職責
一ヶ月。
それはつまり、ルキアが身辺を整理する為に設けられた期間でもある。
一度嫁いだら恐らくは帰って来れない。
婚姻と言えば聞こえはいいが、要は人質のようなものだ。
人質を帰す事など有り得ない。
故に、ルキアは今生の別れを告げるべく、一ヶ月間ひたすら挨拶へ回ることとなった。
結婚が告げられた最初の夜、ルキアは自室に篭っていた。
ベッドに寝転がり、顔を枕に押し付けたまま、長い時間そうしていた。
(私は王の娘。王族たる責任がある。国民のためにこの身はある。国民から税を徴収し、その財で日々を贅沢に生きる私達の義務)
ルキアはそんな事をひたすら頭の中で反芻している。
(父様の判断は決して間違ってなんかない。政略結婚なんて珍しいことでもなんでもない。 当たり前の事だ)
ただただ自分に言い聞かせる。
(クロノ。会いたい話したい頼りたい触れたい)
甘えがルキアの胸を溶かすように侵食していく。
(ダメ! 会えない! いま会えば決心が揺らぐ。ダメだダメだダメだダメだ! 私は父様の娘として、王族として、責任を果たすのよ!)
ルキアの思考はループする。
(でも会いたい、会いたいよ)
何時間も何時間も。
(ううん、国民を犠牲になんて出来ない。私一人の甘さが取り返しのつかない事になる)
責任・国民・クロノ
(一目でも会えば、多分泣き叫んで甘えてしまう。離れたくないと)
彼女の頭の中は塗り潰されていく。
レックスが謁見にて政略結婚を持ち掛けてから数日、クロノはルキアの命令で護衛の任を解かれ、城内の警備を勤めていた。
その間幾度かクロノはルキアと顔を合わせかけたのだが、その度にルキアは全力で逃げていた。 そんなある日、クロノは見回りの最中に、執務を終えて自室へ歩く王と鉢合わせた。
「おぉクロノか、何か顔を見るのは久しぶりな気がするな」
国王は弱々しく微笑んだ。
彼は一目で分かるほどに体調を崩していた。
「お久しぶりです、王」
クロノは深々と頭を下げる。
「ふむ……」
そんなクロノを見て、国王は少し考えると、
「クロノ、この後は時間はあるかね?」
そう尋ねた。
「はっ、間もなく見回りが終わり休憩となります」
「そうか、ならば後の見回りは彼に任せて、今から私の部屋へ来てくれないか?」
国王は後ろの兵を指して言った。
「かしこまりました」
クロノはすぐに答えると、代わりの者に見回りを引き継ぎ、国王の後に続いた。
国王は私室に付くと、人払いをし、クロノを中へと招き入れた。
国王は椅子に座り、クロノを向かいの椅子に腰掛けさせ、一つ尋ねた。
「クロノ、私を恨んでいるか?」
その問いに、クロノは少し考えた。
「恨まれて当然の事を私はした。国のためと言いながら、自分の娘を売ったのだ」
国王はクロノの沈黙を肯定と取ったのか、自らを責める。
その姿にクロノは慌てて発言をした。
「いいえ、そんな事はありません。王の判断は間違ってなどいません。私などより王のほうが余程お辛いでしょう」
それはクロノの本心だった。
確かに個人的な感情としては、ルキアを政治の道具として使うことに嫌悪感があるが、国のためを思えば仕方のない判断なのだから。
むしろクロノは問い返した。
「王こそ大丈夫ですか? そのご様子ではろくに睡眠も取ってないように思われますが」
国王は誰の目にも明らかな程に疲れきっている。
自分の判断が仕方ない事だと周りが言ってくれるとはいえ、娘を政治に利用したのは間違いないのだから。
あの日以来、国王はほとんど寝ておらず、食事すら満足に取れていなかった。
「うむ、心配をかけてすまないな、クロノ。私は大丈夫だ。ルキアはもっと辛いだろうに、父親である私が伏せっているわけにはいくまい」
国王はそう言うと、無理矢理に微笑んだ。
「そうですか。しかし、ご無理はなさらないで下さい」
「分かった、ありがとう」
そして会話が終わると、クロノは部屋を後にした。
自室に戻るまでのクロノはいたって平静だった。
表面上は。
「―っ!」
一人きりになった途端、クロノは自室の壁を強く殴った。
「王、貴方を恨んでいないのは本当です」
まるで懺悔でもするかのように、苦々しく言葉を吐き出す。
「私がっ、俺がっ、恨んでいるのは!」
再び壁を殴る。
「無力な俺自身だ」
クロノは震えていた。
ただただ怒りに身を震わせていた。