若き騎士
結果だけ先に言うならば、王との会話は5分で終わった。
ルキアは王の執政室に着くやいなや、
「父様! クロノと城下街まで遊びに行ってきます!」
まるで一般家庭の子どもが近所の友達と最寄りの公園まで遊びに行ってくる、と言うような気軽さだった。
対して王は、
「そうか、日が暮れるまでには帰ってきなさい」
そんな一般家庭の親のような送り方をした。
「王よ、発言を宜しいでしょうか?」
穏やかな親子の会話にクロノが畏まって尋ねる。
「私とお前の間にそんな許可は必要ないぞ? 好きに発言しなさい」
クロノとルキアは生まれた頃から一緒に過ごしてきた。
それはクロノの父がずっと、それこそ王が王である前から専属の護衛であった。
そのためクロノとルキアはずっと家族ぐるみでの付き合いがあった。
故に王はクロノに対しても息子のように接する。
「はい。姫が城外を視察なさる時は、然るべき護衛と然るべき手順を……」
しかし親の心子知らずとも言うべきか、クロノはガチガチの石頭であった。
とは言っても、王は反抗期の一種だろう、と暖かな目で見ていた。
「よいよい。護衛ならクロノがいれば十分であるし、外に遊びに行く子どもを引き止める親もそうそうおるまいて」
そう言うと王は年に似合わず、大きく手を振って二人を見送った。
「お、ルキア様じゃないですか! 今日も買い物ですか?」
「ルキア様、新しいぬいぐるみ入荷してますよ」
「ルキア様! 新メニュー試してみませんか!?」
「ルキア様!」「ルキア様ー」「ルキア様」
城下にある市場に着くやいなや、ルキアはあちこちから声を掛けられ、囲まれた。
「うん、ありがとうっ。ホントに!? いただくよー」
ルキアもそれぞれに律儀に反応を返している。
ルキアが城下街に出るのは1度や2度ではないし、人当たりのいい明るい性格をしており、素直で嫌みな所や偉ぶったところもない彼女は、一般庶民の人気者だった。
クロノは少しだけ距離を取り、その様子を見ている。
「たまには騎士の兄ちゃんもどうだい?」
果物屋の店主がルキアに薦めたものと同じ果実を出してきた。
「いえ、職務中ですので」
お固いクロノはもちろん断った。
「クロノ! いいじゃない少しくらい食べても誰も怒らないわよ」
それを目敏く見ていたルキアもクロノに薦める。
「ですが……」
「林檎好きなくせにー。昔、林檎食べすぎてご飯食べられなくなって、給仕係さんに怒られてたじゃない」
クロノの恥ずかしい暴露話に周りがドッと笑う。
「あぁ、もう分かりました。ありがたくいただきます」
「ははは、騎士の兄ちゃんは相変わらずルキア様の尻に敷かれてるのかい!」
店主は豪快に笑った。
クロノは諦め気味に、店主から林檎を受け取り、対価のコインを渡そうとしたが、
「いいって、お代はいらねーよ! サービスだ気にすんな!」
店主はその手を押しのける。
「そんなわけにはいきません」
クロノも引く気はなく無理矢理コインを握らせた。
「やれやれ、頑固だねぇ」
と、店主は仕方なくコインを受け取った。
賑やかな市場を抜け、2人は国立公園に来ていた。
その場所では市民が思い思いに寛いでいる。
そこでもルキアを見た人達は挨拶を交わしてくる。
「んー、風が気持ちーねークロノー」
ルキアはそう言いながら、手を思いっ切り空へ伸ばした。
「はい、天気もよく、散歩などには絶好の日和かと」
クロノはそんなこと絶対思ってなさそうな顔で答えた。
「今日も城下は平和そのものね」
「はい、王の治世の賜物かと」
この国、レグレータ国を治める王は、いわゆる『覇王』や『賢王』と呼ばれる類の名君ではなかった。
言ってしまえば凡庸な王だった。
しかし彼は、国を治める、ということに関しては少なからず才能があった。
現王が即位してからは、国土は増えも減りもしなかったが、治安がよくなり、作物の収穫も安定してきた。
際立ったことなど出来やしない、後世の歴史家達もあまり興味を示さないような並の王であったが、ある意味国民達にとっては最も大事な才を持つ王であった。
故に国民は王を信頼し、王族たる姫も国民に受け入れられやすかった。
「うん、なんたって自慢の父様だもの」
ルキアは嬉しそうに目を細めた。
城を出たのは昼前だったが、市場を回り、公園で憩い、市街を散歩しているうちに、既に太陽は1番高い山の頂に差し掛かろうとする時間になっていた。
人通りも大分まばらになっている。
「姫様、そろそろ帰る時間です」
「もうそんな時間かー。クロノと出掛けるとホント時間が経つのが早いわ」
ルキアは名残惜しそうに橙色の太陽を見つめた。
そのまま数秒立ち止まったかと思うと、数歩クロノの先に行き、振り返った。
「クロノは楽しかった?」
「はい、とても。姫様と一緒にいて退屈などしませんしね」
クロノは見た目にはしかめっ面で、しかし心からの感想を述べた。
「そ、よかったっ」
クロノの返事を聞いて満足したルキアは足取りも軽く、城へと歩きだした。
それから数分後。
クロノが急にルキアの腕を掴んだ。
何かと思ったルキアが口を開こうとして、止めた。
逡巡した後、
「クロノ。状況の説明を」
「はい、姫様。ただいま不穏な気配を持つ者、6人に囲まれております」
いくら治安がよかろうが、犯罪は当然全てなくなったりはしない。
ましてや、王族が城外をのこのこ歩いていれば、それは鴨が葱を背負っているのと同じこと。
緊迫した空気が2人の間に張り詰める。
クロノは、不意に背後から強烈な敵意を感じた。
「姫様!」
叫ぶと同時、クロノはルキアを抱え込み背後を睨む。
その15Mほど先に、黒い頭巾で顔を隠した、怪しいを具現化したような男が立っており、何かブツブツ呟いていた。
そして、叫んだ。
「フレイムランス!」
突き出した掌から、言葉通り炎の槍が飛び出した。
その魔法が発動されると、姿を隠していた他の5人が一斉にクロノ達に襲い掛かった。
しかしクロノは慌てなかった。
それどころか、ピクリとも表情を変えなかった。
「この程度か……」
溜め息を一つ。
そしてルキアを片手に抱き抱えたまま、腰の剣を取り、そのまま振るった。
「なんだと!?」
魔法を放った男は驚愕し、戦慄した。
クロノはただの剣圧で炎を掻き消した上に、同時に襲い来る5人を薙ぎ払った。
一振りで。
鞘から剣を抜かずに。
剣で殴られた5人は意識を絶たれ、地面に力無く倒れ込んだ。
「あ、ああ……」
唯一無事である魔法を放った男は、その信じられない出来事に腰を抜かしていた。
戦意など微塵も残っていなかった。
「姫様、お怪我はありませんか?」
「怪我をする暇なんてなかったわ」
「そうですか。ご無事で何よりです。では少しお待ちください。憲兵を呼びますので」
クロノは懐から怪しげな3cm四方くらいの箱を取り出すと、地面に叩き付けた。
すると、その箱から不思議な光が上空まで飛んでいき、弾けた。
「あとはここで待つだけね」
今のは魔導具という、特殊な効力を発揮する道具で、クロノが使ったものは、距離の離れた相手に合図と自分の位置を知らせるものだ。
「にしてもクロノって、また強くなったのね」
「毎日訓練していますから。それに、こいつらはさほど大した相手ではありませんでしたし」
地面に横たわる5人と、少し離れた所で腰を抜かしている男を一瞥した。
「守ってくれてありがとね、クロノっ」
「いえ、これが私の役目ですから」
その言い方に少しルキアは落ち込んだ。
「役目って、じゃあ役目じゃなかったら守ってくれないの?」
その言葉にクロノは首を傾げて、答えた。
「そうですね」
ルキアは一層落ち込んだ。
クロノは女心も分からなければ、空気も読めない朴念仁であることは、ルキア自身よく知っているが、それでもやはり聞きたくないことはある。
「ですが……」
ただ、クロノの言葉はまだ続いていた。
「これは私が生まれた時から死ぬまで、決して終わることのない、自分とあなたに誓ったことですから、役目じゃなかったら、という定義自体がすでに有り得ません」
それを聞いたルキアの顔は一気に赤くなった。
「そ、それって、一生守ってくれるってこと!?」
「はい、もちろんです」
クロノはルキアが何故そんな反応をするのか分からないままだが、当然のことなので頷いた。 「こ、ここここれって、ある意味プ、ププ、プローッ! きゃー!」
一人はしゃぐルキアを、クロノは不思議そうな目で見ていた。
それから数分後、憲兵は到着し、襲撃犯達は捕らえられ、クロノとルキアは無事に城へと戻ることが出来た。
太陽が役目を終えて、月が主役の時間になってからさらに数時間が経った頃。
城壁で怪しい影が2つ、声を潜めて話をしていた。
「夕方の件、どうだった?」
暗くてその姿はハッキリとは分からない。
ただ背は高く、髪は黒だった。
「数人の気配が在りました」
こちらは前述の人物に比べ、背は高くなく、布で頭を覆っているため、髪の色は分からない。 「具体的な人数は分かるか?」
「私が感じた限りでは、4人でした。只…」
「お前が気配を読めない相手なんて滅多にいるものじゃない。自信を持て」
「はい、有難う御座居ます」
「にしても、そうか…。やはりいくら王の信用を得ていたとしても、護衛を俺1人に任せるわけもないか」
2人はそこで押し黙った。
「とりあえずプランCはこれで消えたな。次の策を練ろう。お前は情報収集に戻ってくれ」
「は!」
「…すまないな、厄介事に巻き込んで」
「私は貴方の部下です。好きにお使い下さい」
そう言うと姿が1つ、煙のように消えた。
「時間も、あまりないな……」
もう1つも姿を隠したところで巡回の兵士がそこを通った。
「異常なーし」
夜が更けていく。