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雪鬼と花鬼

作者: 天ヶ森雀

 その双子が産まれたのは明け方で、そこに集まった多くの鬼婆達が首を振って悲しんだ。事もあろうに雪鬼と花鬼の双子とは。

 同じ血を分ける者同士、二人は驚く程よく似た真っ白な肌と髪、そして虹色に輝く二本の角を持っていたが、それでも醸し出す空気の違いは歴然としていた。

 兄の雪鬼は峻列なまでの清浄さを、妹の花鬼は血生臭さが漂う様な禍々しさを纏っていたのだから。

「分けねばな」

 一番小さく一番皺の深い鬼婆が、さも当然の様に言った。

 母鬼はとっくに事切れている。

 鬼の子は乳を必要としない。洞穴に転がしておけば勝手に育つ。

「じゃあ、花鬼はワシが」

 比較的若い婆が言った。この禍々しさなら鬼の子としては育て安かろう。時として養い親が喰われる事もないではないが、それはそれでその時である。年輪を重ねた鬼婆が生き延びる事が先決だった。

「ならば雪鬼は我が」

 名乗り出たのはよぼよぼの小さい鬼婆だった。弱々しいのは年を食っているせいではない。生きた分だけの精を蓄えていないからだ。

 この峻烈な雪鬼を育てる事で、少しでも多くの鬼の精を得ようとしていた。

「決まりじゃな。花鬼は東の野地へ、雪鬼は北の峡谷へ分ける。この双子は今後一切会う事はまかりならん。会えば災厄が押し寄せるだろう」

 ぐう、ともむう、ともつかぬ唸り声を上げて、鬼婆達は唱和する。

 こうして同じ日に産まれた二匹の鬼は、とこしえの盟約に準じて分け離されたのだった。


   ◇


 花鬼はあっと言う間に育った。育ての婆が教えなくとも、手で掴むもの全てを食ったからだ。

 初めは地べたを走り回る虫やイモリを、動ける様になれば鼠を、やがて洞穴から出ると捕まえられる獣は皆喰った。 

 いつも口元を血で染めた少女は、その肌の白さと相まって、見る者がぞっとする程美しく育つ。

 やがて里に降りて人も喰らう様になると、益々その美しさは際立っていった。

 里の者は花鬼を恐れた。

 恐れられれば恐れられるほど、花鬼は美しくなる。鬼としての精を溜め込み、見るものを魅了してやまなくなる。

 ある日、通りすがりの子供を食っていると、脇で腰を抜かしていた子守りの娘が呟いた。

「なぜ? 前は助けてくれんしたのに…」

 かたかた震えながら言うその若い娘に目をやる。

 前? 助けた?

 とんと記憶がない。

「嘘をつくな」

「嘘でないです。雪山で凍えそうだった時、助けてくれたでねえですか」

「知らん」

「そんな綺麗な顔を見間違えるわけねぇ。白い白い肌に唇だけが南天みたいに赤かった」

「知らん」

「…なら、同族じゃね。お前様とあの鬼とは他人とは思われん」

 いつしか娘の声は、掛想でもしているかの様に、うっとりしたものになっている。

「お前、その鬼と何処で会った」

 細い指が無言で北を差す。

 そちらは通年白い頭を見せる高い峰々のある方だった。

「ふうん…」

 育ての婆に行くなと言われていた地だった。言われなくとも行く気もなかった。その地は近付くほど餌が無くなったからだ。

「分かった」

 花鬼はそう呟くと、まるで何かを期待するように頬を染めた娘の体をバリバリと噛み下し、一口も残らず食い終えると、おもむろに北に向かって歩き出していた。


   ◇


 北は寒かった。

 分かってはいた事だったが、進めば進むほどちらちらと降っていた雪は激しくなり、人はおろか獣一匹見なくなった。

 当然、腹が減る。

 減る腹を時折さすりながら、花鬼は進んだ。

「行ってはならぬ」

 現れたのは育ての鬼婆だ。

 皺くちゃの顔からノミで穿ったような目を紅く光らせて、行く手を阻もうとした。

「じゃまだ、どけ」

「行ってはならぬ」

 花鬼の言葉が聴こえなかったかのように、鬼婆は同じ言葉を繰り返した。

 くしゃくしゃの口元から似あわぬ牙をぬっと覗かせ、その躰よりでかい鎌を構えて、鬼婆は花鬼めがけて突き進んできた。

 しかし所詮花鬼の敵ではない。花鬼は生れ落ちて来た時から特別な鬼だった。誰よりも強く、当たり前に強かった。

 一閃の爪で倒した鬼婆を、花鬼は躊躇いもなく喰った。

 それからまた、何人かの鬼婆やその配下のあやかしが花鬼の行く手を阻もうとする。しかし無駄だった。

 皮肉な事に、行く手を遮ろうとする鬼やあやかしたちが、花鬼の糧となり雪道を進ませる結果となった。

 彼女を動かすのは、自分にそっくりだと言う同族の存在だ。

 そんな奴が本当にいるのだろうか?

 花鬼は幼い頃の記憶を手繰り寄せる。

 育った洞穴に、たまに他の鬼婆が訪ねてくる事もあったが、彼女達は角がある事以外どれも花鬼にはあまり似てなかった。

「美しゅう育ったのう」

「当然じゃ。この子の母は橋姫じゃった」

「おう、ほんに当然じゃ」

 干からびた木の虚の様な声でそんな事を言う。

 橋姫。

 それが自分を産んだ女鬼の名か。何故橋姫が当然美しいのかは婆達は云わぬ。

 改めて自分には母というものがいたのだと知るが、さして感慨もなかった。

 しかし―

 自分に似た者は気になった。

 何故だかは分からぬ。ただ、会ってみたいと思っただけだ。

 そいつも、我の様に手当たり次第に喰うのだろうか。―いや、子守りの娘は喰われなかったと言ってた。

 何故だ?

 北の獲物がない土地に住んで、どうやって生きてきたのだろう。

 殴りつけるような雪風に目をすがめながら、花鬼は腰を低くして先へ進む。

 踏んでは沈む雪の道に、歩が段々遅くなった。

 それでも花鬼は進むのをやめなかった。

 びゅうびゅうと頬を打つ雪の音が、いつしか止んだと思ったらその背後から声がした。

「そなた、何ものじゃ」

 振り返ると、白い毛皮を纏った綺麗な鬼が立っていた。

「おぬしが雪鬼か」

「いかにも」

 なるほど、見ればその若鬼は、水鏡に映った花鬼にそっくりだった。

 すっと筆で払った様な、まっすぐの眉と鼻梁。長い睫毛に縁取られた涼しげな目元。血より尚赤い、引き結ばれた唇。僅かに見えている地肌は、どこをとってもこの地に降る雪の様に白かった。

「我は花鬼じゃ。おぬしを喰らいにやってきた」

「ほう…。喰らえるものなら喰ろうてみよ」

「ほざくがよい!」

 花鬼は嬉しそうに躍り出た。

 こんなにわくわくする事は初めてだった。

 生きる為に喰らい、喰らう事で生きてきた。他に何も知らず、知りたいとも思わなかった。喜びも苦悩もすべて興味の外にあった。

 しかし今は違う。

 雪鬼の姿を見た途端、心が躍ったのだ。

 この鬼の血は甘いだろうか。この肉に食らいついたら、どんな味がするのだろう。

 自分にそっくりな、けれど自分とは全く正反対の生き方をしてきたであろうこの鬼。

「おぬしは何を喰ろうて生きてきた」

 長く鋭い爪を(やいば)のようにふりまわしながら花鬼は問うた。

「何も」

 淡々と雪鬼は答える。

「何もとは」

「何も喰ろうた事は無い」

 事実だった。

 雪鬼は、生まれてこの方、雪だけを口にして生きてきた。

 他の命を糧とする事を好まなかった。

 他者の犠牲の上に成り立つ命なら要らぬと思い、その意志だけで喰らう事を拒み続けた。

 真っ白な雪の中を燕の様に飛び交いながら、二人は切り付け合った。とぷりと血の粒が浮く。真っ白な頬や腕に、真っ赤な鮮血の線ができる。

 雪鬼の肌に立てた爪から、甘い血の匂いがする。舐めてみたら案の定極上の味だった。

 花鬼は生まれて初めて楽しくなってきていた。

「喰らわぬか」

「喰らわずとも生きてゆける」

 淡々とした声で雪鬼は言った。

「ならば、私を倒してまず私を喰らえ!」

 本気で花鬼はそう叫ぶ。花鬼にとって、喰らう事は全てだった。

 しかし誰かに喰われたいと思ったのも初めてだった。

 一方、雪鬼も今まで感じた事のない高揚が胸の裡に産まれていた。

 まがまがしくも美しい光を放つ、自分とうり二つの美しい鬼。

 兄妹だとは二人とも気付かない。そんな事はどうでもいい事だった。

 雪鬼は初めて自分の中に飢えを感じた。

 目の前の鬼を、喰らってみたいという欲望がいつしかふつふつと湧きあがってきていた。

 真っ白な雪の上に血の華を咲かせながら、二人の殺し合いは求愛にも似て延々と続く。

 その戦いは積もった雪を崩し、地を震わせ、麓の平野や村に災厄をもたらしながら百年続いた。

 やがて、狂おしいほどの渇望と充足を織り交ぜて二人が血で染まった雪の中に倒れた時、世界に生きるものはほとんど残っていなかった。

 もっともそんな事も二人のあずかり知る事ではない。

 拮抗した力が二人に勝敗をもたらす事もないまま、お互いの牙と爪をお互いの血で染めて、誰一人知る事もないままその災厄は終わりを告げた。


 地は凍った雪に覆われ、そして千年の時が過ぎる。

 ようやく溶けた大地の上に根を張った何本かの樹が真っ白な花を咲かせた時、ほんの一握りの生き物たちは災厄が去ったのを知った。

 花は雪の様にはらはらと散った。

 その中で、一本の木だけが、ほんのりと緋色の混ざる花を咲かせる。

 もっとも、その木の深く深い根に抱かれて、二人の鬼の子の死体がお互いに喰らいつきながら、遊び終えた子供のように幸せそうに眠っている事を誰も知らない。

 災厄の預言を持った鬼婆たちの生き残りでさえ、その寿命が尽きてしまった。

 何もなくなった大地で、ほんの僅かな生き残った人々は、恐る恐る初めての春を迎えるばかりだ。


 これで雪鬼と花鬼の話は終いである。

 


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