十三話 結ぶ糸
「……ここは何処だ?」
俺が居たのは空の上でも湖岸でもなく、見知らぬ個室のベッドの上だった。俺は水竜に遭遇して、天空に上って、それから……。そうだ、意識を失って、気が付いたらここだ。
今の俺の状態は素っ裸だ。おそらく、ここへ運んできた人間が脱がしたのだろう。困ったことだ。あれのポケットの中に涙とうろこが入っている。他人に奪われたら、これまでの苦労が水の泡になってしまう。だが、レーラム大陸全体を見渡せるほどの超高度に行けたのだから、それだけでも価値はあった。リーネ達には悪いが、涙やうろこが無くなってしまっていても、俺は満足だ。
それにしても、ここは一体? 窓から望める巨大な湖と対岸の深い森、マーシアから動いてはいないみたいだが。
「あら、やっと起きたのね!」
開かれた扉の先には、銀紙に包まれた細長い棒状のものを持っているリーネが居た。素っ裸だが、布団で隠れているので一安心だ。
「本当に良かった。あなた、どうやって湖岸に戻って来たか覚えてる?」
リーネは右手を胸に当てて、安堵の表情を浮かべている。心配をかけるのは良くないことだが、それをしてもらえるのは存外悪くないものだ。どうやって帰還したかについてだが、そんなこと覚えているわけがない。仲間のところへ帰してくれと言ったら、急に辺りが暗くなって、ベッドの上に倒れていたのだから。
「私とチャーリーが岸辺であなたの帰りを待っていたら、光の粒が集まって来て、人の形を作ったと思ったら、それがあなただったというわけ。文字通り、驚いて声も出なかったわ」
どうやら俺は天空から地上へと瞬間移動したらしい。光の粒子が人間になったのだから、目撃したリーネが唖然としたのも無理ない。俺だってしりもちを付くくらいだ。瞬間移動はそうめったに拝める代物ではない。では、そんなことをやってのけたあの竜はなんだというのか。リーネのくれた牛肉とレタスの挟まったパンにかじりつくながら、ふと考えてみる。
「街は大騒ぎよ。湖から突如舞い上がっていた巨大な竜。あなた、あれに会ったの?」
あの巨体が水柱と轟音をたてて空へと昇って行ったのだから、そりゃあ騒ぎにもなるわな。さぞかし迫力のある光景だったのだろう。
「会って話をしたよ。頼みも簡単に聞いてくれて、涙もうろこもくれたし、そんなに難しい依頼じゃあなかったな。あの古書店の爺さんがくれた書類のおかげだね。ところで、涙とうろこはどこだい?」
彼女の笑顔は次第に曇って行く。やはり、涙とうろこは他人の手に渡ってしまったのか。
「湖から飛び出した虹色に輝く巨竜、実はあれ水竜じゃないの。本物は空を飛べないどころか、翼すらないわ」
予想はついていた。水竜は海軍、すなわち人間でも軍用に用いることができるほど大量に繁殖させることができるという。例え天然物といえども、高い知性を持ち、人語を解することが出来ようともあそこまでの畏怖を感じさせる存在ではあるまい。そして、奴はあの世界を知っているかのような口ぶりだった。とにかく、あれは人知を超える何かなのだ。
リーネによると、水竜の目撃例はすべて遠くにぼんやりと見えた、との曖昧な証言ばかりであり、生物が一匹も住まぬはずのマーシア湖の水面から現れた首の長い何かは水竜に違いないと誤解されてしまった可能性があるそうだ。
「涙とうろこ、確かにあなたは持ってきてくれたけど、これじゃダメかもしれない。だけど、これはずっと希少なものである可能性もあるわ。あなたの調子が戻り次第、アンセルワープに戻ってギルドに報告したいのだけど、いい?」
何時間寝たのかは定かではないが、休息は十分すぎるほど。今すぐにでも戻れるくらい体調は万全だ。さっさと報酬を受け取って借金を返した後、世界旅行に出たい。あの竜にもう一度まみえるという目的もできたしな。
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「なるほど。噂はここにも届いておりますが、あなた方だったとは……」
翌日、ギルドのアンセルワープ支部に苦労の成果を渡しに向かったのだが、例にもれず受付の女性も驚いている。どうやら俺は丸一日ベットの上に沈んでいたらしく、その間にマーシア湖から天へと昇って何処かへ去っていた巨竜の話は全土へと広まってしまったらしい。
ちなみに、あれは水竜ではないとする冒険者は多く、未だに依頼を果たそうとマーシアに留まっているともリーネから聞いた。俺の見た限り、あの湖にはもはや目に見えない微生物くらいしかいないはず。せいぜい、底に妙な形をした水草が幾らか生えている程度だ。
「この二つはうろこの色からもご理解いただける通り、あの巨竜から手に入れた代物です。水竜のそれとは少し異なるでしょうが、さらに希少でもあると考えます。どうでしょうか?」
物言いこそ疑問形だが、リーネはこれを喜んで受け取ってもらえると確信していた。何しろ、皆でアンセルワープに向かう最中に三万ギルダーで何をするか語り合っていたほどだ。リーネはあの竜と遭遇するための手立てと手段を用意し、俺は計画を実行した。チャーリーは何もしていないようだが、そもそもこの依頼を見つけてきたのは彼なので、きっちり三分割することにした。そこまで金に執着する必要もないしな。
「申し訳ございません。このようなことは私の一存では決められませんから、支部長の判断を仰ぐことになります。少々お待ちください」
しばらくして受付の奥から現れたのは無精ひげを生やした厳つい中年の男だった。彼がギルドの支部長とやらだな。
「事情は聞いたのだが、これの依頼主はその、特別な地位に就いていらっしゃる方でな。その方は依頼を果たした者たちとの面会を望んでいらっしゃった。面会の為に君らにはこれから王都ガルナに向かってもらう。その為の飛竜便も手配しよう。ここから半日かからないだろう」
「誰なんですか?」
チャーリーが支部長に質問した。王都にいる特別な地位の人間、政府関係者だろうか。
「いいか、他言は無用だ。依頼主は、王国第百五十代宰相マーカス・ヘーゼルダイン侯爵だ」
ヘーゼルダイン? 他の二人も国の政治一般を司る人物の依頼とあって驚いているのだろう。だが、俺の息を止めかけたのは宰相が依頼主だったという事実ではなく、彼の名字だ。
戦時下において、俺の世界の支配者たちであるセブン・シスターズの財政的後ろ盾となった財閥の名をヘーゼルダインと言った。今は彼らに乗っ取られてしまった財閥の名が、ソールシアと俺の故郷をつなぐ糸を紡ぎだす。巨竜の言葉によって糸は強固になるのだ。
この苗字はありふれたものではなく、マーカス侯爵は彼の財閥の血縁者かもしれない。だが、俺の知り得る限りヘーゼルダイン財閥にマーカスという名の人物はいないはずだ。では違うのか。どのみち俺たちは王都へと赴かなければならない。宰相があの世界との関わりが薄い人物であることを祈るしかない。
コストの高さゆえに三大都市間の移動にのみ用いられる飛竜便に乗って、俺たちはレーラム王国の首都である最大都市ガルナへと向かった。旧世界とのつながりを想定したせいか、気分はどんよりと重い。