七話 旅人達の社交場
集落を出てからさらに時が過ぎ、もうすっかり日が暮れて夜のとばりが降りている。夜は日中見なかった狂暴な魔物が出没するらしいが、この辺りでは高が知れているほどのものしか現れないという。村長からは旅行中の資金のほかに幻蛍石という光を放つ石を与えられた。これをヘッドライトの代わりとして馬に装着し、夜間も目的地に進むらしい。
このまま進めば日が変わるころには到着するだろうが、乗りこなせたものの、数年ぶりの乗馬とあって身も心もへとへと、鞍は悪くなかったのだが、特にケツが痛い。リーネとチャーリーはおろか、馬たちですらケロッとしているけれど、俺はもう限界で、道中の岐路の近くに旅人の宿屋があったので、今日の旅はここまでにすることにした。
二階建ての宿屋は結構にぎわっており、食堂では旅人達が互いの体験談を語り合ったり情報交換に努めている。草原にぽつんと建っている宿屋だが、リーネの家より客入りはいい。少なくとも二十人位はいる。なぜこんなに人が多いのか。答えはこの分岐路が交通の要所だからである。分かれ道の一方は目的地である港町アンセルワープ、他方は湖畔の都市マーシアへと続いている。この二都市を行き来する人が多いから、ここに宿屋が建っているのだ。
椅子に座って二人と話しているといくつかの会話が聞こえてきた。
『マーシア湖に巨大水竜が出たって聞いたんだが、実際のところどうなのかね?』
『ああ、どうにも噂程度のものらしいぞ。あそこの住民でも目撃した奴はほとんどいないし、俺も三日間いたんだが、湖で見たものと言えば飛び跳ねる魚くらいなものだったよ。それ目当てなら行くのはやめておいた方がいいな』
『あそこの娘、男装してるけど何かわけでもあんのかな?』
『おらあ、男装美女も好きだぜえ。だから理由なんてどーでもいいや』
『実は自分もなんすよ。へっへっへ』
リーネがにやにやしながらこちらを見ているし、チャーリーは他の旅人とともに女性の好みに関する談義に加わっていた。何か、いっそ少女になった方が楽な気がしてきた。女装したら自分だって女の子にしか見えないから、見ず知らずの人に男装扱いされても仕方ないけどね。それにしても巨大水竜か。見てみたいが、滞在証の方が先だし、後でまた行けばいい。
旅人達の会話に耳をそばだたせるのはなかなか面白い。話題はさまざまで、くだらないことと興味深いことで玉石混交といったところだが、この世界をまったくと言っていいくらい知らない俺にとっては有益な事の方が多い。旅人達の社交場でもあるから俺も会話に加わりたいが、まったく見ず知らずの人間と話す口実になるほどの話題がない。
向こうの男たちが話している下世話な話題にもついては行けない。思えば、仕事ばかりでつまらない人間になってしまった。次にここへ立ち寄る頃には多少は話せるようになっていることを信じたい。
『おい、ダルキアから勇者が来たって知ってるか』
『へえ、勇者様が世界の嫌われ者レーラムにいらっしゃったのか。何の用があるってんだ?』
『それは知らないんだが、そいつらはどうにもあそこにいる子らくらいらしいぜ。他国は年端も行かぬガキにすがるほど追い込まれてるかもしれねえってのに、水竜だの女だのこの国は平和だぜ』
俺の前で勇者などとは、実に興味のわく話だ。俺の中でのヒーロー観は人々に讃えられる有能で勇気ある人物ではなく、上位の存在に操られる無能で使い捨ての雑巾であるというものだ。まさかこの世界にも同世代の犠牲者が生まれていたとは。もっとも、俺にはもはや関係のないことだ。
「勇者かあ。色々な国が召喚してて、互いの面子をかけてるところもあるから大変でしょうね。魔王軍と和約を結んでるとまで言われちゃってるうちの国には無縁の事だけど」
リーネもあの会話を聞いていたらしい。彼女もまた、世界の窮地を他人事であるかのような言い草をしている。実際その通りなんだろうな。魔物も大して強くないし、被害もなしでは危機感が湧くわけがない。
「横から失礼します。彼らがどんな雰囲気を漂わせていたとかご存じないですか?」
話しかけるつもりはなかったが、気持ちが変わったので、勇者に関して話題にしていた、すぐ横の席に座っていた旅人たちに話しかけることにした。かつての自分と寸分違わぬ生贄について興味が出てきたからだ。
「俺が見たんじゃねえけど、自分はダルキア王国から来た勇者だと名乗ったそいつらは緊迫した素振りもなく旅行客みたいな気軽さだったらしい。公然とは名乗ってなかったからか、気付かなかった奴がほとんどで、様子はあんまり伝わってこないんだよ。所詮はただのガキで、威光が見えるのはそいつらじゃなくて勇者の肩書に過ぎないってことさ」
レーラム人から見ると勇者という存在は張子の虎に見えるみたいだ。そして、彼の語った一行は俺とは似ても似つかぬ連中だ。自分たちに課せられた責務の重大さを分かっていないと思われる。それでいいのだ。所詮、できることなどたかが知れている……。
「あんた、やたら深刻そうな顔してるわよ。何も言ってなかったけど、昨日は全然寝てなかったでしょ。明日も早いんだし、さっさと床に就いたほうがいいわ」
そうだな。瞼も体もすっかり重いし、食事も摂った。翌日に向けて万全の態勢を整えたい。勇者の事を教えてくれた旅人達に感謝の言葉を伝えてから、まだ起きていると言うリーネと下品な話に花を咲かせているチャーリーをわき目に一人寝室へと戻ることにした。
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次の朝は早く寝たのもあって、とても心地のいいものだった。外に出ると、地平線から昇ったばかりの朝日と限りない草原に吹く少し冷たい風がここは異世界なんだと言うことを改めて実感させる。ここまで澄んだ景色は、開発されつくしたかつての世界には絶対にないと断言できる。
俺に似合っているのはこっちだ。何しろ体の動き方が全然違うからな。全身鉛で覆われていると錯覚するほどだったのに、今では羽が着いているかのようで、馬にも乗らず、このまま自分の足で駆けて行きたい気分だ。
「よお、ずいぶんとお早いじゃないか」
チャーリーが後ろから声をかけてきた。まだ夜が明けたばかりで、まして彼は夜遅くまで話し込んでいたはずで、どことなく眠たげだ。
「君もね。昨日は遅くまで起きてたんだろ? まだ出発の時刻じゃないし、無理はしない方がいいよ」
「たまたま目覚めて窓を見たら、ぽつーんと立ってる知り合いが居てな。眠たいのはそうなんだが、こんなありふれた風景を有り難がってる感じがした気になってよ」
今の心境を気取られてしまったな。俺はそんなに分かりやすい人間ではないんだが。
「きれいだというのは同感だが、そんなにすごいもんか?」
「俺にとってはね。本当の意味での自然がなかったから。俺の故郷には」
あそこには作られたものしかない。自然らしきものはあるが、それは全て意図的に設計されている。本来木が生えている場所にはビルがあり、川のあったところは道路になり、家のあったところに森林公園がある。作って直しての繰り返しで、まったく別の作品が出来てしまった。自然と人工物が融合した空間などとぬかしているが、気味が悪いことこの上ない。反吐が出る。この世界にはそうならないでほしいものだ。
「聞きそびれたが、お前どこから来たんだ?」
「遠くだよ。ここよりずっと遠く……」
チャーリーはこれ以上何も言わず、俺とともにまっすぐ地平線の方を眺めていた。
馬を走らせること三時間、高台からは数多の船が点在する青い海が見えた。その前に広がるのは、街中が幾重もの水路が張り巡らされ、白い家々が連なり、更に大きな堀で囲まれている港町アンセルワープ。堀を弧にした半円形の市域の中心部には大きなドーナツ型の建物が鎮座していて、その他にも立派な建造物が多数窺える。
あそこには何があるのか。胸がうずくばかりだ。