すらも、電子すらも破壊する絶対的な能力。
しかし、
「しつこいぞ」
裡霊斗は聖剣の側面を前に出す。
そこに当たった閃光が弾けた。
絶対的能力が完全に防御された瞬間だった。
「いい加減に目を覚ませ! お前の望む世界だって完璧じゃない。仮にそんな世界が出来たところで、いずれ何処かで崩れ始める」
少年は剣を構える。
「完璧に拘るな」
剣についた『刃』では無く、側面を相手に向け、
「この世は完璧じゃないから面白いんだ」
地を、
「もう一遍見てきやがれ」
蹴った。
「この世界の素晴らしき部分を」
少年の体が加速してゆく。それこそレールガンの弾ががレールから離れるまでの加速のように。
前へ前へ、加速していく。
(ならば)
と、ローゼンクロイツは考えた。
(足元の物質を破壊すれば)
再び『激甚』を放った。但し、今度は少年に向けての攻撃ではない。
その少年が進む進路に向かって、放った。
しかし、それはまるっきり無駄だった。
その時、少年はそれ以上地面に足をつくことを考えていなかった。つまりはたった一歩で十分だという事。
『くッッ!!』
咄嗟にローゼンクロイツは己の肉に有りっ丈の力を込めて後ろへ飛び退いた。
二五メートルプールを軽く飛び越せる、そんな後退だった。これだけ飛んで、尚且つ地面を破壊すれば、奴は届かない。
はずなのに、
『何故だ!?』
分からなかった。
(なぜこうも迫って来れる!? 奴は何故地に堕ちない? 何故私があらゆる策を出して奴を阻害しているというにも拘らず、奴は止まらないのだ!? 化け物は、神に近い存在は、奴の方だったというのか!? まさかこれが!! これが、本当の『暗黒闇能』なのか!?)
「神だの絶対的な力を求めなきゃこの世界を正しい方向に導けないっていうなら」
肉が軋み、あらゆる感情が交差する中、
少年は己の信念をその剣に、込めて放つ。
「おれが間違った方向へ進んだお前を、救ってやる」
直後に上空三一四一五・九メートルで凄まじい斬撃があった。
聖剣デュランダの『刃』ではなく平らな側面が男の体にめり込んだ。
重心を捉えられたその体は、間近で爆風を受けたように飛んでいき、バベルの塔の内壁にぶつかる。
今度こそ、もがき、あがき、この世界に神として君臨しようとした一人の男の信念が、元素が、完全に断ち切られた。
4
残った一人の少年は、フラフラとその場から歩き出した。
ローゼンクロイツとの戦いによって開けた森の一部に辿り着くと、聖剣を地面に突き刺した。そして、地面に何かを描いていく。
(復活させる)
別に習ったことは無い。
けれど少年の頭の中にはその知識があった。
恐らく天使に干渉された際、捻じ込まれたものだろう。
けれど今はそれが最後の希望だった。
数分して、それは描きあげられた。
『蘇生魔法陣』。
悪魔を呼び出す際に魔術師が描く、特別な空間を作るためのものらしい。星や円を利用したそれは、そこに特別な空間を創り上げる。
天使が言うには悪魔だけでなく、人間の魂及び肉体を呼び出すことも可能で、更には直前に破壊された周辺の環境をよみがえらせることも可能らしい。但し、そのためには術者が犠牲になるのが条件だった。魔法陣を描き上げたら中央に立ち、そこで聖剣を真上に投げる。後は仰向けに寝て、その落ちてくる剣に胸を貫かれるだけ。幸運なことに、この術式を発動した術者本人の存在については、術式を完成する瞬間を目にされなければ、周辺の人物の記憶からは消されるらしい。
描き上げた少年は、傷だらけの体を引きずって魔法陣の中央に向かった。
その時、彼を呼ぶ声があった。
てっきり死んだと思っていた少女、ソフィア=レトーン=咲柄。
忘れていたが、よくよく思い返せば彼女があの男に殺された場面になど一度も遭遇していない。奴が神に覚醒しかけた時だって、ただ単に衝撃波に飲まれて気絶し、がれきの下に埋もれていただけであって、命はあったのだろう。
「悲しませちゃうかな」
確かにこの術式によって亥裡霊斗という記憶は消えるのだが、この術を発動する瞬間を見られてしまえば、記憶は、思い出は、残ってしまう。
「失敗だったな」
ソフィアがこちらに気付いた。
魔法陣によって空間と空間が断絶されている為、彼女の声は聞き取れないが、口の動きを見れば何を言っているか分かる。
「何を、しているの?」
と。
少年は尚も善意の笑みを崩さない。
聴こえる訳が無いのだが、それでも唇を動かす。
「最後の仕事だよ」
と。
剣を持つ右手右腕に力を込める。
そして振り上げた。
剣は綺麗に真っ直ぐと上に、上に、上がっていく。同時に裡霊斗は仰向けに魔法陣の中心に寝っ転がった。
空間の外ではソフィアがしきりに何か叫んでいる。
『神体能力』の一つ、閃光『弱圧』を使って必死にこちらに入り込もうとしているが意味がない。彼女の能力は物質を崩すだけであって、空間に穴をあける力は持ち合わせていない。
そうしている間に剣は降下を、自由落下を始めた。
魔術的力が働いているせいか、切っ先は少年の胸を狙っている。
(……これで)
少年は目を閉じる。
(ようやく終わる)
そして、
魔術が発動した。
少年の願いが叶えられた。
切永ろん。
明宮瞳。
萩野双児。
萩野双発。
それと――――。
それと――――。
彼ら五人と一体は復活した。
独りの尊い命を犠牲にした魔術によって。
彼は言った。
クリスチャン・ローゼンクロイツ倒すといった。
だが同時に。
最後に、
彼を救うとも言ったのだ。
終章 審判
〖おめでとう。君の願いは叶えられた〗
⦅……そうだな⦆
〖それにしても壮絶な闘いだったな〗
⦅……一つ聞きたいんだけど⦆
〖何か?〗
⦅お前、最後の最後に俺をアシストしただろ。奴の懐に最後の一撃を加える直前に⦆
〖仕方がなかったからな。まさか奴にあそこまでの力が残っているとは思わなかったんだ〗
⦅人間を見くびるからだ⦆
〖そのせいで『神のごとき者は誰か』が消滅してしまったしな〗
⦅まあそんな事、俺の知ったこっちゃないけどね。どうせ死んでしまったんだから⦆
〖さて、そのことなのだが、幾つか問題が現れた〗
⦅……問題?⦆
〖まず君の術式を人間に見られてしまったという点だ〗
⦅それになにか問題でもあるの?⦆
〖彼女が悲しむだろう〗
⦅……何が言いたいんだ?⦆
〖あの少女が可哀想だという点に問題がある〗
⦅……⦆
〖何故、意外そうな感情を私に抱いている? 私は天使だぞ〗
⦅そりゃあね⦆
〖人を憐れむ心ぐらいもっている〗
⦅……他の問題点は?⦆
〖ふむ。これは大天使としての問題なのだが〗
⦅……⦆
〖君は『神のごとき者は誰か』を復活させただろう〗
⦅可哀想だったからね⦆
〖その事で神が大変喜んでしまってな〗
⦅神って単純だな⦆
〖君の肉体を造って現世に送り込んだ〗
⦅何でもありだな⦆
〖ところで、最後の問題点だが〗
⦅まだあるのか⦆
〖君の魂が未だに現世をさ迷っている〗
⦅それは勘弁してほしいね⦆
〖まあ日本語で簡単に言えば成仏できていないってとこだな〗
⦅……何が言いたい?⦆
〖つまり、肉体と魂が現世にあり、意識だけ一応私がこの世界に連れて来ただけであって〗
⦅……?⦆
〖君は生き返ることが出来る〗
⦅……………………………………マジで!?⦆
〖本当だよ。あとは君が帰りたいと願うだけ〗
⦅うーん⦆
〖どうした?〗
⦅一つ聞きたいんだけど⦆
〖何かな?〗
⦅俺にあの世界へ戻る資格っていうのがあると思うか?⦆
〖それは、自分の目で確かめてくるべきだと思う〗
⦅そんなものかな⦆
〖駄目だと思ったら帰ってくればいい。君なら神に消されずにいい役職に就けてもらえるさ〗
⦅神様っていうのは甘いな⦆
〖そう思うか?〗
⦅……取りあえず、そういうのはまたこっちに来た時に考えるよ⦆
〖……そうか〗
⦅じゃあな、大天使ガブリエル。またいつか⦆
その日は。
人類史上初。
キリスト教界二度目。
一人の人間が生き返った日であった。