四話 幸運な俺
リーネの説明が一区切りついた時、ちょうど町長が戻って来た。戻って来たのはいいのだが、持ってくるはずの滞在証とやらが手に無く、申し訳なさそうな顔をしている。
「すまない。この街のみのもの、せいぜいうちみたいな小さな町でのものならできるのだが、全土で有効な滞在証というのなら、やはり入国管理局が発行するやつでなければだめだろう。王都や他の大都市には入れない。それでは困るだろう」
「やっぱり駄目なのね」
どうやら俺が町に入るのに町長発行の簡易滞在証――町民と知り合いならそれすらいらない――が必要なだけのレーラム国民ではなく、正規の証書を所有していない訳ありだということを彼は察してくれたらしく、事情も問わずこう言ってくれた。まったく、ここの人たちはいい人ばかりだ。
「そうですね」
余計なことは言わない方がいいだろう。
「この国の領土はこのレーラム大陸のみだから、他国の国民は海を渡って来るしかない。飛竜では海を渡れない、すなわち船で訪れるから入国管理局は港町のみにある。ここから一番近い港町はアンセルワープだが、それでも一番早い馬で正味十時間、休憩時間その他諸々を含めると丸一日ほどかかる。飛竜なら三時間くらいなんだがな。あいにく、こんな田舎にはいないんだ」
ほう、飛竜なんて便利なものまでいるのか。あんな化け物もいるんだから当然かもしれないが。それにしても、一番近い港町でも丸一日かかるのか。あの世界なら半日有れば基本的にどこへでも行けるのに。
「それで町長、苦労して行って、彼の滞在証を貰えるの?」
「大丈夫だよ、リーネ。あそこの入国管理官の一人が私の大学の同期で、どうにかしてくれるはずさ。明日までに親書と旅行資金と馬を用意しておこう」
「いいんですか? 何処の馬の骨とも知れないのにお金まで貸して頂けるなんて」
「ふむ、もちろんだ。後、君の持ってきたやつの事だが、やはり私には過ぎた代物だから学術院に買い取ってもらうといい。それの価値は金貨三千枚は下らないだろう。学術院なら似たような価格で引き取ってくれるに違いない。その金で返してくれればいいよ」
「金貨三千枚? 幾らぐらいの価値なんだ?」
町長に聞くわけにもいかず、リーネにこっそり耳打ちした。
「来ると思ったわ。王都にそこそこの家が買えるくらいね」
何ということだ。いい値段が付くとは思っていたが、まさか首都に家が購入できるほどだったとは。普通に使えば、高級料理店のフルコースを食べただけでスズメの涙程度しか残らなくなってしまう。
「君が行くアンセルワープの街までの間は平地だし、大した魔物も出ないからさしたる苦労はないだろう。ただ、この辺りを知らぬ人間、それも年端もいかぬ子どもを一人で行かせる訳にはいかない。リーネと同い年、おそらく君とも同世代であろう家のドラ息子を案内人に付けよう。今はどっかに遊びに行ってるが、春期休暇中だしちょうどいい。行先も行先だから喜んでいくと思うぞ。どうかね?」
地図さえくれればとも思うが、この世界に来たばかりでいきなり長距離移動は無理だろう。やはり案内人は欲しいものの、同世代とは。リーネとはきっかけもあって、出逢ったばかりだが関係はいいはず。でも、同世代とは如何せん付き合いにくい。
住んでる世界が違ったし、付き合い方が分からない。俺が普通のガキだった頃からの友人は問題なく引き続き付き合えたし、むしろ絆はますます強くなったと思う。奴らのほとんどは最後まで俺を見捨てなかった。
だけど、英雄になってから新しい友を作れたことはない。近寄って来るのは、俺の地位や影響力を利用しよう企んだりや『彼ら』のお近づきになろうと目論む連中ばかりだった。おかげで一時期酷い人間不信に陥ってしまったのだが、それでも大衆の前に出て仕事をしないといけなかった。あの頃の事はあまり思い出したくない。
慣れないことはしたくない。でも、ずっと同世代の仲間と少年時代にしか作れない友情を築いてみたいとも思っていた。この世界で俺は静かに、それでいて年相応の暮らしをしたいのだ。生まれ変わったつもりで色々なことに挑戦してみたい。新しい友人作りもだ。
「有り難い限りです。じゃあ、お願いすることにします」
「……」
申し出を受けることに決めたが、何故かリーネが何か言いたげな表情をしている。町長の息子に不具合でもあるのだろうか?
「そうか! こちらからお願いしたいくらいだったが、いやあ本当に助かるよ。あいつも大人抜きであちこち行けるようにならなければいけない歳だからな。リーネ、悪いがクリスのことを後で紹介してやってくれ」
「ええ、ありのままね。ところで森に行ったらやたら大きい化物が居たんだけど」
「おお、いたのか! 茶色い毛並で、大きさはあの森の杉の木と同じくらいだったろう?」
あの化け物について町長はご存じの様だ。口ぶりも何だかうれしそうだ。リーネも俺も全然嬉しくなかったが。
「近くのサーカスからベヒーモスの亜種のベッヒー君が逃げ出したという報告があってな。非常に臆病な性格で、睨んだだけで逃げてしまうから、いじめられていないかと調教師がとても心配していたのだ。君たち、ひどい目に遭わせてないだろうな?」
「「……」」
開いた口が塞がらない。はっきり言って、異世界に来て今が一番驚いている。あんな図体して臆病者とは。雰囲気も明らかに威嚇してる感じだったが、ずっと待っていたのは人を食うつもりはなかったか、その度胸がなかったのか。少なくとも、せっかく野に出たから背伸びしてみようとして普段自分を虐げている人間を追い払ってみようとしたけれど、結局できなかったのだろう。
だとしたら、あのベヒーモス――ヤギとはだいぶ違ったな。後、すげえ間抜けな名前だ――は俺みたいじゃないか。違うのは奴は今までの思いを晴らそうとして、できなかったということ。今のところ俺の場合はうまくいってるが、やつのようになる可能性は十分ある。まずは明日が試金石だ。
悪かったなベッヒー君、お前がそんな奴だった知らなかった。もし殺していたら、俺は相当な自責の念に駆られただろうし、今後の異世界ライフに暗い影を落とすのも間違いない。臆病な奴だと分かったら、小さくしたことすら申し訳なく感じる。この辺には大したライバルはいないらしいから、幸せに暮らしてくれ。
「ああ、あのベヒーモス何もせずいなくなっちゃったかと思えば、怖がりさんだったのねー。よかったよかった、早く飼い主さんのところへ帰れるといいなー」
何たる三文芝居だ、リーネ。酷いことをしたと言ってるようなものじゃないか。どんなバカでも何かあったことが分かるよ。
「何かしたのかい?」
案の定、見抜いた町長は今までの温厚な雰囲気は保ちつつ、目つきをわずかばかり険しくしている。しかたない、強力な魔法を使えるのは隠しておきたかったけれど、いい人相手に嘘を吐くよりましだ。
「ごめんなさい! あんな見た目してたから、怖くて小さくしちゃったの。サーカスの団員さんたちには私が自分で謝りに行くわ。殺してなんかいない、信じて」
どういう風の吹き回しか、リーネが俺の罪をかぶってくれた。得体の知れない俺のようなものが強力な魔法を行使できるとなれば、あらぬ疑いをかけられ、入国管理局ではなく牢獄にぶち込まれるかもしれなかった。魔王とやらが世界征服を目指そうとしているこのご時世、必要な書類も持っていない不審者を放っておくほどこの町長は甘くはないだろう。だからかな、リーネが嘘を吐いたのは。
「正直に言ったのはよろしい。臆病とはいえあのベヒーモスの仲間だ。脅威を感じるのは無理もないし、正当防衛の範疇であろう。サーカスの連中には私から言っておくが、謝りに行くんだぞ。それが分かったら明日の朝、ここに来なさい」
ふう、助かったのかな。僅かばかり心苦しいが、素直に彼女に感謝しよう。けれども、サーカスにはリーネとともに謝罪しなければいけない。俺たちも悪くはないと思うが、けじめをつけるためだ。リーネにも借りを作ってしまった。自宅に居候させてもらうというのに。
俺たちは町長の家を去り、当初の目的であった服屋に向かわず、リーネの自宅に向かうことになった。外は未だに晴天、空が青すぎる。