十話 ギルドへ行ってみました 下
やっぱりダメだ。ランクFの仕事で命を危険にさらすことは間違いなくないが、その分スズメの涙ほどの金でこき使われるようだ。一番報酬の良い依頼は赤ん坊のお守りで日給五ギルダー、加えて昼飯付きというもの。銀貨五枚分の仕事だ。悪くない内容だが、募集は一人で、俺やチャーリーに赤子の面倒を見ることはできないだろう。よって、ランクFのファイルにもはや用はない。
次に手に取ったのは緑色のEランクのファイル。こちらにはちらほら外部に出て薬品や料理の材料を手に入れてほしいとか、街の中でもネズミや害虫退治をしてほしいとかいう依頼が多い。それでもやっぱり安全なものばかりだ。最高額は町はずれにいるチンピラを成敗して欲しいという依頼で、見返りは五十ギルダーと宿代だ。となると、一人当たり約十七ギルダー、高級料理店でフルコースが食べられるくらいの金額。
リーネの方も軽くうなずいている。了解の合図だ。よし、これにしよう!
「じゃあ、これに……」
「これだああっ!」
チャーリーの大声が静寂を破った。驚きのあまり、リーネや受付係の人も彼の方へと視線を向けている。俺も少しドキリとしてしまった。だって、何の突拍子もなく、いきなりすぎたからな。
「おい見ろ! Sランクの依頼だが、魔物退治じゃない。だから、他ランクの奴らも引き受けることができる。少し粘れば大金ゲットだぜ!!」
彼は机の上に黒いファイルを開き、俺たちに見るよう指図した。鼻息がものすごく荒く、目は輝いている。それにしても、他には目もくれずSランクを手に取った危害は何と表現すべきか。無謀というか、バカというか。
「なになに? 『最近マーシア湖に天然の水竜が出現したという噂をご存じの冒険者も多いだろう。そこで、万能薬エリクサーの材料の一つ、水竜の涙とやはり希少な水竜のうろこを入手してきてほしい。マーシア周辺には強い魔物は現れないが、彼の水竜の目撃例は少なく、時間と手間と資金を要すると考えたため、難易度をSランクに設定させてもらった。報酬は十万ギルダー、一番早く条件を達成した者のみに与える。諸君らの健闘を祈る』ですって? あんたバカ?」
リーネは呆れ顔でため息を吐いている。マーシア湖の水竜といえば、旅人の宿でそんな話題を耳にしたな。見物に行ったがまったく甲斐がなく、帰って来たとか。俺も待つのはあまり得意じゃないんだよな。
「水竜って珍しいのか?」
「天然ものはね。海軍がたくさん飼育してるけど、あれは人工繁殖されてるもの。天然の水竜の涙とうろこと牙、そして血は希少とされているわ。水竜自体の数がとても少なくて、レーラム国内じゃ今回のが十数年ぶりくらいだった気がする。チャーリー、あんた旅人の宿での話聞いてた?」
「聞いてない。あそこではずっと下ネタばっかりだったからな!」
二人が言い争いをしているうちに、この依頼を達成できるかどうかを検討してみよう。報酬は早い者勝ちで、目撃するだけではなく、涙とうろこを手に入れなければならない。単純に見物に行っている人もいるだろうが、報酬目当ての冒険者たちもマーシアの街に押しかけているに違いない。よって無理!
「諦めよう。何か別の依頼はないのか?」
「ちっ。あそこは保養地で、混浴温泉があるってのに……。じゃあ、これはどうだ? 古本屋の依頼。ランクはDで、報酬は五十ギルダーだ。内容は文書の翻訳ねえ。店主の爺さんは呆けてんじゃねえか?」
舌打ちの後に呟いた下心丸出しの言葉は聞かなかったことにしよう。なるほど、チンピラ退治よりは楽だし、報酬は一緒ときたか。ランクが高いのはおそらく誰も解読できない文字で書かれているからだな。
「いいんじゃない。私たちには他の冒険者連中にはいない秘密兵器がいるしね」
彼女は微笑を浮かべながら俺に向けてウインクした。どういうわけなのか。ああ、彼女はこの依頼を達成することができると考えているのか。彼女は俺が異世界出身であることを知っており、読めない字の解読が可能かもしれないと推測しているのだろう。試してみる価値はある。
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受付で委任状を受け取った後、再びメトロライナーで移動すること数分。住宅地に佇んでいる古書店へとやって来た。
「いらっしゃい。おやまあ、べっぴんさんが二人も来ちょる。おめえさん幸せもんじゃのう」
「いやあ、そんなことないっすよ。へっへっへ」
店の扉を開けて早々これだ。少女に間違えられること自体は、もう仕方ないとあきらめている。だが、目の前の返事をした男がハーレムを築いているかのように思われるのは癪に障る。そういえば、あの勇者も女の子を二人引き連れていたな。奴もこんなかんじなのだろうか。
「これ委任状です」
じろりとチャーリーを睨みつけたリーネは、ギルドでもらった委任状を鼻眼鏡つけた爺さんに手渡した。
「……? わし、こんなもんだしてたっけ?」
おいおい、本格的に忘れっぽくなっているようだ。委任状も目を凝らしてやっとこさ読めているといった感じだったので、店を息子か誰かに譲り渡すのをお勧めしたい。並んでいる棚に入りきらず、床にまで高く積まれている古書はもったいないので店を畳めとは言わないけどな。
「冗談じゃよ。こんな職業をやっているせいで、ボケることができないんじゃよ。ちょっと待っておれ。ブツを持って来るからのお」
店の奥へと引っ込んでいった爺さんを待つこと数分、戻って来たと思えば、とんでもないものをぶら下げてきた。
「なんだこれは……」
「……」
リーネとチャーリーは絶句しているが、その表情はまさに対照的だ。前者は顔を真っ赤にして、爺さんが持ってきたものから目を逸らして、あさっての方向を向いている。後者の目はダイヤモンドもびっくりなほどの輝きを放っていて、それしか見えていないらしい。ただ一点を凝視している。
「これは本らしいが、全てのページが現実の風景そのものを写し取ったような絵ばかりじゃ。政府がこんなことをできる機器を持っているらしいが、内容からして違うじゃろ」
それは本である。中身は多くのカラー写真で彩られており、文字は写真の周囲にちょこちょこと記されているだけ。その内容を俺は読むことができる。間違いない、俺の世界の産物だ。
「その本の題名は何と言うんじゃ?」
「あー、巨乳ナンバーワンかなあ」
「買ったあ! 爺さん、報酬はいらん。だから俺のなけなしの金、全財産の五十五ギルダーでそれを売ってくれ!」
「サイテー」
一言吐き捨てたリーネを横目に、水着の女性の胸の谷間がやたら強調された表紙とタイトルに心打たれた男は、荒い鼻息を立てながら必死な面持ちで爺さんに迫っている。因みに、俺はこんなものじゃもはや何も感じない。この顔だと女性に言い寄られることも多いのだ。
「ふむ。そう読むのか。他の冒険者たちにも売ってくれとせがまれたが、お前さんらに言い値の五十五ギルダーで譲るとしよう」
エロ本を震える手でうやうやしく受け取ったチャーリーは小躍りしながら書店の外へと出て行った。人目につかないところでゆっくり鑑賞しようという算段だな。どうしようもない、欲望に正直な男である。
「さて、試験はこれくらいにして、お前さんらに本当に見てほしいものが有る」
痴呆老人の面影は一瞬で失せ、爺さんの目つきが鋭くなる。彼はズボンのポケットから折りたたまれた紙を取り出した。本題はこれだな。
「変色しているし、一部が欠けているが、大まかな内容は記されているはずじゃ。察するに、それはノートの切れ端か何かだと思うのじゃが、どうかの?」
爺さんから受け取った紙切れをよく観察する。罫線が引かれており、沿って文字が書かれている。内容から考えると、これは日記か何かか? しかし、日付の部分が欠けている。絵もない。文末には筆記体で『RAC』とある。署名かな?
「どうやら、日記みたいですね。大まかな趣旨は、筆者が友人と喧嘩したってところです。原因等は記されていませんが、この『RAC』という人物が筆者かと」
「長いこと生きとるせいで、相手が嘘をついているか否かが分かるが、おぬしは真実を語っとるの。それを拾ったのはかれこれ十年以上も前の事。保存の魔法をかけたおかげで腐食するのは避けられたのじゃが、内容は全く判然としないまま月日は過ぎて行った。ありがとう若人たちよ。これでわしも思い残すことなく、死ねんな。未練だらけじゃ」
爺さんが生きる気力に満ち溢れているのは何よりだ。人間、どれほど長く生きながらえたとしてもまだ足りない。この世界に来て、俺はそう思うようになった。あの頃からは想像もできないことだ。かつて俺が居たのは狭い鳥かごの中だったが、今は無限に広がる青空を旅している。失った時間を取り戻す日々は始まったばかりだ。
さて、日記の事だが、拾ったのは十年以上も前のことだという。記されている文字はあの世界のものなので、時間の流れ方が同じならば、俺はまだ……。あれ? 何してたっけ? さっぱり記憶にない。ずいぶん昔の事だし、気にする必要もないかな。
十年は長く、この日記の著者は生きているかは不明瞭だ。ここ十年であの世界は大きく変質してしまった。社会構造は変わり、多くの犠牲者が出るのだが、そんな時代の中で、支配者層の一角を占めるにすぎなかった『彼ら』は世界最高権力者となるに至ったのである。『彼ら』は俺という作られた英雄を台本に沿って舞台で踊らせているうちに、その権力基盤をしっかりと固めていき、用済みとなった俺は捨てられたという訳だ。反吐が出る話で、思い出したくもない。
「報酬に関してだが、ギルドに預けてあるから窓口で受け取っておくれ。それと、これはわしからのプレゼントじゃ。君らに幸運が訪れるよう祈る」
爺さんは傍らの古書をリーネに渡し、その後発情している男を回収して、爺さんに見送られてギルドに帰った。時刻はいつの間にやら夕刻を指そうとしている。夕日は沈みつつあり、もうすぐ夜がやって来る。