5話 焦りが思い出させたもの
展開を焦り過ぎだろうか…。
人通りの多い表通り、奏は十回目のコール音を鳴らしたMEGを握り締めながら耳から離していく。
(僕の、せいだ。)
今の彼の表情にはいつもの笑顔やふざけた感じは一切ない。
眉をしかめ、歯を食いしばり、うつむいて永遠と彩音の番号を呼び出し続けるMEGを睨み付ける。
(僕のせいで……。違う。)
MEGの呼び出しを切って、顔を上げる。
その目線の先には真夏の陽光に照らされた町並みや、そこを歩く人々がある。
だが奏の頭にそれらは認識されない。
(違うんだ。今、今やるべきことは……。)
例えるならば真っ暗闇の中、少し離れたところに今にも消えそうな火があるのだ。
(何が何でも彩音を助け出す!)
仲間を助けなければならないという思いが奏の思考をむしばんでいく。
まるで何かに取りつかれているかのように……
奏はMEGである人物を呼び出す。
「不破、今すぐ彩音の現在地を時計のGPSを使って確認しろ。
MEGは離れた場所にあるかもしれない。」
「イエローブロック東部の路地で停止中。
今、北に向かって動き出しました。」
「速度は?」
「彩音さんの平均歩行速度より遅いですね。」
(負傷したか、もしくは敵が徒歩で連れ去ろうとしているか…。)
「わかった。
彩音のGPSデータをリアルタイムで僕のMEGに送信しろ。
あと、僕の付近にあるJSP所有の車両を検索してくれ。」
「北方向の交差点を左折。
百メートル進んだ右側の駐輪場にバイクがあります。」
奏はさっそく不破の言った駐輪場に向かって走り出す。
「最後に一つ。たぶん僕の動きは京都支部の連中に筒抜けだ。
弓弦たちに伝えて、僕や彩音のところに彼らが来るのを妨害しろ。」
「お前、一人で行く気か!」
この会話で初めて不破が口調を地に戻して自分の意見を言うが、奏は取り合わない。
「わかったか?わかったなら返事をしろ。」
「ッ!…りょ、了解しました。」
一年以上同じチームにいた不破でさえ初めて聞くキツイ口調だった。
確かに、ここまでの危機的状況になったのはguilty silenceで初めてのことだったが、あまりの雰囲気の違いに不破は不安を感じる。
「なんかちょっと変じゃないか?お前。」
そう不破がつぶやいた時、奏のMEGはすでにポーチにしまわれていて、彼はその言葉を聞くことなく全力疾走で京都の人込みを走り抜ける。
(僕が彩音を、仲間を助ける!)
奏の思考は完全にその言葉で染まっていた。
先ほどの例えで言えば火に向かって、脇目も振らず突っ走っている状態だった。
奏は息を切らしながらバイクにたどり着く。
自転車などと一緒にホンダ製の大型二輪、VFRが停められている。
このバイクは日本の交通機動隊に採用されている、いわゆる『白バイ』のベース車両だ。
JSPの人間が乗るときに赤色灯を装着し、警察の制服を着ることで緊急車両の移動スピードを得ようとして投入された車両で、民間人に対するカモフラージュの面も兼ねて、使用するときは赤色灯をはじめとした多くの装備品の装着が義務付けられている。
奏はそれを一瞬たりとも考えることなく、ヘルメットをかぶり、シートに跨り、JSPのマスターキーでエンジンを始動する。
一気にスロットルをひねると後輪が白煙を上げて空転し、バイクが回転する。
バイクが道と平行になったところで奏は一度ハンドルから手を離し、不破から送られてきたデータで彩音の位置を確認する。
(絶対助ける!)
再びハンドルを握ると、最短ルートの細い道路をフルスロットルで走り抜けていく。
交差点は車体をめいっぱい傾けて曲がり、前輪を浮かせながら加速する。
MEGの画面上で彩音のアイコンと奏のアイコンがあっという間に近づいていく。
最後の交差点を曲がると、彩音がいるであろう建物が見えてきた。
テナント募集中と張り紙がしてある、そこそこな大きさの倉庫みたいな建物だ。
前のスペースにバイクを乱雑に止め、ヘルメットを脱いで脇に投げ捨てる。
(彩音!彩音!)
心の中の叫び声を聞きながら扉を思いっきり蹴り開けようとした。
その時季節外れの突風が奏の動きを止めた。
思わず顔を隠してしまった手をどけ、再び戸を開けようと足を振り上げると、今度はガシャンッという大きな音が彼を振り向かせる。
音の原因はバイクだった。
傾いている地面に適当に置いたため、今の突風で倒れてしまったようだ。
サイドミラーやブレーキレバーが折れて、一気にボロボロになってしまった。
しかし、これほどの緊急時ならば誰もが気にかけはしないだろう。
だが奏は……
「あ…。」
ぽかんと口をあけて、その光景から目を離せなくなってしまった。
なんとなく視界に入った自分の姿は、汗だくで、なりふり構わずバイクを走らせたため服やブーツはところどころほつれていた。
仲間が危険なのにもかかわらず、自分の姿を見た奏は思わず吹き出してしまう。
「何焦ってんだか。」
奏は飛び散った部品を無言で拾いだした。
集めた部品をヘルメットに集め、起こしたバイクの上に乗せる。
傷だらけになった燃料タンクを撫でて、何かを懐かしむような表情で奏はつぶやく。
「『ただ焦っても、事態は好転しない。パートナーを信じて最後まで賢くあれ。』でしたね、先輩。」
奏はドッグタグを首から外し、右手の中に落とす。
JSPのドッグタグは二枚式で、本来ならばボールチェーンに自分の名前が刻印したタグが二枚付いている。
しかし、奏のチェーンには自分の二枚のタグの他に、名前が刻印されているタグが通してあった。
そのタグだけは表面が傷々で、曲がってしまったところを直してたような線も何本か入っている。
それをしばらく見つめた後、扉の前に戻り、ドッグタグをしっかり首に付け直す。
「またあなたの言葉に助けられた。
でもいつかはあなたの理論を証明できるくらい強くなる。
そしてあなたの最後の判断が間違っていたことを証明してやる!」
今度は静かにゆっくりと戸を開く。
しかし、さっきまでの奏とは大きく異なっているものが二つあった。
それは、心の余裕であり、いつもの不敵な笑顔であった。
ついに次回、奏と片桐さんが…。
作中のことで少し。
実際にバイクをアクセルターンさせようと思うと、回転数を上げてから一気にクラッチをつなぐ必要があります。作中ではうっとうしい描写かなと思ったので省かせていただきました。