八話 港町アンセルワープ
一日かけて到着したのは、堀と白い城壁に囲まれた――遠くから見ると、大陸から切り離された半円形の島に見える――港町アンセルワープ。現在、俺たちは馬を町の外にある厩舎に預け、町長の親書で何とか警備兵をごまかして、その市街、町の中央にあるドーナツ型の巨大建築ゼーラント州行政府へと続く石畳が隙間なく敷き詰められた大通りを歩いている。そこに最終目的地の入国管理局がある。
この都市、しばらく歩いていると、なかなか見事だ。まず道の幅がとても広いうえに、道の左右に歩道車用の、中央部に馬車用――乗馬は禁止――の通路が配されていて、それぞれの境目にはある街路樹の植えられた分離帯が用途別、方向別に分けている。全体の幅を車線の数で表すと十六くらいはあるだろう。
道路沿いには様々な商業施設が立ち並び、人々の往来は盛んで、人々の話声と馬の足音でうるさいくらいだ。今は昼間だからついていないものの、洒落た街灯や下水溝まで設置されている。街灯が何で付くかは知らないが、光源が火でないのは確かだ。
至る所に水路が張り巡らされているため、すでに橋をいくつも渡っている。それにしてもいつ行政府に着くのだろうか。遠くにぼんやりと見えてはいるが、全然近づいていない。街に入ってから三十分くらいは歩き続けているんだけどなあ。
「やっぱり徒歩で行くのは無理ね。このままだと日が暮れちゃうとは言わないけど、相当時間がかかるわ。しょうがないから別の手段で行きましょう」
ため息を吐きながらリーネはこう言った。まったく近づいていないと思ったら、そんなに距離があったのか。恐るべし。
「別の手段? 馬車でも乗るのかい?」
「それでもいいんだけど、せっかくこの街に来たんだから、あれに乗らなきゃね。かなりの金が吹っ飛ぶけど」
船だろうか。だが、入り組んだ水路を進むくらいなら、まっすぐ行政府まで貫かれている大通りを進む方が早いはず。飛竜? 空には雲一つなく、太陽が燦々と輝くのみだ。他に何があると言うのか?
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俺たちを行政府前に連れて来てくれたのは、メトロライナーという地下を走る電車のような乗り物だった。世界で三都市――全てレーラム――にしかないというそれは、魔法と科学技術の融合により生み出され、精霊によって機械的に運航されている。メトロライナーに乗り込むと、僅か二分で終点まで到着した。
かかった運賃は一人四ギルダー、三人分しめて十二ギルダー、すなわち統一銀貨十二枚だ。レーラム一般市民の月収は五百ギルダー、統一金貨五枚ぶんだというので、かなり高めと言えるだろう。だが、その料金分の時間短縮ができた。後から聞いた話なのだが、街の入り口からは徒歩三時間、馬車でも三十分かかるという。それがメトロライナーでは三分なのだから!
その後、俺たちは威容を誇る七階建ての行政府ビルへと入り、五階の入国管理局に至った。行政府ビルの巨大さ、中世ならではの装飾とガラス張りの屋根や鉄の梁といった近代的な建築要素の入り混じった姿にも驚いたが、エレベーターまで設置されているとは。レーラムは先進国だと聞いていたが、時代区分が違うらしい。
「最近、中央からも入国審査を厳しくしろとのお達しが来てるから、奴が思うほど簡単には滞在書を発行できないんだが。ふーむ」
ワイシャツにズボンという機能的な恰好をした入国管理官が、町長の親書を見ながら呻いている。魔王軍の影響は平和なこの国にも影を落としつつある。もっとも、魔王軍自体が脅威なのではなく、隣国からろくでなしが逃げてくるのを防ぐためというのが本当のところらしい。
「……君、奴の息子だろ?」
入国管理官は手紙から視点を動かさず、チャーリーに尋ねた。
「はい」
「じゃあ、今度プロパーニュ地方の上質なワインでも送るよう言っておいてくれるかい?」
「任せてください。親父のワインセラーにいくらでもありますから」
「よし、少し時間がかかるからこの建物の中でも見てきたまえ」
二人とも得がたい仲間だ。比較的平和なレーラムに落っこちたこと以上に、いい友人に出会えたことの方が幸福だ。町長にも再び迷惑がかかってしまうな。ますます早く、あの紙きれを売らなきゃいけない。
さて、勧められたことだし、行政府内部の散策をするとしましょうかねえ。曰く、行政府は港と並ぶアンセルワープの名物なのだが、多くの人は外から眺めるだけで入ってこないと言う。役所だから近づきがたい気がするのだろう。だから人もいないし、気楽でいいや!
「足痛ーい、肩痛ーい、休みたーい!」
喚いているのはリーネだ。普段なら静かにしたほうがいいと忠告するのだが、今回ばかりは仕方がない。この行政府、途方もなく広いのだ。一階の中央庭園を見物して、三階の州議会を回り、四階の王立銀行支店で統一貨幣をギルダーに両替しただけでもうへとへとだ。メトロライナーに乗るまでずっと歩いていたのもあるかもしれない。
リーネはベンチに腰かけてぐだりとしていて、チャーリーは途中で購入した紙パックの水を貪るように飲んでいる。建物内は空調がしっかりしていて、暑くも寒くもないのだが、額の辺りに汗がにじみ出ている。俺ももう限界だ。ひとまず休もう。俺もベンチに座ろうとした時、こんな声が聞こえてきた。
『ちっ、勇者だってのに、王様どころか州知事にすら会えないのかよ。都合があるとかぬかしてたが、勇者に会う以上の用事があるのかよ』
不愉快な口調で不平を漏らしている少年の声だ。どいつが勇者なのかは一発で見当が付いた。何処かの学校の制服らしきブレザーを着て、これまた同じ制服の少女二人を侍らせた男、間違いなくあいつが勇者だ。刻印も伝説も武具もなくても、あいつの格好はこの世界では浮きまくっているのですぐわかる。
ちなみに、俺の来ていた服は町長の家だ。今の俺の服装はどこからどう見ても一般市民である。
『仕方ないよ。私たちはこの国に召喚されたわけじゃないんだし』
『でも、他の国だって、それぞれの勇者がいるのにそれなりの待遇でもてなしてくれたぜ。それなのにここは特別扱い一切なし! 勇者に向かって入国管理局に来いだってよ。州知事に文句着けてやろうにも門前払い。後、住み心地が断トツでいいのは認めるが、物価が高すぎるんだよ。一番安い宿で銀貨十枚ってなんやねん!』
引き連れている少女の一人が少年を宥めるが、口調を強める一方だ。不愉快な男だ。町はずれならいくら叫んでもいいが、人の居る所、それも役所でレーラムの批判とは。
断言できるが、あいつは魔王の居る大陸にすらたどり着けない。途中のどうでもいい洞窟でのたれ死ぬのがオチだ。勇者だからといって、関係のない他国に特別待遇を望むなど、自己中心的にも程度というものがある。
『ああ、早く帰りてえな。快適な故郷によ。こんなクソッたれだらけの世界とはさっさとおさらばしたいぜ。自分たちの都合で俺たちを呼びつけたくせに。絶対に復讐してやる……』
クソはお前だよ。女の子たちはともかく、こんな野郎に同情していた俺もバカだった。他国の連中は知らんが、レーラムは勇者を召喚していないし、州知事も当たり前のことをしただけだ。もし街の人々に突っかかってみろ、身ぐるみ全部剥いだうえに、かちんこちんに凍らせて見世物にしてやる。
「不愉快な野郎がいるな」
「そうね。こんなところでぶつくさと呟く、度胸も玉もないのが」
ベンチにだれていたはずの二人がいつの間にか起き上がって、目に軽蔑と怒りを浮かべている。声色もどことなく怖い。自分たちが身勝手な理由で恨まれているのに腹でも立ったのか? 少なくとも、見過ごしては置けないみたいだ。
きな臭い。でも、ここは行政府ビルだ。こんなところで争いごとをしたら大変なことになってしまう。やばい、勇者と目が合ってしまった。ここでは喧嘩したくないなあ。レーラムにいたいし。外なら大歓迎なんだが。